児童が知るべき時局知識

中学入試口頭試問「時局試問」で76万2千おまけ(承前)


 『今度改正施行される 口頭試問の受け方答え方』(昭和14年11月刊)は、学歴エリートの第一歩、中等学校入学選抜志望者に向け編集された参考書である。そこには一般常識に関する試問だけでなく、「時局に関する試問」の想定質問と、望ましい答えが記載されている。


「口頭試問の受け方答え方」

 その内訳は、
 [一]支那事変について
 [二]銃後の勤について
 [三]国民精神総動員について
 [四]戦時の物資について
 [五]興亜奉公日について
 [六]欧州戦争について
 である。
 [一]〜[五]は、戦時下国民に求められる時局認識、そして残りが本書刊行のわずか2ヶ月前に勃発した「欧州戦争」(第二次世界大戦)の原因、日本への影響について問われるものだ。

 中学受験者(児童)の時局知識など、たいしたモノではあるまい、と思う向きも多かろう。しかし、それこそが全国民に最低限押さえておいてもらいたい知識なのである。
 「ムツカシイ事は良くわかんねえや」と云ってる、市井のオッサン・オバチャンは、「オトナのくせにそんな事も知らないのかい」と子供に叱られてしまうのだ。

 そこで書かれているのは、日中戦争解決の目途が立たぬ中、内向きに語られる「日本スゴイ」論と、窮屈になりゆく生活への順応要請の類である。
 何故そうなったのか、この先、日本はどうあるべきなのかについて問われることはない。子供相手のせいだろう。

 以下、例によってタテをヨコにし、仮名遣いを改め全設問を紹介しつつ、適宜補足・文句・揶揄等々を入れて紹介していく。

 三 時局に関する試問
 [一]支那事変について

 今なお、当事国間にわだかまりが残っている”事変”である。本書が出た昭和14年時点では終わっていない。その収拾が行き詰まったあげく、アメリカに戦争をふっかけ、『大東亜戦争』に拡大させてしまった「戦争」を、どう語っているのか?

 一、(問)支那事変はいつから始まりましたか。
    (答)昭和十二年七月からです。

 二、(問)支那事変はどうして起こったのですか。てみじかにお話しなさい。
    (答)日本の軍隊が支那の北京に近い盧溝橋で、夜演習をして居ると、
       支那兵が不法にも日本軍に発砲して戦をしかけたことから起こりました。

 「てみじか」にすると、ここまで単純化できるのかと戦慄する。
 いまどきの”ネット右翼”でも”コミンテルンの陰謀により”くらいは付け加える(笑)。通俗歴史読み物でも、日清戦争や満洲事変による日中関係のこじれに言及しないわけには行くまい。現地で停戦を取りまとめつつあった話も語られていないのだ。

 「最新の知見で描き出す」とオビにある、『決定版 日中戦争』(新潮新書、2018年11月刊)を読むと、中国国民政府は、「国家主権に反する現地協定は認めないと言明した」と書かれている。蒋介石が「この上海戦は、外国人にやって見せるものだ」と語った事も紹介されていて、中国側は「受けて立つマインド」にあったとしている。
 「誰が最初の一発を放ったか?」の結論は、今も定まっていない。しかし中国側が、日本に出ていってもらいたい思いを持っていた事は確かだろう(明治日本の『条約改正』、今日の『北方四島問題』、沖縄を初めとする『在日米軍問題』を思い浮かべてもらえれば、容易に想像がつく)。

 三、(問)日本は何のために支那と戦っているのでしょうか。
      (日本はどういう目的で、支那と戦っているのですか)
    (答)支那の政府が共産主義のロシアや英国の後援をたのみとして、
       日本を侮ったり、日本に反抗して東洋の平和を乱したから、
       これを平和な世の中にするためです。

 「対支一撃論」に乗せられて、「暴支膺懲」と始めたものの、解決の目途が立たない。それは、ソ連(ロシア)・イギリスが後押ししているからだと云う。しかし本当の原因というべき、中国側の侮り・反抗の背景には全く触れられていない。
 やられた方は、”突然キレた”と相手を責めるが、やった方が「積年の恨み」を抱き続け、その限界に至った事を認識していない。アメリカ人が「卑怯なだまし討ち」とする真珠湾攻撃も、当時の日本人から見れば「堪忍袋の緒が切れた」、「通告が遅れてゴメンね(てへっ♪)」に過ぎぬ。

