土地利用権の導入による地価安定と景気循環の長期化(第3回)(2015.12.1)

(土地バブルとその崩壊が、マクロ経済のバランスを破壊し、デフレ構造をもたらした。)

デフレ構造とは、学者によっていろいろ意見が異なるが、さしあたり次のように考えよう。不況→低消費→低生産(低供給)→、低投資→資金需要がないための低金利の長期継続という流れ、同時にまた、人口の少子高齢化、→社会保障拡大による赤字財政の拡大→日銀の量的緩和→低金利の長期継続という流れとが、同時に複合して起こっている。そして戦後70年間の伝統的な成長政策では軌道を修正できない、構造的なものになってしまっているということである。

要するに、日本は、希望のないまた、若者が希望を持っても、その実現が難しい社会となっている。つまり、日本では、八方ふさがりになっており、希望が実現できる明るい分野が開けてこないのである。そして若者はスポーツ等での国際的な活躍を夢見ているようだが、しかし、経済面では国際的な競争がますます激しくなっている。政府がどんな積極的な政策を打とうとしても、豊富な財源がないので、大したことができない。国内で、一番知恵と力を持っているはずの政府が、国民に夢を持たせることができなければ、国民は誰に頼ればよいかと思案に暮れているのが実情である。財政事情が好転せず、日本経済はジリ貧状態にある。GDPの規模を500兆円から600兆円に上げたいという安倍首相の希望は当然であるが、では一体どうしたらそれができるか、その具体的な方策をここで考えてみよう。

まず、最近の44年間における、GDPの動きと日本の国内にある土地の時価総額の動きとを対比して、眺めてみよう。
日本経済を、高度成長時代(地価上昇時代、昭和45年から58年までの14年間)、土地不動産投機によるバブル経済時代(昭和59年から平成4年までの9年間)、そして、バブルの反動としての長期地価下落時代(平成5年から25年までの21年間)の三つの時期に区分して、日本全体の国内の土地の地価総額とGDP(国内総生産)の動きを対比してみた。

表1  地価上昇が後押ししてくれた高度成長時代(14年間)
時期地価総額地価増減地価増減比率GDP増減比率GDP増減GDP名目成長率
昭和45162兆円+35兆円+21.6%+9.6%+7兆円73兆円17.9%
46197+80+40.6+15.0+128010.0
47277+79+28.5+21.7+209214.5
48356-2-0.6+19.6+2211221.8
49354+22+6.2+10.4+1413419.3
50376+24+6.4+12.1+1814810.5
51400+30+7.5+11.4+1916612.3
52430+60+14.0+10.3+1918511.4
53490+100+20.4+8.3+1720410.1
54590+110+18.6+8.6+192218.4
55700+98+14.0+7.1+172408.4
56798+57+7.1+5.0+132577.4
57855+33+3.9+4.1+112704.9
58888+39+4.4+6.8+192814.1
平均491兆円+55+16176兆円平均11.5%
(資料)内閣府、総合研究所、国民経済計算による。(2015.10月)以下の表も同じ。

(コメント)この表では、昭和53と54年に、地価が年間100兆円も上昇しているが、地価総額は昭和45年の162兆円から58年の888兆円と5.5倍にまで急上昇している。しかし、GDPに対する影響は間接的で、14年間にわたり、毎年ほぼ10兆円から20兆円近くのGDP増大に寄与している。全体として、GDP総額を73兆円から281兆円へと3.8倍に急成長させており、地価上昇が経済成長を大きく支えてきた。

地価増減比率(地価増減/地価総額)は、特に昭和45,46,47と53年に強く上昇している、GDP増減比率(GDP増減/GDP)は、昭和46年から52年まで10%以上となっている。急激な地価上昇から影響を受け、昭和53年以降は8%台以下に下がっている。しかし、14年間全体では、2ケタ台の急成長が続き、全期平均で、11.5%の高い名目成長率を達成した。

