土地市場の失敗と土地の公共財化による土地投機の根絶(第2回)(2015.11.15 )
(投機による地価上昇はマクロ経済を混乱させるがGDPを増加させない)
まず、GDPとは国内総生産(gross domestic product)の略称であり、経済学や国際連合の国民経済計算で、よく用いられる言葉である。GDPとは、「国内の産業の生産活動において、新たに付加的に創出された価値」という意味である(通常「付加価値」という)。GDPが成長するという意味は、毎年、毎年の国連方式による国民経済計算で、このGDPの値がどれだけ増加したかを、成長率という言葉で表示している。GDPが成長し、成長率が高くなれば、経済の規模が拡大し、生産や所得等が増大することを意味し、マイナス成長となれば、経済活動の規模や生産や所得は縮小することを意味する。
国民経済計算は、ニューヨークの国連によって、世界中から優れた統計学者等を集めて25年ごとに計算方式を検討している。次の改訂期は2018年と予定されているので、もう準備作業は始まっているかもしれない。国民経済計算は、世界に存在するすべての国々のマクロ経済の数値を計算するものであり、生産や所得などフロー(財の流れの大きさ)のみならず土地や資産等のストック(財の残高の大きさ)面の分析、発表も行っている。現行の1993年のこの計算基準(93SNAと呼ばれている。)は、土地についてどのように述べているか以下に紹介しよう。(注)SNAとはSystem of National Accountを省略した表現である。
国連の土地に関する判断基準は次の4項目となっている。(以下、内閣府、総合経済社会研究所の文献による。)
@ 土地は必ずしも商品である必要はない。
A 土地の価格表示に特段の意味はない。
B 土地取引の付加価値は0である。
C 土地取引によって生じた高い地価の国際的な(対外的な)価値はゼロである。
これに関して、日本では次のような考え方で、土地を考え、経済を運営しているようである。
@ 土地は私有財産であり、また商品でもある。
A 土地の地価が高くなることは、国土の地価が上昇することで、良いことである。
B 土地取引による地価の値上がりは、経済の付加価値(GDP)を上昇させる。
C 高い地価は国際的な地位を高めるものである。
つまり、土地に関する国連の国際的な基準と,日本人の価値判断は真正面から衝突しているようである。これは日本の悲劇である。こうした日本人の土地認識を根本的に改めなければ、今後日本経済が世界経済と協調して世界の中で栄えていくことはできない。そこでどうして国連が日本流に考えないのかを紹介する。
@ 国連は、土地を私有財産や商品にしなくとも、各国の経済は立派にやっていけると考える。
A 土地の価値が高くなっても、それは良いとも悪いともいえない。地価は何の意味ももたない。
B 土地の価格が上がっても、国民経済計算の付加価値は変化がない。つまり地価が上昇しても、産業の生産や所得を引き上げることはない。取引の結果、土地の価格が上がって名義が変わっても、GDPは何の変化もない。なぜならば、付加価値を増大させていないからである。
C 地価だけ上がっても、その国の国際的な価値が上がることはない。地価の高さというのは何の意味もなく、地価上昇の価値はゼロである。
日本でバブルが起こり、地価が4倍になっても、平成4年の地価の崩壊とともにGDPが大きく変化することはなかった。GDPは、フロウ(flow)であり、地価はストック(stock)であって、次元の違う数値である。日本経済が世界の市場と交流ができなければ、政権党が何党でもだれが首相でも、日本経済が世界の市場から受け入れられなければ、日本と日本人の将来はないものと思う。バブル崩壊後の日本経済の再建にあたっては、何党の誰が首相であっても、明治以来の日本の伝統となってしまった、絶対的土地所有権制度を抜本的に改革しなければ、日本経済に明るい未来はないと私自身は信じている。
しかし、平成4年から23年たったも、政治家や経済人が誰一人としてそういう発言をしないことにビックリしている。やむを得ず私自身が自宅にささやかな世界経済土地権所をつくり、世論に訴え続けている。
(世界の主要国における国土の使われ方)
世界における土地の利用状態を見て、日本の国土がどのように使われているかを、他の国と比較してみようと思う。
表1 主要国の人口密度
