最近やたらと言い間違いをする人を見る。誰にだってミスはあるのだが、アナウンサーなどその道のプロまでがやっている。
別に揚げ足を取って得意になるつもりはない。自分もしょっちゅうミスっているのだ。
ただこの手の話は、退屈な日々にちょっとだけ笑いをもたらしてくれる貴重な出来事として私は重宝しているのである。
その10 おとこ三昧 2002 09 28
友人が都内某所にて見た看板。
「●山●子(仮) おとこ三昧」
ほおおおお〜「おとこざんまい」とはすごいなあ〜、と思ってよく見ると
「おこと 三味」
つまり「お琴」と「しゃみせん」の教室だったと言う・・・。
これは言い間違いじゃなくて読み間違いなんですが、別の場所で私の妻も同じ思いをしたことがあるそうです。
「おとこ教室」
な、何を教えるんだ・・・と思って見直すと、お琴の教室。ちなみにそっちの師匠は始めの例と違って、ややこしくて男だか女だかわからない名前だったとか。
その9オマケ 最近の言い間違い 2002 09 27
と言っても私のではなくて私が目にしたもの。
8月末のテレビ番組で、家電製品から出る人体に有害な電磁波について
「これを浴びた子供たちは白血病になりたい傾向があるようです」
その9 ザとジ(私の独り言) 2002 09 27
昔アニメ版のウルトラ○ンがあった。
タイトルは「ザ・ウルト○マン」。
で、中学生だったか子供から問い合わせがあったと言う。
「どうして『ジ・ウルト○マン』じゃないんですか?」
よく言った。
英語の「THE」は、あとに続く単語が母音で始まるか子音で始まるかで発音が違う。中学でも習う基礎的な法則である。「ウルトラ○ン」は母音で始まるので、つっこみ入れた中坊は正しいのである。
私が学生時代、まだPCもなくビデオも出始めだった頃、オーディオがけっこうブームだった。それ関係の雑誌もたくさんあった。その中に年間最優秀賞みたいなのを決めるのがあって、そこではちゃんと「〜オヴ・ジ・イヤー」と書かれていた。
しかし水は低きに流れるもの。いつの間にか世の中は「ザ・イヤー」「ザ・イヤー」の連発である。「カー・オ○・ザ・イヤー」なんてその最たるモノだ。
「YEAR」は母音で始まるから「ザ」じゃなくて「ジ」である。いや、そのはずである。あるがこうも世の中が「ザ・イヤー」「ザ・イヤー」だと不安になる。もしかしたら自分はものすごく当たり前のことを勘違いしていて、実は「ザ・イヤー」が正しいのではあるまいか。知らぬ間に国際的な会議でもあって、数年前からそういうことに決まったのではあるまいか(んなバカな)。そんな思いすら脳裏をよぎる。
日本人には発音しにくい音がある。
「RA RI RU RE RO」と「LA LI LU LE LO」。
どちらもカタカナで書くと「ラリルレロ」であるが、舌を巻き込んで言う「R」でこれをうまく言える日本人は英語かそれに類する言語の訓練を受けた者以外いないだろう。かく言う私もダメである。
それは違う、ローマ字の「RA RI RU RE RO」は日本式の発音でいいのだ、と言う向きもあろうが、私はどうも好きでない。日本人の発音に近いのは「L」なのだから(正確に同じというわけではないが、より近い方を取るのが理にかなっていると思う)Lで綴ればいいと思う(本田○一氏あたりが激怒しそうだが)。
私は全然バイリン人間ではないので、RとLの発音違いなどままならない。
だから手に余るものは扱わない。蛇足であるがその昔アシスタント中、某トラジマUFO娘のシャツの胸にL始まりで名前を記したのは私である。大元にはそういう魂胆があった。
R始まりで「○ム」って言う日本人はほとんどいまい。言えない名前は意味ないと思った。
話が少し横道に逸れたが、ザとジも同じ思いを抱く。
ザとジはいずれも、RとLのように発音困難なものではない。舌を使って「THE」を正しく発音するのは少しストレスがあるかもしれないが、それならそもそも「ザ」自体使えなくなる。そこんとこは大目に見て「ザ」と言うのだから「ジ」だって言っても無理はない。義務教育で習う初歩の初歩であって、すごく頭がいいとか境遇に恵まれた一部の人間以外習得できない特殊なシロモノではないのである。
