国際情勢の激動とアベノミクスの方向性(2016.8.1)

1 混迷する21世紀の国際社会

7月10日に行われた参議院議員の選挙は、自民、公明のチームが善戦し、わずかながら、議席数を伸ばすことができた。野党の共闘連合は、一定の効果を上げたものの、社民党や生活党などの少数党が議席を失って、あまり意気が上がらなかった。今や、世界の情勢は騒然としており、フランス、トルコ、バングラヂッシュなどのイスラム国(IS)によるテロ騒動が世界中の人々に、恐怖と不安を与え続けている。

米国では、トランプ氏(共和党)とクリントン氏(民主党)が正式な大統領候補と認められつつある。IS(イスラム国)の、テロ的破壊行為が、後を絶たないが、米国では、白人と黒人による警察行政をめぐる 暴力的殺人が絶えない。北朝鮮は、ミサイルの発射訓練をやめず、中国は新しい経済力を武器に、南シナ海における領土上の中国の権益を主張し、オアランダのハーグの国際司法裁判所が海洋における島の問題について、判決が下りたにもかかわらず、古い中国の理想を振りかざして、中国の国益を一歩一歩と力づくで、拡大しようとしている。
長年欧州連合の有力メンバーであった英国が、国民投票で、欧州同盟(European Union)を離脱するといった、信じられないような出来事が、地球上の地域における分裂と亀裂を表している。

これだけ多くの国際的な分野で多くの人びとの利害が、相互に摩擦を起こしているのは、21世紀の厳然たる事実であり、いったい世界中の国際的な秩序はどのような方向に向かって走り出そうとしているのか、見当もつかない毎日が続いている。こうした中で、日本の天皇が、早く退位したいという意向が報道され、話題になっている。私は偶然にも昭和8年の生まれであるが、なくなるまで天皇として国家の象徴という公務を続けるということは、人間天皇にとって、いささか酷な制度であると感じざるを得ない。今のままでは、一般の勤労者が、死に至るまで働くことを要請されることと同じになり、もっと余裕のある安らかな時間を持つことは、人間としては当然ではないだろうか。第二次世界大戦以降、当然のように受け取られてきた価値基準が、今変更するかどうかの境に立たされているような気がする。

資本主義による自由な市場経済の競争と、いつまでたっても一次産業から二次産業へと転換することの難しさに悩む国々を、何とか調和させる必要があるように感じられる。

奔放な自由市場経済から安全と福祉を主眼とした豊かな社会の建設に一歩前進することが必要であろう。精神的に、また物質的に余裕のある豊かな社会が来なければ、人間が大きな格差を解消して安全で平和な福祉国家が来なければ、国際社会が望ましい方向に歩んでいくとは言えないだろう。

2 日本のアベノミクスには、土地を公共財として扱うフランス的な構造政策が全くかけている。

アベノミクスの考え方は、資本と技術の分野において、先進国同士が他に先駆けて、資本を蓄積し、技術を高度化することが国際競争に勝つ道であるということのようである。しかし、世界の中で、あるいは日本の中で、資本を支配している階層だけを、相対的に優位に取り扱う(トリクル・ダウン政策)態度では、国内の格差、国民の間の階層間の緊張と格差を、縮小し、解消し、国全体のマクロ経済を再建することは難しい。先進国だけが栄光に輝いたり、運動の才能のある者だけがオリムピックで栄光に輝くことは、一部の人々を満足させるだけで、一国全体や国際社会全体を満足させることはできない。人間や国が生まれる前に創造されてしまった、地球、国土、領土、海洋や、島などを資本や経済力の力で、人為的に奪い合い、変更することは、人間以前に存在した神(天)の行為に逆らうものであり、国々や人々の間に緊張と摩擦を作るだけであり、国際社会に、平穏、安全、豊かさを持たらすことにはならない。

18世紀のフランス革命で創生された土地ドグマ(土地は純粋な私有財産である)は、半世紀以上も前に、フランスで使い物にならないとして、事実上棚上げされてしまった。このことに気が付いていない日本の土地法学者、政治家だけが、アベノミクスを現在信奉しているといえる。日本人は、日本の土地制度は土地所有権制度であるが、これはすでにフランスでは、土地の売り惜しみを助長する制度として、事実上棚上げされてしまい、有効に機能していない。土地は、私有財産ではなく、公のもの、公共財であることを、1945年以降フランスではゾーニング行政で認められている。

