「大学及高等専門学校卒業生早婚の国家的重要性」その2で82万おまけ
「兵器生活25年」で、アクセスカウンターの数字が82万を超える。
読者諸氏のご愛顧に感謝の言葉を述べる代わりに、この記事をお納め下さい、と殊勝に行きたいのだけど、前回から紹介している「大学及高等専門学校卒業生早婚の国家的重要性」(西野入徳、早稲田大学出版部)が終わっていない。この論文、日本人が、大東亜の盟主として地域の指導者となる前提を持つ。その上での「指導階級の質と量」の考察・提言で、かつ昔の文章でもあるから、差別的な記述は避けられないのだ。その「危なさ」をネタとして消費しようと云うのだから、我ながら業が深い。と云うわけで、あらかじめお詫び申し上げておく。
前回は、歴史の中での国家・民族の盛衰に、「指導階級の質と量」が関わっている事を述べ、指導階級=大学・高等専門学校卒業者(と云う決めつけもドーかと思わぬでもない)が、これから―昭和18、19年当時―の日本に求められるかを、産業別に算定、毎年「二十万六千人」の新卒者が必要との結論が述べられている事を紹介した。今回は。その続き「三、我邦高等教育適格者概数」を紹介していく。前回は、論文全体を一回で紹介するツモリで書き出した関係で、要約・省略を多くしたが、案外と手間がかかり、毎月の更新が危うい事実に直面したため、敢えてこの部分だけとし、文字数も多くないので、例のタテヨコ変換をして載せる。
三、我邦高等教育適格者概数
上述の如く 年々二十万六千人の高等学府卒業生を必要とする我邦は、大学高専の過程を満足に履修し、よく指導者としての重責を果たす丈の性能を 生まれながらにして遺伝的に具備する若人を果たして幾人有するか?
是は全国青少年に対する能力試験の結果を見れば直ぐに分明するが、私の手元に該資料がない。依て第一次世界大戦当時米国が全米壮丁に実施せる 能力試験の結果を参酌して日本青年の性能を推定して見た。此米国壮丁性能試験によれば、全壮丁の四%はA級(上の上)、八%はB級(上)、一五%はC級(中の上)、二五%はD級(中)、二四%はE級(下の上)、一七%はF級(下の中)、七%はG級(下の下)に属する。而して高等教育を満足に履修し有為の指導者となる丈の頭脳を生来所持する者はA、B両級計一二%丈であって、他は高等教育を施す価値がない者である。
前回では、各方面の指導者となるべき所要の人数を挙げたわけだが、それを担保する「大学高専の過程を満足に履修し」得て、高等教育を受けるに値する=卒業後指導者となる人が、日本全国の青少年(台湾・朝鮮の人々を意識しているヨーには思われないが)にどれだけあるのかを考察している。
日本の資料が著者の手元に無いため(そう云うモノが実在していても外には出せないだろう)、米国の資料―註に「The Building of America P.13」とある―を引く。「壮丁」は成年に達した男性、兵役適齢者を意味するが、この試験が何歳に対して行われたか、この記述だけでは解らないし、「能力検査」の内容も論文執筆者だけが知るのみだが、その結果を上からA~G7つに分け、それぞれ4%、8%、15%、25%、24%、17%、7%となると紹介する。全壮丁の12%だけが、高等教育を履修出来、世を率いていく資格ある者、残りは「高等教育を施す価値がない者」と切り捨てる。家庭の事情で教育を受けられず、低クラスとなった人もあるだろう事は、この時点では考慮していない。計算が複雑になるからか。
由来米国は 世界各国雑多人種の集合所にして家系を重んずるの風に乏しく 系図不明なる男女間に自由結婚盛んに行われ 勢い低能者出生の率も高い。然るに日本は遠き過去は別とし、大体に於いて民族的に純血を保持し 家系を重んじ配偶者の撰定極めて慎重なるが為め 低能者の率は米国程でなく、反対に有能者の率は高いものと考えらるる。依てA級B級は米国より二割五分高きものと推定し、A級五%B級十%合計十五%を以て高等教育適格者となし実数の計算を試みた。
(1980年代後期的価値観で云えば)アブナくて面白い記述なのだが、繰り返して記すのも憚られる。政治家が似たような事を口走って問題になった事もあった。今後も無いとは云えぬ。
日本のA・B両級が、アメリカより25%多いとする根拠が、「家系重視」「慎重な配偶者選定」(高等教育が受けられる家庭を念頭に置けば、そう云いたくはなるが)と云うのは、乱暴ではないか。
本文は計算に入って行く。