国名 | 人口(1,000人) | 土地面積(1,000平方キロ) | 人口密度(人/平方キロ) | 米国をの人口密度を1とした人口密度 |
オランダ | 15,805 | 33.9 | 466 | 15.5 |
フランス | 58,620 | 550.1 | 106 | 3.5 |
ドイツ | 82,100 | 349.3 | 235 | 7.8 |
日本 | 126,570 | 376.5 | 336 | 11.2 |
英国 | 59,501 | 241.6 | 246 | 8.2 |
米国 | 278,230 | 9、159.1 | 30 | 1.0 |
中国 | 1,253,595 | 9,327.4 | 134 | 4.5 |
ロシア | 146,200 | 16,888.5. | 8.6 | 0.3 |
(資料)World Bank Atlas 2001による。[新しい隆盛のための礎石」下巻86p参照
表2 土地面積当たりのGDP産出効率
国名 | 国土面積(1,000平方キロ)A | GDP(10億米ドル)B | GDP産出効率(面積当たりGDP)B/A | 米国を1とした面積当たりGDP |
オランダ | 33 | 356 | 10.522 | 10.5 |
フランス | 550 | 1,290 | 2.345 | 2.3 |
ドイツ | 349 | 1,818 | 5.204 | 5.2 |
日本 | 376 | 3,818 | 10.142 | 10.1 |
英国 | 241 | 1,432 | 5.929 | 5.9 |
米国 | 9,159 | 9,214 | 1.006 | 1.0 |
中国 | 9,327 | 1,080 | 0.000116 | 0.1 |
ロシア | 16,888 | 299 | 0.000017 | 0.02 |
(資料)GDPは、IMFの国際金融統計による。「新しい隆盛のための礎石」参照、面積当たりGDPは、1平方キロメーター当り100万米ドルの単位となっている。
主要先進国の中では、オランダと日本が最も効率よく、土地を利用してGDPを算出しており、世界最高の土地活用度を達成している。
表3 各国の土地活用度(米国を1とした場合)
国名 | 米国を1とした人口密度(A) | 米国を1とした面積当たりGDP(B) | 米国を1とした土地活用度(AXB) |
オランダ | 15.5 | 10.5 | 162.7 |
フランス | 3.5 | 2.3 | 8.1 |
ドイツ | 7.8 | 5.2 | 40.6 |
日本 | 11.2 | 10.1 | 113.1 |
英国 | 8.2 | 5.9 | 48.4 |
米国 | 1.0 | 1.0 | 1.0 |
中国 | 4.5 | 0.1 | 0.5 |
ロシア | 0.3 | 0.02 | 0.01 |
(資料)表1、表2と同じ、同上書を参照のこと
表3は、土地が人間の生活の基盤となっているだけでなく、その国のGDPの産出を可能にする基盤という意味で、両者の積AXBを計算した。土地が人間とGDPの両者にどれだけ活用されているかを示す国際比較の指標と考えている。
土地の活用度は、米国が1.0であるのに対し、日本は113、オランダは162とかなり高い水準にある。中国は0.5、ロシアは0.01で、広大な土地が有り余っている感じであリ、有効に活用されていない。この表から判断すると、資本主義国の中でも、米国とフランスがいかに土地に恵まれているかがわかる。両国は、土地に恵まれた余裕のある国であり、日本がこれらの国から土地評価や土地制度を導入したことは、土地貧乏の国が土地富裕国のマネをしたことになり、元来無理があったのではないかと思う。逆に言うと、オランダと日本は、天から与えられた国土を、世界中で最も有効に活用しており、その国土は、最も貴重な働きをしていると評価されるだろう。
(日本における、戦前からの地価と物価の上昇競争)
経済企画庁の「戦後日本経済の奇跡」によると、1986年から1989年までの4年間に、株式の値上がりは約570兆円であったが、1990年から92年までの3年間に約460兆円下がって、1992年末には、110兆円の値上がり差額が残った。他方、土地については、1986年から90年までの5年間で、値上がり分、約1,350兆円に対し、1991−92年間の2年間で約460兆円の値下がりがあったので、1992年の年末には約890兆円の値上がり残額が残った。つまり、バブルのスケールは、土地が圧倒的に大きく、株式の8倍程度になったという。そこで、焦点を土地に絞って、昭和9−11年からの地価と物価の60年間の比較をしたのが、表4である。
