どぎまぎ禁止

口頭試問の心得で75万9千おまけ(承前)


 戦前日本の学校制度は複雑と云われるが、生活史・教育史に立ち入った新書の類を何冊か読んでいれば、尋常小学校に始まり、中等学校、高等女学校…そして頂点の帝国大学に至る、大まかなところを掴むことは出来る(そこからはずれた所が『複雑』なのだ)。それで日頃の生活には全く支障はないのだが、せっかく中等学校入試の参考書を紹介しているのだから、このあたりの所をもう少し知りたい。

 「兵器生活」主筆は、現行の教育制度の下で育っているため、旧制中学の存在の大きさがよくわかってない。
 現代でも国立大学の付属や私立の中学校と云う、小学校卒業見込の子供に選抜試験を課す学校があるから、「中学入試」の大変さをイメージすることは出来ても、中学進学と小学校を出てすぐ社会に出る、その岐路の開き具合が掴めないのである(読んだ本を読み返せば良いのだろうが、タイトルも忘れたモノを、ドー探して読み返せと云うのか)。

 『<少年>と<青年>の近代日本 人間形成と教育の社会史』(田嶋一、東京大学出版会)の、第3章「青少年の自己形成と学校文化」は、中等学校をこう表している。

 戦前の中学校は、少年たちにとって学校という制度を通して社会的エリートになるための最初の選抜機関であった。中学校に入学するためには、難関の中学入試を通りぬける能力と、中学生を支える家庭の経済力が必要だった。さらにまた、そのような競争に子どもを参加させようとする親たちの意志も必要だった。

 親の理解と経済的支援(学費がかかる)がなければ、児童本人の学力、意欲があっても進学することが出来ない(親類や篤志家が援助してくれる例はある)。
 同じ町村に暮らし、同じ学舎(まなびや)で、同じ教科書を読み、同じ先生に教わっていた子供たちが、中学進学を契機に、それぞれが生きていく社会の輪郭を意識することになる。論ではそこを、

 たてまえとしては万人平等論をとるが、実質は身分社会と階級社会がおりあいをつけていた社会では、学校そのものの存在が社会の階層化を押し進める装置としての機能を果たしていた。

 と評し、中学に進学できたもの、できかったものの双方にあった機微を、『路傍の石』(山本有三)、『麦熟るる日に』(中野孝次)、『羊のうた』(加藤周一)など、自伝/自伝的小説の記述を使って紹介している。前回そのさわりを紹介した『今度改正施行される 口頭試問の受け方答え方』にも引かれていた、文部次官が烈しく批判していた”準備教育”の実態も記されており、記事を読むと、当時の中学進学の重みと、戦後教育の有難味をしみじみと感じる。しかし、ボーっとしたまま中学を卒業し、当然行くものだと高校に進学、一浪はアタリマエで予備校に行って大卒の資格を得た身の上では、中学校に行かせてもらえなかった人が抱いた想い、受けた世間の風を想像することは出来ない。

 前回は、昭和15年度から、中等学校入学選抜選抜方法が内申書・口頭試問・身体検査の判定に改められる話と、内申書の様式などを紹介して終わってしまったので、今回は、口頭試問の概要と、志望者はどんな心構えを持っているべきかを記したところを見ていきたい。

(二)試問の仕方(性向考査と身体検査)
 口頭試問は、次に挙げた仕方によって行われるのが普通であります。

 一、学力試問 小学校で学習した修身・読方・国史・地理・算術等の各学科の中から、学力を判定する目的の下に行われるものでありますが、之らは今度の入学選抜方法の改正によって行われないことになりましたから、入学試験の為にする予習や復習は全くいらないのです。

