『東京エロ・オン・パレード』で67万6千おまけ
5年前(2014年8月現在)の2009年5月、「エログロ観光広告」の中に載せたのが、この広告だ。
東京エロ・オンパレード
●全巻皆殺人的エロ!
キス一回十円二銭五厘也 に始まって 非常ズロースの奇怪・角帽を食ふ女の贅沢なエロ・カヂノの舞台裏から腋の下の毛をのぞき、踊る肉の棒・とうけう・おとこ・おんなよりほんとに察しが悪いに至り 写真・漫画数十枚を加へて 古今東西エロ本中のエロ本は此の一巻に盡きる!
(前回の文を丸ごとコピペするのは芸が無いので、歴史的仮名遣いに戻す)
結びを「見つけたら絶対買う(笑)。」と書いた。
文章の締めに置かれた「いつか」「〜したら」の類の多くは、もっともらしく切り上げる方便にすぎない。よって、「絶対買う」とは「こんな本出てくるわけないぢゃん♪」でもあるのだが、5年も経った今になって、某百貨店古書市会場に、現物がポンと置いてあるのを見てしまう。
「5千円は下らない」は当たったが、その倍以上の売値。この代金があれば、向こう半年分のネタを買い込むことが出来る。ところが、ネタになりそうなモノは、買い物カゴ経由でデパートの紙袋に収まり、既にわが手中にあり、それらを買うためにおろしたお金はサイフに(まだ)残っているのだ。
一度はデパートの外まで出たのだが、サイフの中身を見直し、自ら発した言葉の責任を取るべく会場に戻る。
かくして『東京・エロ・オンパレード』(以下『東京エロ…』と表記)は、総督府の駄本の山の一角に紛れ込むことになる。
表紙と裏表紙
まずはともあれ、「皆殺人的エロ」、「エロ本中のエロ本」と豪語する、この本の実力をば見せてもらおうぢゃあないか!
胸は弾む、心は踊る、気ははやる、血はたぎる。
写真は本文と無関係です
目次は以下の通り。
大東京の近代色
ミス東京のエロ
エロ時代銀座風景
エロ120%中年男の告白
神楽坂漫歩記
接吻代十円二銭五厘也の話
矢張家庭がいい
新東京風流行脚
銀座のお巡さんの悩み
春の夜(或る男作)
裳短日本笑狼論(註:モダン日本エロ論と読む)
エロ・十二ヶ月
真偽に及ばず
一代の麗人が女給に
大喝椅子声
東京新風景女子アパート
浅草レヴュー座の楽屋
派出看護婦の内面
映画女優の秘帖
大学生々活の暗黒面
エロからのぞいた東京の上海
カフェーと女給
とうけう・をとこ・をんな
例の「非常ズロース」を探す。
ページを慌ただしくめくると、「ミス・東京のエロ」と題された小咄集の中にある。
「非常ズロ」のカット
(3)非常ズロ
「スゲエネ!」
「ウン、断然スゲエ! それはそうとこの間ズロースが落ちたって? ほんとか? 又宣伝ぢやないかい…」
「ところがそれがほんとなんだ…あとが聞きたかつたら、帰りにカフエーをおごると約束し給へ…」
「ヨシツ!」
「ぢや話す…下は非常ズロースをはゐていたまでの事さ…」
「チツ!」
舌打ちしたいのはコッチの方だ…。
昭和初期大衆文化の紹介記事でもおなじみ、浅草カジノフォーリーの、「金曜日には踊り子がズロースを落とす」噂をネタにした、笑えない小咄だ。
この噂の実際のところは、踊り子が胸に巻いていた「さらし」(昔はブラジャー代わりに使っていた)がズれてしまい、赤面して楽屋に引っ込んだ話が、いつのまにやら「ズロースを落とす」に転じたと云う(中野正昭『レヴュー検閲とエロ取締規則−1930年の浅草レヴューにみる興行取締問題』という論文に引用された、向井爽也『日本民衆演劇史』 (日本放送出版協会、 1977年)部分に基づく…ややこしくてスンマセン)。ノーパン(『ノーズロ』ですね)で踊ったわけではない。