表1でみる限り、日本経済は、地価上昇が激しい時は、同様にGDPの上昇も激しいことであり、お互いに好景気を相乗的に加速させて来たが、我々に大きな衝撃を与えたのは、地価の伸びが止まれば、GDPの伸びも止まってしまうことである。現在の体制下ではしたがって、景気は激動化する傾向をもっており、これをもっと柔らかく安定させるには、投機的な地価上昇をやめさせて、成長を重視する政策へと転換することがどうしても必要となる。

表2   土地投機による地価激動のバブル経済時代(9年間)
時期地価総額地価増減地価増減比率GDP増減比率GDP増減GDP名目成長率
昭和59927兆円+76兆円+8.2%+6.7%+20兆円300兆円6.7%
601,003+254+25.3+4.7+153206.6
611,257+414+32.9+4.2+143354.7
621,671+169+10.1+6.9+243494.3
631,840+296+16.1+7.0+263736.9
平成12,136+229+10.5+7.8+313997.0
2,365−192−8.1+6.5+284307.5
2,173ー229−10.5+2.8+134586.6
1,944−80−4.1+0.8+44712.8
平均1,702+105+193825.9%


(コメント)この時期は、昭和59年から平成4年までの9年間であり、地価は前半に急激に上昇し、後半は、地価バブルがはじけて地価は急激な上昇の反動として、急激に下落し始めた。土地投機による地価激動の時代であった。地価総額は、平成2年にピークの2,365兆円まで上昇したが平成4年には、1,944兆円まで大きく下落した。しかし、平成59年の927兆円と比べ、平成4年にはまだ高値にあり、9年間で、2.1倍の高値にあった。地価の上昇は、昭和60年+254兆円、61年+414兆円、62年169兆円、63年+296兆円、平成1年+229兆円というキチガイじみた上昇をしめしたのち、平成2,3年にはストンと急激に下落してしまった。まさに土地投機のすさまじさとその反動の敏感さが見られた時期であった。

この時期のGDPは、昭和59年の300兆円からスタートし、平成3年までの8年間、毎年13-31兆円もの巨額のGDPの急上昇が実現したが、平成4年には471兆円に達している。結局この土地バブル頂点前後の9年間で、GDPは471兆円まで1.57倍に上昇し、年間平均のGDPの伸びは、5.9%と高い安定した数字となったが、平成4年には成長率は2.8%とがくんと下がってしまった。そして9年間をならしてみると、高度成長時代の平均成長率11.5%の約半分の5.9%を達成したに過ぎない。土地投機による地価の激動は、経済成長にとって有害な変動となったことを示している。

表2は、景気の激動化現象を端的に示している。毎年200兆円以上の地価上昇は、毎年20兆円以上のGDPの増加をもたらし、地価上昇とGDPの拡大は相呼応して加速度的にバブルを膨らませてしまった後、崩壊してしまった。ここでも、景気の激動化現象がみられる。

表3   反動的な長期地価下落によるデフレ時代(21年間)
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時期地価総額地価増減地価増減比率GDP増減比率GDP増減GDP名目成長率
平成兆円兆円兆円兆円
51,864-41-2.2+0.8+4475+0.9
61,823-49-2.7+0.8+4479+0.8
71,774-66-3.7+3.5+17483+0.8
81,708-28-1.6+1.8+9500+3.5
91,680-64-3.8-2.2-11509+1.9
101,616不連続不連続498-2.2
111,611-77-4.8+0.4+2511-0.8
121,534-49-3.2-2.1-11513+0.3
131,485-88-5.9-0.8-4502-1.8
141,397-78-5.6+0.8+4498-0.7
151,319-52-3.9+0.2+1502+0.8
161,267-18-1.4+0.4+2503+0.2
171,249+20+1.6+0.8+4505+0.5
181,269+34+2.7+0.8+4509+0.7
191,303-16-1.2-4.5-2.3513+0.8
201,287-60-4.7-3.3-16490-4.6
211,227-35-2.9+1.3+6474-3.2
221.192-35-2.9-1.5-7480+1.3
231,157-25-2.2+0.2+1473-1.3
241,132-12-1.1+1.9+9474+0.1
251,120483+1.8
平均1,430-739-5494-0.01%(21年平均)
(資料)平成27年10月、GDP確定値ベース(内閣府、総合研究所)