 「東洋の平和を乱した」とあるが、それは日本(満洲国含む)と中国だけぢゃあないか、と云いたくなる。

 四、(問)今度の事変で我が軍の占領した大きい都会を三ついってごらんなさい。
    (答)北京、上海、南京。

 最初の一年で獲った都市の名前しか出ていない所が情けない(『武漢三鎮』も占領しているのに)。

 五、(問)日本の兵隊はどうして強いのでしょう。
      (日本軍の強いわけをお話しなさい)
    (答)君国の為に一身一家を忘れ、身命をなげうって戦うからです。

 2年以上やっても中国が参らない。その理由をソ連・イギリスの後押しがあるからだと前の質問の回答では述べているが、結局のトコロ、日本の兵隊が(思ったより)強くなかったからではないのか? と考えてもよいのではないだろうか(同じ疑問を発して、教師に大目玉を喰らった児童も、1人か2人はいたと思う)。
 「仕事中」は一身一家を忘れて働いていても、時にはふっと故国の家族を思うのが兵隊なる人々だろうと思う。石川達三『生きてゐる兵隊』が発禁になったのは、前年昭和13年のことである。

 今でも我々は「はたらく人」を、その機能で捉え、生身、あるいは生き物として見ていないように感じる。つまり我々自身も、他人からは機械か部品か何かに見られていることになる。

 六、(問)支那事変に出征している軍人は、教育勅語のどういう御言葉を
       実行しているのでしょう。その御言葉をいってごらんなさい。
    (答)「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
       という御言葉であります。

 七、(問)皇軍がいつどこの戦にも花々しく勝っているのはなぜでしょうか。
    (答)天皇陛下の御稜威によること勿論ですが、我が将兵が君国のために
       身命を捧げて戦い、国民は一致協力して銃後の守りを堅くして、
       共に国難に当たっているからです。

 ”天皇陛下の御稜威”で戦に勝てるなら、なぜアメリカに宮城(皇居)までも、空襲で焼かれてしまうのですか? と毒づきたくなる。

 八、(問)支那事変が始まってから、今月でどの位の年月がたっていますか。
    (答)約二箇年と八ヶ月です。
       ○昭和十五年三月で、二ヶ年九ヶ月目になります。

 九、(問)今度の事変で、あなたが最も深く感じたのは何ですか。
    (答)我が国体の尊く有がたいことと、一身一家をかえりみず、
       君国の為に尽くされる皇軍の勇士に感謝しなければ
       ならないということです。

 事変と国体の至高を、強引に結びつけている。
 国体の精華である皇軍将兵が、この先3年4年と中国を屈服させるに至らず、5年後には”国体護持”のかけ声の下、死地に追いやられるのだから非道い話と云える。

 一〇、(問)あなたは支那事変に対して、どうしたならばよいと思いますか。
        ○なお次の「銃後の勤」を御覧なさい。
     (答)まだ子供ですから、身体の健全をはかり、学業を一所懸命にはげんで、
        国家の役に立つ人間になるように心掛けたならばよいと思います。

 「どうしたならば」と今問うのなら「今すぐ蒋介石と和解して防共協定の一つも結ぶべき」と、歴史好きの中学生は答えるだろう。
 興味深いのは、ここで求められる答えが、歴史の大局に立つものではない事だ。国がやることへの評価はせず、自分に何が出来るのかを答えさせている。子供に出来ることは限られているから、こう云うしかないだろう。

 後に彼らもやがて国家に生命を捧げるよう求められ、それに応じようと考えるようになっていく。国内も戦場同然となるとは、誰も思っていない。

 [二]銃後の勤について
 一、(問)あなたの身内から今度の事変に出征された方がありますか。
      (あなたの近所から、出征された軍人がありますか)
    (答)あります。一番上の兄さんと、叔父さんと二人です。

 「上の兄さん」、「叔父さん」に子供がいる事もあるだろう。

 二、(問)出征している軍人に対して、あなたはどう思っていますか。
    (答)天皇陛下の御為、国家の為に身命をすてて非常な苦労を
       して下さる軍人に対する感謝の心と、自分も大きくなってから、
       軍人となって君国の為に尽くしたいという希望にもえています。

