土地制度がマクロ経済のバランスをどのように撹乱してきたか(その2)(2016.11.26)

3 土地制度がマクロ経済のバランスをどのように撹乱してきたか

表3 土地投機による地価激動のバブル経済時代(9年間)
時期地価総額地価増減地価増減比率GDP増減比率GDP増減GDP名目成長率
昭和59927兆円+76兆円+8.2%+6.7%+20兆円300兆円6.7%
601,003+254+25.3+4.7+153206.0
611,257+414+32.9+4.2+143354.7
621,671+169+10.1+6.9+243494.3
631,840+296+16.1+7.0+263736.9
平成12,136+229+10.5+7.8+313997.0
2,365−192−8.1+6.5+284307.5
2,173−229−10.5+2.8+134586.6
1,944−80−4.1+0.8+44712.8
全期平均5.9%


(コメント) この時期は、昭和59年から平成4年までの9年間であり、地価は前半に急激に上昇し、後半は地価バブルがはじけて、地価は反動的に急激に下落し始めた。土地投機による地価激動の時代であった。地価総額は、平成2年にピークの2,365兆円まで上昇したが、平成4年には1,944兆円まで大きく下落した。しかし、平成59年の927兆円と比べ、平成4年にはまだ高値にあり、9年間で2.1倍と上昇した。

急激な値上がりで、地価の増額は、昭和60年の+254兆円、61年+414兆円(GDPの1.2倍以上の地価増加額)、62年+169兆円、63年+296兆円、平成1年+229兆円というキチガイじみた上昇をしたのち、平成2年と3年には年間200兆円前後の地価暴落が急激に起こっている。不良債権額が全国的にドンドンと膨れ上がっていったが、日本人全体が、そのすさまじさにただただ度肝を抜かれた。

この時期のGDPは、昭和59年の300兆円からスタートし、平成3年までの8年間、毎年13−31兆円もの巨額のGDPの急上昇が実現したが、平成4年には471兆円に達している。結局この土地バブル前後の9年間で、GDPは471兆円まで、1.57倍に上昇し、年間平均のGDPの伸びは、5.9%となってるが、地価上昇が後押ししてくれた高度成長時代の平均成長率11.5%の約半分を達成したに過ぎない。バブルによる地価の激変は、世界中の人々を騒がせたが、経済成長にとっては極めて有害なものであった。世界の経済の歴史の中で、投機で長らく栄えた国は一国もない。経済にとって、安定性ということは、非常に重要な要素とされている。

4 バブルの反動で起こった長期地価下落によるゼロ成長時代について

表4 反動的な地価下落によるゼロ成長時代(22年間)
時期地価総額地価増減地価増減比率GDP増減比率GDP増減GDP名目成長率
平成51,864兆円ー41−2.2%+0.8%+4兆円475兆円0.9%
1,823−49−2.7+0.8+44790.8
1,774−66−3.7+3.5+174830.8
1,708−28−1.6+1.8+95003.5
1,680−64−3.8−2.2−115091.9
101,616不連続不連続498−2.2
111,611−77−4.8+0.4+2511−0.8
121,534−49−3.2−2.1−115130.3
131,485−88−5.9−0.8−4502−1.8
141,397−78−5.6+0.8+4498−0.7
151,319−52−3.9+0.2+15020.8
161,267−18−1.4+0.4+25030.2
171,249+20+1.6+0.8+45050.5
181,269+34+2.7+0.8+45090.7
191,303−16−1.2−4.5−235130.8
201,287−60−4.7−3.3−16490−4.6
211,227−35−2.8+1.3+6474−3.2
221,192−35−2.9−1.7−84801.3
231,157−25−2.2+0.6+3472−2.3
241,132−10−0.9+0.8+44750.8
251,122−4−0.4+1.5+74790.8
2611184861.6
全期平均+0.5%
27499
(資料)平成27年は、内閣府による28年9月末推計値である。
(注)平成10年度は、国民経済計算統計が連続していないので、データがとれない。

(コメント) 次に、反動的な地価下落によるゼロ成長時代の22年間を分析してみる。この時期の地価は、平成5年の1,864兆円から連続で、平成26年には、1,118兆円と746兆円もの大きな下落となった。平成17,18年の2年間だけ、地価は上昇を示したが、他の年は、数%の長期下落で、地価デフレが20年近く続いている。GDPは、平成5年の475兆円からプラス、マイナスを繰り消し、アベノミクスの影響もあり、平成26年には、486兆円と若干盛り返している。

