愛国こけし(ただし平面)

「人形(こけし)志をり」で79万2千おまけ


 「こけし」が怖い。
 古本屋の棚に黒ずんでいるのが10、20並んでいるのを見る。故人の蔵書と一緒に引き取られたものか。微笑んでいるのか小馬鹿にしてるのか得体の知れぬ眼―古い「カルピス」広告の黒ん坊みたいな―がズラリ。集める年月、投じたお金、執念と未練が立っている。
 旅先でなんとなく買ってしまった一つが仲間を呼び寄せる。集めさせられていたのではないか? 「こけし」には産地や作者の個性があり、同じものは無いとも、名品・逸品もあると聞く。ひとつ持ってしまうと命尽きるまで集め続けなければならぬ気がして怖い。倒れているとサマにならぬのも怖い(本は転がらないから良い)。


 おおきな骨董市でこんなモノを買う。

 「創作愛国こけし集 人形(こけし)志をり(栞)」だ。
 立体の「こけし」は夜見ると怖いし場所ふさぎだが、これは栞で平面だから紙屑の仲間。眺めている分には愛らしいものです(立体に出来るんだろうか?)。

 ご覧の通りすべて銃後の女性たちである。
 妻であり母でもある主婦、出征あるいは工場で働く男に代わって郵便配達をする女学生(参考)、家庭・学校・職場の防空担当者(オーバーオールの『防空服装』をしている)。必勝祈念の少女、食糧増産を担う農婦。何枚入りかの記述がないため、揃いかどうかは分からぬ。工場の女工があったのかも知れない。しかし。男どもを慰安する―精力・財力を蕩尽させると云った方が正しい―女郎は排除されているだろう。生産に結び付かぬ女中も仲間には入れてもらえないんぢゃあなかろうか。
 提灯の文字が「祝」ではなく「祈」なので、戦局がはかばかしくなくなった昭和18年頃の製作と推察している。

 しおりの上部はエライ人の言葉が記される。
 「愛国」だから、マジメでためになるのは云うまでもない。そして「こけし」のデザインにふさわしいものが選ばれている。


ほうきを持つ主婦

 東郷平八郎の母の言葉だ。古い価値観に見える。しかし、「夫」「父」に置き換えても実は通用する。夫婦・家族を維持していくには気遣い・努力が必要なのだ。「親は無くとも子は育つ」とも云いいますが。



カバンを掛けた女学生

 江戸時代の有名な国学者の言葉。戦時下女性動員を飾るにピッタリですね。大和魂を唱えていても戦争には勝てません。そう感じていても公言は憚られただろう事を、主筆を含む今のひとはようやく実感出来るようになった。
 ウッカリ口走り摘発された実例は、『戦前反戦発言大全』と云う、きわめて面白い本に載っています。



防空担当者

 支那事変初期に戦死した「軍神」が残した言葉。毎日が「一大事」では神経をやられてしまう。それを解消していく工夫が必要だ。



戦捷祈念

 江戸時代後期の儒学者―『言志四録』を残した―の言葉。勝った勝ったと「提灯行列」を繰り出していた頃は、まだ良かったのだ。
 この「一燈」、物理的な燈火だけを現しているわけでは無い。



農婦

 「二宮金次郎」が長じた人の言葉。倹約とも食糧愛護とも読める。
 ひと粒百万石の米粒があったらどれくらいの大きさ・重さになるやら、ちょっと想像が出来ない。
 金次郎さん、本を読みながら道を―舗装なんかされてない野山の道である―歩いて転んだりしなかったのだろうか?

 どれも立派な言葉だが、それを目当てに買った人はたぶんいない。

 本屋の帳場前などに、栞が売られているのを見るが買ったことは無い。新刊の文庫新書なら1つ挟んであるし(近年やめてしまった版元もあるが)、レジのところに「ご自由にお取り下さい」と置いてあることも多く、下手をすると買った本より持ち帰った栞の数の方が多い時すらある。それなのに部屋に転がる本を読み返していると、怪しや栞がなかったりする。
 本文引用のため、複数のページに栞をはさむことがある。もともとあったモノだけでなく、手近な本から抜き取って挟み込む。呑み屋の箸袋、ラーメン屋のサービス券でも目にとまれば使う。用事がすんで「代用品」は取り除かれるのだが、栞は何故か元の本に戻すことはしない。こうして「手近な本」を読み返すと栞が入ってない! と憤ってしまうことになるのだ。
 生産性を考えればページの端を折り、傍線を引き、カキコミも辞さないのが望ましいのだろうが、ページを折る行為は、幼児の指を折るのに等しい蛮行と思っているので、主筆はやらない(よそ様がご自身の本をどう扱うかにまでは口を挟むつもりは無い)。と云うわけで、総督府を見渡しても栞は転がっていなかったりする。

 買った古書に栞が挟まっていることがある。それが新刊書店にあったころ公開された映画の宣伝や、美術展だったりすると、ちょっと嬉しい。本屋のレシートも知ってる店は云うまでもなく、足を踏み入れたことの無い土地のものなら、タイムカプセルの中身か宝の地図みたいでトクした気分になる。しおりでは無いが「新刊案内」が残っているのも良いものです。

(おまけの買ったはずの本)
 今回のネタと直接関係は無いが、『世界のしおり・ブックマーク意外史』(猪又義孝、デコ)を地下鉄大江戸線出口ヨコの本屋で買っていたのである。
 厚みがあるので通勤読書に持ち出せず、読むのを後回しにしているうちに本の山に埋もれてしまった。
 ここで「見つかる」と記して書影を挙げ、これも何かの縁だろうと結べば体裁はよろしいのだけれど、そこまで本の神様に目をかけていただいてはいない自覚は持っている。