(コメント)次に表3は、バブルの反動的な長期地価下落によるデフレ時代(21年間)を分析している。
この時期の地価総額は、平成5年の1,864兆円から平成17,18の両年を除き、平成25年まで一貫して全国の地価は下落し、1,120兆円にまで下がった。この地価下落額は、21年間に地価上昇分を差し引いた純下落額で、マイナス739兆円となっている。他方、GDPは、平成5年の475兆円からプラス、マイナスを繰り返しながら平成25年の483兆円まで、かろうじて8兆円増大している。しかし、成長率だけをとって21年間を平均すると、−0。01%とほぼゼロ成長となっている。21年間のうち、プラス成長は13年で、マイナス成長は6年に過ぎない。(注、平成10年と平成25年は、計数が発表されていない。)

表3では、地価バブルの崩壊後、毎年数10兆円もの地価下落は、GDPの成長率に大きなマイナスの影響を与え、21年間もの間長期のゼロ成長経済に落ち込んでしまった。これは、表1(14年間)と表2(9年間)の土地バブルの大反動の結果であり、土地はテレビや自動車のように価格に応じて需要や供給を調整することができないこと(価格弾力性が極めて小さいこと)、つまり土地は財としての性格が全く違うので、市場取引になじみがたく、政府が公共財として管理し、別途コントロールする必要があることを雄弁に物語っているといえる。

この表を見ると、長期地価下落は、日本経済をすっかりダメにしており、このままでは衰退してしまう可能性が強い。そして国と地方公共団体の財政は悪化しつつあり、経済構造を根本的に見直す必要がある.日本経済のガンは、土地投機であり、それを支えているのは、土地所有権制度である。土地投機を日本から放逐するには、土地制度を根本的に改革するしか方法がない。長年日本人が悪用してきた土地投機の惰性を根絶するには、土地所有権を廃止し、土地の利用権中心に切り替えなければならない。

この表でみると、地価総額の増減幅は、21年間で739兆円下落しているが、(−793+54兆円)GDPの増減幅は、21年間で、5兆円だけ減少している(―72+67兆円)。21年間で、地価が739兆円下落したことは1年間に換算すると、平均35.2兆円の土地資産の減価があり、これは日本の経済に対し大きなデフレ圧力となった。年間35兆円という金額は日本政府の予算規模の3割から4割を超す規模であろう。このデフレ圧力が、日本経済の有効需要(通貨の裏付けのある需要)に、強大な圧力を21年間にわたり、与え続けてきたのである。国会の論議や政府の予算にも乗らないマイナスの巨大な圧力が、日本経済に今でも働き続けている。これをどうにかしなければ、日本経済が衰退するのは確実であろう。

このデフレ圧力は、天や神様が造ったものではない。人間が造っている。なぜならば、それによって大きく不正な利益を得ている土地の地権者が存在し、これを支えている機関もあるからである。具体的に言うと、土地所有権をもち、土地投機に没頭している企業や人間が、大多数の国民を犠牲にして、ヌクヌクと生活しているからである。これは、法律的にはともかく、倫理的には許されないことであろう。こんなことは、わかっている人は多いが、黙って発言しない人が多いのは情けないことである。自分が不利となることにつては日本人は発言しないのが通例であり、日本は一流国とは言えないと思う。

(土地バブルは高度成長期の日本経済をどのように攪乱したか)

地価変動とGDPが、土地バブルによってどのように攪乱されたかを計数的に考えてみる。

表4  高度成長期、地価激動期、デフレ期における平均地価総額と平均GDPの動き
平均地価総額A平均GDP額BA/BB/A
高度成長期(14年間)491兆円176兆円2.79倍36%
地価激動期(9年間)1,7023824.4522
デフレ期(21年間)1,4304942.8935
(資料)この資料は、世界経済土地研究所が作成した。