昭和初期(6年4月発行)の都市風俗資料としては面白い。しかし、この本を大枚はたいて買ったのは、「殺人的エロ」、「エロ本中のエロ本」のコピーあっての事なので、冴えない本だなあ…の感ばかりが増えていくのである。
『エロエロ草子』の復刻版で、この頃の「エロ」の程度は充分解っているはずなのに。
写真は本文と関係ありません
丸ビルのお掃除おばちゃん達は、三菱の社員なので3、4百円のボーナスを年二回も貰っている など興味深いが「兵器生活」のネタにしようの無い話もあるが、買った動機がヨコシマ過ぎるのでチットモ気が晴れぬ。
これも興味津々だった「接吻代十円二銭五厘也の話」は、"キス一回50銭"のチケットがもたらす喜悲劇で、その顛末は、それこそカフエーで一杯奢っていただかないと、ちょっと申し上げかねる内容。読んでみれば玉石混淆、虚々実々入り乱れたモダン・トウキョウ・ストーリーなのである。
ハズした本に払ったお金を、俗に勉強代とは云うが、むしろ反省料とした方が実態にあっているんぢゃあないか…などと思いつつページを進めて、「東京新風景女子アパート」の項、
ペンのジプシーも昇降機の前からサロンにいたる通路以外は
の一文で目が止まる。
「ペンのジプシー」と云えば、『明暗近代色 ペンのジプシーとカメラのルンペン』(東京朝日新聞社 社会部編、赤爐閣)なる本に出てくる言葉ではないか!
いやぁな予感がして本の山をひっくり返し、『明暗近代色』を取り出し開く。
これも安い本ではなかった
「二六、女子アパート 桃色の溜息が潜む女護の島」文中に、
ペンのジプシーも昇降機の前からサロンにいたる通路以外は
同じ文だ。あらためて両者を見比べると、一部省略があったり、改行てにをはの類がちょっとばかり違っている点はあるが、どちらかが引き写したことは明白だ。
読みづらくて恐縮だが、この部分を画像にしておいたので、各自気の済むまでご確認されたい。主筆を信用いただける読者諸賢は、そのまま読み進めていただいてかまわない。
『東京エロ・オン・パレード』
『明暗近代色』
『東京エロ…』には、本のなりたちを述べた文章は載ってないが、『明暗近代色』(以下『明暗…』と表記)は、さすが箱付で金1円40銭するだけの事あり、楚人冠 杉村廣太郎の序に、東京朝日新聞社社会部名義の序文がついている。
序文いわく
巷を駆け回ったペンのジプシーとカメラのルンペンの収穫数十篇は、今春二月より約二ヶ月にわたって東京朝日新聞紙上に連載され、読者の熱烈な支持共鳴と湧くがごとき好評を浴びたのである。
「今春」とは、本が出た昭和6年夏(7月10日発行)から振り返ってのことである。つまり昭和6年2月から連載された記事の一つが、『東京エロ…』のネタになったと見て良い。
『明暗…』では「アパートの生活者村岡ゆう、白髭ふみ、飯塚よし子のウルトラ・モダンが、菊池寛氏に保証人になってもらい、このアパートの通りに面した一角にささやかなる喫茶店を三月八日から開いた」とあるのを、『東京エロ…』の方では主客が転倒して「菊池寛氏の保証人になってもらい」とあるのが、それを裏付ける。
『東京エロ…』が、そう云う本だと知れてしまうと、他にもパクリ記事はあるんぢゃあないのか? とアラ探しでもやらぬと、モトが取れない気分になる。
「大東京の近代色」は、さまざまな小文からなっている。東京朝日新聞の記事に基づくと思われるものは、
「丸ビルの近代色」 →「四五、丸ビル解剖」(先にあげた"丸ビル清掃婦のボーナス"の話を含む)
