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【鉄道員】
製作年 1956年、伊
監督 ピエトロ・ジェルミ
出演 ピエトロ・ジェルミ
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【あらすじ】
ベテラン機関士のアンドレア・マルコッチ(ピエトロ・ジェルミ)は、末っ子のサンドロから英雄のように慕われていたが、大人になった長男マルチェロと長女ジュリアには、うるさい頑固親父としか思われていなかった。それでも家族が一つ屋根の下で暮らしていられるのは献身的な母親サーラのおかげだった。ジュリアには食料店に勤める恋人がおり、子供を妊娠していた。それを知ったアンドレアは急いで2人の結婚式を挙げるが、まもなく流産し、夫ともしっくりいかなくなった。
ある日、アンドレアが運転する急行列車に若者が飛び込んだ。急ブレーキをかけたものの間に合わなかった。それを気に病んだ直後、赤信号を見落とし、衝突事故を起こしそうになった。
その責任で操車場の機関士に格下げされ、酒の量も増えていった。マルチェロは家を飛び出し、ジュリアも夫の家を出て仕事を始めた。
鉄道のゼネストが始まるとアンドレアは再び急行列車の機関士に復帰するが、仲間からスト破りと誹られ、孤立し、職場にも姿を見せなくなった。家にも寄りつかなくなった父をサンドロ少年は父の親友のリヴェラーニと捜し出し、機関士仲間がたむろする酒場に連れていく。職場の仲間はアンドレアを暖かく迎えてくれたが、泥酔した彼は、卒中を起こしてしまう。
それから三ヶ月がすぎたクリスマスの前夜。家出したマルチェロや隣人が押し掛け、ジュリアも電話をよこし、寂しかった家が華やいだ。しかし、アンドレアの余命は尽きようとしていた。 |
【解説】
年配の方ならば「鉄道員」というと「ぽっぽっや」ではなく、こちらの映画を思い出す方が多いのではなかろうか。カルロ・ルスティケリ作曲の哀調のテーマ曲、末っ子サンドラによる語り口、家族の間の悲喜こもごもなど戦後の日本でも大いに共感を呼んだ名作である。
主演を兼ねた監督のピエトロ・ジェルミは”イタリアン・ネオ・リアリズム”の祖といわれるアレッサンドロ・ブラゼッティの助監督をつとめていたこともあり、その影響を濃厚に受け継いでいる。
イタリアというと家族の絆が強いことで有名であるが、それには強力な統一国家が存在しなかったことが背景にあり、最後に頼れるのは家族だけという意識が発達したためとおもわれる。ジェミニ監督もその点にこだわりを持ち続け、不倫に走った男の悲哀を描いた「わらの男」(57年)、捜査をする警部の目から市民の生活をとらえた「刑事」(59年)などの作品に十分に反映されている。
サンドロ少年を演じたのは、200人の募集者の中から選ばれた当時7才のエドアルド・ネボラという子だが、この映画がデビュー作とは思えない名演技を見せている。古くは「自転車泥棒」(48年)のブルーノ少年、最近では「ニュー・シネマ・パラダイス」(89年)のサルバトーレ少年、「ライフ・イズ・ビューティフル」(99年)のジョズエ少年など、イタリア映画の秀作では、男の子役が活躍しているのが特徴でもある。
作曲のカルロ・ルスティケリは、ピエトロ・ジェミニ監督の作品の音楽のほとんどを手掛けているが、なかでもこの映画の曲と「刑事」で使われた「アモーレ・ミオ」は特に有名である。また他の監督の作品だが「禁じられた恋の島」(61年)、「ブーベの恋人」(63年)のサントラは、現在ではムード音楽のスタンダード・ナンバーになっている。
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【イタリアの鉄道】
イタリアの鉄道開業は1839年である。ナポリ〜ポルティチ間の10キロたらずに汽車を走らせたものだが、当時ナポリはフランスのブルボン家が支配しており、王家の私的鉄道のおもむきが大きかった。小国が分立していたため、その後は個別に鉄道が発達していったが、イタリア統一後の1905年に全国規模のイタリア国鉄(FS)が設立された。イタリア国鉄も日本の国鉄と同じように赤字体質だったため、1993年には民営化されイタリア鉄道(fs)となっている。
イタリアの列車はデザインの点で優れており、1950年代に登場した「セッテベロ」は流線型の先頭車両の一階が展望席、二階が運転席になっており、日本の名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーのお手本になっている。現在、イタリアの新幹線といってよいイーエス・スターで使用されている最新のETR500は、時速300qを誇るが、デザインをフェラーリやジャガーなどのスポーツカーデザインを手掛けているピニン・ファリーナ工房が担当している。 |
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