(ストレス テスト.チムシー・ガイトナー著)を読んで(2016.1.20)

この本は、2008年から始まったアメリカの金融大不況について、米国の財務長官として担当し、改革を行ったガイトナー氏が書いた本である。
この本は、わしが今まで英文で読んだ数十冊の原書の中で、もっとも感銘を受けた本である。どうしてこの本に感銘を受け、高く評価しているかその理由は、次に掲げる。

ア かなり正確に、しかも公平な立場で、書かれた記録である性格を多分に持っている。そして、かなりの信頼性のあるある資料が付されていること。
イ 米国経済とドル通貨は、世界経済を支える支柱となっているが、それに大混乱が発生した場合の処理は、米国政治の中心であるホワイトハウスと米国連銀や財務省との間の密接な関係によって調査や対策が形成されていくが、その相互関係が外国人である我々から見ても、かなり明確にしかも客観的に記録されており、わかりやすく説明されているからである。

ウ 最終的には、ホワイトハウスが中心となって、まとめられていくが、その合意形成の過程をかなり透明にわかりやすく解説しており、外国人が見ても米国の意思決定の過程がよくわかる。
エ 約80年前に米国で起こった1929年の大恐慌の際の報告を読んだことがあるが、(キンドルバーガー著「大不況下の世界、1929−1939」、ミルトンフリードマン著「大収縮1929−1933」)これほどの詳細で具体的な記録は報告されていない。

オ 金融、証券という主体が引き起こしてしまった経済と金融の大混乱は、具体的な本当の名前(政党名、企業名、人名)で的確に描写されており、これはギラギラした真実の話になってくるのであるが、私の判断では虚構がなく、本音と真実に近いものではないかと思はれる。これで、米国の意思決定の過程が相当正確に推察できる。

カ ニュウヨークは、米国の経済と金融の中心であるが、政治と政策の中心はワシントンDCである。上院、下院とホワイトハウス、財務省との権力関係や人間関係など、隠さずにできるだけオープンに記述しており、アメリカ民主主義の良心を感じさせる。

キ 日本の1990年代のバブル崩壊の過程で、日本では直接の関係者以外には,具体的な事実が公表されたことは少なかったように思う。そのことが、日本経済の転落を一層暗黒で、不安なものとし、経済再建を難しくしていることは間違いない。アメリカのやり方というのは、秘密主義と強引な面もあるが、民主的で、国民に対し公平であることは日本の手本とすべきであろう。こうした世界を揺るがす大事件について公正な報道をすることは、米国のみならず世界経済全体の今後の発展に大きく寄与するものと思はれる。

オバマ氏が、11月に当選し、次期米国大統領となることが確定したのは、2008年のことである。ブシュ大統領時代に、すでにリーマンブラザーは崩壊し、次々と米国の金融危機は弱い銀行から強い銀行へと飛び火していったが、政府が必要とする問題資産の救済計画(TARP)の法案は、共和党の反対にあい,なかなか成立しなかった。次に、「ストレス テスト」の中の重要な局面の紹介をしていく。(ストーリー1から7まで)

ストーリー1

米国の財務省は、大手銀行の資本力を強化すべく案をねって、コロンブスデーの日に全米の9大銀行のトップを、ワシントンの財務省に呼び集めて、リーマンの二の舞を避けるため、1250億ドル資本注入案を提示した。各銀行の危険な資産の3%までを資金注入したのである。JPモルガン、ウェルスファーゴ、シティーに各250億ドル、バンクオブアメリカに150億ドル、モルガンスタンレイ、ゴールドマンサックス、メリルリンチに各100億ドル、ニューヨーク銀行へ30億ドル、ステートストリート銀行へ20億ドル注入することを決定した。(9大銀行に対し、合計1250億ドルの資本注入)

