古典からみるホラーファンによるミイラとゾンビはこうあるべき
能力:怪力である。文明の力を使用しない。
行動:徘徊する。走ってはいけない。
言動:せいぜい唸るだけ。喋らない。
趣向:人間を襲う。人間以外の動物と戦わない。
外観:腐っている。干からびている。賞味期限切れ必須。不潔。
知能:追いつめる。罠へ誘い込む程度。
長所:聖水や十字架、銀の弾は効かない。眼がなくても追いつめる。
種別:過去に人間であったこと必須。エイリアンではない。
短所:元素的に燃える。
人間がやってはならないセオリー
1.ワクチンを開発しても怪物に使用してはいけない。
2.ミサイルや戦車などの大型兵器を使用してはならない。
3.ムダで間抜な行動はしない。超能力は禁止。
4.ヘリなどで逃げて終結するの禁止。
5.主役は人間ではない。
以上を踏まえれば、今でもホラーな映画が創れるのではなかろうか。
カプコンのゲーム「バイオハザード」がシリーズ化になるほどヒットしたのも、
あるべき姿のゾンビを再現したためもある。
RPGによる怪物たちの設定こそ古典を忠実に扱っている。
RPGはストーリーとルールがありアイデア次第で面白いものになる。
ホラーな映画も力不足なアイデアだけは絶対見せないでほしいものである。



a.Column番外編

−ルチオ・フルチ監督映画に観る視聴覚効果−
ホラーやオカルト映画といえば知られたフルチ監督である。
その映画の作品を見ると独特のセオリーで物語が進行する。
インパクトあるシーンから幕をあげ、謎めいた不可解さを醸し出しては平穏そうな一時。
そして奇妙な現象へと誘う。1つの空間に閉じ込められた者にジワジワ迫る効果。突発的に起きる惨劇。
まさに怪談・お化け屋敷といえるのではないだろうか。
肝試しというよりはイタリアの暑い南国気候のうだつさを払拭する冷汗をかかせる効果があるのかもしれない。
肝試しといって夜、墓場にはいれるような時代ではない。製作された意図等は知らないが、絶妙に濃い演出である。
なぜカトリオーナ・マッコールなのか?実に奇妙不可解、美女に野獣という効果。
女性より男性が断然魔物に強いが当然マッコールの役はさほど力もなく魔物に太刀打できそうにないが惨い惨殺シーンはない。
恒に頼もしい男性の傍らに主役級である旨味を出すダシ。
当然好感度や先入観を持てる役柄を酷いシーンで始末すると作品そのものに好感が持てない。
「墓地裏の家」で怪物化した博士に怪談から引きずり降ろされて頭をガンガン階段に打付けるシーンは巧みだ。
ちなみに間寛平ゾンビとフロイトスティンのマスク造型だけ類似している。それはタダの使いまわしなのだろうか。
子供の救出シーンといい「地獄の門」での生埋め救出シーンといい極限状態での効果も凄い巧みだ。冷汗もの効果覿面である。
もしもあれが数センチでも狂っていたら・・・という「if」的心理も観ている者に瀬戸際のキワモノさに悪寒を実感させる。
映画◆ベルサイユのばら◆より
オスカル役:カトリオーナ・マッコール

「アンドレ〜」

ゾンビとミイラは一体何なのであろうか?

ゾンビ映画に観るゾンビは色々ある
ブゥードゥー信仰のものから宇宙線の影響という設定での所謂ジョージ・ロメロ監督によるものまで。
ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リヴィングデッド」「ゾンビ」「死霊のえじき」が主流として認知度が高いが、
ゾンビの生態、その確立化した設定が他作品に比べてあるため、これこそゾンビという見識が強い。
宗教によるゾンビと別物でもよい。

ミイラ映画の発端は
王家の谷から発掘されたツタンカーメンの墓の発掘関係者が連続怪死した事件いわゆる「ツタンカーメンの呪い」から発想を得たものである。
ユニバーサルの作品 ボリス・カーロフ演じる「ミイラ再生」の高僧が初作品として知られている。
この作品では発掘されてから動き出したミイラの手と引きずられる包帯。その後の扮装は現地人に偽装している。
包帯グルグル巻きで両腕を伸ばすというイメージの強いものはその後の作品である。
「ハムナプトラ/失われた都」では原題こそTHE MUMMYだが製作サイドの意向で包帯グルグル巻きのミイラ男が徘徊するイメージは低くしている。
続編でもイメージは低くまったくTHE MUMMYというタイトルである必要がないものになっている。
乾燥してたミイラが水々しくムチムチボディーを披露されてもこちら疲労困憊してしまうが。完璧な復元で再生ロマンも妙である。
高僧の邪恋を描くものの視点は主人公とヒロインに置かれて結局なんだったんだというアドベンチャー性にスポットを置いたドタバタ劇になった。
ミイラ男は何らかの伝説ものと違う怪物であり、ゾンビを製作したものはマニアでも論じることの多い後々大家になった監督が排出されたが、
さすがにミイラ男作品は大家となった監督といえば誰?という程度だ。


この2者のモンスターはどちらも「生きている死体」であり別種だが、同類でもおかしくない面がある。
両腕を伸ばして迫る来る。言葉も喋れない。腐敗しきった死体でも動く。
身近な生物形態が生きかえって襲いかかるのだからそれだけで恐いシロモノだった。内蔵や骨が剥き出しでも恐い。人体の恐ろしく醜い面ほど。
死んでいるものが動いているのだから、追い掛け回されて逃げるしかないのが常である。
ゾンビこそは脳を破壊するか脳が腐敗しきれば停止する。
ミイラに対抗するは解文による命令で停止させる術か、たいまつで燃やす。
何らかの対応、防御策は本能である故に恐怖を逃避する設定がある。

しかしこの両者は動くという理由が大雑把でタブーの領域には触れられない。恐怖を煽る志向が物語を同一簡素化しているのだ。
近年「バイオハザード」の映画も出たが、やはり本来の恐怖感はどこかに消えうせている。
視覚効果による恐怖感こそ重要視されてきたが近年の映画ではホラーには少なくなってきている。アクション性を強くすれば尚更である。

両者がなんなのか結論づけようとすればそう簡単にもいかないが、無理にでもというなら映画であらゆる理論づけをして示すしかないだろう。

もっとも両者が類似している作品というとルチオ・フルチ監督による作品に観られるカピカピに乾いたゾンビだ。
「サンゲリア」ではスペイン兵士の墓地から這い出したゾンビは、もはや設定からして古代の遺物に近いためミイラでもあるといえる。
薬品を使って包帯を巻いたものでの定番ミイラと違うが、乾燥物ではある。
ブゥードゥーの設定こそ臭わせるが、呪術者が操っているとかそういうものでもないしかなり今までと少し違う風変りなフューチャーを持っていた。
ロメロ監督の作品と類似点はあるにはあるが描写丸事な訳では無いのでどう見てもフルチ監督とロメロ監督の作品視聴的には別物にしか見えない。
製作した本人達にしか解らない事はあるだろうが、映画を楽しむこちらからは大した事に作品は別個のものである。

ゾンビ映画の比較をしても始らないが、何らかの理由づけで死者が徘徊するというものは定番だ。
訳も無く死者が徘徊しても困るが恐怖の視覚にはどうでもいいのだろう。

以上ゾンビ映画はモグラたたき要素が濃い結論に至ったかもしれない



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