アベノミクスが成功しない理由(第1回)(2015.10.20)

平成27年10月7日に安倍内閣が発足した。(自民党総裁に無競争で再選)安倍総理は再び「経済を最優先にする」、「GDPを600兆円にする」と意欲を示している。黒田日銀総裁になってから2年半にもなるのに、日本経済の景気がおもはしく好転しないのは、中国の大不況とか日本やドイツの大企業の失態など、外的な要因もあると思うが、アベノミクスには、日本経済の歴史や構造を深く分析し、考えることが不足していることが、一番大きな問題ではないだろうか。

(成功できない理由)
アベノミクスがとっているトリクル・ダウン(trickle down)方式の思考とは、次のような考え方である。
社会の中で、最も富裕な人々の富をまず増やすことによって、その結果として、生み出された富がそれ以下の人々に流れてきて、最貧者にも利潤や便益を与えるという考え方である。しかし、それはうんざりするほど長い時間のかかる問題である。 そして確実にそうなるという保証は全くない。
アベノミクスは思想的にこうしたスタイルをとっている。我々は、何度も「そのうち経済の好循環が生まれてくる」と政治家から説明を聞き、多くの人々がそれを期待した。しかし、福の神は特に訪れてこなかったのである。この考え方は、善意な考え方だと思うが、そんな考え方が通用するほど、世の中は甘くはなかった。日銀が大量に国債を民間から購入して、金融市場に流動性(通貨)を供給しても、消費も投資もあまり伸びず、経済の成長率はさえない。安倍内閣は経済界にもはたらきかけ、給与や賃金のできるだけ大幅な引き上げを求め、財界もそれに応じたので、それなりの効果はあったものと思う。

(我が国の租税国家としての成り立ち)

日本の経済体質、経済構造は、米国や欧州と全く違うのである。日本は独特の土地制度を持っており、土地投機が明治以降の日本経済の基本構造の一つとなってきた。そしてそれがいまだに続いている。フランスから明治維新に導入した絶対的土地所有権制度は、我が国の基盤を作ったが、緊急に必要だった明治政府の第一号の租税である地租の原資を、土地売買の利益(土地取引と土地投機の利益)に求めている。明治の初期には、国民から徴収できる財源は他には何もなかったのである。

明治政府の財政と予算を確立させたのは、地主という存在を始めて作ったことと、政府が無償で与えた土地は、市場で評価されるとともに、地主となった者に地租を課税したことである。日本の地租改正は、日本独特の制度で、使用者や占有者にその土地を調査の上、無償で支配者に所有権を与え、それと引き換えに、その土地の評価額の3%を政府に、金銭で納付させたのが地租の始まりであった。これで、それまで借金で苦しんでいた明治政府は、堂々と予算を自前の租税である地租で編成することが可能となったのである。明治時代には、地租が唯一の重要な財源で、政府の最も重要な歳入項目であった。
(注)民間における土地所有と土地取引の利益の中から、米作や農産物の収穫と土地保有に対する租税を課税する方法を、地租という形式で考え出した。

表 一般会計租税収入とそれに対する地租の割合(%)
明治一期明治三期明治五期明治10年度明治20年度明治30年度明治40年度
地租の割合63.688.191.882.363.540.036.9
(資料)大蔵省百年史、別巻190頁

(土地所有権制度は租税賦課の前提であり、日本の社会と経済の中心的骨格となった)

地租を土地に課税するためには、明治政府は、国内に新しい土地制度を創設しなければならなかった。日本全国の各大名は、一定の領地を幕府から拝領していたが、その権利は、当該地域を統治し、それに必要な経費をコメの石高という形で領民から徴収することであった。したがって、明治政府は、まず土地制度、すなわち地主を創らなければならなかった。全国の町村の役場を使い、各地を調査測量の上、境界、権利者等を定め、区域ごとに土地の権利者(地主)を定める作業を、明治6年から14年までかかって地租改正作業として行った。これは租税寮(旧大蔵省の前身)が中心となって実行された。