高度成長期とデフレ期は、A/BもB/Aも、数値が接近しており、安定しているが、地価激動期(バブル変動期)には、A/Bの値が異常に高くなり、約1.5倍(異常な地価激動)を示している。また、その逆数B/Aでみると、地価の動きをベースにして考えると、GDPの産出が、高度成長期やデフレ期の61−62%の水準にまで落ち込んでいる。

このことは、本稿(第2回)の中の国際連合の土地基準のB「土地取引の付加価値はゼロである」を明確に肯定し、これに対応する日本的な考え方B「地価の値上がりは経済の付加価値(GDP)を上昇させる」を、ハッキリと否定していることに、充分注目していただきたい。つまり、日本の政界、経済界、学会等では多くの人々が、地価とGDPについて間違った考え方を持ってきたということであり、日本の土地市場はバブルの崩壊により完全に失敗したことを世界中に露呈し、20年以上にわたる長期のゼロ成長は、国民にとって失望の連続であった。これは早急に是正してもらわなければならない。これ以上現行の土地所有権制度を続行すれば、日本経済と財政力の衰退が、さらにいっそう悪化してしまうからである。

英国の経済学者、アダム・スミス(1723−1790)が説いて受け入れられた自由主義、資本主義経済は、18世紀のことであるが、これは市場に適した価格弾力性の高い商品のことで、価格弾力性(価格に応じて需要や供給を調整できること)の非常に低い土地については、全く別の次元の判断と政策が必要である。日本では、間違って土地をテレビや自動車と同じように扱ってきたため、地価高騰とGDPの拡大が行き過ぎて、バブルが崩壊してしまった。経済活動にとっては、物やお金が安定的に循環するのが非常に重要なことであるが、土地制度については日本だけが古ぼけた所有権制度を墨守し、先進国の土地政策から脱落してしまっている。(ウサギ小屋の日本人住宅という蔑視の言葉が好例)

18世紀末に始めた絶対的土地所有権を、フランスは1945年以降棚上げしてしまったが、これは極めて先見性のある素早い政策判断であったと感心せざるを得ない。しかし、フランスはこれを実行し軌道に乗せるのに、1975年までの30年という期間を要したと伝えられているが、その成果は非常によかったので、フランス経済史の中では、「栄光の30年」としてたたえられているという。

(景気循環における日本の重大な構造的欠陥)

日本は、明治維新以降140年もの間、絶対的な土地所有権制度を採用してきたため、他の先進競争国と比べ、つぎのような構造的な欠陥を背負っている。

ア 国内で景気が上昇すると、需要が高まり成長率が高まると同時に、人口密度が高く狭小な日本では、すぐに土地投機が激しくなり、行き過ぎがちである。そして、高成長に伴う地価上昇の投機利潤を素早く投機関係者が大きく吸収する。しかし、第2回でも述べたように、この投機利益はGDPの増加には直接関係しない。土地や家屋の名義が取引によって替わっても、その国の付加価値には関係がないからである。

イ 景気がある時点に到達すると、有効需要が減少し、地価が下落し始め、低成長へのギア・チェンジが始まる。投機の収縮が始まり、地価下落が加速化し、経済はデフレ症状を起こし始める。したがって、日本ではプラス成長の期間は長く続くことはできない。

ウ 巧妙に計画され、機敏に実行される投機的売買と小刻みな景気変動の繰り返しが、日本の景気循環の周期を、他の先進国に比べ短くしてきた。先進国平均では6年の景気循環周期が、日本は4,2年に過ぎない。しかも21か国平均の拡張期は5年なのに、日本の拡張期は2.8年と極めて短く、逆に日本の後退期は1.4年と21カ国よりも長くなっている。これが土地投機経済の恐ろしさである。(表5)

エ 2002年のIMFの調査では、OECD加盟国21か国(注)平均では、景気拡張期5年、後退期は1年(合計6年]であるが、日本は、拡張期が2.8年、後退期が1.4年(合計4.2年)であり、21カ国よりも拡張期が短く、後退期が長い。(内閣府発行「日本経済2004」参照)(注)先進21カ国とは、豪州、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、アイルランド、イタリー、日本、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、米国である。(内閣府発行「日本経済2004」参照)

