「防空電球」広告で72万7千おまけ
アニメーション映画「この世界の片隅に」が、2016年11月12日遂に公開された。
批評家筋はもとより、一般のお客さんの評価も高く、興行も善戦していると聞く。資料供出、クラウドファンディング出資、近所呑み屋へのチケット配布と自腹を切り、「兵器生活」を変質させてまで「銃後の務め」を果たした身として嬉しい限りだ。
映画にチラっと出て来る「防空電球」の広告が手許にあったので、今回は映画完成・公開を祝福する名目で紹介する次第。
『月刊東西』昭和12年10月「防空特輯号」
「トウランプ」と云うブランドの電球を販売していた、東西電球株式会社の広報誌である。右下の黒いモノが「防空電球」だ。
「100V トウ防空用 30W」
電球の光が中心部分からだけ放たれるように作られたもの。
どんな感じで光が出るのかは、下の広告写真を見るとよくわかる。
「トウ 燈火管制用電球」広告
この映画に限らず、戦時中を描いたドラマで、電灯の笠に黒い布を垂らして、光が部屋の壁にまで拡がらない(窓や戸から外に漏れない)ようにしているのを見るが、これは電球そのもので同じ効果を出せるようにしたものだ。
なぜこんなモノが出来たのか? それは「灯火管制」のためだ。
資生堂のアートディレクションで有名な、山名文夫が(資生堂勤めの合間に)レイアウトを手がけた『わが家の防空』(東部防衛指令部、軍人会館出版部)の言葉を引く。
『わが家の防空』(昭和11年6月)表紙
美しい広告燈の電飾・店頭に輝くネオンサイン・家々の電燈・さては自動車のヘッドライト・交錯して夜の都会を彩ります・実に大都会の夜は光の街です。
此の都市の燈火は或は太平洋上から 或は東亜の大陸から飛来する敵機にとっては 絶好の目標となるのであります
そこで夜間の空襲に対して 国土を黒一色に塗り潰して 都会の所在を隠し 飛行目標を見えなくして空襲を断念せしめるか 又はその効果を最少に限度に止める方法が・・・燈火管制です。
それは都会の話で田舎は関係ないですよね、と云う疑問に対しては、
このような理屈を持ち出して、実行の徹底をはかろうとしていたのだ。それは後に「防空法」によって義務になる(昭和12年3月30日制定)。
広告の写真下に書かれた
一燈洩れて全市壊滅!
のコピーは、こうした文脈の中にある。
「一」人の不心得が街「全」部をだいなしにする、と云うのなら、最初から外に灯りのもれない電球を作れば安心だ、と考案・製造されたのが、この電球なのである。
光の出方にバリエーションを持たせるためか、電球の形状も工夫されている。残念ながら現物が灯っているところを見たこともなければ、それを示す資料も持っていないので、これ以上の事はわからない。
カタチはさまざまだが、左下の表を見ると、ワット数と推奨する部屋の広さの関係は、どれも
7.5W:二畳以上用
10W :二〜三畳用
13W :三〜四.五畳用
20W ;四.五〜六畳用
30W :六〜八畳用
と同一になっている。「シングル(明暗装置なし)」「ハイロー(明暗切替球)」の二種類があると云う。
さてこの冊子、「防空特輯号」と銘打っている以上、防空啓蒙記事の二つ三つもあるのかと中を見ると、「燈火管制の常識」と防空演習スナップと云う、古本屋に払った値段を思うと、ちと淋しいものがある(ネタに使えるだけで充分モトは取れてはいるが…)。
「帝都を中心とせる防空演習実況」と題されたスナップに、「防空演習」(大光漁人)と云う詩が寄せてある。
街は皆燈火(あかり)消たれて物々し管制の夜を降る秋の雨
空を護る演習(ならし)の宵の四ツ辻は往来も稀に秋の雨降る
ネオン消えしみやこ(都)の宵の雨空をいな妻なして探照灯(サーチライト)はしる
小雨降るみやこの夜空隈もなく機影もとめてライト輪を描く
軒並に灯を暗くせし雨の街に江戸の昔の夜を想いみつ
灯火管制による夜の闇ばかり詠っているのは、電球販売会社の冊子だからだろう。
この年の7月には支那事変が勃発し、帝国海軍航空部隊による「渡洋爆撃」も始まっているのだが、「江戸の昔の夜」を想うくらい、まだ空襲は絵空事なのである。
(おまけのおまけ)
冊子に掲載されているカット
上にあげた「月刊東西」掲載のカット。
「水だ! マスクだ!」は、有名な防空標語、「空襲だ!水だ!マスクだ!スイッチだ!」をもじったもの。
この標語は、『わが家の防空』表紙、メガホンの中にも見える。
表紙の一部を拡大
「水」は火を消すため、「マスク」は毒ガスを防ぐため、「スイッチ」はラジオで情報を得るために必要なモノである。
ちなみに『わが家の防空』の裏表紙には、
・一に燈管・二に防火・三に防毒・四に笑顔
・防火防毒洩らすな燈火・断じて守れ国の空
・燈管・防火・防毒で・日本の空は鉄壁だ!