本計算は昭和十四年日本全国国民学校卒業生総数二百四十四万五千を基礎とし、国民学校卒業生の平均年齢を十三歳、高等学府卒業生の平均年齢を二十四歳と見做し、其の両年齢に対する生存率の比(0.665:0.731)を前記総数に乗じ、二十四歳の生存者二百二十二万四千を得、其半数百十一万二千を男子と見做し、之にA、B級の率5%及10%を夫々相乗し、A級五万五千六百人B級十一万一千二百人計十六万六千八百人を得る。是が昭和十四年に国民学校を卒業せる男子百二十二万余人中、機会さえ与うれば高等学府の過程を満足に卒い 良き指導者となり得る脳力を生まれながらに所有する男子の総数である。国民学校卒業生の数は勿論年々移動するが便宜上十四年の数字を標準とする。
せっかくタテをヨコにしているのだから、解りやすくしよう(笑)
昭和14年の「国民学校卒業生」(『国民学校』は昭和16年からなので、厳密に云えばゼロである。おそらくは尋常小学校だろう)
総数: 2,445,000
24歳時の生存者:2,224,000
男子半数: 1,112,000
A級: 55,600
B級: 111,200
AB合計: 166,800
之を前掲 日本が必要とする高等学府卒業者一年の概数二十万六千五百人に対比すれば 約四万人の不足である。
所要数:206,500
供給数:166,800
差: ▲39,700
茲で昭和十四年大学及高専卒業者総数五万二千七百を 前掲二種の概数に対比すれば高等教育適格者男子十六万六千八百人に及ばぬ事十一万四千人余、国家所要年次卒業者数二十万六千余に不足する事、実に十五万三千八百人の多きを数うる。換言すれば 日本が国民生活の各分野に於いて 充分なる能率を発揮し大東亜指導の重責を果たすと同時に 祖国の国運を遺憾なく進展せしめ、以て大和民族が神と人類とに負う使命を 満足に達成せんが為めには、年々少なくとも二十万六千余人の大学及高等専門学校卒業生を世に出さねばならぬに対し、之が適格者は僅かに十六万六千八百人にして約四万人不足し、更に現実年次卒業者は 僅かに五万六千弱にして所要数に及ばぬ事、実に十五万三千八百人の多数に昇るのである。
ここもシンプルに書き直す。
高等教育履修者: 52,700
高等教育適格者: 166,800
差: ▲114,100
高等教育履修者: 52,700
所要者 : 206,500
差: ▲153,800
高等教育適格者のうち約10万人が教育機会を奪われており、その一方で国家が必要とする指導階級を満たす、高等教育履修者は15万人以上の不足を見ると云う。
斯くも多数に上る高等学府卒業生の不足は 如何なる結果を齎すか?
勿論 第二流第三流の人物を以て此の不足を補い 第一流の人物の就くべき地位に就かしむるを余儀なくする。換言すれば指導階級人物の質低下を来す。必然の結果として各方面に失策齟齬を来し、能率低下して国運の進展を阻害し、最悪の場合には国家を滅亡に導くの危険すらなきを保ち難い。斯る危難を未発に防止するには如何すべきか?
二流、三流とは云え、少なくとも高等教育適格者が第一流の代役に立つのだ。能率は上がらぬかも知れぬが、組織は廻る。「田中角栄」みたいなヒトも出るだろう。
省みるに、戦前の帝国日本は、指導階級こそ所要数には足らぬとは云え、高等教育適格者が社会の枢要を占め、「指導階級」として活動していたはずだ。それが数多の臣民と、指導されるべきとされた人々の生命を奪い、至高としていた国体を損なっている。一流人士の不足か、社会の仕組みが誤っていたのか。一流中の一流が就くはずの総理大臣の言動のみならず、性格までが批判されるのだから、人材不足と云うしかなく、帝国憲法の不備(総理大臣と他閣僚との関係や統帥権の話は知られている)もあるのだから、両方なのでしょう(笑)。
戦後の小説に「三等重役」と云うのがあった。これは敗戦時の「公職追放」とあわせ、企業経営者も一線を退いてしまった後を承けた人達のことだが、そんな人達が「高度経済成長」を準備したと思えば、痛快な話だが、実際のトコロは不勉強につき知らぬ(笑)。
ともあれ、「四、優秀人物の不足と高等学府卒業者早婚の急務」に続くのだ。
(おまけのおまけ)
人間の出来不出来は生来動かざるモノか、指導教育で高められるモノか、判断は難しい。本文にあったA~Gの区分中、F、Gクラスは生来のものと見るトコロかも知れないが、C、D、Eは生活環境と教育(当人が良くあろうと云う意志と支援)とによるんぢゃあないかしら、と思っている。
「大学高専の過程を満足に履修し」とあるが、単位のひとつも落とさず卒業した人間って、全卒業者の何割いるモノなのだろう。
(おまけのおわび)
前回の結びを「いよいよ「四、優秀人物の不足と高等学府卒業者早婚の急務」に入るトコロ」と書いたのですが、そこまでたどりつけませんでした。これも酷暑のせいであります(汗)。