このとき、モルガンスタンレーは、日本の三菱UFJ銀行から90億ドルの資本注入を受け、役員が日本から米国まで小切手を運んだことが大きな話題となった。この時、米国の80年間の歴史の中で、最も積極的な政府の銀行介入が行われたことになる。このことで、米国政府と米国の金融界は、ひとまず胸をなでおろしたと説明されている。

ストーリー2

ラリー・サマーズ氏にメキシコから電話して、ガイトナー長官はTARPの拡大計画を話した。それは、銀行の資産を増加させること(recapitalize)によって、銀行に投資しやすくするための手段であった。「金銭評価の運動(valuation exercise)」と呼ばれた。その内容は、銀行の持っている資産の評価を、様々な角度から動かし、運動させてその効果を測定するテストである。これは、のちに「ストレス テスト」と呼ばれるようになった。
まず、ストレステストは、情報を提供し、信頼の尺度を提供する。資本は、ダンダン弱くなっていく可能性もある。二番目には、連銀がいくら資本を追加したら、資本の弱体化が避けられるかを見積もることである。財務省の投資と国有化の規模は、穴が明いた資本の額によって決めることができる。

ストレス テストは、ダメになった銀行を再建するためのものではない。銀行の資産は、倒産中に盛り返すことがあるかもしれない。ストレステストを繰り返すことで、いくらの増資が必要なのか少しづつわかってくる。資産の評価損を次第に軽減させるのである。そして、これに関連して、TALF(Term Asset-Backed Securities Loan,資産裏付け証券への期間貸付)を活用し、拡大することによっても、民間の銀行への投資を拡大することに成功した。TALF制度の拡大と活用によって、今まで、無意識となっていた信用市場(Credit Market)を生き返らせることができたのである。しばらくの間、ストレステストは、連銀で時間をかけて検討することになった。ストレステストの価値に気が付いたのである。

ストーリー3 住宅市場問題

住宅については、新しい計画を作る必要があった。これは、金融危機の犠牲者を救うためのものであった。これは、「計画は、無計画に勝る」と言われた。FDICのSheilaとラリーが手伝ってくれた。我々は、住宅融資の担保となっている抵当権について、資金の借入人が家計が苦しいというだけの理由で、抵当権の所有者を法律的に処理してしまうことはできなかった。住宅の債権が細かく分割されて、複数の抵当証券になっているときは、状況は非常に複雑になっていたのである。細分化された抵当権は、投資家(年金資金、ミューチャルファンド、ヘッジファンド、や銀行にまで)に、バラバラに所有されてしまっていた。こうした法的関係の複雑さが、住宅所有者の救済を困難にしていた。

政府は、TARFから500億ドルを住宅救済に向けようとしたが、800万人の住宅所有者が、抵当権の差し押さえに直面していたからである。これをどう解決するかは、きわめて難しい問題であった。なぜならば、約4分の3の住宅を所有していた家族は、金融大不況中も、ズーットその中に住んでいたからであった。歴史的な不動産価格の崩壊の中で、大半の債権者は、価格の下がり続ける住宅には、ほとんど関心がなかった。 こうした事情の下で、ガイトナー長官は、政府が住宅資金の元本ではなく,毎月の住宅ローンの支払いを減らすことを焦点とすることに決定したのであった。その理由は、大規模な債務の減少について米国議会が許すような具体案を作れる人は、誰もいなかったからである。そのとき、アリゾナ州の住宅供給計画(Home Affordable Modification Program)が発表された。すなわち、自分の住んでいる住宅の月々の抵当権の支払額を、借入人の所得の31%に抑えるという案が出されたのである。連邦政府とFDICの両者は、このやり方は、最小のコストで最大の効果を上げる具体策として、高く評価した。この後、オバマ大統領は、住宅再融資計画(Home Affordable Refinansing Program)を発表したのであった。

このようにして、アリゾナで実行された最も重要な住宅政策のイニシアティブが広く採用された。このため、2,000億ドルの資金がファニーマエとフレディマックに政府から支出されることになった。困難な住宅問題を、うまく安定させたことは、広い意味での米国の住宅市場の安定に大きく役立ったのである。

