ホラーとミステリーの迷路
重苦しい雰囲気。見えないもの。非現実的で、やがては何かに遭遇する。
大部分はミステリーの雰囲気。ホラーはその中の突発的な出来事に過ぎない。
何がホラーか
モンスターやゴーストで怖がっているのは登場人物に限られる。
観客はその様子を見ているだけに過ぎない。眺めるだけになる。
人によって恐怖や不安と感じる物は違う。
虫、生活苦、足場、寿命、嫌いな物や不満と思い否定する物、混乱する物、汚いと感じる物、日常的に恐怖が存在する。
それらは想像を巡らすだけで感じ取れる。
この想像させる暇を与えている作品はムードに優れ期待感も増す。
登場人物のセリフや、やり取りだけでも十分。
何か恐ろしい過去の出来事を語るだけでも不安な気分にさせられる警戒心というフラグが立つ。
楽しみはそこにある。メンタル面でのホラー。
何かか出てきて過ぎてしまえば眺めるだけで楽しみは無くなる。
二段階の恐怖
古くからは豹変、変身などがある。他には浸食、変貌の類がある。
ここではその1つ浸食と変貌を取り上げる。
顔の色や光と影の乗り方で印象も異なる。怪談物ではその感じを取り入れているのでよく見られる。
浸食は主に背景に使われるが人の場合は、浮き出る血管、植物化、増殖、同化。
変貌は、病気、怪我、壊死、透明、老化、変色、腐敗、分離、瞳孔が小さくなる。
他にもあるが手間が掛かる手法なので見れる作品は少ない。
キャラクター的には「呪怨」(ビデオ版)顔の変化。
「リング」(テレビ版も含め)各経緯や鏡の時のセピア色とノイズが入った古い映像。
コンタクト使用で瞳孔の黒点を小さくしてある「ドーン・オブ・ザ・デッド」「コワイ女」第1話カタカタ、「口裂け女」
イメージしたセットが十分作られていないため奥行きと、そこに居る、底から湧いてくる気配の魅力を感じない。
ストーリーのワンパターンは懸念材料だが、有名な各ホラーゲームで違いを比較できる。
ゲームに登場する背景や怪物の変化は既に様変わりしているので映画作品が置いていかれているのは一目瞭然。
上から下まで人間の姿である必要もないものも多い。動きも異質。
映画は90分で済ませている印象だがゲームはその程度では済まない密度。
アクションやコメディをやってる場合ではない。
映画チケットとDVDの売り上げVSゲームソフトで比較するものではないが、ホラーで軽く見られているのは映画のほう。
漫画や小説の原作にも印象が劣る。
ホラー映画は単発か長寿番組も同然になって行く。
古さのホラー
過去のものに感じる悲壮感、悠久を感じる古びた建物、過去の出来事、禁じられている物、封印を解く物。
大半はホラーゲームの成功例。眺めるものと体感する感覚の度合いからそうなっている。
キャラクターには体力がある。遭遇したり、逃げたり戦う。
その緊張感のシンクロ率は映画を眺めるものと比較にならない。敵は追ってくる。
いかにも強そうな演出で現れ倒せない敵。今まで出会った連中と異なる異質な姿をしている。
化物だらけでお化け屋敷も同然。中には敵ではない者も現れる。
何かを恐れていて妨害してくる者も現れる。強大な力を持った敵に怯える敵もいる。
物語の入り口は、何かのためにやったことが発端となり連鎖を巻き起こす過去の出来事。
何かを助け出そうとして行った実験や儀式の話が多い。なので狂気に取り付かれた者もよく出てくる。
誰かが死んだから化けて出てきたという安直な物は一切無い。
ついでにゲームのホラー
現在の3Dゲームの立体画面になってから操作可能な1人が活躍。
同時に2人目がいる場合もある。関係図の登場人物は少ない。
過去の2Dゲームはアドベンチャーで事件など。
RPGのパーティシステムで複数の登場人物で迷路を探索するなど。自由行動や移動が多い。
また、その世界に放り出されたら遭遇するのは怪物ばかり。
途中で出会う人間がいてもムービー映像での1コマに過ぎないものが大半。
街に戻れるものは品揃え豊富な店の店員がいる安堵感がある。
それらに比べて比較的、映画は登場人物が複数関係を持つことが出来る。
それと同時に作られた素材と編集次第の流れで、映像の断片に過ぎなくなる印象の問題点がある。
ホラーゲーム・リスト