にもかかわらず「ザ・イヤー」「ザ・イヤー」。
その程度の使い分けもできないのならいっそ使うな。かっこつけて横文字にすな。と思うのは私だけではないと思うがまあ少数派なのだろう(年間最優秀賞、でいいじゃんか)。
いや、人口に膾炙して商品が売れるのが最優先なんだから、テレビCMとかそれでいいんですよ、という声が聞こえてくる。
うんざりである。
崩壊著しい○会主義も好きではないが、ひたすら低きに流れる○本主義の、こういうところは大嫌いだ。
そんなこと言ってるからおまえはいつまでたっても貧乏なんだとまた声が聞こえてくるが、知ってる知ってるって(笑)。
ところで「ジ・ア○フィー」なんてグループもあったなあ。
追伸 この「イヤー」について最近お客様から新たなご指摘をいただいた。くわしくはその13を。
その8 翻訳ソフト 2002 09 14
妻がファンのハリウッドスターに手紙を書いている。あて先はかのベニチオ・デル・トロである(私もファンだ)。
「はじめまして、ミスター・デル・トロ」
クリック。英文が表示される。
「How do you do,Mr.Dell Fatty tuna」
・・・・・・・・。
使用ソフトは『裸の○様(仮)』。まあどれ使っても似たようなものだが。
その7 世代のギャップ 2002 09 05
横文字カタカナ言葉をしゃべっていて、どうにも歳の差を感じることがある。
小さな「ィ」や「ェ」「ァ」その他の発音である。
私は昭和34年(1959年)の生まれであるが、我々の世代は発音する。それがもう数歳上になると、あやふやになってくる。今の50代くらいからもう危ない。
例を上げよう。
「ボディガード」
を
「ぼでーがーど」
と発音するあれである。
「CD」を「しーでー」
「DVD」を「でーぶいでー」
けっこう若作りのおっさんが、しゃべりだしたとたんに
「『ですくアットワンス』による『データしーでー』の作成は・・・」
などと言い出して、あ、見かけより随分御歳だったのね、と思うことが良くある(「机アットワンス」???)。
これはなんであろうか。小さな「ィ」とかを発音できないのか。できるが気取った言い方に聞こえるのであえて平べったく発音しているのか、もっと踏み込んで名誉ある日本男児がそのような敵性言語の発音ができるかなどと昔かたぎの信念を持ってしゃべっているのか。
いや、そもそも本人に、自分が妙な(現代の日本人の発音とはズレた)言い方をしてるという自覚があるのかないのか(本人はちゃんと言ってるつもりの場合もあるかも)不明である。
かく言う私は完璧かと言うとさにあらず。一点だけいい加減なものがある(他にもあるかも知れないが、ぱっと浮かぶのがこれ)。
「フィルム」
である。
「ふぃるむ」と言う時もあるし「ふいるむ」と言うときもある。
これはおそらく子供の頃身の回りの大人たちが(カメラ屋の店員含む)「フィルム」のことを「ふいるむ」「ふいるむ」と言っているのを聞いて、そのまま
「ごめんください『ふいるむ』ください」
などと言うのがインプリンティングされて、その設定が残っているせいがある。あと、年配の店員などとしゃべっていて、相手が「ふいるむ」と言っているそばから、こちらが「ふぃるむ」と発音すると、何かあてつけがましく感じられるかもと日本人的発想で、調子を合わせていることもある。
ちなみにその小さな文字が発音できない世代の人々は「フイルム」以外も同様に開いて発音することが多い。
「ふいっとねす」
という具合。まさか「ふいらでるふいあ」とは言わないと思うが。
「ふい」と開かない場合は「ひ」になるようだ(例「さたでーないとひーばー」「ひーどばっく」etc・・・)。
そう言えば一つ、こうしてHPの記事を打ちながらむらむらと沸き起こってくる疑問がある。キーボードの斜め前方にワ○ムのタブレットが置いてある。商品名は
「インテュオス2」
おじさまおばさま方は、いったいなんと発音するのであろうか(ニュースの「にゅー」が言えるから平気?)???
補足
待てよ。『ゴ○ゴ13』の名前「デューク○郷」があるから、それくらい言えるか!!
その6 困った記憶 2002 08 29
子供の頃うっかり間違って覚えてしまった言葉、ありませんか?