この結果、土地登記簿の基となる資料が作成されている。土地の権利を申請したものを地主として認定し、原則として無償で地券(土地の権利を公に示す書類)を交付したのである。当時国会はまだ成立しておらず、太政官布告に基づいておこなわれた。土地は私有財産とされ、取引も自由となり、価格が市場で決まるようになった。地租は当初評価額の3%とされたが、後日変更されることになる。土地の私有財産化と市場取引がなかったならば、明治政府の財政は成り立たなかったのである。つまり地租以外の税金は大いに不足していたのである。政府財政を支えるため、土地取引が盛んになったのは当然で、土地投機も大いに行はれた。この伝統は、明治、大正、昭和、平成と140年後の現在に足るまで、日本国内で、営々と行われてきた。

(注)当時大蔵大臣に相当する職にあった松方正義は、政府部内を説得して、明治5年2月に200年以上前から継続して執行されてきた「土地売買禁止令(太政官布告50号)を解除し、人々に土地の売買を認め、譲渡地に対する地券渡し方規則を制定した。そして明治6年7月に、上諭(天皇の裁可があったことをし示す文書)を伴って、地租改正が布告された。(太政官布告第272号)同時に、必要な条例、規則等が政府命令として発せられた。

土地制度と、国家財政が確立したので、明治政府は、殖産振興と富国強兵に、積極的に邁進することとなった。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、第二次世界大戦へと休む間もなく、戦争と戦争経済時代に日本人は没入してしまったのである。今年で、第二次大戦後70年を経過したということは、戦争のない平和な70年間の期間を、日本国民が享受できたということで、明治以来の日本国民にとって、初めての経験であり、本当に幸せな有難いことであると痛感せざるを得ない。

そして、第二次大戦後は、貿易の自由化、資本の自由化等を始めとして、国際協調という精神の下で、軍国主義をを廃止し、日本経済は、平和な、国際経済と国内の発展に大きく寄与している。 しかし、戦時経済から長年引き続いてきた日本の土地制度(絶対的土地所有権制度)のもとでは、慢性的に土地投機が盛んとなり地価の変動が激しく上下し、日本経済のマクロバランスは大きく乱れてしまった。1990年代のバブルの崩壊は、日本経済の大きな危機を招いたが、その後始末がまだ終わっていないように、私には思はれる。それが大変残念でならない。日本の経済界と金融機関は、あれだけの危険な経済危機を犯したのもかかわらず、バブルの原因となった土地や土地投機に関し、考え方や態度がバブル前と比べ全く変わっていないからである。

(土地本位制という経済は日本だけの危険なもの)

土地本位制という言葉が、日本にはある。某新聞は2−3か月前に、バブルの後始末をそうした名のもとに、大きく報道していたが、それは消えていない。日本の国内で、現実ににそれが実行されてるし、行はれているからだ。土地本位制という言葉は、日本では、土地所有権さえ持っておれば、いつでも銀行へ行き、担保に入れれば、必要な資金を借りることできるし、資金を貸し付けた銀行や保険会社は、万一貸し倒れがあっても、土地を処分すれば、元本と金利を回収し、利潤をあげうる時代があったからだ。

日本の土地、特に市街地の土地は、欧米諸国の金のような存在であったように思う。こうした土地本位制は、日本ではまだ続いているようである。日本をダメにしたのは1990年代のバブルの崩壊だったが、これで日本経済のマクロバランスは大きく崩れて、世界中から日本経済は、まともに相手にされなくなってしまった。私は当時世銀,その後国内の某金融機関で働いていたが、日本経済に対する国際的な信頼が全く落ちてしまう気配を、ワシントンやロンドンで感じた。日本は危険だというシグナルであるジャパンプレミアムが金融市場で要求されたからである。そして、投機取引で上がりすぎてしまった土地の地価は、平成4年からの反動下落で、資産価格下落の原因となり、20年にわたる資産デフレの原因となってしまった。しかしながら、経済界も政府や日銀も2度とバブルを起さないための画期的な政策は何も工夫しなかった。土地改革の必要性を無視して、何もバブル対策の手を打っていない。

日本では土地所有権制度が140年も続いているが、我が国のお手本であったフランスは、1945年の第二次大戦終了時に猛烈な地価上昇の土地バブルが発生したので、事実上、絶対的土地所有権制度はあきらめて、放棄してしまっている。ただし、法令上は残っているが、それは形だけの話で、フランスでは、土地は私財、商品というよりは、土地は公共財として事実上取り扱われている。日本の法律学者は、率直にそして正直に、こうしたことを日本の国民に報告していないし、大学の講義でも教えていないようであり、わたくしもびっくりしてしまった。だから、日本では今でも、フランスでは、絶対的土地所有権がまかりとうると思っている。しかし、フランスでは土地市場は公有化され、ゾーニンング行政で、土地は安い価格で公共財として扱われ、住宅や公共用地として調達されているようである。しかし、私はこのことをフランスに行って実証できていないのが残念である。

