日本経済のデフレ症状 1(民主党政権の新政策)(2010.2.1)

1 2009年11月20日に発表された鳩山内閣の月例経済報告で、日本経済は、物価が持続的に下落する「緩やかなデフレ状況にある」と正式に表明した。政府が月例報告で、デフレと認定したのは,2006年6月以来のことである。

デフレと判断した理由について、菅副総理は次の三点をあげている。

ア 消費者物価指数の下落が続いている。
イ 名目成長率が2四半期連続で実質を下回った。
ウ 需要から潜在的な供給力を差し引いた『需給ギャップ」のマイナスが拡大し、年40兆円程度の大幅な需要不足に陥っている。

2 12月25日には、政府は閣議で、2010年度予算案を諮り、予算全体の規模を示した。一般会計総額は、09年度当初予算比約4%増の約92兆円とした。そして新規国債の発行額は、約44兆円に押さえ、税収は約37兆円に低下するため、いわゆる「埋蔵金」などの税外収入で、約10兆円を確保するという骨格となっている。
歳出の内容としては、子供手当てや高校の無償化、社会保障の充実など、民主党のマニフェスト項目を中心に組み立てている。国民の期待を、できるだけ裏切りたくないという思いは感じられる。しかし、あまりにも形式的にマニフェストにこだわり続けるのは、いかがなものかという感じがする。

3 年末の12月30日になって、前触れもなくピヨンと飛び出してきたのが、鳩山内閣の新成長戦略の基本方針「輝きのある日本へ」であった。
環境、健康,観光などの産業をけん引役として、「2020年までの平均で名目3%、実質2%を上回る成長」,[失業率3%]および「2020年度の名目国民総生産(GDP)の目標を650兆円程度」と掲げた。2010年6月までにこの工程表を作成するという。

以上述べた事が、9月中旬に鳩山内閣が発足して以来、経済情勢と経済、財政政策に関する4ヶ月間の重要項目であった。しかし、こうした情勢分析や予算や成長戦略が,そこに謳い上げたような立派な目的を達成できるかどうかは全く予断を許さないものがある。以上の三つの主要項目について、新聞やテレビ等でいろいろと論じられているが、世界経済土地研究所としては、これをどう考え、評価するかを以下に述べる。

4 デフレについて

菅副総理の説明のとおり、日本の経済は再びデフレ局面に入ったのかも知れない。しかし、それは『大変だ。政府だけの能力では回避できない。」ということで、まず国民に発表し、日銀に援軍を求めたという解釈を取りたい。財源が乏しく、政府の財政政策には限界があるからだ。しかし、日銀としては長期の大不況で、既に打つ手は全てうっており、残された政策手段は殆どないというのが本音だろう。

日本の政策当局の、デフレ終了宣言とか、景気判断というのは過去の経験に照らして判断すると、そんなに深い確固たる根拠があったとは思えない。景気がよくなるといっても悪くなってみたリ、デフレが終わったといっても物価が下がってみたり、グローバル経済になってからは、日本の外部からの影響もあるので、日本の政策当局だけではどうにもならない面もあり、責任逃れ的な発言になる場合もある。

世界経済土地研究所は、バブルの崩壊以来、土地投機の反動として起こる膨大な地価の下落額のため、有効需要を減少させるマイナス・エネルギーに覆い尽くされてしまった日本経済は、時期によって程度の差はあるものの、一貫して、物価の下落、経済規模の収縮というデフレ経済を続けてきたと解釈している。

たまたま今回は、2008年9月のリーマン・ショック後の米国発の金融不況が、欧米を中心として深刻化したので、その余波が日本のデフレを加速させたことは認めるが、日本経済の受けた影響は、米国や欧州と比べて非常に傷の浅いものであった。日本経済が最も深刻なデフレ圧力の傷を負ったのは、国内での土地バブルが崩壊(平成3年)したことによるものであると考える。
それよりも、一番日本にとって深刻なことは、地価下落のデフレ圧力が、いったい何時になったら収まるか、そしてどのような政策を採れば日本経済に内在するデフレ構造を速やかに改革することが出来るか、まだ論議すらされていないことである。これは誠に情け無いことである。

5 平成22(2010)年度予算案について

民主党がはじめて総選挙で勝利し、社民党、国民新党と連立政権を作り、初めての予算編成を経験したことになる。初めてのことなので、準備不足で不慣れなため、多少の間違いや失敗は、国民の方でも寛大に受け止める必要があると思う。何事でも、今までやってきたことを大きく進路を変えるということは、そう簡単で楽なことではない。政権も国民も、当分の間は試行錯誤を覚悟しなければならないだろう。

ア 政治家の登用もほどほどに

[政治主導」ということを、民主党は事毎に主張する。まるで、『政治家であらざれば、人にあらず」といわんばかりの自尊心で、主権者である国民の中には、吐き気を催す人も多いと思う。選挙に勝ったということは、選ばれた政治家たちを国民が100%信頼して、全ての物事を任せたということではない。仕方が無いから選んだというに過ぎない面もある。