「イット専門芸者学校」→「一一、イット学校」(芸者さんにダンスや英語等を教える)
さらには「モダン弥次喜多車」 →「三六、モダン弥次喜多車」が指摘できるのだが、総督府所蔵の『明暗…』は、この部分が落丁してウラが取れない(東京遊覧バスガイド嬢の案内口上が記録されている)。
新聞記事を(勝手に)頂戴しているのが確認できた以上、他の記事についても、よその雑誌から持って来たものと疑わざるを得なくなる。
そもそも、『東京エロ…』には著者名が記されてない(写真版になっている絵―何が描いてあるのか黒くつぶれて解らない―のみ「杉田三太郎画」と記載されている。表紙の画を描いた人のようだ)。
奥付を見ると「編者 西尾信治」とあり、それは発行者の名前でもあるのだ。住所は発行所の昭文閣書房と同じ。つまりこの本は、エロブーム到来を見た本屋さんが、新聞・雑誌記事をうまいこと切り貼りし、原稿用紙に書き写してこしらえた本なのである。
この本の広告が、異常に面白い理由がようやくわかった。
写真は本文と全く関係ありません
これを見て、東京朝日新聞の社会部記者連中が上を突き上げ、『明暗…』が刊行されたと見て良い。
昭和初期のエログロナンセンス文化の一端を垣間見ると、こう云うモノを享受していた日本社会が、その後ほどなくして自滅した事が信じられない気持ちになるのだが、享楽も度を過ごすと苦役と変わるものではないと云う。インチキ商売に懲りたり、飽きがくることもあろう。当局の引き締めもある。そもそもこの手の文化を享受できた階層が、限られたものでしかなかったのだから、通俗歴史書がエログロナンセンス文化が花開いたなどと書き立てていても、日本人全体から見れば無いのも同然だったのだ、と突き放すことも出来る。
日露戦争の講和に反対する―戦争をあくまで続けよと云うことだ―騒擾を起こした日本人が、なんで満洲、支那でコトを構えるのを躊躇するものか。
庶民の生活が、モダンになったと云っても、井戸が上水道になり、電灯がひとつふたつ灯り、雑誌の1、2冊が加わった程度だと考え直してみると、所詮は自称尖端・自称前衛が、フォロアーを得られず立ち枯れて行っただけの事、惜しむに値せずと当時でも思われていたのだろう。
(おまけのおまけ)
エロ度が低いだけでなく、志まで低かった『東京エロ・オン・パレード』。これで終わりにしてはタダの古書失敗譚なので、少しくらいは本文を紹介しておく。「エロ時代銀座風景」の「年中『空間あり』」(『あきまあり』と読む)の全文。
金一升、土一升のギンザの真ん中裏通りに最近「空間あり」の紙がチョイチョイ眼について、何時までも何時までも貼られたままに御座ると云うは不思議な様。不況な緊縮の世にナント不経済なことだろうと思うと大間違い。これが却々(『なかなか』とルビ)の金儲け新職「空間業」である。
で下宿人も置かずに儲かるこの空間業には堂々たる素人家電話持ちもある、警視庁のカフェ取締の眼が光って生まれて来た新風景で、円タクの遠出も危い、旅館ホテルは高過ぎる上に臨検が怖い、そこを狙ったのがこの「空間あり」一晩二円也「一寸一晩見せて貰いたい」の二人連れで大繁盛。絶対安全地帯?というので益々殖える一方だと。
都心の空き家活用の一策になるやも知れぬ(ペイするかどうかは請負しかねます)。
(おまけのおまけのおまけ)
5年前、「一度くらいは大島に行って見たいものだなあ…」と書いておいたら、2012年に大島に行くことが出来た。
願望を「兵器生活」に書き出せば全てかなうなどとは、さすがに思わぬが、5年前に書いた文章のおかげで今月の更新を無事切り抜けられた事だけは確かである。