表4 地価と物価の10年ごとの上昇倍率比較(単位は、倍率)
基準時点 | 地価倍率(1)、(全国市街地) | 同左(2)、(6大都市) | 卸売物価(3) | 消費者物価(4) |
昭和9−11年9月 | 1.0倍 | 1.0倍 | 1.0倍 | 1.0倍 |
昭和20年5月 | 2.1倍 | 1.2倍 | 16.2倍 | 50.6倍 |
30年9月 | 154.7 | 169.7 | 21.7 | 5.88 |
39年9月 | 6.8 | 9.9 | 1.04 | 1.39 |
49年9月 | 3.9 | 3.3 | 1.71 | 2.13 |
59年9月 | 1.4 | 1.5 | 1.36 | 1.73 |
平成6年9月 | 1.4 | 1.8 | 0.83 | 1.16 |
60年間合計 | 16,886倍 | 17,962倍 | 705倍 | 1,767倍 |
(資料)世界経済土地研究所「新しい隆盛のための礎石」上巻34p
この表は、10年毎に価格が何倍に上がったかを表している。60年の間に、卸売物価、705倍、消費者物価、1、767倍に対して、全国市街地の地価は16,886倍とケタ違いの猛烈な上昇をしめしている。また、10年ごとの全国市街地と6大都市市街地の地価と卸売物価および消費者物価のスピードを比較してみると、表5のように、60年間に24-5倍(対卸売物価)、そして約10倍(対消費者物価)の上昇速度となっていることがわかる。日本では、物(生産財や消費財)を持つよりも、土地を持ったり、土地に投資したりするほうが、はるかに有利であったことがわかる。
表5 10年ごとの卸売価格、消費者物価に対する市街地価格の相対上昇速度
| 全国市街地価格(対卸売物価) | 同左(対消費者物価) | 6大都市市街地価格(対卸売物価) | 同左(対消費者物価) |
算式 | (1)/(3) | (1/(4)) | (2)/(3) | (2)/(4) |
昭和9−11年 | 1.0 | 1.0 | 1.0 | 1.0 |
昭和20年 | 0.12 | 0.04 | 0.07 | 0.02 |
30年 | 7.12 | 26.30 | 7.82 | 28.86 |
39年 | 6.53 | 4.89 | 9.51 | 7.12 |
49年 | 2.28 | 1.83 | 1.92 | 1.54 |
59年 | 1.02 | 0.80 | 1.10 | 0.86 |
平成6年 | 1.68 | 1.20 | 2.16 | 1.55 |
60年間合計(昭和10−平成6年) | 23.95 | 9.55 | 25.47 | 10.16 |
(資料)1「新しい隆盛のための礎石」上巻39p.参照 2 算式の(1)(2)(3)(4)は、表4と同じ数字
この表5は、通貨(円)で物を買わずに、土地(市街地)を買っていたならば、60年間のうちに約10倍(対消費者物価)または約25倍(対卸売物価)に値上がりしたことを物語っている。欧米の経済の金に相当する存在が、日本経済では、土地であったといえるだろう。昔の金本位制の下では、欧米の政府や中央銀行が金を保有したが、日本が土地本位制であると仮定すれば、日本政府や日本銀行は、日本人が最も欲しがる土地を保有しなければならないことになるだろう。
ところが実際には、国有財産の土地は、国民からの熱心な強い要望があるため、もっぱら低価払い下げが中心となって管理が行われ、道路や都市計画等に伴う新規の土地需要は、地主が納得する価格で政府や地方公共団体が民間からかなりの価格で買い上げざるをえなかった。これでは、日本の財政が苦しくなるのは当然であろう。福島原発の災害が起こって、4年以上たっても中間貯蔵施設さえできないのは、大切な公共的貴重財である我が国の国土を、政府が直接維持管理していないために起こった、日本政府の政策の貧困から起こったことといっても過言ではない。日本経済と日本人にとって、土地は、[限られた貴重な資源であり、公共の利害に関係する特性を有する]ものとされている。(土地基本法第2条参照)換言すれば、土地は公共財ともいうべきものである。