 二、常識試問 常識とは普通人の備えている知識であって、特に学習を要するほどのむづかしいものではなく、やさしくて判りきった様な事や、ちょっとした考ですらすら答えられる様な問題でありますけれど、中には平生見たり聞いたりして居りながら、不注意のために、全然見当がつかなかったり、或はしどろもどろのあやふやな答をしたりして失敗を招くことがあり、或は突然意外の事を問われるので、まごついたり、どぎまぎして正しく答えられなかったりする場合が多くありますから、本書の「常識に関する試問」と「参考試問」とに就いて、十分心得ておかなくてはなりません。

 三、性向考査 これは勿論試問ではありませんが、小学校長から提出される内申書には、受験者の成績の外、不断(ママ)の品性・素行・長所・短所・趣味・得意不得意の学科・注意力等をそれぞれ記入されていますが、中等学校では更に挙動・礼儀作法等について、僅かの時間ではあるが、多くの生徒に接して居られる考査委員の先生は、その人物を判定して及落を決定されますから、平生から心がけて、言葉遣や動作、殊に礼儀作法を心得ておいて、其の場に臨んで臆したり、あわてたり、どぎまぎしないようにしなければなりません。

 四、身体検査 これは大抵口頭試問の前に行われるものであります。そして此の身体検査は入学選抜には重要視され、かなり厳しくやられます。格言にも「健全なる精神は健全なる身体に宿る」といわれる通り、健康は人の行動のすべてを支配するものでありますから、どんなに才のすぐれた人でも、中途で学業を棄てるようなことがあってはなりませんので、入学選抜の時には必ず身体検査があります。ですから日頃適度の運動をやって、強壮な身体を鍛えておくことが肝要であります。

 常識試問を「特に学習を要するほどのむづかしいものではなく」、と紹介し始めておきながら、最後は「本書の『常識に関する試問』と『参考試問』とに就いて、十分心得ておかなくてはなりません」とまとめる力業に舌を巻く。
 こう云う心得は、当時の中学入試に限らず、今日行われている「面接」全般にも通じる。
 試問の概要に続いては、試験官についての説明となる。

(三)試問を行う先生
 いうまでもなく、入学試問は皆さんにとって誠に重大事であります。従ってそれだけ皆さんは此の試問を大事と思う結果、つい試問をとても恐ろしいものの様に考えて、試問をする先生の顔を見ただけでも、こわがって胸のどきつく様なことが、どうかするとありがちです。然し、それは余りに臆病なことです。極めて大切なものに対して、つい恐ろしいものの様に思うということは、誰にもありがちなことですが、然し試問の時に、こうした気持を抱いて居るのは、非常に不得策であり、又試問をする先生の方でも、そうした心持や、試問そのものを恐ろしく思って、自分の実際を十分に表せない様なことがあっては、御迷惑をなさるのであります。よって、皆さんは試問をする先生に就いて、しっかりした考をきめて置かなくてはなりません。
 そこで試問をする先生は、皆さんの始めて会う方々で、しかも皆さんの実際を正しく観察して下さるのですから、其の先生の前に出たならば、姿勢を正しくし、動作に注意しなくてはならないことは無論ですが、それかといって余り固くなってもいけません。つまり今までお習いして居った小学校の先生と同様に考えて宜しいのです。況して其の先生は、皆さん方を自分の学校へ迎えて、親切に教えてやろうという親しみをもって試問されるのですから、決してこわいとか、恐ろしいとか思ってはならないのです。
 なお又、此の先生は、小学校長から提出された内申書によって、皆さんの小学校に居った間の学力を始め、性質、品行、家庭の様子等すべてを十分御存じになって居られる上に、皆さんの方では始めてお会いした先生の様に思っても、試問をする先生の方では、前からよく皆さんを知って、親しく思って居られるのですから、こうした先生方の前で、臆したり、はにかんだりする様なことがありますならば、それはそうした人の方がわるいのですから、自分でよく此の事情を心得ておかなくてはなりませぬ。

 試問する先生方は、決して鬼でも蛇でもないと丁寧に諭す。
 「自分の学校へ迎えて、親切に教えてやろうという親しみをもって試問される」の一文に、目からウロコが落ちる。学校でそうなら、アルバイト先の商店、就職先の企業の面接であれば、「一緒にやっていく仲間として見出してもらう」はずだ。なるほど「臆したり、はにかんで」何も云えないようであれば、本人のせいにされても仕方のないところは確かにある。しかし、試問を受けるのは年端のいかない児童である。内向的な子供は不利益を蒙らないのか?