22年間のうち、GDPの名目成長率はプラスが15年あったが、7年間がマイナスで、辛うじてゼロに近いプラス成長を維持している。財政や地方公共団体までもが大きく苦しんできたのに、土地投機に関連する企業や個人のみが、巧みに利益を上げているのは、経済的な犯罪とでもいえるのではないだろうか。

土地投機により、上がりすぎてしまった地価が、上昇期間よりも何倍も長い(地価上昇期の4−5倍の)期間をかけてユックリとしか下落しないことは、土地が、自然公物(需要と供給を人間がコントトールできないもの)であるという基本性格を持っているにもかかわらず、人間が人工的な商品と同様に扱っていることの矛盾の最たるものであろう。このまま放置すれば、日本はドンドン衰退し、国際競争についていくのは難しくなるだろう。日本人は、将来に対する希望を失いかけており、早急に土地改革を実行し、土地所有権制度の弊害を除去する必要がある。

5 明治以降の約140年間で、土地所有権制度はどんな役割を果たしてきたか

ア 明治維新から昭和20年(1945年、太平洋戦争終結時)まで、この80年間は、日本の財政制度が確立され、開国し、資本主義経済が発達したが、特に、地租と土地所有権制度は、租税収入の確立と民間の資本形成に大きく貢献してきた。(補論を参照のこと)

イ 昭和20年から昭和40年初頭まで、戦後復興から高度成長の実現まで、土地所有権制度は資本蓄積と資本形成に大きく役立ってきた。しかし、これ以降は、日本では土地を継続的に商品として扱ってきたことが、予想外の激しい土地投機を起こしてしまい、安定したマクロ経済を、大きく不規則的に撹乱する原因となったのである。

ウ 昭和40年の国債発行から、土地バブルの発生まで、この時期は土地投機の全盛時代で、平成4年の地価バブルの崩壊により、経済のマクロ・バランスは破たんして、不良債権が激増して、世界の金融市場でジャパン・プレミアムが発生し、日本経済は、内外の市場で大きく挫折してしまった。もし、今後も土地所有権制度を継続してゆけば、土地投機の再発の可能性が非常に強く、日本経済のマクロバランスが再び破たんする可能性がある。

今まで、土地改革としては土地基本法が立法されただけで、具体的な実定法上の土地改革について、政府は何も行っていない。これは、政治家や国民が土地制度に対する危機意識が全くないことを示している。これは極めて危険なことであり、即刻土地改革に取り組まなければならない。

エ 平成5年以降は、ゼロ近傍のプラス成長が続いている。結局、日本の土地所有権制度は今後の役には立たないのではなかろうか。経済と財政を立て直すためには、新しい土地制度が必要であると思う。しかし、積極的な土地論議が起こらないのはどうしてなのだろうか。あまりにも土地と人々との関係が深すぎて、客観的な分析が難しい面もあるだろう。

オ アベノミクスと日銀の緩和政策は、ケインズ流の考え方で有効需要を大きくするという側面を強調しているが、構造問題を考えていない。経済には安定性が非常に重要であるが、最近の日銀の金融政策には、安定性が極端に欠けているように思う。日本の国情に適さない過大な土地所有権の力が、日本のGDPの分配構造を地権者や土地関連産業に非常に有利にしているが、これをもっと公平なものに改革する必要がある。

カ 明治維新の際、税収のない政府は、地租改正に突破口を見出したが、今や土地投機による暴力で安定成長が破壊され、限界に来てしまっている。フランスは、土地をゾーニング政策で、公共財として扱うことで突破口を見つけたが、日本は、フランスよりももっ土地事情が厳しい国なので、日本では土地は公のもの、公共財としてより明確に扱う以外に道はないように思う。(注)フランスのゾーニング政策については、「フランスの土地政策」(ルナール氏とコンビ氏の編著)(住宅新報社)を参照されたい。

キ 土地の公有化と公共財化によって、土地の利用権を充実し、効率的に使っていく必要がある。土地所有権は、明治政府によって、無償で国民に与えられたものなので、所有権を無償で取り上げることも考えられる。

ク しかし、それが資本主義のルールを完全に無視する暴挙であるとするならば、永久国債(例えば英国のコンソル公債)をゼロ金利で発行し、全国の私有地(個人及び企業や団体等)を、すべて政府が買い上げてしまうことは十分に可能である。このようにして、万一土地の公有化が可能となれば、東京、大阪、名古屋の三大都市圏や、札幌、仙台、広島、福岡等の中核都市以外の地方に対して、国土利用計画として、政府が土地利用を政策的に重点的に配分することができることになる。