 軍人とは人の生き方なのか。敵軍を破砕する任務を帯びた軍人は、究極の消費者と云える。軍人にならずとも、国に尽くす道はあるはずだ。

 三、(問)銃後の国民はどういう心掛けを持たなければならないでしょうか。
      (銃後の国民はどうすればよいか)
      (銃後の守りとはどんな事をいいますか)
    (答)出征将士が、家の事や国内の事に心配がなく、戦地で思う存分
       働けるようにつとめなければなりません。
       それには銃後の国民たる者は、めいめいの職業に精出すと共に、
       出征軍人の家族を慰問したり、仕事の手伝いをしたり、
       出征軍人を慰問することが大切です。

 今日、国家財政の大きな負担とされる「社会保障」は、「出征将士が、家の事や国内の事に心配がなく、戦地で思う存分働けるように」するための施策に源流がある。国民皆兵が前提でなくなって久しい以上、遠からず社会保障は不要と云い出す輩が出て来るだろう。

 四、(問)あなた方は銃後の勤めとしてどんな事をしたらよいと思いますか。
      (あなたは今までに、銃後の勤めとしてどんな事を実行しましたか)
    (答)出征軍人の送迎(おくりむかえ)しいうまでもなく、出征軍人に
       慰問の手紙や慰問袋を送ったり、出征将兵の家族に親切をつくし、
       無駄をはぶいて貯金をします。

 五、(問)今度の事変に対して、あなたが行った事の中で最もよかったと
      思うのはどんな事をしたのでしたか。
    (答)倹約をして国防献金をした事、出征軍人に慰問文や慰問袋を送った事です。

 六、(問)今のあなたは、支那事変についてどんな事を実行していますか。
    (答)毎朝鎮守様へお参りして出征将兵の武運長久を祈り、
       無駄遣いをしないで、国防献金するために貯金をして居ります。

 七、(問)出征軍人に対して、あなたはどんな事をしてあげなければならないと
      思いますか。
    (答)出征の時には真心をこめてお見送りをし、常に感謝の念を以て
       慰問するように心掛け、神社に参詣して武運長久のお祈りを
       しなければならないと思います。

 八、(問)あなたの学校では、此の度の事変に対してどんな事をしましたか。
    (答)出征軍人のお見送りをしたり、慰問の手紙や慰問袋をお送りしたり、
       時々鎮守の社に参詣して皇軍の武運長久をお祈りしました。

 九、(問)銃後を守る国民は、皆どんな心がけが大切でしょうか。
      (非常時に対する国民の務めを一々挙げてごらんなさい)
    (答)めいめいが自分の職業に精出して働くこと、出征軍人を慰問すること、
       又その家族の手助けをすること、無駄をはぶいて貯金をして献金すること。
       このように心がけて挙国一致、忠君愛国の至誠を
       ささげなくてはならないと思います。

 銃後の務めは、感謝と祈念に貯蓄と献金。感謝はタダだが、先立つモノがなければ戦争はできない。

 一〇、(問)傷痍軍人に対してはどんな心掛けが必要ですか。
     (答)国家の為に負傷された御気の毒の方でありますから、
        感謝の念をささげ、少しでも不自由をお助けするよう心掛けます。

 自衛隊が今まで以上に海外に出るようになれば、心身に障碍を負わされた人が出て来て、それを目にすることになる(今は伏せられているだけかもしれない)。
 「傷痍軍人」(主筆が幼少の頃、まだ街にはいた)、「無言の凱旋」の言葉は復活するのだろうか?
 「志願して自衛官になったのだから”自己責任”だ」と愚かな言動を取る人が出て来ないことを、痛切に祈る。

 [三]国民精神総動員について
 一、(問)国民精神総動員とはどんなことですか。
    (答)国民全体が心をひきしめて一致し、自分を捨ててそれぞれの
       務めに精出して国家の為に尽くす精神を盛んにすることであります。

 なぜ「自分を捨てる」ベクトルに走るしかないのだろうと、この時代の文章を読むたびに、いつも疑問に思う。当時の社会が「イエ」(家)を基盤としていたとは云え、その消長は、それを構成する”個人”の出来に依るのだから、個の拡充が国家の隆盛をもたらすとの考え方でも良かったはずだ(明治の初めにはそれがあったと思う)。