 前回紹介している、制度改正に対する大村次官と記者団との問答にも、「気の弱い児童は損をしないか」の問いが出ている。それこ対しては、「個人調査書に(略)無口で表現が下手だと記載しておけば、質問のとき試験官が資料としてみるから」、ないしは「『頭は良いがこの子は内気で表現が拙い』等記す」から大丈夫だと請け合っている(進学できる子供はよいが、小学校から社会に出る人は苦労したことだろう)。
 しかし内申書だけで「よく皆さんを知って、親しく思って」いるとするのは、児童に向けたことばとは云え、善意に取りすぎだろう。

 続いては「試問時間中の心得」だ。試問は試験官の前に出る前から始まっている。

(四)試問時間中の心得
 試問の時間は何時から何時まてであるかと申しますと、それは勿論、其の試問をなさる先生の前に居る間のことでありますが、しかし唯それだけと思って居っては間違です。前にも述べた様に、今後の入学試験は、皆さんの学力は内申書によって見定めることは無論ですが、口頭試問によって其の人柄を見定めようとするのですから、其の試問は、其の学校の控室に待って居る時から、いよいよ試問室に入る途中、試問室に入る場合、試問が終わって其の室を出る時までが、試問の時間であると心得て居なければなりません。
 さて、試問時間中に於ける心得の第一としては、前に申しました通り、試問をする先生をこわいものと思うことは、非常に不利益なことであるから、是を頭に置かないことが肝腎であります。
 第二は、試問にうまく答えようと思って、いろいろの要件を小さい手帳や紙片(かみきれ)に書込んで、それを控室などで暗記しようとして、頭を傾けたり、顔をしかめたりすることもしてはなりません。何となれば、入学試問は一時の俄作りで答えられるような問題は出されませんし、又こうした問題は、準備中によく学習して置くのが当然で、かような俄勉強に気を取られたり思いつめたりして、試問前の心を暗くして、沈着の態度をきずつける様なことは必ずしてはならないのです。
 第三は、試問の前に、はげしい運動をしたり、或は学校内の標本室や図画室など、眼にふれる珍しいもの、新しいものを面白半分に観まわって、それらのものに心を引かれ、心の落着を失うということも極めて害の多いことです。
 それであるから、試問前の心を朗かにして、しかも心を落着けるためには、時に深呼吸をするのが最も宜しいのです。

 試問時間中の心得の要訣は、冷静沈着であれ、に尽きる。
 「標本室や図画室など」面白そうなモノがあっても、心を奪われてはいけないなど云われると、町を歩いて古い建物があるとツイそっちへフラフラ向かってしまう主筆のような人間は困ってしまいますね。守れるかどうかはさておき、今でも役に立つ心構えだと云える。
 この期に及んでジタバタしても仕方がないと云うことでもある。

 いよいよ試問を受ける部屋に入る時・入った後の心得だ。

第二 試問室に於ける心得
(一)先生の前に出るまで
 前に述べたように、口頭試問は試問室で試問される時だけでなく、控室に待って居る時から、既に自分は何かで試験されているものだと思って、注意して居らなければなりません。そこでいよいよ試問室に入るまでの注意と心得を申しましょう。