ついでにゲームとの中毒性の比較について
体感といえど物語に終わりがあるので中毒性は無い。
実写映像と違って断片的に目に焼きついてしまうシーンは無い。
基本は妨害を掻い潜りながら謎を解いていく自由行動や移動。
ラストをクリアしてもエンディングは主に繊細な悲壮感を漂わせている。
ファンタジー世界のモンスターが出てくるバトルと変わらない。
RPGゲームでスケルトンやドラゴンなどが出てくる。それと同じパターンでしかない。
残酷な描写は映像を見るだけの部分で会話やシーンの演出に頼るので、
動き回るゲームでは残酷描写は必然的に少ない。
和風ホラー
ホラーゲームが出てきて使われだした言葉。
昔ながらの小説や映画にある怪談と勘違いするべからず。
よく使われているのは地方伝承、旧家の屋敷などが特徴として上げられる。
都市伝説といった言葉は使われない。
残虐性は殆ど無く、最終的に過去の暴走に巻き込まれた悲しみを描く向きが強い。
また親族関係も真相の一部として必ず描かれる。
ホラーにおいての向上
過激になっていくだけでは見れるものではなくなる。倫理的にも制限が掛かる。
ホラーの好み理想も人によって違う。恐い物が出てくればいいというものでもない。
例えば、誰でも怖がるなら究極は”糞便”をおいて他に無い。
しかし汚くてグロくて匂いそうで困るし、そんなものを見たがるはずも無い。
見たがるホラーと、見たがらないホラーの2つがある。
見たがるホラーとは一体何なのだろうか。
UFOや世界の七不思議や都市伝説にしても未知の物に好奇心を示す。
何が起きたのか、何があったのか、知りたがる。
そして、物体のデザインや建造物の風景にも面白い特徴と感じる。
UFOは遠くにしか見えない。七不思議はリアルタイムではない。都市伝説は真実が分からない。
全てが手に取るように分かる代物ではない。永遠に謎だから飽きない。
結論が出ると話は終わる。そうなれば過去の出来事で済んでしまう程度の関心事。
災害やモンスターパニック
隕石、雪崩、津波、台風、溶岩、落下物の下敷き、巨大な生物に食われる、溺れる、落ちる、
それらも十分ホラーに例えられる。想像しても緊張感には繋がらない。こうした悪夢を見るなら体感。
古典にある得体の知れない顔と手
人間の顔と手が、なぜ恐れやすい部位になっているのだろうか。
体を掴んでくる。威嚇したり凝視してくる。突然現れる。大抵はそれだけのもの。
ストーリーの流れで先入観やムードが事前に植え付けられているから恐怖することが出来る。
語るに及ばず
その先は見たくないという恐怖。
音楽や効果音による恐怖のムード。
見慣れたキャラクターを登場させているだけのアレンジが続いている。
始まり方、展開の流れ、描き方、終わり方、そのケースも変わりが無い。
ホラー映画では興行のお荷物。劇場公開では足を運ぶ客層も少ない。製作者さえ減っていくだろう。
今後への期待は望み薄く。
無防備に恐れる感覚と何かがいると思ってしまう感覚
罅割れ、錆びつき、水、鏡、ピアノ、人型の模型、トイレ、狭くて古い風呂、夕刻、時計、墓、鎧、
雑草や林の中、自分以外誰も居ない一室。
長い時間人が寄り付かないであろう場所。耳を澄ませば周辺の音も聞こえ孤立感が深まる。
ストーリーに固執する反面、こういった視野まで描く作品は殆ど無い。
その時間帯の特徴を何らかの効果で感じさせているものはムードに優れる。
しかしこういった場面で会話やお化けが出てしまうと雰囲気を失う。
誰かが使っていた物、使われなくなった物、大量への違和感、廃墟、その先に何があるか分からない畏怖。
大量ある部屋、病院、学校、トンネルの先、永遠に続きそうな階層、広い海。
ホラー映画では使い古されているように思えるが大抵は水準の問えない未公開OVが多いので成功した作品は少ない。
直球勝負
亡霊が単独で登場し、亡霊の過去を探れば謎解きのトライアスロンで解決してしまうストーリーには飽きた。
鬼を人に例える考えにも飽きた。
ヒロイズムは必要ない。
過去を暴かれて萎縮する幽霊も必要ない。
主人公の個人的な問題との並行も必要ない。
鬼、餓鬼、落武者、こうしたものは肉体を持つ妖怪。もしくは物理的に害をなす。幽霊ではない部類と考えやすい。
