クラウディオ・フラガッソ(クライド・アンダーソン)

「サンゲリア2」で脚本「ゾンビ4」で監督を努めた。その現地人による土人ゾンビは今まで固定観念されてたものとは風変りなもの。
忍者のように、"なりたて"は会話も可能。このことから死者が語りかけるシーンは「パラダイム」のような雰囲気を出している。
一定のリズムは「ゾンビ」のような雰囲気を出す意図は見えるそれが原因だろう。
脚本から考え出されたその手法は彼独特。低予算ながらやることはしっかり追究している努力がある。
映画にみるストーリーのスプラッタシーンはルチオ・フルチ監督とは明かに違う彼ならではの趣向を持っている。
ことの発端、迷いこんだ者達、餌食、バトルシーン、終焉とその流れには一定のリズムはフルチ流ともいえるが、はたして。。。
退屈な物語より派手さやインパクトを好む担当した2作を比較しても十分に大家に為り得る存在である。
ホラー映画を娯楽と見ても別に可笑しな点はない。彼を動かす映画会社がないものかと願うばかり。
映画監督というのはある程度の作品を作るとお払い箱になる。
低予算映画で資金回収という手口はあるにせよその後は皮肉なことに熱烈なファンに愛着を持たれるのはその監督達だ。
昨今のイタリア映画界を見ても何かかピンとこない。古くて退屈な体質のドラマをまた振りかえしているからだ。
ようするに古人のモノマネをしているだけに過ぎないメロドラマのオンパレード。異色作は無いといってもいい。
限られた低予算で評価を得た者達に本来の力を預けるべきだろう。
低予算映画を作らせて資金回収しておきながら業界はまた退屈な映えない映画でドツボに陥っているのである。始末に負えない。
名作名作というものほど評価はするけど文学的見地は退屈で娯楽性からいってもう見ないよというものだ。
文学を映画化するのは構わないがそこにチャレンジ精神の無い能無しにチャンスを与え、チャレンジ精神のある者にチャンスを与えない体質が生まれる。
とにかく構わないが文学を作った後に冷えこむのはもうどうしょうもない業界体質だ。溢れているのでもう一掃しても構わない。
古人の土俵を踏んでいるだけの者には新進気鋭のものには勝てない。
マフィア映画からTV映画と成功してそれ以来はカルトジャンルへの熱が冷めているのは今では何のためらいもない。
頑固一徹で成功を収めたのをフイにするということもない。やればいいしファンはそれを望んでいる。
資金をかけても過去作と大した変りようはないだろうが、物語の設定にもよる。
恐らくゾンビ映画を作った者が別のジャンルの映画を作っても元々のカルトファンにはそんな映画に興味はないはず。
成功をしてもその作品の話などはピンキリも諸外国に届かない。業界人だけだ。もう完全に過去の遺物でしかないのだろうか。意欲あれば評価に値する。
「ヘル・オブ・ザ・リヴィングデッド」についても脚本の担当だがやるたびに監督ヴィンセント・ドーンが付き纏う。ま、事情しらないのでほっとく。
規制も厳しくなった中で独特のゾンビ世界を出していった。固定観念のイメージは無く型破りとも受け取れる内容は理屈ぬきで意外に何度も楽しめる。

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