解散時の政治的状況の下では、その候補者が他の候補者よりもベターと思って一応選んだに過ぎない。選ばれた人は、国民から選ばれた選良と思っているかも知れないが、国民の方では、自分たちのための公僕だと思っているのである。新しく改革したり、改める点もあろうが、やはり今までの日本の歴史の中で、尊重すべき貴重なものがあれば、それをブチ壊してはならない。国民は民主党にそんなことまで任せてしまったわけではない。官僚たたきもほどほどにすべきである。世の中には悪い官僚もいればよい官僚もいる、政治家とて同じことである。

選挙に出て当選したということは、人に訴えたり、演説するのが巧みで、票集めがうまかっただけのことである。選ばれた人の考え方が全て正しく、選挙民から信頼されているわけではない。役所の中に副大臣や政務官を多数送り込んだので、それで物事がよくなるということにはならない。たまたま選挙に勝ったからといって、既存の官庁組織や良き公務員の伝統をズタズタに破壊することは、いずれ民主党にハネカエってくるだろう。世に中には、悪い公務員もおれば良い公務員もおり、悪い習慣もあれば良い習慣もある。民主党はどれが良いかどれが悪いかについて、偏りのない公正な見方で臨むべきである。

イ 事業仕分けと専門性の尊重

従来、各省庁と財務省との間で予算要求や、説明、交渉、査定、閣僚折衝などが行なわれてきたが、今回民主党は、予算編成に『事業仕分け」なる作業過程を導入した。これは、与党議員が中心となって行なったが、与党でも参加できなかった党も在る。
一番の問題は、国会議員がいかにもわかった風に、深い知識や経験がなければ判断できない予算の特殊分野(例えば、スーパーコムピュータ)にまで、『国民の目線」といって素人的な干渉を行なったことであり、これは国会議員の職責を誤解しているのではないかと思う。 最近の科学技術や、先端技術について充分な知識や経験の無い政治家が口を出すことは判断を誤らせる可能性がある。民主党は事業仕分けについて、もっと専門家を重視した謙虚なやりかたに改める必要がある。

ウ マニフェストの取り扱い

マニフェストは、選挙公約だから,一旦民主党のマニフェストに書かれた以上,実行しなければならないという強い思いが、民主党の幹部には多いように思はれる。マニフェストは、あくまでも政権に付いたら、こうしたことをやりたいという、政党の選挙前の政策宣言に過ぎない。しかし、実際に選挙に勝ち、政権についてみれば、当然いろいろな予想外の事情に遭遇するので、実際には実行できるものもあるし、実行できないものもあるだろう。

マニフェストという言葉は、英国から由来しているが、政党の一方的な政策宣言文であって、一種の広告宣伝にすぎない。これを掲げて選挙で勝ったからといって、「これは民主党と国民との契約であって破ることはできない」などということはありえないように思う。 マニフェストは、一応の公約であるとは思うが、政権をとった後の事情がわからない段階で、国民と契約などできることではない。実際に政権に付けば、おのづから考え方も現実的に変わってくるのは当然である。

やはり、現実の国民の生活や、以前の政権が推進してきた事柄の経緯や事情に充分注意を払い、長い目で見た国益を充分に考えて、マニフェストを柔軟に取り扱うことも与党となった民主党には必要なのではなかろうか。政権は交代したかもしれないが、国民の事情は何も変わっていないのである。(八ツ場ダムの例)政党本位でなく、国民本位に考えるべきである。

6 経済政策の三つの試金石

結局、新内閣にとって大きな問題が三つ試金石となっているようだ。
一つ目は、10年以上も続いてきた、日本経済の本当のデフレ原因が、いまだに解明されていないこと、つまり将来の日本経済が全く見えていないこと。
二つ目は、やっと税外収入の財源(約10兆円)を見出して92兆円の歳出予算を組んだことは良いが、今後このような税外の財源を今までのように発見することは、非常に困難であり、増税無しにはこうした大型の歳出予算を組むことは今後できないのではないか(持続可能性が無い)と疑われていることである。
そして三つ目には、新成長戦略の目標値として,2020年までに名目成長率3%、実質成長率2%を掲げた上で、2020年度の名目国民総生産(GDP)の目標値を650兆円と設定し,発表したことである。しかし、これは、目標となる数値を掲げただけで、中身が全く不明である。具体的にどのような施策や政策を実行するか、その具体的メニューが全く発表されていない。つまり、実現可能性が裏づけられておらず、下手をすると、絵に書いた餅になる可能性が充分に在る。

以上、大きな試金石を三つ提起したが、一国の経済政策というのは、目標を文章や数字で表現するのは簡単であるが、これを、実際に実行するのは、並大抵の努力では出来ないことである。

この三つの試金石は、相互に根深く絡み合っており、一つの問題だといっても過言ではない。その一つの問題とは「日本経済のデフレ症状」のことである。デフレ経済であるために、安定成長ができなくなっており、また低いゼロ成長状態にあるため、税収入が落ち込み、積極的な財政政策が採用できず,国債も毎年累積していくのである。
つまり、三つの試金石を解決するということは、日本経済の基本的な構造を、「デフレ圧力とデフレ経済」から「安定成長路線と財政改革」に、転換しなければならないということである。そのためには、具体的にどのような構造改革を日本が必要とするかについて、探求していかなければならない。

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