ストーリー4 AIG問題

残された三つの爆弾が、チクタク、チクタクと時を刻んでいた。一番大変なのはAIGであった。AIGは、Americann Insurance Groupの略称であるが、その状況は、時間とともに悪化していた。AIGは、1兆ドルのバランスシートを持つ、11万5,000人の従業員を抱える堅実な保険業務をやっていた。しかし、その子会社のヘッジファンド(AIGフィナンシャルプロダクト)が、その親元を大きな危機に陥れてしまった。CDOのマージン コールに包囲されていた。そして、格付け会社がドンドン格付けのレートを下げていった。ムーディは、AIGが死に至る格付けにさげてしまった。しかし、米国連銀は、保険会社の監督のためには、何の権限も責任もなかった。そして、AIDが破たんすれば、どんな化け物が出てくるかわからなかった。どこへAIDを売るかという話が出てきたが、まだ決着はついていなかった。

AIGは保険会社で、生命保険、健康、財産、自動車等の保険、アメリカ人の退職後の勘定を持っており、米国の18万の企業(米国労働力の3分の2を雇用)と深いかかわりがあった。もし、AIGが崩壊したら、人々は、保険が最も必要な時に、保険契約が履行できなくなってしまい、契約者は何もなくなってしまう危険があり、とてもできないことであった。AIGの株式は、60%も下落して5ドル以下になってしまっていた。そして、死に至る出血を始めていた。世界中の主な金融機関は、事実上大半が、AIGに対し、債権を持っていたといえる。

AIGが破たんすれば、たちまち、世界中の金融機関に波及することは明白であった。ガイトナー財務長官は、JPモルガンとゴールドマンサックスに依頼して、NY連銀と相談してAIGへの信用供与を交渉するよう指示した。彼らは、それには750億ドルが必要であると答えた。これは、ルビコン川を渡るようなものだが、すでに政府は今まで多くのルビコン川を渡ってきていた。

財務長官として、朝の3時から財務省、連銀との幹部と、AIGのもつ金融システム上の危険を検討した。AIGは、リーマンより大きいだけでなく、デリバチブの取引がもっと複雑にできていた。つまり、AIGは、保険会社といっても、その中で、投資銀行的なことをやっていたのであった。AIGが債務不履行となれば、世界中に多くの恐慌が起こることは確実だった。つまり、第2の世界恐慌になることは明らかであった。

結局、JPモルガンとゴールドマンサックスは、手を引き、連銀だけが確実な担保を提供するしか方法はなかった。AIGは、世界中の130か国で、7,400万人の人々が保険契約を持ち、保険料を支払ってきたのである。AIGは、破産宣告を準備していたが、ガイトナー長官はこれを制止した。AIGを連銀が救済することは、悪い前例とはなるが、最も害の少ない方法であると判断せざるを得なかった。3月2日に、我々は、AIGのため300億ドルをコミットすると発表した。

ストーリー5 計画は無計画に打ち勝つ

2009年3月15日、午後3時から10時までの長時間にわたり、オバマ大統領と十数人の経済と政治のアドバザーが、金融危機の討議をホワイトハウスで行った。大統領は、「早く、バンドエイドをはがして、金融システムを治癒せよ」とみんなを促した。大統領は、日本のやったバブルの処理を連想させるような政策ではだめだという意見だった。これは、日本がやったのは、内容がなくなってしまったゾンビ銀行を生かして、こんな臆病なやり方ではだめだ。スエーデンがやったような銀行を国有化し、景気を回復させよ、というものだった。 大統領は、ラリーサマーズの意見に同情的だった。大統領は「日本のやり方はだめだ」と言い切った。財務長官とその部下は、財務省案を弁護するしかなかった。大統領は、強い感情的な議論を数時間も参加者に自由に述べさせた。財務省としては、ストレス、テストが終わらないうちに、示した案を改定することは出来なかった。そんなことをすれば、かえって市場を混乱させることになると判断した。