日本でも、土地を純粋な私有財産であるとする土地哲学を、大胆に転換し、公共財として扱わなければならない時代に入っている。それができなければ、日本経済は土地投機で再びバブル経済となり、またその反動としてデフレ状態に逆戻りして、再び巨大な財政赤字が生じてていくだろう。日本の経済構造が根本的に歪められているが、それが1990年代のバブル発生以降、全然改革されていない。土地改革が不可欠であるという認識すらない。この改革は、土地制度を所有権制度から、利用権制度に根本的に転換するものでなければならない。そしてそれは、土地は私有財産ではなく、公共財であることを前提としなければならない。これができなければ、いくら熱心にアベノミクスに力を入れても、日本経済が成長軌道に乗り、財政再建が可能となることは難しいだろう。日本社会の格差構造が解消できないからである。

3 土地所有権制度の存在が、日本社会の格差の発生の根本原因となっている。

日本では、一つの格差が他の格差を生み、国民の間に格差の累積が生じている。日本では、土地所有権制度が、明治維新に採用されたが、江戸幕府が倒れたとき、官軍は全く資金に欠乏してしまい、明治維新政府を作っても財源が全くないという状態であった。官軍は、地方の豪商から借金しながら、倒幕の戦争を続けてきたのであった。財源は土地しかないので、土地制度をフランスから導入して、地租改正により、土地取引から財源を開発するしか方法はなかった。政府内でいろいろ論議して生まれたのが、明治民法の土地所有権制度であり、フランスの制度を移入したものであった。

ところが、昭和20年の第二次大戦直後、フランスでは、それまでの絶対的土地所有権では、フランス国民の住宅事情を満足させることができなかったので、地価が暴騰したので(都市部では6倍程度に上昇)、ゾーニング政策を採用して、一定の区域内の土地の取引には、公的な大きな規制をかぶせ、土地取引に対して大胆に公的規制をかけてしまったのである。この土地改革の大作業は、フランスで、1945年から1975年ごろまでかかって、フラン政府が実行したが、この期間は、大胆な土地改革が順調に進み、土地改革による経済政策は成功したと記録されている。

日本ではこうした事実が、終戦直後で全く知られずに、マッカーサーの行った農地改革だけが有名になってしまった。従って、日本の農地以外の土地については、日本の土地制度は、世界でも日本独特の市街地取引となっており、世界一地価の高いものとなってしまった。日本人は世界の情報の中心から遠く離れ、特に終戦直後はマスメディアの力が弱かったので、土地制度が大きな欠陥となったが、このことに気付いている日本人は非常に少ない。世界経済土地研究所だけであるといっても過言ではない。土地所有権制度は、日本の経済構造の中で、ガンのような存在になってしまった。このガンの大改革をしないで、いくらアベノミクスを、経済官庁や日本銀行が実行しても成功することは難しい。日本の土地構造、経済構造、国民の間の分配構造が、大きくゆがんでいるからである。

土地所有権制度では、私有財産として、土地取引が自由奔放に行はれ、土地投機も自由である。従って日本は、土地投機の天国であったし、今でも土地投機の天国である。バブルが発生し、その反動として、舞い上がったしまった地価の長期下落が20年間も続いてきた。これが地価デフレである。多くの企業や銀行、金融機関がつぶれ、政府が大きな借金のしりぬぐいのため、世界一の財政赤字国となってしまった。 それでも、政権党は何党になっても、土地所有権の改革を実行しない。これでは、国力が下がり、経済は成長できない。なぜなら、土地制度というのは、社会と経済の基本中の基本制度だからである。それが、先生格のフランスから大きく離脱し、日本は世界でもまれにみる土地投機の天国となっているからである。

土地所有権制度の下では、土地を持つか持たないかで、家計が大きく影響を受けるが、それは家の財産や、収入、家族の格差に大きく影響を与えていく。土地投資や土地投機に成功した人々のみが、資本を蓄積し、企業を経営し、拡大し、実業界での経験を積んで、栄えることができる。貧乏人の中でも、土地投資や土地投機に失敗したものは、実業に成功するだけの財力(教育費、技術習得費等)を蓄積することは容易なことではなかった。生活や住居だけでなく、何を蓄積するにも、かなりの財政力、資金力が必要なのである。資金力がなければ、立派な家系や立派な企業や立派な研究所を立上げていくことはできない。 しかし、土地投機による弊害は大きく、格差を累積的に拡大する原因となっている。土地投機はいくらやっても、GDP(国民経済計算上の付加価値)を高めることは一切ないものである。だから経済全体が生産的な性格を持たづ、GDPと付加価値は伸びない。

