(デフレに関する報道)
政府が、3年5ヶ月ぶりに経済の現状をデフレと認定したが、この研究所はバブル崩壊後、ズーッとデフレ状況は続いてきたと見ている。
圧倒的な需要不足、企業収益の悪化や、賃下げ、失業増は、すべて世界同時不況のせいにしている報道が多いが、半分は日本経済の特殊な
土地構造から由来するもので、残りの半分は、世界不況から来ている。
日本は、税収入も減り、10年以上にわたり、物価の下落基調から抜け出していない。売上高や賃金といった名目額が伸びなければ、景気持ち直しの実感を国民が得ることは出来ないとしている。(11月21日、日経新聞)
政府が12月25日に発表した2008年度国民経済計算確報でも、1人当たり名目国民総生産(GDP)は、387万円と前年度に比べて、4.1%減少している。これで日本の国際的な順位は、主要国中19位に落ち込んでしまった。08年の世界全体のGDPに占める日本の割合は8.1%で、06年から10%を割っている。08年度の国民所得は、前年度7.1%減の351兆円で、6年ぶりに減少し、昭和55年度の統計作成以来、最大の落ち込みを記録した。昔、30%程度あった家計の貯蓄率は、3.3%となっている。(12月26日、日経新聞)
(基本制度の点検が必要)
こうした猛烈な物価下落、不況とGDPの減少に対し、我が国は、アメリカや欧州、中国と比較する前に、まず日本の基本的な諸制度が、本当に日本の国土、地理的状況から判断して、間違いの無い妥当な制度や政策であるかどうか、21世紀という新しい地球経済時代に対応した姿になっているかどうかを、根本的に検討し、反省し、謙虚に点検してみなければならない。
今や、高度成長の時代は終わり、低迷の時代も終わり、日本経済は確実に衰退の過程に入ってしまったと考えているが、しかし、起死回生の政策手段が埋もれて眠っていることも又、真実である。この研究所は、それを必死になって探求し続けてきた。
その結論が、土地所有権制度を根本的に改革し、私有財産である土地を公共財として大転換することによって、国民や企業に土地所有権ではなく、土地利用権を与えるべきであるという土地改革案なのである。
(土地を商品として扱うことの大きな矛盾と弊害)
1 付加価値(GDP)の大きさが景気の基準
1 景気が良いとか悪いとか言う場合、その客観的な判断基準としては、国際連合によって策定された国民経済計算(特に1993年の国民経済計算ー93SNA)によって決められたGDP≪国内総生産≫という尺度があり、四半期、または各年ごとに具体的にどのような値をとるかということが、最も重要な基準とされている。
日本経済がうまく運用されているかどうかは、この93SNAのGDPの値が良いかどうかと言い換えることも出来る。そこで、93SNAの国民経済計算のルールにおいて、土地はどのような財として定義されているか解説し、土地とGDPとの関係がどうなっているかを考えてみる。
2 土地は有形な非生産資産
土地は、国民経済計算上は、財としてストック(stock-資産)として捕らえられている。世の中には、さまざまな財やストックがあるが、土地はこの中で、有形非生産資産(Tangible Non-Produced Assets)として分類されている。
非生産資産というのは、生産資産の反対の概念で、人間が作ったものでは無いということである。つまり、有形非生産資産とは、具体的にいうと、土地、地下資源、漁場等からなっている。すなわち、自然によって人間(人類)に与えられたものであるという事が出来る。しかし、これらの自然から与えられたものに、人間が手をかけて固定資本を作った場合、例えば、土地の造成、改良,鉱山及び漁場の開発などは、有形非生産資産の改良ということになり、国民経済計算上の貸借対照表においてその価値が追加される。
3 土地の市場市場価格による評価
土地はストックであり、市場価格で評価される建前となっている。国民経済計算上、ストックを扱う勘定が国民貸借対照表である。これは、企業会計で用いられる貸借対照表の考え方を、国民経済計算に応用したものである。即ち、生産の基礎となる土地や機械、住宅等の有形固定資産、無形固定資産、及び金融資産や負債の残高を表示したものである。
