【大列車強盗(旧)】
製作年 1903年、米
監督  エドウィン・S・ポーター 
出演  ギルバート・M・アンダーソン
【あらすじ】
 わずか10分たらずの短編映画で、以下の14のシーンから構成されている。
@ある駅の電信室に、強盗団が押し入ってきて電信技手を縛る。
A屋外の給水塔。強盗団たちが列車に忍び込む。
B郵便車に押し入り郵便局員を襲い、郵便物を盗む。
C炭水車より強盗団が機関室に忍び寄り、機関士と格闘。
D機関車の停止。強盗団に脅されて機関士が降りる。
E停止した列車の外。強盗団が乗客から金品を脅し取る。
F強盗団が機関車で逃げる。
G機関車が止まり、強盗団が降りる。
H木の茂っている谷。渓流を渡ると馬が待たせてあり、彼らは馬に乗る。
I電信室の場面。少女が縛られている電信技手に気づき、縄をほどく。
J保安官たちがダンスホールで踊りに興じている。電信技手が事件を知らせにくる。
K保安官たちが山道を追跡する。
L銃撃戦の後、強盗団は全員倒される。
M強盗団の首領バーンズのクローズアップ。カメラに向かって発砲する。
【解説】     
 世界で最初の西部劇にしてストーリーのある映画といわれている作品で、1900年8月にワイオミング州テーブル・ロックで実際に起きた事件をもとにエジソン社で製作された。当時はまだ列車強盗が過去の話ではなく、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが演じた「明日に向かって撃て」(69年)のブッチとサンダンスもこの時代の人物であった。また、当時の人々は「白昼の決闘」(48年)や「ウエスタン」(68年)で描かれているように強引な手口で利権をむさぼる鉄道資本家への反感があったので、列車強盗は一種のヒーロー的な存在でもあった。
 ラストのカメラに向けて発砲するシーンは、「上映者はこのシーンを最初でも、最後でも好きなように使うことができる」とエジソン社のカタログに記載されていたのだが、見ている人は度肝を抜かれ、まだ映画黎明期であったため逃げまどう人までいたといわれる。ちなみに、この当時の映画館は5セント(俗称ニッケル)で見られたのでニッケルオデオンと呼ばれていた。この映画は大ヒットしたため、同工異曲の作品が多数作られ、なかには「小列車強盗」といったタイトルのものや、全く同じ作りで「電信室のカレンダーの日付がちがう」という人を食ったような作品まで現れる始末だった。
 監督のエドウィン・S・ポーターは1900年にエジソン社に入社したカメラマン兼映写技師だったが、監督やプロデューサーといった職種もない時代だったので、現場で発言力のあるカメラマンが自然に監督も手掛けるようになったという次第である。
 乗客の一人として出演していたギルバート・M・アンダーソンは、その後、エッサネイ社を設立し、”ブロンコ・ビリー”シリーズを375本も監督・主演し、最初の西部劇スターといわれた。また、後にポーターの映画に俳優として出演し、業界入りを果たしたのが「映画の父」D.W.グリフィスである。
【アメリカの鉄道】 
 アメリカにおける鉄道の開業は1830年、ボルチモア&オハイオ鉄道がボルチモア〜メリーランド州エリコッツミルズ間13マイルで蒸気機関車を走らせたのが始まりであるとされている。最初は馬車で営業していたのだが、発展性に乏しいということで新たに「親指トム」号という竪型ボイラーを乗せた機関車を制作し、試運転を試みたのである。途中、馬車に競争を挑まれたのだが、機関の故障が響き負けてしまい、採用は翌年送りとなった。
 その後の発達は鉄道発祥の地イギリスをも上回ったが、軌間(線路の幅)が23種類も存在するなど乱立状態になったので、1870年頃に標準軌間(1,435o)に統一することになった。また、当時は地方により100近くも標準時間があったのを、1883年、実用的な時刻表を必要としていた鉄道会社が主体となり4つの標準時間帯に分けた。それが後に法制化されて一般化されるに至ったのである。正確な運行に欠かせない精度が高い鉄道時計なるものも、アメリカの鉄道会社が時計会社に製造させたのが始まりである。