オ 日本で巧妙に企てられた土地投機は、利潤確保を図るため、好況期を極めて短く終わらせて、その後の不況期を長引かせ、景気循環の後退期を長引かせてきた。これが、日本の景気循環の構造上の致命的な短所となってきた。

表5 日本と先進国の平均的景気循環の比較
日本景気拡張期、2.8年景気後退期、1.4年
同上4.2年
景気循環の1周期
先進21か国景気拡張期、5年景気後退期、1年
同上6年
景気循環の1周期
(資料)内閣府「日本経済2004」(注)先進21か国には、日本も含まれている。

(日本と米国の景気循環の対比)

表6は、最近の26年間の日米両国の景気循環の拡張期間を比較したものである。
表6 日本と米国の景気拡張期間の比較
米国の景気循環米国の景気拡張期間備考
1975-80年58か月
1980-81年12か月
1982−90年92か月
1991ー2001年120か月
米国の拡張期平均282/4=70.5カ月/約71か月(約6年)
日本の景気循環日本の景気拡張期間
1975−77年22カ月
1977―80年28か月
1983-85年28か月
1986−91年51か月
1993−98年43か月
1999―2000年22カ月
日本の拡張期平均194/6=32.3カ月日本は米国の期間の半分に満たない。
(注)日本の資料は、内閣府、「景気基準日付」による。(日本経済2004)、米国の資料は、NBER(National Bureau of Economic Research)による。

1990年代から2000年代初めにかけて、米国が10年に近い景気の拡張期を経験するなど、景気循環の期間の長いことが特徴的であるが、それと対比して、日本の景気循環の期間が非常に短い。世界的に見て、景気後退の落ち込みが大きい場合には、金融部門の弱さが景気へのショックを大きくしている(1990年代の北欧の金融危機)が、日本の場合にも既に大正末期から銀行の土地不動産貸付の比率は高くなっており、昭和に入っても土地に傾斜した金融機関の貸し付けの大きさが、バブル崩壊、不良債権問題を起こしている。

米国では、日本のバブル崩壊と同様の挫折は、2008年のサブプライム問題で漸く起こっている。その時までは、米国の金融機関の強さがまだ残っており、米国全体の景気循環は、ユッタリとした、大きなウネリで、しかも拡張期の比重が相当に大きいものであった。日本とアメリカでは、経済のスケールが格段に違うので、日本が米国のマネをするのは適当でないが、日本は規模の面では米国に叶わなくとも、経済構造とか、経済の質的な水準は、当然アメリカを凌駕しなければならないだろう。

(優れた多角的メリットを持つ土地利用権制度)

日本経済の安定成長を長期的な軌道に乗せるためには、地価を激動させ、景気の腰を折る土地、不動産等の投機を絶対に起こさせてはならない。土地所有権制度を早急に廃止することによって、土地投機がなくなれば、地価が安定し、景気の激動が少なくなり、安定成長の軌道に乗せることができる。土地所有権制度を廃止し、土地を公有化し、土地利用権制度を導入することによって、経済と財政の健全性を高め、東日本大震災、福島原発の処理、毎年日本を襲う地震、台風、水害等の処理も迅速に処理し、財政的に安いコストで処理することが可能となる。また、不況の後に起こる不良債権処理や景気刺激策等の過大な財政措置も不必要となるだろう。

土地を公共財に転換すれば、国土利用と地域開発が飛躍的に効率化し、公共事業のコスト削減と地方創生、すなわち地方への産業立地、雇用増大が実現できる。土地所有権制度が日本の根深い長期閉塞(平成5年から平成25年までの21年間のゼロ成長期)の元凶となっており、一日も早くこれを廃止して、土地を、私有財産、商品から公共財に転換して、土地利用権制度を導入することで、経済の停滞と財政の危機を突破して、国民の間に格差の少ない、希望ある社会を築きあげていくことができる。そして、これが本物の健全な成長政策となるのである。