評価時点において、市場価格で評価することは、非常に重要なことで、土地を私財としてまたは商品として市場取り引きを許す国(例えば日本のような国)では、土地投機等で地価の変動が起こった場合、国民経済計算のフローやストックの数字に大きな変動をもたらすことになる。通常、ストックの統合勘定から土地以外の天然資源(河川,湖沼、海浜地等)は除外されるが、これは、人間の間で取り引きされることがないからである。
4 土地の供給の価格に対する弾力性はゼロ
一般の財(市場で売買される商品等)と土地が基本的に異なる点は、一般の財は人間が作り出すことが出来るが、土地は自然から与えられたものなので、人間が勝手に作り出すことはできないものだということである。一般の商品は、仮に投機取引によってその価格が大きく上昇しても、供給の弾力性≪価格上昇があった場合の供給量の増加の割合≫が高ければ、人為的に生産量を増加させることによって、その商品の市場への供給量を増やすことが出来るので、一旦上がった価格を市場で下げ戻すことはそう難しいことではない。
しかし、土地が投機の対象となって一旦地価が上昇してしまうと、土地の供給の弾力性は0に等しいから地価を人為的に下げることは極めて難しい。特に日本のように、人口と経済活動が過密のところでは、絶えず土地に対する超過需要があるので、地価が下がることは稀である。つまり、土地を市場財(商品)として扱ってしまうと、政策的に対応するのが極めて難しいのである。
(注)かつて、1990年代に銀行が,土地不動産に関する不良債権をいくら償却しても減らすことが出来なかったのは、長期デフレによる地価の大低落のため、融資の担保とされた土地の価格が次々と割れ込んでくるためであった。土地を商品として扱ってしまえば、政策的に経済を安定成長に導こうとしても、土地投機による地価の激動に妨げられ、地価を安定させることは不可能に近いのである。アメリカのように、日本の25倍もの領土と豊富なフロンチアを持っている国は別として日本やオランダのように、人口密度の高い国では、地価を自由に放置していたのでは、マクロ経済のバランスをとることは不可能なのである。
5 日本にとって土地投機は諸悪の根源
土地の供給量を増やせないため、地価を政策的に安定させる事が出来ない。したがって、地価の影響を遮断するためには、土地への需要が
時間とともに、沈静化し、その結果地価が下落するのを待つしか方法は無い。それは大変長い時間を要することであり、そんなことを待っていれば、激しい国際競争に敗れてしまう。このままでは、日本経済が安定成長軌道に戻ることは出来ないのである。
地価が、バブルで高騰してしまった状況は、地権者にとっては喜ばしい事であろうが、それ以外の全ての国民や国や地方自治体にとっては、諸悪の根源となっている。世界中の最悪の例が日本である。したがって、米国のような未開のフロンティアを豊富に持っている国以外は、世界中の殆どの先進国は、土地政策上、制度上土地投機が出来ないような仕組みをとっている。
日本では、土地投機が悪であるという認識が全く無いため、今や土地所有権制度は土地投機を通じて、日本の経済と財政を破壊しつつあるといっても過言ではない。
6 土地を公共財として扱うことの必要性
したがって、現在のデフレ不況を脱却して、日本経済が成長軌道に戻るためには、土地は、マーケット・メカニズムの適用される市場財≪商品≫ではなく、マーケット・メカニズムの適用を受けない公共財として位地づけなければならない。(土地基本法第2条は、「(前略)土地については公共の福祉を優先させるものとする」と規定し、又第4条では、土地の投機的取引を禁じている。)
土地基本法がいみじくも定めたように、土地は公共財的な存在なので、投機取り引きが出来ない措置(たとえば、土地の処分権と収益権とを国家が買い上げ、土地を公共財として位置づけること)を採用することが必要になる。同時に土地所有権の代わりに国民に豊かな土地利用権を与えるという土地改革が、どうしても必要だということになる。そうしなければ、日本経済は土地投機によってダラダラと衰退し、中国やインド其の他の途上国にドンドンと追い抜かれていくことになる。