主な課題は、鷹1案をとるか、鷹2案をとるかだった。日本型の反論として、スエーデン型をとるべきだという意見が強かった。しかし、スエーデンの専門家は、不況の最初の二年間のうち、スエーデンは、他の政策をとる余裕がなくなってしまったと主張した。そして、スエーデンの銀行は、小さくて、国際的ではないので、そういうことはできないといった。(スエーデンは、金融改革で、民間銀行6行のうち、2行を国有化した。)もし、米国で主要銀行を国有化すれば、今までの莫大な損失は、納税者に大変な負担となるだろうとの意見が強かった。財務省は、真にinsolvent(債務を払う資金を持たない状態)になるかどうかを確認するには、ストレステストが必要であると主張した。

2009年3月30日に、大統領は、TARTローンを追加して、GMとクライスラーの二社を救済すると発表した。大不況は、米国を代表するGMとクライスラーの二社の企業経営まで犯してしまったのである。4月初めに、ロンドンでG20の首脳会議があり、オバマ大統領はガイトナー長官とともに、これに出席した。G20は、金融危機に対処するため、1.1兆ドルの国際的なファイナンスの枠を設定し、その中に、IMFの緊急資金として、5,000億ドルを用意することとなり、オバマ大統領にとっては大変な成功となった。同時に、米国の金融改革の責任者だということで、「ガイトナー!」「ガイトナー!」と、サッカー選手のようにガイトナー長官は声援を受けた。

2009年4月27日、大統領はアメリカの代表的な経済学者やエコノミストを集めて、検討会を持ったが、財務長官はのNY連銀時代の昔の同僚がストレステストの分析作業の大部分をやってくれたが、作業は今まで発生した損失だけでなく、将来の銀行の収入の見通しまで計算していた。これは全く新しいやり方だった。連銀の監督者は、テストの対象となった19のすべてに金融機関の実情を把握していた。しかし発表しなかった。これに対し、ガイトナー長官は、全部国民に発表しなければならないと主張した。長官とラリーは、悪いニュースが出されても、全部透明にすべきだと考えた。ニュースが何もないよりは、悪いことでもニュースのあるほうが良いという意見だった。つまり、事態の実情をハッキリト国民な間に正直に、透明に示さなければ、最終的な国民の理解と協力は得られないと考えたのである。

ストーリー6

米国連銀は反日本的なやり方を採用した。システムに関する書類を強制的にを調べたのである。もう一つのやり方は、強調された普通株式の評価と新しい測定法を導入したのである。そして、連銀は、Tier1普通株式という方法を国際ルールと定めた。いくらの普通株式を銀行が保有しなければならないかが、重要なことであった。最初連銀は、銀行のリスクを勘案した資産の2%を主張したが、それを3%に引き上げた。
4月の後半になって、ようやく財務省も連銀のストレステストの予備的資料を見ることができた。そして、「われわれは、TARPの資源の範囲内で、システムを再資本化できる」と報告した。ちょうど、2か月前に、TARP第二弾として7,500億ドルの資金ができたからである。

ストレステストの対象となった19のうち、9つは資本注入は必要でなく勝者となった。5つは、自力で資本調達が可能だった。しかし、残りの5社は、重大な資本不足があった。 バンクオブアメリカ、GMの子会社GMACがひどかった。ストレステストの中で、19の対象機関に追加損失として、6,000億ドルを当て、危機によって生じた分を4,000億ドル追加した。19機関が1,850億ドルの追加資本が必要だった。バンクオブアメリカが339億ドルを必要とし、ウェルスファーゴーが137億ドル、シティ^が55億ドル、GMACは、115億ドルであった。