(土地政策の面では、日本はアジアの後進国)

1997年から98年にかけて起こったアジア金融危機は、外国資本のアジアにおける為替投機、金融投機的な色彩を多分に帯びた出来事であった。当時アジアでは、外国資本の投機攻勢に必死の防戦をしたが、それに打ち勝てず、為替取引を停止したり、金融市場を閉鎖したりして防戦した。その時一番国際社会から期待されたのが、日本の役割であった。日本は、アジア諸国との貿易で、大幅な黒字を上げ、財政面でも、国際協力や援助の面で、特にアジア地域を手厚く扱い、技術面では、指導力を発揮してきたからであった。

しかし、その時日本は、アジア諸国が本当に必要とする援助の手を差し伸べることができなかった。日本は、当時バブル崩壊のさなかで、北海道拓殖銀行や山一證券の破綻、日本長期信用銀行の挫折など日本の経済界、金融界が土地投機に伴う不良債権の増加で、一寸先も見えない深刻な危機のさなかにあったからである。近隣のアジア諸国(タイ、マレイシア、フィリッピン、インドネシア、韓国等)から熱烈な援助要請を受けたにもかかわらず、一番肝心な時に日本がそれに充分応ずることができなかったことは、大きな悲劇であった。

政治や経済の日本のリーダーがどんなに大言壮語しても、肝心な時に、日本自体が危機に陥ってしまい、近隣の途上国の救済ができないような国は、アジア地域のリーダーシップをとることはできないのである。この時日本は、アメリカや欧州等の市場から、ジャパン・プレミアムという金融上のペナルティ(罰金的なレート)を課されていた。他国を助ける余裕はなかったのである。したがって、アジアの途上国は日本ではなく、世銀、IMF等の国際機関や米国等の先進国に、援助と協力を求めたのであった。これは日本の恥であった。

つまり、一言でいえば、日本の高度成長は充分に安定的なものではなかったのである。各国の内政上もっとも重要な土地政策について、競争相手である中国、韓国、台湾等より日本は時代遅れの土地制度を抱えているのである。日本は、18世紀の、フランスの棚上げされてしまった絶対的土地所有権制度を未だに採用しており、実定法として生きている。日本の土地バブルの最も重要な原因が、21世紀の新しい時代の政策を、国際社会から学び、吸収していないことが、日本の土地バブルの根本原因となっている。日本は、土地制度と土地政策に関しては、アジアの中で、かなり遅れた後進国となっている。そのことを、日本国民は十分に自覚し、認識しておかなければならない。日本は、アジアの新興国、途上国に対し、もっともっと謙虚でなければならない。

(土地改革に要する財源問題)

私は、この問題を世間に訴えて以来、もう25年以上も経過したが、一番有力な反対意見は、「毎年の政府予算さえ、国債の増発によらなければ財源調達ができない日本政府は、こんなことのために支払う財源は全くないから、政策案とは成りえないものである」というケンモホロロの反応であった。しかし、それでは、明治の地租改正の時にタダデ土地の使用者に所有権を与えたことを一体どう考えるべきなのか、その時、国民の懐にお金がなかったから所有権の対価は徴収できなかったというだけのことである。

経済政策というものは、現実の生きた経済に対して、可能な限りの意気込みと工夫で、体当たりしていく以外に、方法などは何もない。経済政策の歴史は、そうした偶発的な事実の集積であり、経済政策の王道などというものはないのである。やれることを精いっぱいやってみて、厳しい現実を一歩、一歩と、変革していく以外に方法はない。経済政策というのは真剣勝負であり、エコノミストや学者の評論とは別次元の世界である。

(国の基本的な土地制度の改革)

明治維新に地租改正によって、国民に無償で土地の所有権を与えた時に、日本政府は、ほとんどの場合、一方的に、所有権を地券交付によって認めたのであり、明治政府が土地の権利を国民に金銭で売ったのではないことは明白である。土地所有権は、原則無償として、国民に与えられたとされている。したがって、今後もし、土地を公有化し、公共財に転換する時は、国から所有権の対価として土地の所有者に、金銭を支払うという考え方をとる必要はない。