土地投機を根絶するには、処分権中心の土地制度から利用権中心の土地制度に転換しなければならない。それが、土地政策の現代の潮流である。フランスはそれを既に実行している。日本人は、井の中の蛙なので、そのことが、メデイアによって国民に知らされていないだけである。日本では、メヂアとか金融、投資機関はこうした情報は、極力国民には報道したがらない。どうしてなのだろうか? 公明党は、もっと若者に将来の希望を持たせる政策が必要だと力説しているが、土地所有権制度の改革は地主と土地投機家以外のすべての日本人に、格差の原因を除去し、大きな希望と勇気を与えることであろう。

4 土地所有権制度の作り出す格差が日本の経済を閉塞させている

日本の社会における格差とは、簡単化して説明すれば次のようになる。 日本で一定の土地を持つか持たないか、特に住居を持つか持たないかは住居費の負担が、生活費に大きく影響する。そのことは、家庭の生活費や貯蓄に大きく影響し、子供にどれだけの学校教育を与えることができるか、どうかという教育格差をもたらす。この教育格差は、さらに、成人した子供が、どのような職業や企業に就職できるかという、職業上の格差を与える。この職業格差は、一般サラリーマンをはじめとして医師、技術者、教師、芸能人、スポーツ業などの具体的な職業格差を内容としている。

こうした格差が、若者の人生の過程で、累積され、また家系としても累積されていく。こうして、格差が累積されて社会的な累積格差として、時間的(時代ごとに)に集積されて、日本における、階級、職業、文化、能率(生産性)の水準を決定していく。こうしたことは、日本の若者の人生において、競争上、平等なスタートラインを形成することはできない。個人一人一人が異なった累積格差を持っているだけでなく、各家庭もそれぞれ累積格差を持つ。それは個別的で、多種多様であり、家庭間に平等性は何もない。

アメリカの若者と話をすると、「我々は、幸せだ、何故なら誰でも平等に人生で成功する機会がある」ーa country of equal opportunityーからだという答えが返ってくる。だから若者は希望に満ちている。私は、日本のような国では、格差の根源は人間がある程度の土地を所有しているかどうかが、その国、その社会、の格差の根源になっているのではないかと思う。豪州でも同じ経験をしたことがある。ここでは、米国以上の成功する可能性があると感じた。国土が極めて広大で、資源があるので人間はアメリカ以上に希少価値を持っているのである。

土地所有権制度は、排他性が強いので、土地を奪う競争では最も厳しいルールを持っている。特にひどいのが、昔のフランスが採用していた、絶対的土地所有権制度であった。 その矛盾は、母国に帰国してきたフランス人が1945年に、感じたことは、土地を売る地主がおらず、住宅を建てることができないということであった。帰国したフランス人は、政府にかみつき、強力な政治運動を始めた。フランス政府は、何としてでも彼らに強い希望を叶えてやらなければならなかった。こうした背景の下で、第二次大戦後土地所有権制度を、事実上棚上げし、凍結して、大量の住宅棟をフランスじゅうに建設するため、土地を私有財産ではなく、公共財として扱う土地改革を、否応なしに選択せざるを得なかった。

ところが、フランスの土地法を明治時代に導入した日本は、こうしたフランスの土地政策の大転換に全く気が付かなかった。終戦直後で、日本自身がどうなっていくかわからず、フランスの土地制度の激動など、政府も民間も全く気が付かなかったのであった。したがって日本は現在に至るまで、この厳しい排他的な土地所有権制度にしがみついているのである。この絶対的土地所有権制度というものが、日本での格差社会の元凶となっている。いろいろな格差が、累積し、成長を阻害し、地価上昇と地価の長期下落によるデフレで、財政上大赤字を作っている。

土地所有権制度がが存続する以上,日本経済をつぶすことはあっても、生産性と成長を高め、1000兆円以上の財政大赤字を処理することなどとてもできない。土地所有権は、日本の実情に適合せづ、幾多の硬直的な格差を作り出してしまった。。災害国日本は、土地をすべて公有化し、利用権だけを国民に与え、処分権は、国と地方公共団体が持つことで充分である。日本が一番必要としているのは、土地をすべ公のものとして、その利用権だけを企業や団体や個人に与えることである。この土地改革こそが、日本における格差をなくし、成長を助長し、財政を再建する処方箋なのである。

return to top page