次の朝、大統領は、日々の経済のブリーフィングを、世界で最も大きいヘッジファンドであるブリッジウオーター・アソシエーツから受けていた。ストレス・テストを受けた結果の係数とわれわれ(米国財務省)の係数は同じであった。 米国財務省は、仕事を立派にこなしたと報道された。
金融市場は、ストレステストは最終的に信頼できると判断した。そして投資家は喜んで、金融市場を安定させるために必要な新しい普通株式を供給することになった。大統領とガイトナー長官は、ブリッジウオーターの分析を確認した。その積極的な評価と予測は、市場における一般的な合意となったのである。 2009年5月7日、ブリッジウオーター報告「われわれはストレステストに同意する」に、我々は大歓喜であった。

ストーリー7 政府(規制当局)と市場との和解

ブリッジウオーターが作成した表(2009年5月7日の日報)は、次の通りであった。(原文を掲げる)

United States,We Agree.(the table and chart shown below convey the reconciliation)
Two Year Loss Estimate and Capital Needs ($ billion)
Fed Stress TestBridgewater Estimates
Losses Over Next Two Years-600-552
Gross Capital Raises Needed-185-177
Plus Adj for AssetSales and Conventions110110
Net Capital Needs-75-67
% of Banks Needing Capital47%68%
Bridge Waters Daily Observation 05/07/2009

(備考) 以上で、「ストレステスト」(ガイトナー著)の紹介を終わるが、日本のバブルの処理の例を米国財務省が十分に検討して、参考にして,大統領府の中でも大きく議論されていたと述べられている。

(以下は、世界経済土地研究所の感想である。)
私が痛感するのは、日本の現在の不況は、バブルの後遺症がまだ十分に残っていることであり、安倍内閣のアベノミクスが3年たっても一向に成果をみせていないことである。 その原因はいろいろあると思うが、当時の政権がアメリカのオバマ大統領のように、日本国民に対し、経済のすべての面について、隠し立てすることなく、すべてを国民の目の前に明らかに、情報として提供するという民主国家としては最も重要で必要な道徳をないがしろにしてきたことであると思う。日本では、すべてにおいて、情報の透明性(transparency)が保たれていない。

フランスにおける1950年代の土地所有権制度の改革が、日本人の間でほとんど知られずに実行されたことは、偶然とはいえ、きわめて大きなInformation Gap(情報の断絶)が、日本とフランスの間に起こってしまい、時間が過ぎるままに、日本における土地所有権制度の改革可能性を、知らず知らずの間に、なくしてしまったと考えざるを得ない。このまま土地所有権制度が、日本で続いていくならば、日本の中の「土地持ち」と「土地持たず」の二つのグループの国民の格差は、ますます増大し、日本国民は分裂する恐れが出てくるかもしれない。
しかし、今は明治時代ではない。国際化もかなり熟しつつある時代である。問題が起これば、国のトップがすぐに電話で話し合う時代である。相手の事情は、お互いに分かっていなければならない。そうでなければ、外交とか国内行政での協調はうまくいくはずがない。自国の国内事情だけに、注意力を集中してはいけないのである。相手方のことが分からなければ、お互いに建設的な制度を作り上げていくことはできない。これが21世紀の特色である。

私は、米国のワシントンにある世界銀行の本部で、日本政府の理事として、約5年間、その経営に参画し、各種の国際交渉を経験する機会を持ったのであるが、例えば、世銀の理事会では、あらかじめ、案件の内容を100%透明に情報を公開しない場合には、理事会においてすら、議案として討議の対象として取り上げてもらえなかったという厳しいルールを味わってきた。これは厳しい思い出として今でも残っている。これは素晴らしい国際的な法哲学であると思う。日本のお手本であった、フランスの事情をよく吟味して、日本の制度を比較、反省しなければならない。これは、ヨーロッパから遅れて近代化し、諸制度を学び導入した日本の宿命ともいえる。
しかし、これは国際的な問題だけでなく、土地制度という内政問題においても、あてはまるのである。今後の日本の経済や財政、金融問題には、こうした国民に対する情報の透明性と先進国の制度に対する歴史的な吟味が絶対に必要であることを、この際強調しておかなければならない。

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