 二、(問)国民精神総動員に就いて、これを簡単にいい表す言葉には
       どんなのがありますか。言ってごらんなさい。
    (答)挙国一致、尽忠報国、堅忍持久、銃後の護り、倹約貯蓄などです。

 三、(問)挙国一致とはどうすることですか。
      (挙国一致とはどんなことでしょう)
    (答)国民がのこらず協力一致して国の為に尽くすことです。

 四、(問)尽忠報国とはどういうことですか。
    (答)天皇陛下に対し奉って忠義を尽くし、国家の為に働いて
       其の恩に報いることです。

 五、(問)堅忍持久とはどんなことですか。
      (堅忍持久の意味を説明しなさい)
    (答)なすべき事業がどんなに長びいても、如何なる困難に出会っても
       屈することなく、こらえ忍んで、いつまでも辛抱することです。

 六、(問)あなたは国民精神総動員に対して、どんな事を実行していますか。
    (答)朝早く起きて顔を洗った後、直ぐに皇大神宮と宮城とを遙拝し、
       ラジオ体操をやって身体を練り、無駄遣いをしないで貯金をしています。

 七、(問)学校の生徒として、挙国一致の精神にかなうようにするには、
       どうしたならばよいでしょうか。
      (生徒として、忠君愛国の精神を表すにはどうしますか)
    (答)学業を精出して励むと共に、身体の健康に注意し、無駄をはぶいて貯蓄をし、
       大きくなってから国家の為に働ける人物になればよいと思います。

 「国民精神総動員」とは、昭和12(1937)年8月24日に閣議決定された「国民精神総動員実施要綱」(国立国会図書館ウェヴサイトより)に基づく運動である。「挙国一致」、「尽忠報国」、「堅忍持久」は、そのスローガン。
 7月7日に盧溝橋事件が発生。8月13日朝に上海で日中の武力衝突が始まり、14日に中国軍機が、上海にいる日本海軍艦艇への爆撃を実施。国民政府は「自衛抗戦声明」を発表。日本側も翌15日に南京等を爆撃するとともに「支那軍ニ暴戻ヲ膺懲シ以テ南京政府ノ反省ヲ促ス」声明を発表し、事実上の全面戦争となったのを受けてのもの。

 当初は精神運動の性格が強かったが、やがて長期戦下の経済国策への協力を中心とするようになり、貯蓄増加や国債消化の奨励、金属回収などがしだいに強力に実施されていった
 (日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

 よって、この回答は運動が変質してからのものと云える。かけ声が何であれ、国民運動でやる事は大概同じモノになる。

 [四]戦時の物資について
 一、(問)今度の支那事変について大切な物はどんな品々ですか。
    (答)金・銀・銅・鉄・錫・亜鉛などの金属や石炭・ガソリンなどです。

 戦争遂行に必要な物資が問われている。ここで重要視されているのは、金属と燃料だ。食糧は今のところ間に合っているらしい。

 二、(問)これらの品物の大切なのはどういうわけですか。
      (1)金は何に必要ですか。
      (2)銅・鉄・石炭などは何に必要ですか。
      (3)ガソリンは何に必要ですか。
        (次の問題と同じ)
    (答)どれも今度の事変に必要なものですから。
      (1)金は外国から必要なものを買い入れるのに是非入用です。
      (2)銅・鉄・石炭等は軍需工業に必要であり、ガソリンは戦地に
         必要であるのに、これ等は何れも日本で産額が少ない上に、
         戦争は長びくものと覚悟しなければならないからです。
      (3)(次の答えと同じ)

 三、(問)「ガソリンの一滴は血の一滴だ」とまでいわれて貴ばれるのは、なぜですか。
       (ガソリンの使用を制限しているのは、なぜですか)
    (答)ガソリンは戦車・飛行機等の燃料として戦争に極めて大切なものですが、
       我が国には多く産しない上に、国内でも不足しているからです。

 有名な「ガソリン(石油)の一滴は血の一滴」が出て来る。
 駐車場や人気のない道端で、エンジンを廻した車の中で寝ている人を見かける。世が世であったらタダでは済まされないだろう。