ファンタジーになってしまう問題点がある。
しかし架空の物語の世界なのだから、ホラーもファンタジーに過ぎない。
業界は同時に幽霊が登場する考えを持たないかのような作品が多い。
餓鬼と幽霊を登場させるとオカルト色が強まると、相対的に古めかしい密教などで対抗するものがある。
武器や技も出てきてしまい大袈裟なバトルに移行しやすいが、
ミステリーから格闘になってしまうのでとくに必要としてない。
時代劇なら「陰陽師」などがあるが、対して現代での背景は少ない。楽しめる風景も少ない。
しかし朝靄、夕暮れ、夜などをバックにお寺や仏像を見ただけでホラーに等しい場合もある。
撮影許可が出るわけも無いのでCGでカバーするしかない。
餓鬼は人を貪り喰い、肉片がこびり付いた人骨が散乱。餓鬼の姿を見かけずとも、それを目撃する。
落武者の怨霊は闇夜の下に現れ辻斬りかの様に斬りかかる。漆黒の闇は紫色のオーラが漂う。
この一例ではモンスターなのだから当然過酷な描写が待ち構えている。
また、それらの妨害を掻い潜り、手助けしてくれる玉手箱を探す。しかし、その間にも都市の浸食は続く。
オカルトミステリーの雰囲気をカバーするには、
ロケ地、演出の意外なアクセント、力の拮抗、荘厳さ壮観さ、BGMが欠かせない。またそれだけで済む。
BGMについては、スケールの違うイメージがある。
思っているイメージの組み合わせによっては思想的でインチキ臭いが、格好の材料。
スピリチュアル、インスピレーションは響きに伸びや跳ねるようなテンポや反復の物。シンセサイザーや和楽器。
民族の祭りの踊りは言葉になっていない奇妙な歌声が聞こえる物。
動きや空間を表現している物。
バイオレンスの怖さとオカルトミステリーの怖さは違う物として最後まで表現できれば作品の異様さも残る。
残酷描写などは通り過ぎる残飯に過ぎない。
都市伝説などのストーリーは作品に多いが雰囲気や表現や視点はオカルト好きからすると大半が逸れている。
映画よりも雑誌や本のほうがイメージが上回っている。
配役
若い女優や俳優が多いが、それでは通用しない部分も数限りなく多い。
ミステリーやホラーの世界は数多くのベテランが作り上げてきた路線がある。
これは映画産業の発展と共に恥とされ形骸化された。
他の俳優を嘲笑い邪魔者として排除する圧力も背景にある。
恥ずかしくて誰もがホラーに寄り付かなくなった背景もある。
興行面でも会社の名声に関る。年々頭が固くなっていき鎖で縛り付けた状態。
こうした作品にスケジュールを割いていては儲けにならないのでハイクラスのレセプションにも招かれない。
数々のスターは評価を得られる高い居場所を求めた。
残ったのは70年代と共に若者が演じてきた路線。
近年の都市伝説と70年代オカルトやホラーの路線は構成が同じ。求めると同じ物が完成する。
近年の配役には不満が残る。
主に女性を織り交ぜて進行させるのは必要性が無い。
「都市伝説」のイメージが先行しているが、行は事件とミステリーの世界。
噂と得体の知れない生き物が逃げ隠れしていく惨劇ではありきたり。不満が残る。
構成が急ぎすぎていて作風や映像もパニック重視で面白くない作品が多くなっていく。
物語は何かが起きて探す人から始まる。
大抵の作品は個人の内面に逃げ込んでしまっている。
これでは展開も似たり寄ったり。描き出す場面も異質さを追い求めて盲目になるばかり。
辺りを見回したり、1人1人消えていったり、狙われる図式しか描けない。
散策と意見交換も少ない。主人公が定番としている箇所も決まらず。
大半の登場人物は、何に関心を持ち行動しているのか目的が不鮮明。
ミステリーホラーたる前に作品としては欠陥品でしかない。
キャスティング
女子校生を軸に置くとドラマがマンガチックになってしまい、ひと夏の青春やノスタルジーまで匂わせてしまう。
突飛な服装の寄せ集め集団やコメディは対象外。
少数の低年齢層には通用するが、大半の通には通用しなくなる。
ホラーの物語が全て金太郎飴ではないのだから、交互に作風の顔を出してバランスを取るしかない。
最近はチープな勘違い作品が多い。最初からそう思われて対象にならない作品も数知れず。
