危険なマイナス金利政策(2016.2.28)

1 突然のマイナス金利の発表

1月29日に。突如日本銀行が「マイナス金利の導入」を発表し、その後、30日が経過したが、その間の株価ははげしく上下しながら、水準を大きく下方へ引き下げ、(日経平均15,000−16,000円近傍)円・ドルレートは120円だったのが、円高傾向(1ドル110円程度)となっている。日銀がとった新しい金融政策なので、それなりの動きは予想していたが、変動の方向が安定性を持っていないことが、非常に気にかかる。

この背景には、安倍内閣の経済政策(アベノミクス)が、日銀の異次元緩和(第一の矢)を除き、第二次、第三次の矢が、成功したと感じられなかったことに、おそらく日銀は、一層の円レートの下落と国内の有効需要の追加増大を期待したものの、予想どうりの市場からの反応が出てこなかったことへの対応策なのであろう。もちろん、マイナス金利という新しい道具が、本当に効果を発揮するかどうかはある程度の時間(半年とか1年とか)が経過しなければ、軽率に判断することはできない。

株価が激しく短期間のうちに乱高下することは当然であろうが、今回の変動の様相は、大きな変動幅だけでなく、上がったり下がったりの方向性が大きく変動し、投機的な様相を示している。マイナス金利の日本への導入は始めてだったので、国民が判断することが難しい政策であるが、日銀が、新しい政策について、国民や市場へきちんと説明していないことは、大きな失点といえるだろう。

2 マイナス金利とは何か

2月21日にNHKの朝の討論会を見ていたら、マイナス金利についての討論会であった。NHKの解説によると、いろいろな銀行からの日銀に対する当座預金として預けれる金額に対して、今までは+0.1%の利子が日銀によって支払われていたが、その利子率がー0.1%になることであるという実に単純な説明しかなかった。しかし、ここ数日の新聞等の解説を読めば、そんな単純なことではなさそうであるが、日銀当局の直接の責任ある説明が全くないので、「異次元の金融緩和」の際とは全く違っていたので、その変わりようにビックリした。

新聞の解説をよく読むと、マイナス金利というのは、預金金利の引き下げはあるが、プラスの金利を、マイナスの金利の置き換えるという単純なことではないようである。また、手数料的なものを徴収するのでもないという。しかし、日経新聞(2月20日)によれば、都市銀行の住宅ローンの金利は、三菱UFJ銀行で、0.8%、みずほ銀行と三井住友銀行では0.9%%に引き下げられるという報道がされている。これがもし本当であるとすれば、ゼロ金利(量的緩和)政策から、マイナス金利に転換するという意味が、日本語として、全く理解できなくなるのである。

(備考1)某証券会社で次の情報を得た。日銀のマイナス金利政策は、日銀の当座預金残高を次の三つに分類する。(1)基礎残高を量的、質的緩和の下で、金融機関が積み上げた既往の残高とする。(2)マクロ加算残高を被災地金融機関支援オペの所要準備残高とする。(3)今後の政策金利残高「(1と(2)を上回る部分)とする。そして金利の割り振りは次の通りとする。(1)に対しては+0.1%、(2)に対しては0%、(3)に対しては、マイナス0.1%の利子をとる。(当初マイナス金利が適用される部分は、10兆円程度となる見込み)
(備考2)ところが2月27日の日経新聞では次の報道があった。マイナス金利政策では、市場金利が下がると、銀行の収益が弱まり、経営が不安定となるので、マイナス0.1%の金利を課す部分を、全体の1割弱にとどめ、8割はこれまでと同じように、プラス0.1%の金利を支払う仕組みにしたという。これでは、マイナス金利というのはレッテルだけのことになる。マイナス金利などと命名できない、危険なネーミングである。

これでは、ゼロ金利(量的緩和)政策から超低金利政策へ移行するに過ぎないことになる。預金や貸出についてマイナスの金利を適用するのとは、まったく別のことを意味することになる。今後、日銀と銀行の間で、3カ月、6カ月と時間を重ね、試行錯誤を重ねながら実務が形成されていくだろうが、こんなあいまいで、不明確な金融政策の展開を見たのは、長い人生の中で、はじめてである。国民の皆さんも、こうした感想を持っているのではないだろうか?総裁は、2%の物価上昇をできるだけ早く達成したいと発言されているが、これも国民の感覚からずれているようである。