の防空標語が踊っており、これらのすべてで燈火管制が謳われている。空襲の現実味が薄い時期、「防空」とは第一に灯火管制なのである。
防空に「防毒」が入っているのが、現代では不思議に思われるかもしれない。
これは第一次世界大戦で化学兵器(毒ガス)が猛威をふるった事により、次の戦争は開戦劈頭、敵爆撃機がガス弾を都市にバラ撒きに来ると喧伝されていたためである。第三次世界大戦は核戦争になるから核シェルターを作りましょう、と云うのと同じ事なのだ。
帝国日本の「民防空」(一般国民が行う防空活動。『軍防空』―敵の根拠地を空襲する積極的なもの、来襲した爆撃機を撃退する消極的なものまで―と、区別する際に使われる)の結末を知っていると、『わが家の防空』から10年近くも時間があったはずなのに、当局はいったい何をやっておったのかと情けなく思えてしまうが、国に入ったお金は中国との戦争やら、軍艦やら飛行機やらと他の用途に費やされ、民防空の質的向上にはあまり廻ってこなかったのだ。
高齢者保護か次世代育成か、震災復興か国土強靱化かオリンピックか、なんだかんだで、声の大きい・票の取れるトコロに税金が流れていくのと、あまり変わらない。
『わが家の防空』より。まだモンペは穿いてない
(おまけのおすすめ)
『兵器生活』は毎月一本の記事(これをネタと呼称す)を載せ続けている関係で、入手出来た資料の断片を紹介する傾向にある。色々な資料を使い統合された知見を得られる記事を書きたいと思ってはいるが、それをやると毎月の更新が出来ず、心苦しく感じている。
空襲ネタは、『兵器生活』でも過去に何本かやっているが、即物的な事ばかりに目が行く体質なので、国家当局が一般国民にどう云う防空活動の遂行を期待していたのか、それが対米英戦争の勃発と激化によってどう変化したのか(その果てが各地空襲の惨禍であるのは云うまでもあるまい)までは語っていない。
そのへんを調べるのは面倒なのでそのままにしておいたら、『「逃げるな、火を消せ!」戦時下トンデモ「防空法」』(大前治、合同出版、2016年11月)と云う、素晴らしく面白い本が出たのである。
この本は、大阪空襲訴訟で国の責任を追及するために集められた、当時の新聞記事、『写真週報』(政府広報誌)、議会議事録、防空啓蒙書籍などの資料を駆使して、そのあたりの事情を解説しているものである。1ページがウチのページのネタ一つ分に相当する(ところも少なくない)、図版豊富・文章平易・ツッコミ的確な読み物なのだ。
『「逃げるな、火を消せ!」戦時下トンデモ「防空法」』
これを読むと、『この世界の片隅に』の主人公が、爆撃で家を破壊された人を思い出し、「家を壊してもらえて、堂々とこの街を出ていけたんじゃろうか…」とつぶやく、その「堂々」に隠された意味が良く解る。原作・映画の背景を知る、副読本としてもお薦め出来る本。
(おまけのおまけの悔しくてやりきれない)
『「逃げるな、火を消せ!」戦時下トンデモ「防空法」』が出てしまい、そのうちネタに使おうと思っていた本の立場が無くなる(涙)。
『国民防空訓練』(昭和7年)
『国民防空書』(昭和16年)
これは一度使ったことがある『防空』(昭和17年)
中身は、時期によって云い廻しに違いはあるものの、同じような話ばかりなので、使い途に困っているのも事実だったりはする。ネタ度の高いものは「供出」して手許には無い。
その他、本の山に埋もれてしまい、そのうち石炭か石油になっちまうんぢゃあないか、と云うのが何冊かある。『わが家の防空』も、もともとはその一つなのだが、これは元手がかかっているので、今回無理矢理登場させてみたものである。