一寸、脱線してしまったが、日本の市街地価格のとてつもない値上がりは、土地神話、すなわち、土地の価格は絶対に下がることはなく、物を買っておくよりも土地に投資するほうが絶対に有利であるという土地神話が生まれた。これを日本人が実行しているのは当然であるが、ここ数年アジア系の外国人が盛んに日本で、土地投機を行っているという情報が伝わってくる。土地政策が不在で、グラグラしているので、外国人にも付け込まれるスキを与えているのである。
日本の銀行、保険会社、不動産会社、商社等の企業のみならず、個人投資家にとっても土地が最も有利で安全な投資物件とされてきたのは当然であった。そして、それがピークに達したのが、1990年代の土地バブルの発生とその崩壊だったのである。
(地価の大変動が示唆する政策提言)
日本の市街地は、欧米の金のような貴重な価値を持っているので、仮にすべての国土を、江戸時代に戻って、政府のものとして公有化して、国民には土地利用権だけを与えるとすれば、何が起こるであろうか?それは簡単で、土地投機が起こらなくなり、日本の国土の土地利用は、国や地方公共団体が描き、計画する政策のままに、実際に利用することが可能となる。福島原発事故で起きた廃棄物の貯蔵施設など、決定し易くなるだろう。国が土地の所有権(処分権、使用権、収益権を含む)を全て持つことになるからである。土地の所有権というのは、それほどまでに重要な権利である。日本では、8割以上の土地が民有地であり、民間が所有権を持っているので、災害や土木工事の土地問題については、国と地方公共団体の発言力が非常に弱く、財源だけがむしりとられており、国と地方の財政は絶えず火の車になってきた。
(土地市場の失敗とマクロ経済の失速、そして土地デフレ)
日本経済の歴史の中で、デフレといえば、明治初期の松方デフレが最も有名であったが、
これは、新しい明治の維新政府が設立された直後のことで、近代国家、日本の赤ちゃん時代のことである。しかし、昭和と平成時代に限定すれば、次の三つの大きな経済変動によって経済は不況となり、政府の税収入が激減し、経済運営が困難に直面した。
ア 昭和初期の金融恐慌(大正末期の過大な土地融資で、弱体化した銀行と金解禁問題が原因)
イ 昭和47−48年の不況(列島改造時代の土地投機による地価高騰の反動不況)
ウ 昭和60年(1985年)以降の土地バブルとその崩壊(平成4年以降)
このいずれの激動期も、土地投機による地価高騰とその反動下落が原因であったが、日本のように狭小な島国でしかも山岳面積が大きく(国土の約7割)平地面積が少なく、人口密度が高く、生産活動が活発な国では、明治政府が採用したフランス流の土地所有権制度というのは、非常に排他的で厳しいものであった。人々や企業が狭い限られた平地を激しく奪い合うもので、土地投機による地価高騰は常習化しており、島国で狭い平地に人口が密集する日本にとってふさわしい土地制度とは言えなかった。上の三つの大不況期の原因も、土地市場の失敗に原因があったといえる。
(土地市場の失敗)
市場の失敗(market failure)というのは、市場の効率性が失われたということを意味する。資本主義経済において、市場の効率性とは、需要側と供給側との競争によって均衡状態が生まれ、価格や数量が決定されるが、そうした均衡状態を実現できない時、市場は失敗したとみなされる。しかし、状況によっては、土地に対し、外部経済として利益を与えること(鉄道敷設により広大な荒れ地を住宅地に転換する)または外部不経済としてそれを除去すること[公害や鉱毒が発生した場合、財政措置により発生原因を除去する)ことも可能である。
こうした措置をとっても、財の市場化が困難であり、また競争の効率性が発見されない時には、その財を市場で私財または商品として扱うことは、経済の合理性という点から不適当だということになる。日本の土地は、その典型的な例だといえるだろう。その場合には、土地を市場から外して、その財の性格を、公共財として扱わなければならない。フランスでは、1945年以降まさに土地がこうした条件のもとに入ってしまったので、土地を公共財として転換せざるを得なかったのである。これは、フランスでは、一種の目に見えない革命のようなものであったと、後日フランスの学者が論評している。
(どうして日本は、フランスのように土地の公共財化ができないか?)