こうした制度改革というものは、日本全体の国益増進のための根本的な構造改革であるから、企業の商行為のような商取引とは、全く思想を異にする次元の問題である。こうした問題について、ひとつひとつのケース毎に、損得計算ができるようなものでなく、事前に予測できない、新しい次元の大きな効果(日本経済の起死回生)を生み出す政策なのである。

中国や韓国、台湾は、すでに20世紀において、土地は公共財であることを、政治家がすでに政策的に決定し、かつ具体的に実行してしまっているのである。

(中国の土地政策)

中国は、1940年代に中国共産党によって、社会主義土地公有制をを採用し、公用地を管理運営してきた。しかし、無償で土地の使用を国民や企業に割り当てる「行政による土地の 割り当て方式」では、限界に来てしまった。その理由は次の通りである。
ア 土地を無償で使用させれば、国家の収益権が奪われること
イ 無償使用は、土地の利用者に巨大な利益を提供し、浪費と乱用を助長したこと
ウ 無償使用は、都市土地を無価値にしてしまい、国の投下した資本の回収を不可能とした
エ 都市土地の無償使用は、政府から財政手段をはく奪して都市の管理を不可能にした。

こうした弊害を解決するため、土地の有償使用制を都市土地の管理の基本原則ととして採用した。

1984年以降は、中国は外資の進出を認め、1987年以降、土地使用権を有償で譲渡することを認めた。中国の経済構造は、外資の受け入れと混合経済の導入で、未曽有の大発展 を遂げたが、「社会主義的土地公有制」は、基本的には守られている。

(台湾の土地政策)

台湾の土地政策の柱は、平均地権制度に基づく政策で、その目的は、土地の有効利用と地価上昇による利益の公共還元である。
規定地価、照価徴税,照価収買,張価帰公が、平均地権制度の四本柱となっている。

規定地価 政府が、地主に対し所有する土地の評価を申告させること
照価徴税 申告後に地価が上昇した場合には、投資改良費を控除した残額を土地の自然増加額と定め、課税は自然増加額を含めて実行する。
照価収買 政府は、統治権に基づき、国民に対し、土地の強制買い上げ権を持っているので、規定価格で所有者から土地を買収することができる。
張価帰公 一旦地価が所有者の申告によって、決められた後、人口増加等の要因で土地の価値が増加した場合には、これを、自然増加額とみなして、増値税を徴収する。これは、自然増加額の社会公共への還元である。

この四つの原則は、平均地権制度の四本柱であり、1947年の憲法制定の際、第142条で採用され、その執行については、約60年という実績を持つ。そのおかげで、1997年のアジア金融危機が起こった際、地価高騰や土地投機は全然起こらず、台湾のマクロ経済は、きわめて安定したまま、金融危機を乗り切ることができた。

(韓国の土地政策)

1980年代に始まった韓国の内需主導経済への移行は、闘争的で、容易に経営者と妥協しない労働組合の下での高い賃金上昇率によって支えられていた。このことは、日本以上に厳しい土地事情の下で、地価高騰を加速させた。こうした背景のもとに、韓国政府は1990年から土地公概念の政策を導入した。

土地公概念とは、土地の財としての特殊性にかんがみ、土地に対し、厳格に公的規制を実施するというもので、土地所有権は認めるが、土地の処分権を著しく制限して、国が管理する反面、土地の利用権は、国民に保証すると考えるもので、土地の所有と利用の分離をする意図を持っている。土地公概念の具体的立法としては、1990年から宅地上限法、土地超過利得税、開発利益還元法が導入され、実行された。しかし、1997年からアジア金融危機が始まり,国際機関や、米国政府と政策調整を行った際に、宅地所有上限制と土地超過利得税は、廃止され、また、開発利益の還元は50%から25%に半減されてしまったのである。