 一、名前を呼ばれた時
 大勢の受験者と共に控室に居って、自分の順番の来るのを待って居るということは、予期して居ながら、何とも言い表し様のない特別な気づまりを感じるものです。しかし試問は決して恐ろしいものでもなく、皆さんを苦しめるものでもありませんから、前に述べた注意をよく守って、落着いた心の中に溌剌たる元気を蓄えて、自分の番の来るのを待って居なければなりません。
 さていよいよ自分の番が来ると、係の先生が自分の名前を呼ばれますから、その時はすぐに立って、元気のある声で「ハイ」と答えます。そして其の係の先生の指図をよく守りなさい。
 名前を呼ばれても、すぐに返事をせずにぐづぐづして居たり、係の先生に幾度も自分の名前を呼ばせて手数をかける様では、既に試問を受ける値打ちのない人です。又時には、名前を呼ばれても返事をせずに立ったり、或は其の控室に居ないで、勝手な所へ行って人と話しをして居たり、或は遊んで居ったりするのは、非常に悪い事ですから、よくよく注意しなければなりません。

 名前を呼ばれた時、すぐ返事の出来ないのは「試問を受ける値打ちのない人」とは厳しい。しかし、呑み屋で店員を呼んでいるのに応えがない時の怒りを思えば、これくらいの事は書いても良いのかもしれない。

 二、試問室に入る時
 いよいよ受験票の番号によって名前を呼ばれたならば、其の係の先生の言われる通りにして試問室に入るのですが、先ず心を落着けて室の前まで参ります。其のとき、ドアーが締(ママ)まって居ったならば、右手で之を開けます。ドアーが開いたなら左足から室に入って、今度はドアーの方に向き直って、又右手でドアーを締(ママ)めるのです。
 試問室には、大抵四五人の先生が居られます。さてドアーが締(ママ)まったならば回れ右して静かに先生方の方へ向いて礼をして、更に静かに先生方の前に進みます。そして先生方から二メートル程の所に立ち止まって、又礼をします。
 此の先生方の前に立つまでの間は、落ち着いていることが最も大切で、其の落ち着きを欠いて、或は礼をするのを忘れたり、或はあちらこちらを見廻したりして品位を損ずるようなことがあると、態度の短所を見られて、思わぬ失敗を招くようなことがあります。
 そこで試問をする先生の前に立ちますと、「もう少し前へお進みなさい」とか、或は「おかけなさい」とか言われましょう。そうしたら其の言われる通りにするのですが、此の時にも、おどおどしたり、室内をキョロキョロ見廻したりなどすることは、人物が軽はずみで、上品でないことを表しますから、くれぐれも注意しなければなりません。之だけで、先生方はあなたの人物を知りわけてしまいます。そして受験票は手に持って居ります。

 「微に入り細を穿つ」説明だ。しかしクドいね(笑)。
 ここでも落ち着きが強調される。オドオド・キョロキョロすると人間が「上品でない」ことが見抜かれてしまうと云う。注意したいものだ。

 三、先生の前に居る時
 先生方の前に出た時の注意は前に述べた通りでありますが、試問される間も、やはり心を十分に落着けて。姿勢を正しくして試問を待たなくてはなりません。まだ試問の始まらない前から、どんな事を問われるかを気に病んだり、或は服のボタンをひねくったり、受験票をいじったりなどする不作法なことは必ずしてはなりませぬ。姿勢を正しくして居れば、自然に心が落ち着いて心もしっかりして来るものです。しかしこうした態度も、俄作りでは出来ないことですから、平生から注意して、自分の身体、自分の姿勢を正しくする心がけが必要です。

 結局のところ、日頃の気の持ちようが大切なのである。

 ようやく核心、試問そのものに対する心得が説かれる。

(二)試問に対する心得
 先生から試問される時の心得については、二つの場合があります。其の一は、すべての試問の時、何時でも気を付けておかなければならない一般の心得で、其の二は、此の様な問題に対しては此の様に答えなければならぬという心得であります。しかし、第一の様な一般の場合の心得は割合に簡単ですが、第二の場合は非常に複雑でありますから、之は更に項目を改めて、後編に於いて述べることにしました。