私はあります。
妻は「赤裸々(せきらら)」を小さい頃「あからら」と読んでいたという。なんか響きが楽しいので、今では私も愛用していて、妻とふたりの時はすっかり「せきらら」を「あからら」と言うようになってしまった。知らない人が聞いたらバカだと思うに違いない。
私の恥ずかしい覚え間違いは
「造詣(ぞうけい)」
○○についてくわしい、ということを「造詣が深い」とか言うあれである。
本の虫だった私は随分幼い頃に覚えたのだが、これを「ぞうし」と読んでいた。なぜって「鮨(すし)」という字に「詣(けい)」の字が似ていたからだ。右半分が同じである。きっと同じ読み方だ、と子供だった私は思ったらしい。
大きくなって間違いに気づいたが、寝不足だったりして脳みそがセイフモード起動状態になったりしてると、ふっと修正前のデータが顔を出すことがあった。十数年前、ある雑誌のインタビューを受けている最中、仕事途中で抜け出して半分うたたね状態でしゃっべていて、うっかり
「ぞうしが深い」
と言ってしまった。テープ起こしの人はなんと思っただろう?まあその部分は掲載されなかったけど、いい恥かいたもんである。
「ああ、いい恥かいたー♪」
などと笑いながらシャワーを浴びて・・・そんなことはない。
その5 みのうえ 2002 08 27
昔私がある漫画家の所でアシスタントをしていた頃(つまり20年近く昔)、ビートたけしのオールナイトにっぽんと言う(だっけか?)深夜放送があった。
読者からこんな芸能人がこんなおかしな事を言っていた、という投稿ハガキの中で、最近もテレビCMなどでおなじみの有名元プロボクサーが
「自分はこれが身上(しんじょう)です」
と言うべきところ
「自分はこれがみのうえです」
と言っっていた、と。念のためにまた前回同様『新明解』から引用するとここで言う「身上(しんじょう)」とは「その人の最大の存在価値」のことである。「身の上」とは明らかに違う意味である。
それを読んでたけし(敬称略)が笑い
「嘘だよー、いくらあの人でもそんなこと言わないよ、これは作りだ」
みたいな事を言って否定した。まあそうかもなーと聞き流そうとしたところ、黙ってペンを走らせていた師匠ががばと顔を上げ
「いや!」
と言った。
「おれはそれ聞いた。確かにそない言うたんや」
その4 英語 1 2002 08 27
和製英語という奴がある。
古来より日本人は外来文化を取り込んで使いやすいように改変する名人(?)だったようだが、外国語、特に英語もその対象である。
テレビのCMなど、英語抜きのものを探す方が大変かもしれない。
それはともかく、私がどうにもいらつく単語。それは
「シミュレーション」
である。英語で書くとsimulation。三省堂の『新明解国語辞典』によると
「(実験不可能な物事について)模型や数式を用いることにより、現実に起こり得るのとそっくりの状況を設定して試行を重ねること」
となっている。ちなみに
「シミュレーター」
は
「航空機などの操縦の訓練を行うための、実物同様の装置」
である。
これがまあわが日本人の手にかかる、いや口にかかると、想像以上の確率で
「シュミレーター」
と発音される。テレビでもラジオでも実生活でも、聞くこと聞くこと。いわく
「シュミレーション・ゲーム」
「シュミレーション戦記」
「フライト・シュミレーター」
等等。
ねえよ!そんな単語!
「状況」を表すsituation「シチュエイション」を「シュチエイション」と言う人は見ないが、「シミュレーション」は間違われやすい。お笑い芸人でもないレポーターが、まじめなドキュメンタリー番組で堂々としゃべっている。あまりに確信に満ちて発言されるので、思わず自分の記憶が間違っているのかと辞書を引き直すことすらあったほどだ。
そんな細かい事にこだわらなくても、とおっしゃる方もおいでだろうが(実はもっと細かいことにもこだわるのだが、それはまた後日改めて 笑)これから単語を覚えようとしている小さな子供などが耳にすると、間違った刷り込みが行われてしまう。PCのアプリと違って、人間は一度深く刻み込まれた記憶を、そう簡単に削除変更できないのである。いたいけな子供たちに余計な手間をかけさせてはいけないと思うのだが。
特にギャグとしてわかった上で使うのならともかく、通常の会話においては、正確な表現を心がけたいと思うのである。
ただこれには補足がある。
人間は自分に使いやすいように物事を加工する生き物である。
一般的日本人にとって「しみゅれーしょん」と言うよりも「しゅみれーしょん」と言うのが言いやすいのだ、と言う方もおいでと思う。
大淵幸治という人の『「京ことば」の人間関係学』(祥伝社)という本に、京都の人はそういう傾向が強く、例えば接着剤の「セメダイン」のことを「セメンダイ」と中学高校の頃まで(その人は)言っていたとの記述がある。
しゅみれーしょんもその一種と言えない事もない。
が私は嫌だ。
これはいい悪いや正しい間違いではもはやなく(いや、間違いは間違いだが)私の趣味の問題である。
「コミュニケーション(comunication)」を「コミニュケーション」とか、ああ、お願いだから言わないで。言えない単語は使わないで。
この話、続きはまた改めて。
その3 つい勢いで 2002 08 27
だったのだと思う。
たまに通りかかる小田急線H駅の近くの洋品屋さん。
貼り紙に
「紳士 丁シャツ」
って書いてあるのだ(無論手書き)。「しんし ちょうしゃつ」?