 四、(問)ガソリンはどこから輸入しますか。
    (答)おもに米国とマレー諸島などから輸入します。

 そのアメリカから石油を売ってもらえなくなり、マレー諸島(蘭印)に武力で石油を獲りに行くことになる。

 五、(問)国産品を愛用しなくてはならないのは何のためですか。
      (政府が国産品の愛用を奨励するわけは)
    (答)日本は資源に乏しいので、沢山の原料品を輸入するため、
       毎年輸入超過ですから、なるべく国産品を用いて輸入を少なくし、
       一方では国内の産業を発達させる為です。

 今では日本語のラベルが付いている商品でも、実は外国産のモノが少なくない。この先、本当に戦争になったらドーなるんでしょうね。

 六、(問)政府が盛んに「金」を買入れるのは、なぜでしょうか。
    (答)外国との取引は、金でなければ品物を買うことが出来ないし、
       又国家の信用を保つことが出来ません。殊に戦争がながびくと、
       益々金の必要が増して来るからです。

 先立つモノは金(きん)。戦争の最後には、兵器の材料として、銀・白金の放出が、再三呼びかけられる有様となってしまう。

 七、(問)綿糸や綿織物や毛糸や毛織物がなくなったのは、どうしてですか。
      (綿や羊毛の輸入を制限しているのは、なぜでしょう)
    (答)綿や羊毛は我が国に殆ど産しないので、非常に多く輸入していましたが、
       今までのように多量に輸入すると、余りに多額の金を外国へ
       支払わなければならないので、輸入を制限しているのです。

 綿糸・羊毛の輸入制限の法的根拠は、昭和十二年法律第九十二号、「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件」である。盧溝橋事件勃発から、わずか2ヶ月後の9月9日に公布されたもので、

 第一条
 政府は支那事変に関連し国民経済の運行を確保する為特に必要ありと認むるときは命令の定むる所に依り物品を指定し輸出又は輸入の制限又は禁止を為すことを得
 第二条
 政府は支那事変に関連し国民経済の運行を確保する為特に必要ありと認むるときは輸入の制限其の他の事由に因り需給関係の調整を必要とする物品に付左の措置を為すことを得
 一 命令の定むる所に依り当該物品を原料とする製品の製造に関し必要なる事項を命じ又は制限を為すこと
 二 当該物品又は之を原料とする製品の配給、譲渡、使用又は消費に関し必要なる命令を為すこと
 (以下省略。原文は漢字カナ交じり)

 「国民経済の運行を確保する為」と謳っておきながら、政府が”必要ありと認むるときは”、”必要なる命令を為す”と云う。2018年当時の安倍内閣でも、ここまで融通無碍な条文は作らないだろうシロモノだ。
 これに基づいて昭和12年12月に制定されたのが、「綿製品ステープルファイバー等混用規則」。”スフの入っとらん”「純綿」が垂涎の的になった決まりである。

 八、(問)綿や羊毛は主にどこから輸入していましたか。
    (答)綿は米国と印度、羊毛はオーストラリヤでした。

 九、(問)政府は物の値段をきめつけて(物価を統制して)高くならないように
       しています。それはなぜですか。
    (答)今度の支那事変のために、大へん不足している品物が多いので、
       之をとりしまって引きしめない(統制しない)と、物価が高くなって、
       国民の生活が困難になるからです。

 昭和14年10月に「価格等統制令」が出され、モノの値段はその年の9月18日時点の価格に据え置かれることになった。
 大人の世界では「闇取引」が、上得意や知人などに向けて密かに、やがて半ば公然と行われることになる。

 [五]興亜奉公日について
 一、(問)興亜奉公日とはどういう日ですか。
      (興亜奉公日は何日ですか)
      (毎月一日はどういう日ですか)
    (答)昭和十四年八月十一日の内閣告諭によって、毎月一日を
       興亜奉公日と定められ、此の日全国民は残らず戦地の労苦を偲び、
       自分をひきしめて其の心持を実際の生活の上に表すと共に、
       興亜の大業を全うする為に、国民が一致協力して奉公の誠をつくし、
       強力日本の建設に向かって、末長く実行させるための日です。

 二、(問)あなたは興亜奉公日にはどんな事を実行したならばよいでしょう。
      (興亜奉公日には、どんな心がけが大切でしょうか)
    (答)
     (1)早起きして神社を拝し、武運長久をお祈りすること。
     (2)正午には黙祷すること。
     (3)一汁一菜で、飲食をきりつめること。
     (4)運動を行って健康の増進を計ること。
     (5)物見遊山などを一切謹み、貯金をすること。