3 中国に対する日本の高度な技術援助が必要

中国でバブルが崩壊して以来、1−2年中国のマクロ経済の動きは、積極さを大きく失ってしまったが、中国経済は苦境にあえいでいるようだ。ケ小平によって1980年代に改革開放の時代に世界経済の中へ飛び込んだが、まだ時間が30年ほどしかたっていない。資本主義経済を約30年間しか経験していないことは、厳然たる事実である。とくに、倒産や失業が大量に発生したのは、今回がはじめてで、政策当局もずいぶん戸惑っていることと思う。

日本は、資本主義の先輩国として、中国と率直に対峙して、対話し、協力する必要があるのではなかろうか?こうした未経験の経済の下では、政策担当者等も混乱してはならない。日本の歴史でいえば、日本の明治30−40年代に当たり、日本人が資本主義を吸収するのに苦労し、時間もかかったことを反省し、困難があることを共有する必要があろう。中国と日本のような地理的に近い国は努めて友好的な態度をとる必要があるだろう。戦時中の対立的な立場の延長では、アジアの国際的な緊張感を和らげることは難しいだろう。

中国は、いくら大国になったとはいえ、資本主義経済というものにあまり慣れていないのは当然である。資本主義経済が行き詰まり、停滞した時の対応の仕方を学び、身に着けることはやはり、試行錯誤のいろいろな経験を必要とすることであろう。それは何回も苦い経験を積まないと、体得することは難しい。日本でも多くの失敗があったのは事実である。中国と日本の場合、特にこのことが重要であると思う。そのため、権力を持たない、学者や実業家等が対話を継続して行うことも必要であろう。

日中間の「戦略的互恵関係」という言葉がよく著名な政治家の口から出てくるが、お互いに経済を競い合って競争し,傷付け合う結果になってしまっているのではないだろうか?日本も中国も、不況で相互に株価が下落しあっている時こそ、エコノミストの賢人が、相互に寄り合って、胸襟を開き、話し合う時期ではないのだろうか?高度の日中の共同対話が、今こそ必要なのである。上海で行われるG20の会合で、何らかの成果が期待される。

4 日米経済の再構築

米国は、2008年以降自分で引き起こしてしまった金融大不況のため、長い間、経済成長と積極的な金融政策を打ち出すことができなかった。ようやく2015年12月にゼロ金利政策をソロリと変更して、これから本格的な積極的金融に取り組もうとした矢先に、日銀のマイナス金利政策が発表され、世界中で一番びっくりしたのは、米国連銀だったのではないだろうか?もちろん金融政策は、各独立国の自由な政策意見に任されており、いろいろな場で意見を交換し合っているので、お互いの事情は十分すぎるほどわかっていたと思う。

しかし,マイナス金利を採用してまでも日銀が、アベノミクスにこだわっていたとは、誰も予想していなかったのではないだろうか。黒田日銀総裁は、仰々しく「異次元の金融緩和」と称して、派手に円安と株高を実現し、政治家の一部と経済界の一部を喜ばしてきた。しかし、市場との対話を最も重要な金融政策の柱と考えてきた日銀が、今回民間との対話を無視したのは、大きな失点といわなければならない。黒田日銀が対話路線を避けたことは、失敗だったのではなかろうか?

米国が、重い腰をソロリ、ソロリと持ち上げて、金利水準の引き上げを計画したのであれば、日本はこれと協調して助け合う姿勢を示さなければならない。米国からの温かい安全保障を求めながら、重要な金融政策に協調できないというのであれば、安倍内閣の対米協調に疑問を持つことになるだろう。安保法制での協力よりも、協調的な金融政策の達成は日本にとってより抵抗の少ない当然なことではないだろうか?米国連銀は、秩序ある利上げの出ばなをくじかれた思いを、日銀に対して持っているのではないかと思う。

5 IMFによる金融市場の流動性調査

国際通貨基金が昨年10月に発表した「地球金融安定報告」は、世界の金融事情について次のような点を強調しているので、紹介したい。

ア 流動性の問題
市場における流動性(market liquidity)というものは、一見潤沢に見えていても、突然に蒸発して消えてしまい、金融システムに障害を起こさせることが多分にある。従って市場の参加者と政策立案者は、あらかじめ政策を作って、金融がストレス時代に入っても、市場の機能が維持できるように配慮しておかなければならない。