 試問に就いての一般の心得を挙げてみますと、
 一、試問を心を落ち着けてよく聴き取ること。
 二、試問が聴き取れなかったり、試問の意味がはっきりしなかったら、もう一度先生に聞き直すこと。
 三、試問の意味のはっきりしないのに、いい加減の答えをするな。
 四、試問の意味のわかった時は、それにあてはまった答をはっきりと答えなさい。
 五、試問の答えがわからなかった時は、わかりません、忘れましたという風にしっかり答えなさい。少しは答えられる時は、答えられる所まで言って、それから後は忘れましたと言いなさい。
 六、試問に対して、知っているからとて余計な事は答えるな。
 七、一つの試問に答えられたからとて、喜んだり、高ぶったりしてはならず、十分答えられなかったからとて、はにかんだり、がっかりしてはならぬこと。
 八、答えは正直にして、うそや作りごとを言うな、自分では体裁をかざったり、うまく言ってごまかしたつもりでも、先生の方では試問になれているし、内申書であなたの実際を知って居られるから、直ぐにわかってしまう。
 九、答え方は簡単明瞭で、要領を得ることは勿論、問に対して、がてん首を下げて「そうです」という意味を表したり、或は首を横に振って、「そうではありません」という態度や動作をしてはならぬこと。

 なお、口頭試問は筆答考査と違い、試問の意味のわからない時には、こちらから聞直すことが出来ますから、取返しのつかぬような感違いをして失敗するようなことはありませんし、よしや一つの試問に失敗しても、直ぐに取り返しの出来るように、次から次へと問われて行くのでありますから、安心して試問を受けることが大切です。しかし其の答えは、かえすがえすも簡単明瞭で、要領を得ることを第一の心得としなくてはなりません。

 この本の文章は、子供向けに書かれているため、基本的には”ですます調”で、ていねいな言葉遣いをしているのだが、
 「いい加減の答えをするな」
 「余計な事は答えるな」
 「うそや作りごとを言うな」
 この三つだけ、キツい云い方をしている。これらは社会生活をしくじらないために、身に付けておかなければならない決まりなのだ。と書いてはみたが、「兵器生活」の”青くない”文字がそれらを守っているかと詰め寄られると、どぎまぎしてしまう、と余計な事を云ってみる。

(三)試問が終わった時
 試問が終わっても、すぐその場で安心しきって、今までの姿勢や態度を崩したり、答えがよく出来たとて、心中の誇りを顔かたちに現したり、或は答えがよく出来なかったとて、がっかりしたり、気を落としてしょげ返ったりするのはよくないことです。
 先ず試問が終わったならば、先生の命令をまもって、「もう宜しい」とか、「帰って宜しい」とか、いわれる通りにしなさい。そして先生の前を去る時は、礼をした後、廻れ右をして、室に入った時と同様の仕方でドアーを開けて外へ出ることを忘れぬようにします。
 次に試問室を出たならば、更に係の先生の通りにしなさい。勝手に元の控室へもどって遊んだり、父兄の許へ奔ったり、帰宅したりなどしてはなりませぬ。

 こう書いているのだから、勝手に帰宅する子供もいたのだろう…。
 試問当日の注意事項はここまでだ。

 試問前日までの注意はあっさりとしたものだ。書く方も飽きてきたのだろう。

第三 試問前の心得
 (一)試問前の準備
 試問前に準備しておかなくてはならぬことは、
 一、前日に入浴して身体を清潔にし、気分をさっぱりとさせること。
 二、手足の爪を切り、歯はよく磨いておくこと。
 三、男子は二三日又は四五日前に散髪し、女子は髪の手入をしておくこと。
 四、前日、受験票や上靴等の持物をととのえ、洋服のよごれや、ほころび、ボタンなどを一通り調べておくこと。
 五、今一度受験心得を読みなおして、用意万端ぬかりのないようにすること。特に受験票は極めて大切であるから、取落さないように注意すること。