 毎月一日は、”護国の英霊と皇軍勇士に対する感謝慰問”、”禁酒禁煙”、”遊興の禁止”、”服装食事の簡素”、”徒歩の励行”、”貯金の奨励”等を行う日とされた。「国民精神総動員」を徹底させるため、国を挙げての”市民生活の自粛”が求められたのだ。こんな日を作らなければならない事が、支那事変の行き詰まり―政策の破綻―を物語っている。

 最初の「興亜奉公日」を迎える時期に書かれた、「報知新聞」14年9月2日付社説は、

 一日だけ大いに張り切ってもその翌日からだらけてはお終いである。
 たとえば”興亜奉公日”に一日だけ粗服をまとい、一汁一菜に甘んじても、翌くる日から美食、美服を用いては、折角前日の”奉公日”は冒涜されることになる。その日だけ遊興を慎んでも、その次の日に羽目をはずして浮かれたら”奉公日”は哀れ帳消しになってしまう

 と、含蓄に富んだ警句を発している。

 衆議院議員の斎藤隆夫は、昭和15(1940)年2月2日の衆議院本会議で行った、「反軍演説」として知られる質問演説で、

 戦時に当って国民の犠牲は、決して公平なるものではないのであります、即ち一方に於ては戦場に於て(略)悪戦苦闘して有ゆる苦艱に耐える百万二百万の軍隊がある、又仮令戦場の外に居りましても、戦時経済の打撃を受けて、是までの職業を失って社会の裏面に蹴落される者もどれだけあるか分らない、然るに一方を見ますると云うと、此の戦時経済の波に乗って所謂殷賑産業なるものが勃興する、或は「インフレーション」の影響を受けて一攫千金は愚か、実に莫大なる暴利を獲得して、目に余る所の生活状態を曝け出す者もどれだけあるか分らない。

 「国民精神総動員」のかけ声に隠れた実情を指摘している(そして衆議院から除名された)。

 [六]欧州戦争について
 一、(問)欧州戦争は何時始まりましたか。
    (答)昭和十四年九月です。

 二、(問)欧州戦争はどうして起こったのですか。
      (欧州戦争の原因をお話しなさい)
      (ドイツは、なぜ戦をはじめましたか)
    (答)先の欧州大戦の結果、ドイツの領土東プロイセンを二つに分けて
       東の方をポーランドの領土としました。其の中にダンチヒがあるのです。
       それをドイツは元通りに返せというのに、ポーランドは返すものかという。
       そこで戦争が起こったのです。

 この前段には、オーストリア併合、チョコスロバキアのズデーデン地方割譲、チェコスロバキア解体と云う、ドイツが行ってきた、失地回復成功の積み重ねと、次の設問にあるポーランドへのイギリスの後押しがある。

 三、(問)どうしてイギリスがこの間に出て来たのですか。
    (答)ポーランドとイギリスの間にはお互いに助けあおうという約束があるからです。

 「宥和政策」の下、ミュンヘン会談ではチェコスロバキアを身捨てたイギリスであったが、ドイツは、そこでの協定を反故にしたため、ドイツの封じ込めに政策を変更、ポーランド支援を約束していたのだ。

 四、(問)フランスが立ったのはなぜですか。
    (答)フランスとイギリスとの間には軍事同盟が結ばれているからです。

 ここで支那事変、欧州戦争それぞれの”原因”を並べてみる。
 支那事変:支那兵が”戦をしかけた”
 欧州戦争:ダンチヒをドイツは”返せ”、ポーランドは”返すものか”
 ”原因”のレベルが、あまりにも違っている事に驚き呆れるばかりである。

 五、(問)欧州戦争が始まったことは、日本にとってどういう影響がありますか。
    (答)今まで支那を助けていたイギリスやフランスは東洋に
       手をのばせなくなるので、支那から邪魔者がいなくなるわけで、
       日本には有利であります。

 「日本ファースト」ですね。
 フランスがドイツに破れたあと、日本は北部仏印、ついで南部仏印に歩を進める。この答えは火事場泥棒の勧めそのものであり、結果アメリカとの戦争を招くに至るわけだが、子供にこういう考えを持たせようとする国だもの、と妙な納得の仕方をしてしまう。