例えば、中央銀行が通常の金融政策に戻る場合には、必然的に変動が激しくなるが、資産価値が新しい価格に調整されるには、市場における流動性が豊富に供給されなければならない。そのためには具体的に、市場のインフラ改革が必要であり、もっと透明でオープンな資本市場を創造しなければならず、また、中央銀行というものは、新しい金融政策を実行するような場合には、市場における流動性が十分かどうかを斟酌しなければならない。

イ 中央銀行の供給している流動性は、十分すぎるほど豊富であるにもかかわらず、どうして市場の流動性がひくくなるのだろうか?

米国から始まった地球金融危機の反応として、世界の数行の中央銀行は、非伝統的な金融政策の手段を採用するに至っている。それは、量的緩和という手段で、中央銀行の流動性を大きく拡大していることである。日本の中央銀行もその例外ではない。その結果、中央銀行に対する銀行の準備金は舞い上がってしまった。それにもかかわらず、市場の流動性の激しい短期資金について心配が生じている。金融危機の後に、中央銀行がとった非伝統的な政策手段は、市場の流動性に新しい問題を引き起こしてしまった。

ウ その新しい問題とは何か?

@ 銀行の資金調達手段が拡大されたことで、証券市場の流動性も増大させてしまった。
A 市場機能チャネルを通じて、流動性のプレミアム(投資家が証券を保有するための料金)が下げられてしまった。他方、中央銀行の購入で、レポ市場の流動性を下げることになっている。(米国)
B リスクを求める欲望のチャネルが拡大され、他の市場参加者も、金融取引に加わって、リスクをとる傾向を増大させている。
C 先進国の中央銀行による、長引きすぎたイージーマネーポリシー(easy money policy)が異常な低金利(マイナス金利を含む)をもたらしたが、投資家にたいして「利回り探し」を奨励している。
D 結局、上に述べたことは、金融政策が市場の流動性を大いに活性化させたことになる。しかし、他方において、いろいろな構造的な変化が反対方向に働いている。それが市場の流動性を減少させている。この二つの力を合成したものが、現在の市場の流動性の状況を一層複雑にしてしまっている。

(総括)
以上が、IMFの意見であるが、現在は、リスクを求め、投機に走る資金が、待機している状況である。ここでは、戦争の発生や、不動産投機の危険が大きい時代である。日銀が、国債をドンドン市中から買い上げてきた円資金が、株式市場等に流れ、日本の株価を激動させているのも、その表れである。しかし、これは、バブル時代(1990年代)と同じ投機的投資と言わざるを得ない。日本は、1990年代の土地投機と土地バブル脱却が終わらないうちに、今度もまた円資金は土地と株の投機に向かっている。これはいつか来た亡国の道ではなかろうか?

日本の国民が本当に必要としている経済成長と、財政の再建は、ザブザブと日銀券を投機に使う金融政策からは、絶対に生まれては来ない。

6 日本経済の抜本的な構造改革とは、土地の公共財化が出発点である。

とにかく、フランスが、1950年代に棚上げしてしまった土地所有権制度を、根本的に改革して、日本経済の骨格である土地制度を根本的に変えなければならない。株式だけでなく、日本の土地を、外国人が投機的に買い続けているが、日本の土地が、外国人の名義になってしまえば、いったい日本人はどこへ行って、日本人のための、日本経済の構造をつくりあげることができるであろうか?

日本の片田舎から、国家の徴兵に応じて、戦場で戦い、戦争で亡くなった若者は、靖国神社以外には自分の墓地さえ、母国の国土の中にないなどという先進国は、世界中に日本以外にはないだろう。土地所有権という名のもとに、土地を金銭で争い合う土地投機を国内で許すことは根絶させるべきである。これでは、日本の国ために一生をささげた我々の祖先は浮かばれないからである。日本人として生まれ、国のために身をささげた日本の若者に対し国立の墓地すら日本には存在しない。(米国合衆国のようなアーリントンの国立墓地は、日本の首都にはない。フィリッピンでさえ、立派な国立墓地を持っている。)日本の土地制度は、明治維新の時以来大きく私益中心に歪みすぎているのである。