フランスが土地政策を大きく転換したのは、1945年以降、母国へフランス人が帰国した時住宅不足で大勢の人々が困っていた時で、どうしても緊急対策として大量の住宅を建設せざるを得なかったことが、政治的動機だったようである。しかし、この時期は日本も終戦直後で、私もよく覚えているが、国中が復員してきた元兵士で充満されていた。日本中に食べるものがなく、毎日がその日暮らしであり、私は山形県に住んでいたが、地元で生産された米はほとんどが供出で東京へ送られ、地元ではコメが食えず、東京に行くにも汽車の切符が買えず、身動きのできない、そうしたギリギリの生活だった。
近隣の朝鮮や中国さえ戦争でどうなっているかわからないのに、フランスのことなど別天地のようなもので、日本人がそんな事情を知ることはできなかったし、その必要もなかった。もしその時、フランスの土地改革を知っていたら、日本の土地制度はもっと変わっていただろう。運命のイタズラを日本人はどうすることもできなかったとしか言いようがない。終戦後の日本人の衣食住が、フランスよりもましだったのかもしれない。
土地市場が一旦失敗すれば、地価上昇が突破口となって物価景気が激動し、GDPや税収入も大きく変動するのは当然である。したがって上の三回の不況の時も、日本のマクロ経済のバランスは、大なり小なりに崩れてしまった。日本では、今まで見てきたように地価上昇のスピードが相対的に高いので、土地市場が失敗すれば、必然的に財政収入のバランスは崩れる。また不況から脱出するための救済策や景気刺激策のため、大きな財源が必要となり、さらに財政に追い打ちをかけることになる。
今迄私財であり、商品であった土地を、一旦公共財として扱うことになれば、土地の管理や、国土の利用方式、利用計画等は国や地方公共団体の公的機関が、責任を以て対処していかなければならない。換言すれば、国や地方公共団体が土地の供給主体とならなければならない。これは大変な仕事ではあるが、今回のバブル崩壊のように、長期間国全体の経済成長が停滞してしまうことを防止するには、やむを得ないことなのではないだろうか。
国民のみんなが土地を欲しがっており、土地が公共的な貴重財となっているのであれば、少人数の人が土地投機等で暴利をむさぼり、国家経済の全体が衰退するよりは、国土を公平に国民全体が利用していくことのほうが、国家経済としては、ベターではないかと思はれる。土地問題を今のまま市場に任せておくならば、日本の中の社会的な格差(土地を持つ人と持たない人との経済的格差)は、ますます拡大し、国力が次第に衰退していかざるを得ない。そして、将来日本全土が外国人によって所有されてしまうことも不可能ではないだろう。
日本の土地基本法は、宣言法であり、土地に関する実定法ではないといわれているが、その精神においては、「公共の福祉」が土地政策の中心でなければならないという意味において、この新しい方向と合致しており、先見の明のある立派な宣言法であると評価することができる。
(不況を克服するための度重なる景気刺激策(公共事業の執行)は財政弱体化の原因)
土地投機で非常に高くなった土地の地価では、都市周辺で、国や地方公共団体は都市計画や道路等のインフラを建設するために、税金を使ってせっせと土地を地主から時価で買い上げたうえで、工事をやらなければならない。
私が20年ほど前に調べたところでは、全国平均で、公共事業費の約2割を用地費で占めていたことがわかり、ビックリしたことがある。これが都市地域になると、用地費の割合は3割、4割と高くなってゆき、東京のような大都市に入ると、5割を超してしまうといわれる。国と地方の財政が用地費で振り回されるということになる。これは社会にとって大変な損失となる。
もし、全国の土地所有権を国が持っていたと仮定すれば、更地の買い上げをする必要はなく、国民が使用する土地を国が公共事業に使うには、国民の利用料だけを補償すればよいので、公共事業や災害復旧の事業はドンドンと効率的に進捗しコストも大幅に切り下げることができるだろう。そうなれば、財政負担も大きく軽減する可能性がある。同じことは、毎年起こる数多くの災害復旧事業等にも当てはまるだろう。土地に関する国庫の負担は、大きく軽減されることは間違いない。
(土地公有化による土地所有権の廃止と土地投機の根絶)
土地市場の失敗を見てくると、日本経済の成長の活路を見出すには、どうしても土地市場における土地投機をやめさせなければならない。土地投機は付加価値の増大(GDPの成長)に、少しも役に立たず、投機の後始末のための財政需要だけを無駄にふくらまして国庫に負担だけをかけているからである。現行の土地基本法は、その第4条で、「土地は、投機取引の対象とされてはならない。」と投機を固く禁じているが、これには、具体的な規制措置や罰則が何もないもので、空文化し、飾り物となっているだけである。
堂々と日本国中で土地投機がまかりとっているのに、日銀が緩和拡大で流動性を注ぎ込めば、やってはならない第2の土地バブルを引き起こす危険性も高い。そして、いくら日銀が引き締めようとしても、明治以来の日本人が慣れ親しんできた土地投機を根っこから一掃することはできないように思う。ここは、やはり発想を大きく転換して、土地を私財や商品として扱うのでなく、今後は土地は公共財(公のもの)であると、ハッキリと制度を大胆に切り替えて、土地を公共財として、新しく取り扱う必要がある。公共財であるからこそ、私利私欲の市場取引から外してしまう以外には、土地投機を禁止できる効果的な具体策は無いように思う。