 六、(問)欧州戦争が始まってから、ロシヤは日本に対してどんなことをしましたか。
    (答)ロシヤは満洲と蒙古との境に兵隊を出して我が守備兵と戦争をしましたが、
       我が国と不戦条約を結びました。

 「ノモンハン事件」の事だ。
 こう書かれると日本が勝ったように見えるから不思議だ。”不戦条約”は、帝国日本が断末魔にある時、文字通り反故にされた。

(おまけのおまけ)
 本書には、まだ「小学児童の常識試問」、「身体検査」のページが残っているが、それほど面白くはない。
 5ヶ月続いた『今度改正施行される 口頭試問の受け方答え方』も今回でおしまいだ。

(おまけのおまけのおまけ)
 本稿をつくる合間で、知覧特攻平和会館に行ってきた。「はやて」の写真撮影が、期間限定で来館者に許されていたのだ。
 何年も兵器の写真を載せてなかったので、罪滅ぼしをする。





 展示物には、特別攻撃隊隊員の死後に授与された、位記だか勲記もある。撮影禁止、メモは取り忘れて文言は覚えてない。
 日付は昭和20年4月や6月なのだが、「内閣総理大臣 稔彦王」、「内閣総理大臣 幣原喜重郎」などと記されている。事務処理が間に合わなかったのか、陸海軍が無くなる際に「大盤振る舞い」したのか、今はわからない。

 ここに多数、展示されている遺書は、文字通り教育勅語に云う、
 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
 を実践したひと達のものだ。”忠なれば孝”と、君(天皇)への忠、親への孝を、自らの死で止揚した、母への言葉などは、まさに今まで紹介した”中学志望者が持つべき常識”が書かせたものだと思うと、読むのがつらくなる。
 「兵器生活」主筆として、それらは「個」が確立していないひとたちの、不幸を物語る紙切れに過ぎないと、押し倒さなければならない。
 しかし、寄せ書きに描かれた「のらくろ」、ありあわせの帳面の片隅にある少女像などを見てしまうと、”神”とされた彼らも、一人の若者であった事に気づかされる。

 彼らは問いかける。「君は我々を嗤いに来たのか?」

 「50歳を過ぎて未だ独り身、信ずる確固たるものもない、私の方こそお笑い種ではありませんか。」

 「”個の尊重”、大いに結構。しかし、それが国威低迷、個人の先行き不安をもたらしているのでは?」

 「”悠久の大義”に今も生きておられる方には、そう見えても仕方のないことでしょう。
 神国日本は敗れ、国体は否定されました。国家がなければ国民は生きていけないと喧伝されましたが、其の実そうでもなかった。
 美名に隠されていた不合理も明らかにされてきています。
 政治家も役人も、軍人だって人です。人が誤りをおかす以上、彼らが動かす国が誤ることもあるでしょう(それを認めるとは思いませんが)。
 それを知った現代人が、国家に帰依することはもうありません。
 だから、”個人”として物事を学び、時には考えて行かねばならんのです。」

 「身の丈に合わない、個人では解決のしようのない問題は、国の方針に従うしかないのでは?」

 「わからないなら留保し、ゆっくり考えれば良いのです。納得できれば従う。わからなくてもそれで世の中がうまく回るのなら従う。国が間違っているなら改めてもらうよう働きかける。うまく行くかはその時次第。結果は甘んじて受けるしかありますまい。」

 「それも難儀な話だな」


 帰宅して、いただきものの「知覧茶」を、支那式でいただく(湯飲みに茶葉を入れ、湯を注いで上澄みだけを飲む)。甘くて、苦い。

(おまけの参考)
 「報知新聞」社説は、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 災害及び災害予防(9-035)より。
 斎藤隆夫の演説は、国立国会図書館「史料に見る日本の近代」第四章「立憲政治の危機」4-10 反軍演説ページの[斎藤隆夫演説削除部分]などを参考にした。
 欧州戦争の部分は、「世界史の窓」の「ハイパー世界史用語集」を大いに参考にした。

 『昭和史講義』シリーズ(筒井清忠編、ちくま新書)や、『近現代日本史との対話』(成田龍一、集英社新書)も、手軽に知識を得て、自分なりのセンスを養うのに役立つ。この2年くらいでこの手の新書・選書の類はいろいろ出ている。