7 危険な橋を渡ろうとするマイナス金利の冒険

ここで、世界経済土地研究所の意見を述べさせていただく。
まだ2月27日の段階では、はっきりとした具体的な形のマイナス金利の政策が描かれていない。しかし、本格的なマイナス金利政策へいったん進入すれば、その軌道から引き返すことは、大変な苦難の道となるだろう。そもそも金融政策というものは、経済の中の安定という要素を非常に重視する学問である。

私が、昭和30年代に大学で、舘竜一郎先生(東大教授)から金融政策を学んだときは、もちろんマイナス金利などというものはなかった。それは劇薬であり、強力な投機刺激にはなりうるが、価格の安定を基軸とする「金融」の本来の性格を損なってしまう劇薬であるから、その当時は世界中で存在しなかった。金融政策の一番重要な柱は、通貨の安定供給と物価やサービス価格(金利を含めた)の安定である。貨幣経済を基本とする資本主義を安定的に確立し、運営するということが、自由主義、資本主義にとって、18世紀から19世紀、20世紀にかけて、最も重要なことであったからである。

物の価格水準を安定的に健全に保つことが、経済にとって一番重要なことである。物価が安定するには、金融機関とその中枢である中央銀行が、安定した思想と健全な動機に基づくものでなければならない。これが、自由な資本主義経済の価格安定と信用の安定の基本となっている。行き過ぎた土地投機がデフレーションという現象を起したが、それは日本の土地所有権制度に深く根ざすものである。これを是正するために、劇薬的な手段(マイナス金利)で有効需要を喚起しようとすることは、投機を呼び起こす邪道になってしまう。(注)劇薬とは、ごく少量でも中毒を引き起こす薬物で、使用量を誤ると、生命にかかわる薬物のことを言う。

8 日本経済の構造改革のためには、狭い国土の土地利用を妨げる弊害と国民の格差の根源である土地所有権制度を廃止し、土地公有化による土地利用権制度が必要

無理をしてでも金融機関を締め付け、有効需要を喚起すればよいという単純なマイナス金利政策は、非常に危険な道であり、いまだにG7に属する国で、採用されたことのない未知の分野であり、失敗の可能性が高く、日本経済は25年前のバブル時代の土地不動産の投機時代に逆戻りする可能性が高い。黒田日銀と安倍内閣は日本人がどうしても必要とする土地の構造改革を避けて、安易で無謀なデンマークやスェーデンの苦肉の策を模倣しようとしているに過ぎない。

日本の致命的な経済構造の欠陥は、絶対的土地所有権制度であるが、フランスは、この制度を、70年前に事実上棚上げしてしまったことを忘れている。フランスよりずっと狭く、山岳の非常に多い日本列島の貧弱な土地に、フランスの倍の人口、1億2千万人の人口を抱えた日本が、日本よりも格段に土地に恵まれたフランスの真似をして、弱肉強食の絶対的土地所有権を140年もの長い間、実定法として執行してきたことが日本経済と日本人の大きな悲劇となっている。

この制度が、土地投機を活発にし、地価を異常に高くして世界一高い地価の日本経済を作り上げてしまった。その中心的な動機は、金融機関と企業家、投資家が、ベラボウな高い地価と住居費を明治以降の日本人に合法的に押しつけ、定着させてしまったことである。そのことが、衣食住という人間の基本的生活条件の中で、住むことの費用と価格を、日本で異常に高くしてしまい、昔から国民の所得と消費生活を明治以降大きく圧迫してきたのである。そして、バブル時には、{土地本位制}という日本独特の金融用語までが,流行してしまった。

こうしたことは、今までの日本経済の企画立案が、外国の土地制度や土地政策の歴史をよく研究しないままに、明治以来、土地所有権制度を盲目的に踏襲してきた日本人の過ちである。これは日本の法律学者や法曹界が、今後反省すべき点である。日本経済は、いまや待ったなしの土地所有権制度の抜本的改革を必要としており、土地は私有財産ではなく公共財として、公有化し、日本国民全体のために、平等に用いられ、利用されなければならない。これこそが、行き詰った日本経済の閉塞を救い、明るい成長経済のための欠くべからざる構造改革なのである。

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