【キートン将軍】(キートンの大列車追跡)
製作年 1926年、米
監督  バスター・キートン
出演  バスター・キートン マリオン・マック
【あらすじ】
 機関士ジョニー・グレイ(バスター・キートン)には愛するものが二つあった。一つは機関車<将軍号>、もう一つは恋人のアナベル・リー(マリオン・マック)である。
 南北戦争開戦の知らせが入るとアナベルの父と兄はただちに南軍の志願兵受付所に赴いた。ジョニーも志願したのだが、なぜか不合格。実はジョニーには鉄道輸送の仕事に従事してもらった方が、南軍の利益になるという思惑が徴兵官にあったからだが、本人やまわりの人に知らされることはなく、ジョニーは自信喪失、アナベルからも嫌われてしまう。
 それから1年。南北戦争はいよいよ激化。北軍の部隊がこともあろうにアナベルがたまたま乗っていた将軍号を奪取した。彼らは奪った機関車で鉄道施設を破壊しながら、北上するよう特命をおびていたのだ。勝手に走り出した将軍号に気がついたジョニーは必死に追いかけていく。
南軍の大部隊を乗せたテキサス号で追跡しようとするが、連結器がはずれ、一人だけで追跡するはめに。相手側もそれに気づき反撃してきたので、ジョニーはテキサス号を捨て森のなかに隠れる。 
 夜になって雨が降り出したので、ジョニーは一軒家に飛び込むが、そこはなんと北軍の作戦本部だった。作戦計画を盗み聞きし、アナベルを救出し、将軍号を奪還すると、なんとか南軍の駐屯地に到着し、北軍の作戦計画を報告する。敵を迎え撃った南軍は大勝利し、ジョニーは殊勲で少尉になり、アナベルの愛も取り戻すことができた。
【解説】
 チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイドと並んで三大喜劇王といわれたバスター・キートンの最高傑作の1本である。バスター・キートンは両親がボードビリアンだったため、わずか4歳で舞台デビューをはたしている。ちなみにバスター(頑丈な)と命名したのは、生後6か月のキートンが階段から落ちても無傷だったのを見た親の巡業仲間で伝説的奇術師のハリー・フーディーニだといわれている。その名に恥じぬとおり、にこりともしないで(ストーンフェイスといわれた)命がけのスタントを次から次にこなすのが、キートンの真骨頂と言える。実際「キートンの船長」(28年)では首の骨を折る重症を負いながらも映画を完成させている。
 この映画は実話小説をもとに製作されているが、小説は北軍側から描かれており、原作に忠実な映画をディズニーが「機関車大追跡」(56年)というタイトルで製作している。将軍号を含めこの映画に登場する3台の機関車は、車軸配置が4−4−0(先輪2軸、動輪2軸)のアメリカン型SLで、燃料として燃やす薪の火の粉を押さえるためのダイヤモンド型煙突と、カウ・キャッチャーといわれる排障器が前面に付いている。またイコライザーと呼ばれる釣合梁が発明され、動輪が等しい重さで凹凸のあるレールに密着できるようになった。アメリカだけでもこの型の機関車は25000台も製作されており、まさにアメリカを象徴する存在であった。
 撮影では実際の事件でも盗まれた将軍号が使われたが、ロケはオレゴン州でおこなわれたため、保存されているテネシー州チャタヌーガから回送された。ミニチュアなどは一切使わず、クライマックスでテキサス号が橋から転落するシーンも実際の機関車が使われた。また、戦闘シーンではオレゴン州の州兵が数千人もエキストラとして参加しており、キートンの映画の中ではもっとも予算がかかった作品である。
 この映画が公開された翌年、ワーナーブラザーズ社より初のトーキー映画となる「ジャズシンガー」(27年)が発表され、多くのサイレント映画のスターが、運命を翻弄されることになるが、キートンも例外でなかった。この映画の後、自分のプロダクションを解散し、MGMに移籍したのだが、アル中や、妻との離婚訴訟による破産などがあり、クビになってしまう。以後マルクス兄弟やローレル&ハーディなどのギャグ作家や端役をこなしながら映画業界にかろうじて残っていたが、40年代の後半に再評価されて、自分のテレビ番組を持つまでに人気が復活した。57年には伝記映画「バスター・キートン物語」(監督は後の大ベストセラー作家シドニー・シェルダン)まで作られ、ミュージカル映画「雨に唄えば」で身軽な演技をみせたドナルド・オコナーがキートンを演じている。また「ライムライト」(52年)では長年よきライバルだったチャップリンとも共演している。鉄道マニアだった彼らしく「キートンの線路工夫」(65年)なる短編映画が遺作となった。