【サブウェイ・パニック】
製作年 1974年、米
監督  ジョゼフ・サージェント
出演  ウォルター・マッソー ロバート・ショー
【あらすじ】
 ニューヨークの地下鉄に怪しい男たちが一駅ごとに乗り込んできた。4人目の男が運転士にピストルを突きつけ、この電車の乗っ取りを宣言すると、一番先頭の車両だけを切り離し、駅と駅の間に停止させた。異常に気が付いた運行主任が線路づたいに近づくと、彼らは発砲し乗客は恐怖に陥った。 乗っ取り犯は色の名前で呼びあっていて、ボスはブルー(ロバート・ショー)と名乗り、後の3人はグリーン、グレイ、ブラウンと呼びあっていた。ブルーは、管制センターに100万ドルの身代金を1時間以内に届けるように指示し、1時間が過ぎると1分ごとに人質を1人ずつ殺すと脅迫した。
 地下鉄公安局のガーバー警部補(ウォルター・マッソー)は市長に連絡するが、風邪で寝込んでいる市長の対応は遅く、金を払う決定が遅れてしまった。直ちに、銀行から犯人の指示どおりの小額紙幣が引き出されるが間に合いそうもない。ガーバーは必死になって期限を15分延ばすよう懇願し、ブルーもとりあえず妥協した。金がやっと届くと、ブルーは2人の警官に届けるように指示するが、2人が車両に近づくと、警察の狙撃手の1人が勝手に発砲し、ブラウンが怪我を負ってしまった。怒ったブルーは車掌を見せしめに射殺した。
 金を受け取ったブルーたちは、電車の自動ブレーキを利かなくして暴走させると、彼ら自身は途中で降りた。ガーバーはそれに気づき、ブルーを追いつめるが、彼は捕まるより高圧線に自らの足を突っ込み感電死の方を選んだ。一人だけ逃げたグリーンにもガーバーたちの捜査の手が迫っていた。
【解説】
 ニューヨークの地下鉄は1904年に開通した。かつては3つの運営団体が存在したが、1940年に二ューヨーク市交通局に統合された。路線の系統番号には1〜9までの数字かアルファーベット1文字が使われており、デューク・エリントンの名曲「♪A列車で行こう」はこの地下鉄A号線のことを指している。ニューヨークの地下鉄は24時間運行、複々線による急行運転等で高い評価を受けてきた反面、落書きや犯罪件数の多さでも有名であった。近年は警備体制の強化や,日本製のステンレス車両の導入等により、大幅な改善が見られるようになった。集電方式はすべての路線で第三軌条と呼ばれる線路の脇にもう一本電気を通したレールを敷設して、そこから給電するようになっており、日本の地下鉄でも営団の銀座線や丸の内線が同じ集電方式になっている。料金は全線一律で、トークンと呼ばれるコインを自動券売機で買うようになっているが、最近は日本でも導入されているプリペードカードの方が好まれているようだ。
 映画の中で暴走した電車が向かうサウスフェリー駅は、マンハッタン島の一番南端にある駅だが、折り返し用のループ線になっており駅もループの途中にある。そのため、電車とホームとの間隔が開くところがあるためホームは可動式になっている。この線は同時多発テロで崩壊したワールドトレードセンターの真下を通っていたため、甚大な被害をこうむっている。
ガーバー警部補役のウォルター・マッソーは、ニューヨーク生まれで、俳優になるまでは職業を転々とし、俳優になってからも脇役が多かったが、ビリー・ワイルダー監督に見いだされ、ジャック・レモンとの最初のコンビ作「恋人よ帰れ!わが胸に」(66年)でアカデミー助演男優賞を獲得し人気を確立した。2人のコンビ作は「ラブリー・オールドメン」(93年)など多数ある。

【地下鉄の始まり】
 地下鉄は1863年、ロンドンのファリントン〜パディントン間6qを結んだのが始まりである。当時はまだ動力には蒸気機関車しかなかったため、燃料にコークスを使用したり、駅に排煙口を設けたりして煙害対策をとっていたが、それでも乗客は煙かったらしい。車両はトンネルの断面に合わせた半円型をしており、そこからイギリスでは地下鉄のことを「チューブ」と呼ぶようになった。現在は断面の大きい車両も走っており、営業キロ数も400qを越えている。
 日本では、昭和2年(1927年)の暮れに浅草〜上野間2.2qで開業したのが始まりである。元鉄道省官吏の早川徳次が設立した東京軽便地下鉄道株式会社により大正6年より計画が進められていたのだが、大正12年の関東大震災で着工が遅れ、工事に取りかかったのは大正14年になってからだった。初日は物珍しさも手伝って10万人もの人々が押し掛け、夜の12時まで運行された電車はどれもすし詰め状態だった。