心の味わい

毎度お引き立て頂き誠にありがとうございます。禅味会も三十数店舗を数え
各地で御愛顧頂いておりますが、これも偏に皆々様のお陰によるものと心から
感謝申し上げます。
そばは、もっとも日本的な食べ物の代表ともいえます。それだけに本物のそば
打ちはむずかしく、年数もかかるものなのです。
『こね五年 包丁二年 のし三年 味つけ五年 みなで十五年』等とことわざ
にもいわれております。
私達は本物のそばを追求して、そば打ちに始まりそば打ちに終わることを人生の
楽しみにしているものばかりです。
どんなに豊かな時代であっても心で打ち心で味わうそばでありたいと願って『禅味会』
を大切にしています。心をつくし、感謝の心をこめて少しでも皆さまによろこんで
頂けますよう創意工夫をこらし日々努力してまいりました。お陰様でお客様から
『手打ちそば』ならこの店でといわれるようになりました感激でいっぱいです。
今後ともよろしくお引き立ての程御願い申し上げます。

禅味会店主




“蕎麦屋の酒”について

「上酒」(じょうしゅ)

座敷を設けてそば屋で酒を出すようになったのは寛政(十八世紀末)頃からと思われる>
江戸時代にはお品書きに上酒と記しておくのが通例であった。
格式ある「そば屋」と「うなぎ屋」の酒は上物であると言われる。蕎麦屋自身は注文を
奥へ通す時には御酒一本と言う、客自身は酒と言っても差し支えないが業者が「さけ」を
嫌うのは、言葉がきれいに聞こえないのと「避け」「裂け」に通じるという縁起担ぎから
である。江戸時代(明和五年頃)そば十八文の時酒一合四十文であった。酒の値段は
一升八十文、百文、百四十八文、二百四十八文の各種に分かれていた。
そば屋の酒は一合二十五文の酒に何かつまみをつけて四十文としたのであろう。これから
みても、そば屋の酒は上物を使っていたことがわかる。また「半」と言う徳利(五勺)もあった
現在の名残りを伝えるお座敷そば屋は、全国にも少ないのが残念に思う。



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