慰安婦問題の謝罪(2017.6.22)

6月22日付の日経新聞は、韓国の文在寅(ムン ジェイン)大統領が、ワシントン・ポストのインタービューで、「従軍慰安婦問題の核心は、法的責任と、公式謝罪を日本側が認めることだ」と述べたと報道している。

日韓合意は、ア 安倍首相の心からのお詫びと反省を表明したこと、イ 慰安婦の支援団体に日本政府が10億円を拠出したこと、ウ 最終的、不可逆的な解決を盛ったものとなっている。

2015年以来、文大統領は、日本の法的責任と謝罪を明確にする「新しい交渉が必要である」としている。しかし文大統領は、歴史問題への対応と、安全保障や経済協力の問題を分離する方向をとろうとしている。また康京和外相は、「韓国国民の大多数と元慰安婦が受け入れられない現状」を、強調している。

(公式謝罪は必要か?)

日本と韓国との長期にわたる深いギャップは、戦争への公式謝罪を怠ってきた、日本のリーダたちの、敗戦への対応に関する無神経さがあったのではないだろうか。これが韓国と日本の双方の国民の間の、大きな心のギャップ作ってきたのである。こうした謝罪は、ドイツが欧州で実行したように、戦後いち早く、日本側からイニシアチブをとり、真剣に話し合い、実行すべきではなかったのだろうか?明治以降の急速な日本の発展と、度重なる戦争経験ドサクサにまぎれて、両国間の重要な謝罪を、日本人や日本政府は軽く考えすぎたのではなかろうか?

昔から、宗教人の言葉は、優れた哲学や思想に裏付けされているが、特に二国間で、戦争等の大きな衝突があった時には、当事国の国民自体が興奮してしまっているので、たとい話し合いをしても、反省しあうことは難しい。宗教的観点から言うと、心の澄んだ人の言うことは、聞こえるけれど、心の澄まない人(政治家、実業家、軍人等)の言うことは、聞くほうが、心から納得することは難しいといわれている。

日本は、やはり対戦した相手国に対して、みづからの行為を反省し、さんげして心を改めることを実行しなければ、いくら政治的な交渉をして経済的に謝罪したとしても、相手の心を納得させることはできない。本当に日本人の心の底からの謝罪がなければ、相手側から受け入れてもらうことはできないのではないだろうか?

これは韓国に限らず、他のアジア諸国や、中国に対しても、まったく同様でないかと思う。経済や金銭問題のみならず、心の問題は、日本にとっても、これらの国々にとっても、目には見えないが非常に大きい。やはり、ドイツが行ったように、相手国への戦争直後の公式的な謝罪を実行すべきではなかったか。これがなければ,両者の心が、スッキリと晴れ、和解しあうことはできない。だから、これは、今から実行しても遅くはないと思う。グローバル経済の時代に入ってしまった世界は、それぞれの国々が、丸い心でつながりあって、先長く楽しんで、通って行かなければならない。そのためには、公式謝罪は、欠かせない道ではないだろうか?

(日本人に対する恨みと公式謝罪の必要性)

1985年ごろ、韓国のソールで、世銀とIMFの年次総会が行われた。当時私は世銀の理事で、Dean(筆頭理事)を兼ねていたので、同僚の各国理事とソール市に5−6泊して、韓国内で理事の仕事をやったことがある。強い印象となって、私の記憶に残っている。
韓国で初めて行われた年次総会なので、韓国全土を上げての歓迎ムードに包まれて行われた。私は、毎朝散歩する習慣があったので、ワシントンと同じように、ホテルの周辺の散歩を終えて、ホテルへ帰ろうとしたが、はじめての土地なので、初歩的な地理がわからず、やむを得ず、市街地の循環バスに乗ってしまった。しかし、実は私は韓国語は全く知らなかったので、泊まっているホテルの名前を英語や日本語で話しても、運転手はおろか、バスの乗客も全く私の言うことがわからなかったらしい。運転手が気を利かして、警察署の前で私を下してくれたので、タクシーを捕まえて、方々を回りながらやっとのことで自分の泊まっているホテルへたどりついた。日本のすぐ近くに、日本語の全く理解できない国民がたくさんいることにビックリ仰天した。それ以来私は、韓国語を学び始めたが、なかなか上手にはならない。

次に、私たちは、韓国側が用意したセミナーとか、説明会に参加し、経済人との懇談会等にも参加したが、いろいろな韓国人との対話では、30数年間にわたる日本の植民地統治の悪口を、うんざりするほどたくさん聞かされてしまった。植民地時代の韓国人の苦しい、つらい思い出話等であった。苦痛と屈辱が吐き出されてくるので、一つ、一つ手帳に記録したところ、5−6日の間で、30回以上にわたり、韓国人に対する日本人の非道な植民地政策の犠牲が記録された。よほど、腹に据えかねていたのであろう。私は、日本へ帰国後、もと京城(ソールの旧名)で、家族で生活したことのある老婆に尋ねたところ、太平洋戦争以前の、日本人の強圧的な支配は、1985年よりも、ずっと厳しいつらいものであったと、具体的な話をしてくれた。日本の植民地支配そのものが、いかに強権的で強引なものであったかを教えてくれた。

戦争というものは、こうした国際的な緊張を伴い、植民地となった国の人身やプライドを著しく傷つけてきた。これは、植民地を支配する国の側の理解をはるかに超える非道なものである。従って,いったんこうした支配と被支配の関係に入ってしまった両国が、正常なノーマルな情況に戻るためには、関係を気づいた時間の何倍もの時間を要することになる。そして、その間は国際的な調和が乱れることになる。こうした罪を一旦犯してしまった日本は、被支配国の立場に立って、謙虚に反省し、自己改革を行わなければならない。そして、円満で協力的な二国間関係を築くためには、日本の指導者の公式謝罪が必要なのではなかろうか?
こうした、哲学的、宗教的な裏付けが、米国のオバマ大統領の広島訪問にもつながっているのではなかろうか。

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