以上、中国、台湾、韓国の第二次世界大戦後の土地政策の特徴を述べたが、歴史や沿革が日本とは全く違うとはいえ、これらの国々と日本が、今後も競争していくためには、140年前の明治維新政府の採用した現行の日本の土地法(フランス流の絶対的土地所有権制度)が、いかに陳腐なものであり、現状に適合しない時代遅れのものであるかを痛感する。こんなことでは、日本の国内で、土地投機や土地をめぐる摩擦が絶えず、経済成長を阻害し、国内に土地を持つものと持たない者との間に、大きな格差と対立を生ずることは必然的といえる。これでは、日本が中国や台湾、韓国との間の経済競争に勝つことはできない。

(事態の変化に従い、新しく考え、新しく行動せよ)

米国では、明治維新の前、1862年に南北戦争という国難に遭遇していた。国内の黒人や、奴隷の処遇をめぐり、アメリカ合衆国が南と北とに分裂して対立し,抗争を始めた。 時の大統領、リンカーンは、1862年12月1日に、米国議会に、次のような教書を送った。

「過去のドグマ(原理、原則)は、嵐が吹き荒れる現在を解決することはできない。事態は困難を山と積んでおり、我々はその事態に即応して立ち上がらなければならない。事態が、新しい様相を呈するにしたがって、新しく考え、新しく行動しなければならない。われわれは、自らを過去の呪縛から解き放たなければならない。そうすることによって、はじめて、我が国を救うことができるのである。」と述べている。かくして、リンカーンは、奴隷制の廃止のみならず、合衆国の分裂の回避にも成功したのである。

(過去の土地ドグマの継続は、敗北あるのみ)

日本が21世紀の世界において、他国から尊敬され、名誉ある地位を得るためには、新しい時代に即応した、将来に希望の持てる経済力を創造しなければならない。バブルとその後の土地デフレの核心となっていた日本の土地制度につき、我々は、絶対的土地所有権制度という140年前の過去の土地ドグマから、我々日本人を開放し、新しいもっと優れた土地制度を創設しなければならない。土地バブルと20年を超える名目成長率ゼロには、多くの国民が失望しきっている。過去の土地ドグマの中に生き続けることは、敗北を待っているようなものである。

(むすび)

土地基本法(平成元年12月22日、法律84号)が謳っているように、日本の明治維新以来の土地ドグマ(土地は私有財産であり、商品である)を一日も早く、大きく転換し、土地を公のもの、公共財として扱わねければならない。その決断が遅れれば遅れるほど、日本経済の低迷は続き、国民の間の格差は拡大し、日本の国際競争力が弱体化していくからである。

明治維新を振り返ると、日本が新しい近代国家として門戸を開いたときに、日本政府を支える経済と財政手段が全くなかったため、我々の先輩は、与えられた日本の国土と人民、それまでに培ってきた農林漁業等を土台として、新しい政府づくり、新しい財政づくりを第一歩から始めることを余儀なくされ、その第一着手が、地租改正作業と土地所有権制度の創設であったのである。

140年後の現在の日本には、立派な工業や商業が豊かに成長しており、土地所有権制度はその与えられた歴史的使命を、立派に果たすことができた。しかし、今やそれは新しい日本経済の長期閉塞(21年間ものゼロ成長)の原因となっている。今我々が、緊急に必要とすることは、新しい経済と新しい財政を作り上げるための創意工夫であり、その軸となる中心課題は、土地の公有化、土地の公共財化であり、土地の処分権を国家に返上し、土地の利用権のみを合理的に民間で運用する方策をどうするかである。

三回にわたって発表した論文、「アベノミクスが成功しない理由」(第1回)、「土地市場の失敗と土地の公共財化による土地投機の根絶」(第2回)、「土地利用権の導入による地価安定と景気循環の長期化」(第3回)は、土地制度改革の必要性(土地所有権から土地利用権へ)を経済理論としてできるだけわかりやすく解説したものである。

安倍内閣におかれては、本稿を吟味されたうえで、今後とも一層のご努力を期待するものであります。本稿は、短期間でまとめたので、未定稿とさせていただきます。

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