日本経済の21年にもわたる長期のゼロ成長と決別し、土地投機のいろいろな目に見えない弊害を根絶するには、すでに半世紀以上前からフランスが実施してきた経験を参考にして、土地所有権制度を廃止したうえで、それに代わって、土地利用権制度を国民や企業に植え付ける方向で、土地政策の基本方向を転換する以外に方法はないように思はれる。
(土地利用権制度の確立で、安定成長と財政再建の実現)
日本にとって、土地と地価は、経済全体のバランスを調整するテコのような存在となっている。土地所有権制度は私益を重視してきたが、今後は、今まで軽視されてきた公益を重視しなければならない。公益と私益とのバランスが非常に重要である。英国やドイツの土地制度は、利用権が中心となって土地制度が形成されており、所有権を中心として出発したフランス・日本型の土地制度よりも、現段階では優れており、経済効率上の実績もより上位にあるように観察される。
日本は、激動する21世紀の世界経済の下では、土地を公有化し、土地の権利(処分権、利用権、収益権)を、国が中心となり関係地方公共団体と協議しながら、一元的に管理し、利用権のみを民間(私人、企業、その他法人等)に認めることが、それぞれの分野にふさわしい役割ではないかと思う。このやり方が、国土利用と有効需要のバランスの中心的なテコとして働いてくれるのではないかと思う。日本経済が将来どうなるかという鍵は、日本の中で公共的な貴重財となってしまった土地に関する政策が、握っており、金融だけで、経済を調節するということはできないだろう。
土地投機によって日本経済のマクロ・バランスが崩されずに、経済が安定成長をし、同時に財政が健全で力強いものに育っていくことが必要である。天から与えられた土地という公共的貴重財を、一部のわずかな人々の投機利益のためでなく、公平に日本の全国民にまんべんなく利益と恩恵が届いていくためには、やはり現在の世界経済の流れに沿った、新しい土地政策(土地は公共財として公的機関が管理し、国民や企業等は利用するだけ)が、どうしても必要なのである。これなくして、アベノミクスが成功することはできない。
(地方創生の重要性)
私の郷里は、山形県上山市(かみのやまし)であり、1-2年に一回ぐらい郷里を訪問するが、ここ数年の衰退ぶりに心を痛めている。しかし、これは山形県だけのことではない。大都会地を持たない各県においても事態は大同小異なのではないだろうか?政府も地方創生を重視し、体制や予算措置等を強化しているが、各県に成長特区を設置し、関東、関西、中京等に集中してしまった生産と雇用、資本の地方分散を図らなければならない。
そのためには、成長戦略を生み出す拠点を定め、県内にある産業の中から、今後、成長のけん引力となる技術、工夫、開発等の研究、試験、耕作等を、学び、研修し、実習することが必要であり、しかもこれを、各県、市町村、民間の間で、相互に協力しながらおこなわなければならない。その具体案を考えてみたので、たたき台として掲げてみよう。
(地方創生のための叩き台試案ー公共特区の創設と実験的な研究、協力)
ア 土地先買い権 市町村に土地の先買い権を法律的に与え、市町村内の地主が土地を手放す決断をしたときは、市町村に一定の金額の範囲内で、必要な土地を、優先的に買い上げる権利(公共用地先買い権)で購入させる。
イ 市町村が国の出資を得て公共特区を設定 この土地は、市町村の責任で、保有管理し、地域創生の準備や研修、実験等のために、住民に使用させる。土地を購入する資金は、当該県と国の負担で出資する。活動に必要な資金は、国、県と市町村が協議して定める。
ウ 公共特区と命名 この土地は公共特区と名付け、その目的は、地域創生のため、雇用創出、生産拡大、地元商店等売り上げ拡大とし、日常的に会合、研究会等を開き、当該地域の創生に必要な、勉強、研修、実習、実験、等を行い、具体的な 将来計画を作成する。
エ 実績の発表と評価 今まで何をやってきたかを、年に一回、実績を発表させ、優れたものは公表し、評価する。これを毎年繰り返して、より優れた成果を競い合わせる。地域ごとのトライアル・アンド・エラーが必要であると思う。
オ 分類と整理 公共特区のこの業績は、毎年積み重ねてゆき、一定期間経過後、今後継続するものと廃止するものに分類し、整理する。整理する時は、不用となった土地は国に返還する。
(注)私が豪州の日本大使館に勤務した際(1970年頃)、連邦政府の中に、地方分散省(Department of Decentralization)という官庁があり、キャンベラ、シドニー、メルボルン等の大都市から産業や雇用を地方に分散させるための役所があったが、日本でも、関東、関西、中京から地方へ分散する機能を検討する役所が必要ではないだろうか。
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