(日本の土地制度は、他の先進国とどのように違うのか)

私がいつも不思議に思うのは、日本の明治憲法がドイツ(当時、プロイセン)を手本にして制定されたが、明治民法はどうしてフランスの土地制度を模倣する形で、絶対的土地所有権制度を選んでしまったかということである。 これは今でも解明できないが、当時の資料では、民法の土地の部分はフランス的な案に反対があったため、かなり遅れて国会に提出されたという説明を、既に亡くなられた法律学者の本で読んだことがある。
そして、第二次世界大戦後は、日本に軍備を放棄させたが、マッカーサー憲法草案にあった土地の国有化を日本政府はどうして拒否したかという点である。これはおそらく、私の単なる推測であるが、国内で、土地関連の経済界から大きな反論、反対があり、圧力がかかったからではないかと想像される。

日本経済の構造は、明治の昔から、土地関連資本の絶対的土地所有権論者がそのカギを握っており、日本の土地資本家や、金融資本が「ウン」と言わなければ、政治家と言えども変更することはできなかったのではないだろうか?土地本位制の日本経済の中枢にいる人々は、これはたやすく承知することはできない問題なのであろう。しかし、こうした惰性的な安穏さに浸っておれば、国際的な土地政策の潮流から外れてしまい、バブルの発生とデフレの惰性に陥ることになるのは避けられない。これがまさに、現在の日本経済の八方ふさがりの停滞した姿である。これでは、日本経済全体が衰退せざるを得ないだろう。

以下に、ドイツ、フランス、イギリスの欧州の主要国、3カ国の土地制度、土地政策ののエッセンスを対比し、日本との著しい相違点について一覧表として取りまとめたので、3カ国の対比、またその3カ国と日本との対比を、読者において考えていただきたい。世界経済土地研究所の発言が、当を得たものであるかどうかを試していただきたいのである。

表1  ドイツ、フランス、英国の土地制度、土地政策のエッセンスの比較表(世界経済土地研究所作成)

項目ドイツフランス英国
首都349万人(1990年)パリに集中、約1000万人ロンドン、約700万人
土地哲学所有権の社会化絶対的所有権(建前は不変)1945年以来土地の公共財化を推進王様の土地(クラウン・ランド)土地は公共財とし、利用権が中心
地方組織連邦共和国の下16州がある21州、88県、32,265町村不明
不動産取引19世紀に絶対的所有権を採用したが、廃止、1919年古来から暗黙の土地投機、時間とともに地価は必ず上がる。土地市場への監視と介入土地の公有化と開発利益の国庫吸収(保守党と労働党の合意)判例法によるコモンロウ
地価動向土地投機はなし、地価水準は日本の4分の1から100分の1日本より激しい土地バブル、3倍から6倍に大都市で地価が上昇[1945−65年]地価の激しい変動はない、利用権中心で、所有権取引が殆どない
都市計画Fプラン(全市町村にマスタープラン)、Bプラン(地区詳細計画)POS(土地利用計画)が全土の50%をカバー不明
土地の先買い権(収用権)市町村は不動産の先買い権を持つ収用権と先買い権は政府が大幅に拡大、強化した
住宅政策持ち家比率は、全国で約4割大規模な集合住宅建設(用地は公共財として低価調達)特別な政策はない
国土利用の原則一極集中の排除、全人口の3/4が都市に近い同価値の居住環境に住んでいる区域設定(ゾーニング)政策による土地の公共財化推進、法定上限密度の設定(地方財源充実)不動産登録充実、土地保有の原理、権利の束(土地利用権)の原理、法律上の原理と公平上の原理の二本柱
他国への影響力少ない。フランス語圏に若干影響英連邦の盟主として、英国の土地法制は、米国、カナダ、豪州、インド、ニュウジーランド等に広く移入されている。影響力は非常に大きい。
日本との対比建築の自由を制限(ワイマール憲法以来)フランスの土地バブルは第二次大戦直後に起こった。都市の地価は3−6倍に上昇した。1945年から1975年までの間に大きな土地改革は終了し成功した元来土地の私権は極めて弱く、土地は公のものという観念が非常に強い。土地の処分権を重く見る日本の土地思想とは正反対である。
(資料)ドイツ、諸外国の土地制度に関する調査研究(国有財産管理調査センター)、フランス、フランスの土地政策(バンサン・ルナール、ジョセフコンビ)(住宅新報社)、イギリス、Land Law Text Book(ゴードン・ヘンリー)等