ケ これによって、人口とGDPの分散化とバランスを図ることができる。すなわち、地方創生が現実に実現可能となるであろう。これは国民に対し、大きな希望を与えることになる。
これで初めて「構造的な経済の好循環」が日本に生まれ、経済の成長と財政の健全化への途が開かれることになるだろう。

  6 補論 一体不可分であった地租と土地所有権制度の創設(明治維新における租税収入創造のメカニズム)

地租改正は明治政府の救世主となり、土地所有権制度は日本経済の基本的な骨格となってしまった。日本では、地租と土地所有権は、密接不可分の関係で生まれた。今では、地租の役割は消えてしまい、土地所有権制度だけが残っている。日本で、土地制度がお粗末であったのは、倒幕による明治維新という窮迫した情勢の下で、やむを得ざることであった。

政府の役人は、租税収入が皆無の条件下で、日本には土地と農作物しかないところから、いかにして租税収入を作り出すかを工夫せざるを得なかった。そこで思いついたのが、当時のフランスの絶対的土地所有権制度であった。民間における土地所有と土地取引の利益の中から、米作や農作物の収穫と土地保有に対して課税する方法を地租という形式(土地課税方式)で考え出したのである。

表5 一般会計租税収入総計と地租(地税)の割合(単位、千円、割合 %)

明治T期明治5期明治10年度明治20年度明治30年度大正元年度大正10年度昭和10年度
一般会計租税収入総計3,157千円21,84547,92366,28594,913360,970790,938926,085
地租2,009千円20,05239,45142,15237,96575,36574,13158,042
割合63.6%91.882.363.640.020.99.46.3
(資料)大蔵省百年史、別巻190頁、11租税収入

この表を見ると、政府の一般会計の租税収入中、明治5期には91.8%を地租が占め、明治10年度には82.3%、20年度には63.5%、30年度には40%もの割合を地租だけで賄ったのである。地租がなければ、明治政府の維持とその政策を達成することはできなかったのである。つまり、地租がなかったならば、日本の歴史は全く別のものに塗り替えられていたであろう。

租税収入や土地制度というものは、生まれたばかりの明治国家にとっては、極度に重要なことであった。地租を課税し、徴収する過程で、土地の売買を盛んにして地価が上昇していくという前提で、政府は土地の時価の3%を地租として国民に課税し徴収したのである。明治30年ごろまでは、一般会計税収のおよそ40%以上を地租が負担し、実に頼りになる財源であったのである。

江戸時代には、日本には近代的な土地制度が全くなかったので、土地課税の前提条件として、土地制度を創設する必要があった。この作業は、地租改正作業と同時並行的に行われた(明治6年ー14年まで)。後日(明治29年)明治民法における絶対的土地所有権として、立法化されたが、これは、明治政府の大蔵省と、内務省が担当した。

このとき、日本では初めて、土地の私権として土地所有権を与えたが、土地の占有者や使用者等の申し出に対して、市町村や税務署等が調査、測量等をしたうえで、権利者として認定し、記録して、地権(土地の権利の証明書)を発行している。この時の記録が、法務省における後の土地登記簿の原本となったのである。つまり、従来の江戸時代の公(おおやけ)の土地について、土地所有権という私権を、原則として無償で、使用者等の国民に与えたうえで、以後その土地の時価評価額の3%を「地租」として国庫に納付させ、政府の最初の重要な租税収入として確立したのである。

表5で見られるように、地租は重要な国家財源として昭和時代まで続き、日本の社会、経済の発展に多大の貢献を果たしてきた。この70年前後の間に、殖産振興、富国強兵は見事に達成され、資本主義経済が発展し、政府の財政が確立した。こうして産業が発展し、経済が進歩したので、財政収入の面では、所得税や酒税、物品税等が徐々に養成されて、地租を代替できるようになってきた。

この段階で、土地制度も時代の変化に合わせて改正すべきであったと考えるが、どうしたわけか、土地所有権だけが取り残されて、いまだに手つかずに140年以上も生きながらえているのが現実である。フランス仕込みの土地制度を、長期間続ければ、万事事情が異なる日本で成功する確率が次第に低くなるのは当然である。本家のフランスでは、半世紀前から絶対的土地所有権は、事実上棚上げされたものとなっている。これでは、21世紀の国際競争で日本が他の先進国に勝てるはずはないと思う。

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