一瞬なんのことかと思ったが、そうか、これは「Tシャツ」か。
おそらくおじさんかおばさんの店主が、マジックで紙に書いてるうち、ついいつものクセで字の終わりをハネてしまったのだ。漢字のように。
もしもし、そこはハネんでよろしい。
アルファベットだから。
忠告しに行くかというと無論行かない。こんな楽しい貼り紙がなくなったらつまんないではないですか。
補足
この貼り紙は「丁(てい)シャツ」と読むのでは?という書き込みをBBSにいただきました(伊織さま)。
すばらしい!
お店の人のとんちかな?
その2 国語教育 2002 08 26
こういう問題を語る際に決まって言われるのが「国語教育の乱れ」というやつである。親の参観日に教師の壊れた言動を見て仰天したという話も良く聞く。
しかしこれは最近に始まったことではないらしいのだ。
私より年上の友人が耳にした例では、中学時代、国語教師が「雑木林(ぞうきばやし)」を「ざつもくりん」と読んでいたそうである。
日本語の崩壊は深く静かに進行していたのだ。
その2 追伸 できたてのほやほや
仕事しようと机につきかけたら、某○BSテレビのN×3ニュースのアナウンサーが
「多摩川に現れたゴマヒゲアザラシが・・・」
おいおい。
ゴマフアザラシってのはいるけどゴマヒゲっているのか?「たまちゃん」は確かアゴヒゲアザラシでは???
まあ、昔友人が見たという某○チャンネルの「旧中山道(きゅうなかせんどう)」を「いちにちじゅうやまみち」と読んだアナウンサーよりはマシだが(と言うか、おそらく今日のはアナウンサーのミスではなくて渡す原稿を書いた奴のミスではないか)ネタにことかかない今日この頃である。
その1 あるお天気コーナーで 2002 08 25
私が見聞きした公共の電波に乗った最もインパクトのある言い間違いは、何年か前のお天気コーナーであった。
それは女性のスタッフが今日の天気を解説していた場面。
「全国的に春の嵐が吹き荒れるでしょう」
と言うべきところ。そのお嬢さんは何をとち狂ったか
「全国的に『愛の嵐』が吹き荒れるでしょう」
とのたまった。徹夜で執筆していた私は一瞬わが耳を疑い、筆の動きが止まってしまった。チャンネルを見ると、記憶違いでなければまごうことなき国営放送。
「ほおおおお〜!!」
世の中もくだけてきたとは思っていたがついにここまで来たか。
「愛の嵐」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべられるであろう?
何人かの方は、昼の連続ドラマであろう。しかし私にとっては今を去ること20年近く昔(いや、もっとか?)公開された洋画である。ナチの将校の帽子をかぶった乙女が裸の上半身にサスペンダーのパンツスタイルで踊るという、当時としては随分センセーショナルなエピソードがあった。近年裸にサスペンダーというと某アニメを若い方は連想されるだろうが、私の世代にとってはこっちなのである。
そんな妖しい嵐が全国的に吹き荒れてくれては、この国はいったいどうなってしまうのか。
そのお天気コーナーをいっしょに見ていた妻の記憶では、なんとも言えない沈黙がスタジオを支配したという。そして画面は次のことへと移っていき、やがて番組の終わりの方で先ほどの女性スタッフが現れ、一生懸命笑いをかみ殺しながらいい間違いを謝っていた。
芸能レポーターの「不幸のズンドコ」発言など、ささいな失敗は目にするが、これに勝る楽しいミスは、その後お目にかかっていない。