(先進三か国の土地制度の特徴)

表1の土地制度のエッセンスの比較表から次のことが読み取れる。

ドイツ
絶対的所有権は、19世紀に一応採用されたが、1919年のワイマール憲法で、廃止されてしまい、替わって、所有権を社会化することにより、国民全体の一体的な生活条件の向上を図ることになった。したがって、土地投機は許されずドイツでは実際に存在しない。地価の水準は、日本の4分の1から100分の1といった低い水準に抑えられている。持ち家比率は約40%と高くはない。しかし、ドイツでは国土全体に平均して交通網が充実しておるといわれ、都市計画上、住宅は、市に近い、環境的に同価値のところに配置されている。

フランス
18世紀末から絶対的所有権を掲げてきたが、第二次大戦終了(1045年)以降、大勢のフランス人が帰国し、全国的に住宅不足が起こったが、地主の土地売り惜しみで、住宅地不足が起こり、社会的、政治的な大問題となった。そこで政府は土地政策を大転換して、収用権と地方公共団体の土地先買い権を拡大強化するとともに、ゾーニング(区域設定)政策の採用によって、土地を合理的な価格で調達するやり方(土地の公共財化)を行ってきた。しかし、法制上、土地の絶対的所有権の看板は下ろしていない。政府が土地市場を直接監督し、地価もコントロールしているといわれる。土地市場自体を純粋に民間のものとせず、公的介入を行っている。

英国
イギリスの土地哲学は、英国の歴史と表裏一体となっており、王様の土地(クラウン・ランド)として、土地は基本的に公のもの、公共財とされ、個人や企業等に与えられる土地の権利は、利用権が多い。つまり、土地の私権は利用権に限定されており、土地の処分権を重視する我が国の土地思想とは正反対である。

英国は昔から商業(貿易)と金融に力をそそいできたが、安定を重視し、土地の処分権の取引はなく、利用権の取引が多い。したがって、地価の激しい変動は少ない。また、土地のキャピタル・ゲイン(開発利益)については、国庫と地方公共団体が吸収するというルールを、保守党と労働党とが合意したうえで、実行している。
特筆すべき点は、英連邦の各国に、英国の土地法制は拡散し定着しており、アングロサクソン系の諸国に共通した土地法制となっていることである。

このように、先進3カ国の土地制度を見ていくと、英国、ドイツ、フランスの順に、土地は個人財産や商品ではなく、公のもの、公共財として扱われ、日本のように、土地が私有財産や商品として投機の対象となることがない。つまり、日本のように土地の財産としての処分権が、全面的に尊重されるということはない。フランスでは、1945年から30年後に既に主な土地改革が終了している。そして、土地の公共財としての側面が強調されつつある。したがって、これらの3カ国では、土地投機はほぼ消滅しているようである。先進国の中では、日本だけがその唯一の例外となっているようである。(米国には土地投機が許されているという見方もあるが、米国には他の先進国にはない、独特の優越的領有権という強大な公的特権があり、土地事情で他国の追随をを許さないものがある。)

これが、18世紀以降の日本と同じ先進国(英、独、仏)の辿ってきた土地政策の流れであった。つまり、絶対的土地所有権の時代は1940年代に終わっているといえる。前世紀の後半から、土地は公共財として、土地利用権時代に入ったのでないだろうか?それだけ、技術革新、国際化のスピード等が速く激しいものとなっているといえよう。日本における古ぼけて使い物にならない土地所有権制度の待ったなしの改革が、緊急に必要なのである。これが実行できなければ、他のどんな分野で技術進歩や制度の改革が起こっても、日本の経済が成長し、財政再建を実行することはできないものと思はれる。

return to top page.