 当たり前のことではある。それでも親が忙しくて子供を顧みておかないと、試験前夜に大騒ぎになる。

 (二)試問の前夜
 (1)試問の前夜、一番大切なことは、眠りを十分にとるということです。十分に眠っておかないと、其の為に試問の当日、顔の色はわるく、元気もなく、其の上頭がはっきりしない。従って気分も晴々としないので、いやに試問が気づかわれたりします。かようなぼんやりした頭では、実際の試問に臨んで、十分に自分の実力を表せないようなことがあります。ですから、入浴の後早めに寝床に入り、睡眠を十分にとりなさい。
 (2)次に大切なことは、自分はきっと合格するという自信をもつことです。今まで久しい間試問に努力を重ねたし、其の上、先生は親切をつくして指導して下さったし、両親は何くれと世話をして下さった。この三つの力を以て当れば、失敗などすることがあるものかと、堅い堅い自信の外には何事も考える必要はないのです。
 (3)受験前夜の食事に就いて注意しなければならないのは、成るべくあっさりとしたものを軽くとることで、あまり大食して胃腸をつかれさせたり、ややもすると試問の当日腹痛を起したりなどして、折角の試問を受けられないでしまうような不幸を招くことさえあります。
 (4)終わりに注意すべきは、試問の際の持物は、お父さまなり、お母さまなりに、もう一度調べていただきなさい。

 よく睡眠をとっておく、食べ過ぎをしないと云う体調管理の大事さは当然のことだが、風邪をひかないよう注意を促していない所が気になる。身体検査に向け鍛えているから風邪などひいたりしない前提なのだろうか?
 「きっと合格するという自信」―やれるだけのことはやり尽くした―、この境地に至れば、結果がどうあろうと前向きに受け止めることが出来るだろう。

 自分には無関係な戦前の試験参考書も、一字一句抜き出して読んでみると、”躾”の領域に近いところもあって、今の時代でも心得ておかなければならぬ事が案外とあるものだ。わが「兵器生活」のコンテンツは”無駄知識”を自認しているが、今回に限っては世間様のお役に立つのではないかと思っている。
 「そんなのジョーシキでしょ?」と返されるとグウの音も出ませんが…。

 と云うわけで、本題である「昭和14年当時の、小学六年生が持っているべき常識」は、またも次回に持ち越してしまうのだ。そこに関してのみ、読者諸氏にお詫び申し上げる次第だ。

(おまけのおまけ)
 現在の中学入試でも面接は行われている。


親子でみる中学受験面接ブック

 『首都圏版 親子でみる 中学受験面接ブック』(改訂二版、声の教育社)は、タイトルそのものの本だ。
 「全国716の国立・私立中学校のうち、61%にあたる436校から」面接に関する、版元が行ったアンケートの回答があり、その「4校に3校の割合で」面接は実施されていると云う。
 そのうち291校から面接の重視度について回答があった。その内訳は「重要な資料となる48」、「ボーダーラインでのふりわけ84校」、「参考程度159」と云うもので、やはり学力試験重視と云える。

 面接の内容は、学科試験があるからか、「性向考査」に相当するものが殆どである。しかし、黙っていても地元の公立中学校に進学できるモノを、わざわざ手間とカネをかけ、別な学校に行こうとするだけに、「志望動機」はどこの学校でも聞かれる「たいへん重要な質問」であると、この本では書かれている。詳細を書いてしまうと本が売れなくなるし、戦前の試問内容と比べた方が読みモノとして面白くなるので、ここでは深入りしない。

 この本の「面接試験の意義と実際」を読むと、「面接官をこわがらないでください」、「面接官の先生がたもいろいろと気をつかっているのです」、「待ち時間や終了後の行動もみられています」、「けじめをつけるところはきちんとしましょう」など、戦前の参考書にあるような事が書いてあり、昔も今も変わらないものだと思うが、「面接準備」の中に「健康管理は成功の重要要素」として風邪の予防がしっかりと書かれているなど、ところどころに違いもあり、見比べると面白い。

 表紙にある画は、望ましい「面接ファッション」である。戦前の本に、それに相当するモノが載ってないのが残念でならない。