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撮影関係
役者 死霊が出る映画にはやはり熟練した者メイン。 緩慢な動きが出来ない目線が出るような若いゾンビもいらない。 フェイスマスクをして体の不自由な感覚を演技に身に着けないといけない。 若者が出ると安っぽくなるので必要ない。若さを映画で活かせないなら逆に邪魔であり裸にでもなってろバカ者がという所である。 演技がうまくても20台は必要ない。どうしてもなら顔を伏せて数増しで後方でゾンビをしていればよい。 どうしても駄目な理由は髪型やツヤで清潔感が出てしまうためだ。頭を剃るかジェルつけて砂でも被らないとサマにならない。 子供が見るための娯楽でもないし若者や大人が怖がらないといけない。 退屈イコールはノンストップアクションにすればいいというものでもない。 マニアのブームで新作映画がどんどん進出してもここがわかってないと「あの映画をもう一度」というメモリアルにはならない。 ロケ地 一番重要で印象に残るワンカットを生み出せるかポイントとなる。 サウンド メジャーな作品ほど曲による雰囲気や躍動感が出ている。 ■ゾンビの出番−基本の2点 1.最初から死者が群れパニック状態なのかどうかで物語の開き具合が違う。「ゾンビ」 2.ゾンビが誕生する過程を経ている。「バタリアン」 ■説明−基本の2点 1.必要ない=スプラッター、怖いメイク、恐怖ムード重視。バイオレンスはさほど必要ではない。 2.必要である=理性的な人間ドラマ、残虐性の添加。視覚的恐怖はさほど必要ではない。 新旧に傾向の違いが見えますね。 2のほうはストーリーで全体のムラが出てシンプルたるべきホラーに統一感が無く企画段階でゴミ映画になりやすい。 ■ホラーの基本 旋律を奏でる音楽。 近年の新進系ゾンビ映画だけに限らずホラー全般でサウンド・BGM不足が見られます。 これによりムードやテンションが無い物に感じる。やはり音楽の大切さは大事という認識が深まる。 ■ゾンビの動き イタリアンゾンビは魂が抜けたように無表情で不意に襲う。目や顔の動きをしないのが特徴。 アメリカンゾンビは襲おうとする意志有りの動き。ヘタに動こうと不自由さが目立つのが特徴。 ■ゾンビの個数と場面 ゾンビが1体登場する箇所から複数登場する箇所で役割も違う。 1体のみのパターンはミステリーとムード優先の色濃さが出るので意外と重要。 複数パターンは大群を通り抜ける佳境のスリルとラストスパートで使われるのが定番。 局面的に扉の先では何があるか分からない上に扉を開けたら待ち構えているかは予測できない。 容易に開かない扉や鍵の掛かった宝箱は開けられない。 それに至るまで物語の行く末を見守ったり秘密を探る楽しみがある。 ■含まれるジャンルが多彩 アクション、パニック、スプラッターのスリル。 ミステリー、サスペンスの謎。 SFやファンタジックな不可解で未知の要素。 社会的な風刺や科学的な社会派。 愉快なコメディまで。 ●重要点 ゾンビの役割がもたらす効果というものを理解して無いとゴミ映画になります。 つまりゾンビ映画にスーパーマンみたいな人物や別物のモンスターは元々必要ないのです。 またゾンビが普通に食ったり、恋愛したりしても効果を履き違えるだけで相手にされません。 死人が生き返った事についての屁理屈も最初から不要。 日本のゾンビ映画というと程度が知れてるのでハナから相手にしません。 リングや戦争映画のような死と隣り合わせのような残酷さが無いとただのスプラッタ映画にしかなりません。 ?劇場未公開作品 勢いに乗じたフリークがテンポもトーンも考えず序盤と後半だけ捻ったものや亜流ものにチャレンジしている。 こういうのをギュッと掴まされて泣き言を述べるのは簡単で作品を食わされているのは映画ファン達。 映画会社に買ってくれのポジションは安くて高い買物。ヒットは至極難しい。 そのほかにも重要な原因で白人スタイルに飽きている事があげられる。どこかズレているのはもう分かるだろう。 2.3本見れば十分で感想は「まだこの程度しかできないオツムなのか」と。 ゾンビ映画が好きならボツな作品は世の中に出さないでほしいものだ。まぐれ当たりはしない。 ゾンビ作品をペットに股間でもいじってる変態か詐欺師になってるだけで分かってない連中はOUTだ。 劇場公開で評価を受けられるようになってから出て来るのが筋だ。 スタッフの有名・無名 作品の権利側が許可だけで予算は出さない。 スタジオが踏ん張っても予算とスケジュールの域は脱しない事から色々な面で削除変更が余儀なくされる。 有名な人が製作に加わると注目と関心は高まる。知名度が薄い分だけ甘く見られ不利な場合もある。 メイクなど部分的に良いのは既に当たり前となっている。 作品内容が肌に合わない事が多いのは仕方ない。 |
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