7 時代変化のギャップを乗り切れない土地所有権制度
1860年代の日本が、欧米列強に対し開国を許し、明治維新(1968年以降)の段階に差し掛かったとき、我が国の主たる産業は、
農業しかなかった。明治政府は、殖産新興、富国強兵の政策に取り組んだが、肝心の国税収入は殆ど皆無の状況であった。
当時土地しか課税客体がなかったため、結局明治政府は、『地租改正」によって土地の収益から地租を納付させることで、租税収入の端緒を開いた。しかし、地主等から地租を徴収して官・民の資本を育成するためには、幕藩時代の封建的な土地制度から近代的な土地制度へと改革することをを迫られたのである。そのため、我が国では、地租改正と平行して、初めて個人や企業に対し、土地の所有権を認める土地所有権制度を創設した。
この制度は、フランスを参考にして立案されたが、日本では、幕藩時代に全く認めていなかった土地の私権(所有権)を、原則として無償で国民に与えるというやり方で、実施された。これは土地革命ともいうべき果断な土地改革であったが、地租改正という名のもとに租税事務と並行して全国的に実施された。(明治6−14年)
日本の地租改正は、税収入を軌道に乗せ、国と地方の財政を充実していったが、同時に全国の公地を、原則として、無償で個々の国民に与え、所有権という土地私権を与えたのである。幕藩時代には全国において土地の私権は一切認めなかったという事実を深く考慮すると、これは、革命的な出来事であったといわざるを得ない。
明治時代の政府財政は、地租を中心として形成され、次第に充実されたが、それを実現するためには、日本中の土地全体(公地)を、個々人や企業に対し土地所有権を与えることによって、無償で私有地に大転換するという極めて大胆な土地革命の犠牲を、政府は払わされたのであった。
しかし、そこまで徹底した土地革命を行なわなければ、富国強兵や殖産振興は愚か、倒幕に成功した明治の維新政府自体さえ、財政的に自立し、存続していく事が出来なかったという財政的な苦難の中に日本が投げ込まれていたという事実を忘れてはなるまい。
この地租改正と土地所有権制度が、明治以降の日本の財政と経済を大きく支えることになった。
日清、日露戦争、第一次世界大戦、シナ事変、第二次世界大戦、戦後の復興、高度成長、バブルの発生崩壊等と、めまぐるしい変化を経て日本経済は21世紀にたどり着いているが、明治維新以来約130年を経過して、明治維新の時代と比べ、社会経済の実態は完全に変化してしまった結果、この土地所有権制度は、昭和50年以降経済との適合性を失い、日本経済の長期閉塞の元凶となってしまった。国民経済のみならず、国、地方の財政をも破壊するような結果となってしまっている。やはり、明治時代に創立された土地制度の有効期間として、130年間は長すぎたといわざるをえない。
江戸時代末期に、欧米列強から開国を要求され、それに応じたものの、国内の経済基盤は殆ど農業に依存し、日本の資本蓄積の水準は極めて低かったといわざるを得ない。従って、充分な産業力や財政力を保つことは出来なかった。そのとき、苦肉の策として採用されたのが、土地制度(土地所有権制度)の創設と地租改正なのであった。
日本をその日暮らしの農業国から、国と地方の財政力を確立し、近代国家を作りあげたきた土地制度と地租改正が、130年後の現在、日本経済の長期閉塞の原因となっていることは、世界や国内の大きな経済状況の変化に応じて、経済の基本構造(端的にいうと土地制度)を、柔軟に改革していくことに失敗してきた結果であると、誰しもが認めざるを得ないのではないだろうか。
1870年代の日本経済と2010年の日本経済は、国内的にも国外的にも想像もつかなかったほどの、大変化を遂げてしまっている。
こうした激変、激動の時代に、憲法を始とする全ての日本の制度が大きく変革されてしまった。1870年代と2010年代の相違は、たとえていえば、チョンマゲと茶髪の差ぐらいあるのではないだろうか?しかるに、国家の最も重要な基本制度である土地制度だけが旧態依然として全く変わらないで続いているということは、130年間という経済上の大きなギャップを考えると、極めて異常な現象であるとしか表現のしようがない。