興行的に形骸化し、ネット上ではホラーマニアにも語られないのも当たり前である。
タイトルやポスターを見ても、謎めいた物や計り知れない怖さを感じない。
「あらすじ」が成功して無い。
パート別に分けるとミステリーやパニックの部分が鮮明になる。
それに適したものを盛り込んで構成しないと流れ任せのグズついた描き方になりやすい。
期待外れの成否もこの部分に関係する。
話が進展しパートが移り変わるシーンと何気ないシーンが興味深い。
「都市伝説」は「怪談」
しかし、そこに肝心のミステリーの構成は描かれていない。
ミステリーホラーの場合、襲うシーンや殺されるシーンは重要性が無い。
その部分だけ印象が強すぎると作風のバランスにも影響する。
むしろ忘れた頃に死んでいたほうが何が起きたのか不可解さが増す。
ホラーのみの場合は職業や生活を省いて行動するシーンで構成されやすいが、ミステリーを含む類には逆効果。
ホラーはお題が次から次へと変わる。材料も無くなるので飽きられて勝手に廃れる。
ホラーにも様々な種類がある。
飽きられないホラー、楽しめるホラー、不可解なホラー。
ミステリーとアドベンチャーが欠かせない。
ミステリー単体だとルート別に材料を拾っていくが、順番通りの行動が目的でもない。
ホラーからミステリーだと出鼻から勘違いの方向になる。
ミステリーが先でホラーが後。これを守る必要がある。最適なマッチングと言える。
なぜホラーに関心があるかというよりも、ストーリーがミステリーだから紐解く。それに付き合う。
怖い絵を眺めるだけなら無駄な時間を過ごすだけ。
キャラクターを気に入るかどうかは見た人の自己満足の世界。二の次。
過去のホラー映画の数々もミステリー仕立て。そこに原点がある。
白い飯にはおかずがある。片方だけでは味気ない。組み合わせは常に2つ用意する。
ロケーションマップ
周辺へのアクセス。映画では蔑ろにされやすい。
特徴は目視が出来る範囲で済ませ、小物の経緯や風習は訪れた先の管理人の小話だけで済む。
色彩の濃淡はカメラ依存で済ませている作品も多いが、箇所によっては調整や加工を施すと好都合。
低予算で済む作品もあれば、そうではない作品もある。
地元や、その周辺か、それとも他地域の探訪か。これらで好みが分かれる。
地元はそこに何かが居ると感じやすい家ホラーや周辺から浸食してくる危機感を体感しやすい。
探訪は十分その地方の景観や逸話などで新鮮味の連続。
主人公もそれらは初めて目にする物。ファーストコンタクトに共感する。巡り合う物1つ1つが画面を通して伝わる。
最初から暗いイメージの都市伝説を誇張した物ではなく、ナチュラルに攻め入ったほうが良いと思う。
でなければ登場人物にさえ関心を寄せる事が出来ない。
伏線は内容と関係が無いのでとくに必要が無い。オムニバスならともかく単品では中身が変わってしまう。
冒頭も生活の空気を前面に描くのではなく、イベントの参加から始める。簡単な例として、行事や仕事。
乗りかかった船。そして気になるものに視線を投げかける。
何かの名残を拾い集めていくと、周囲は汚染が広がったかのようになっている。
ヒューマンドラマやミステリードラマにホラーを付け足せば良いという事では無い。
実写のホラー作品よりはアニメやアドベンチャーゲームのほうが1つ1つの順序が出来ている。
実写のホラー作品は残虐性や見苦しい場面で盛り上がろうとするのに躍起。
あたかも、それしか思い浮かばない先入観に縛られている。
バランスよく、不思議な物語に仕立てる事が出来なければビックリ箱でしかない。
モンスターの姿に頼っている作品は多い。そればかりでは黒い霧さえ表現できない。
低予算でもホラー映画が作れるというような理屈は観客にとっては関心が無い。
高い予算でも関心や好みに至るかは千差万別。
物語が未完でも完璧でも問題は無いが、落書きに金を出して見る客は居ない。
一定の水準を維持しないと許容できない。
音楽のカタルシス
ラブストーリー作品の穏やかな音楽の感性は量産されるホラー映画に足りない物。
欲望と倦怠感、退廃と鬱積した物が凝縮されている。 |
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