1にも2にもサンゲリア

どのゾンビ映画を見ようがルチオ・フルチに帰る或は求める物、原点がある。

<<ロメロ監督の生々しいゾンビ>><<フルチ監督の乾燥したゾンビ>>
大抵は両者を行ったり来たりする。
ホラー映画への飽くなき欲求にフルチに食いつく。

サスペンススリラー・ホラーオカルト
そしてゴカイ・ミミズ・ウジ(日本ではサシと呼ぶ)各種釣り餌の小道具
そういうものに興味は無いが他に賛美する妙味はいくらかある。

たしかビデオ当時の販促用ポスターがあったがゾンゲリアもあったため未見の当時はよく分からなかった。

日米ともに25周年パッケージが出ている。色々なスナップ資料も雑誌などに出てきたため。
本編映像には追加されるものは別に無いだろう。

見せ場に腹筋
400年前に上陸したスペイン軍兵士の場面
無機質であるかの如く土中から起き上がってくるミイラ化した死者。じわっと時間をかけて見せ場に仕上げている。
十字の卒塔婆で頭部を破壊させた時は半壊した頭蓋から血の滴る真っ赤な脳味噌が現れた。
メナード医師はあれこれ考えられる関連付けをしようとしたが該当するものは無かった。
まさにまだ人類が知らない未知の何かが作用しているミステリアスとして留めるしかない。
またこの舞台マツール島でブードゥーを匂わせる内容が含まれている
ブードゥ系統のゾンビ映画はゾンビを支配する者や呪術者が登場しないと始まらないため路線は違う。

フルチ流のゾンビは目蓋を閉じていたりしている者が数多い。
なんの表情も見せずに近づく威圧感で身動きする思考も奪われる。
未来は死人が生き返ることくらい可能だろうとモデルガン趣味に走り腕を磨き準備万端と子供心に思ったもの。

ナイトメアと感受性
初期にモンスター映画を見ると色々な映像と記憶が1つの世界になり本能で対抗できる胆力が身につくまで悪夢となる。
夢で扉を閉めているのに鍵がかからず歪曲してしまう。体の動きがスローで全力疾走できない等ある。
思考回路の問題で夢で何も恐怖するものが無くなった頃からは好きな夢の続きや望む夢を見られるようになる。
起き上がって紙に内容を書いたりしたり書いたつもりが白紙だったとかもある。
2重の世界
拒否反応が出た場合は夢から覚めようと体を動かし頭をぶつけたりもする。
瞬間に目が覚めても、また極度の睡魔で目蓋が閉じ悪夢は運良く次の夢に移行しないと逃れられない。
映画で見たシーンが過去に見た夢そっくりだったという人もいるだろう。
夢も映画も1つに構成されるブロックみたいなものだ。

死霊
お盆になると大日本帝國陸軍の憲兵がゾロゾロ出るという話がよくある。
老齢の身内が無くなった場合もあるだろうが兵隊として連れて行くのだろうか。
なんの表情も見せずただ黙々と行軍を続ける。日本でゾンビならこれしかあるまい。
戦時中の酷い話は吐き捨てるほどある中に非業の死や無念や未練を残した者達も多い。
極道ゾンビというタイトルがあったが、サラリーマンゾンビやセレブゾンビとか出そうで怖い(笑)
気を取り直して
この世に未練があり現れる怨霊とゾンビ。壊れた時計の針のよう。その魂に心は宿っていない。

撮影
くそ暑い季節に羊の脳味噌を頭にのせヅラをかぶるのは耐え難いだろう。
メイクしたマスク上から養殖場や売店から買い占めた釣り餌を貼り付けて待機する根性もある意味”つわもの”である。
臓物を口に運んでいる役も別の意味で怖い。
そこそこの俳優が出演でコケた映画の赤字回収のため低予算映画に成らざるを得ない事情も色々な映画にはある。
お決まりでホラー映画ファンがツケの代償を支払ってきたのである。
今や大きな会社は変化球がないと古典タイプのありふれたゾンビ映画には難色を示すのが頭の痛い所である。

ショータイムは意図的
さぁ行くぞ逃げたいなら今のうちだとばかりに惨殺の開幕。
何故こういう事態が起きているのか謎に迫るストーリー展開の楽しみもある。

墓地裏の家は入居者募集中
これほど気味の悪い邦題は無い。前編物悲しいトーンのメロディが流れる。
サンゲリアでは70年代後半のアメリカという感じが序盤にあったが撮影場所はどこだったかまで知る必要も無い。
「墓地裏の家」や「ビヨンド」はカトリオナ・マッコールも出演し80年代のホラーブームへ突入。
ボブがラジコンを持っているのは今見ると何でもないが実は時代を象徴する真新しい物を見せる見せ方。
喉元を引き千切られる手法も獣が喉笛を狙うように固定化している。
サンゲリア、地獄の門、墓地裏の家、ビヨンド・・・どれもハッピーエンドではなく絶望と悲しみに満ち溢れている。
ありきたりなハリウッド流のハッピーエンドの映画が見飽きる原因とも言えるのは、
善のスーパーヒーローが悪のモンスターを倒すと相場が決まっているのはホラーでは完全に非常識である。
その点フルチ映画はホラーの真髄で単純明解にピストルは狙っても外す事さえあるという人間の”もろさ”を見せる。
ただ単に後味の悪い映画より後を惹く作品であったのが評されるべきものになった。
いい映画だのゴミ映画だのと評されもしない映画は大量生産されるアクションやドラマばかり。それらよりはマシだろう。

回転の早さ
フルチの映画は何年も空白にすることなく怒涛の快進撃を見せ付けた。
業界であぶれている監督よりは運が良かった。後期は若い者に道を譲るが如く勢いは衰えた。
赤字映画の回収のため低予算映画を引き受けていたか気になる。名前を貸すような位置にフルチはいたかもしれない。
ゾンビホラーのブームはこの後続かないと思っても儲けにもならない映画がいくつか目立つ。

地獄の門でイノックの書。ビヨンドでエイボンの書など登場する。
元々はH・Pラヴクラフトを筆頭とするクトゥルー神話の小説ウィアード誌などホラー小説の先駆けで扱われていた。
脚本家が大元の魔術書など把握していたのか経緯が気になる。
オカルト路線で見せるツボを押えている。

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