東條中将の「国防論」その4
帝国軍人後援会発行、『後援』大正2年3月号掲載、「国防とは何を為すことか」(陸軍中将・東條英教)内容再録四回目になる。
「海軍だけで国防は全う出来る」、「朝鮮半島北端に防衛線を張れば、日本は安泰」と云う国防論を一蹴、真の国防(東條さんの見解である)を語るもの。
論文の見出しで振り返ると、以下の通りとなる。
一、浅薄幼稚の国防論は国家の生存を危くす
一、国防は物質的防禦と精神的防禦がある
一、精神的侵害の防禦は出来ぬ
一、二大国防戦が如何なる場合に起りたるかを回想せよ
他国からの武力侵攻ではない「侮辱」を「精神的侵害」として捉え、これを防がねば国防は全う出来ないとする。談判で決着がつかぬようなら、攻め入って謝罪を勝ち取れと云うのだ。この東條英教のサムライ的感性が面白い。このヒトに云わせれば、日清・日露戦争も相手国の侮辱に対する「純然たる国防戦」なので主筆驚愕! これは「兵器生活」読者諸氏に教えなければ、と、一回目、二回目、三回目と、くどくど記して来たのである。
と云うわけで、この先はドーあっても紹介しないわけには行かぬ、ほどのモノでは無い。見出しを挙げれば、
一、専守的防禦でなく攻勢的防禦をせねばなるまい
一、協商に信頼して武力を減ずるは誤りなり
一、海軍全能的国防主義は真正なる国防の目的ではない
一、陸海軍は陸戦の歩騎両兵種の働きに似て居る
一、信頼すべき国防が出来て国家国民の事業も出来る
と続く。興味深いところはあるが、前項で延べていたことを詳述して繰り返しているに過ぎない。しかし途中で投げ出すのも面白くないし、昨今の国際情勢を思うと、大正初めの「国防論」でも、読めば何かを思うことくらいは出来る。飽きずにご紹介していく次第だ。
今回は、「一、専守的防禦でなく攻勢的防禦をせねばなるまい」のくだり。例によって表記改変を施してある。原文引用の青文字が連なっていて、読むのがイヤになられる読者もおられヨーが、云い廻しが古臭いだけなので、鼻でもつまんで読み飛ばして下さい。
一、専守的防禦でなく攻勢的防禦をせねばなるまい
今日、民間では、嚢(さき)にも言った如く、我が国の国防の主義としては、「陸軍は、朝鮮の北境(鴨緑、豆満両江の沿線)の険阻なる地形に拠りて、敵の進入を阻止することに止め、これ以外の陸軍兵力は、不必要なるが故に、削減すべく、而して、この国境守備の兵力としては、六、七、個の師団があれば、足るであろう」との説を、真面目に主張して居る者がある。
而して、その主張者は、陸軍の一将校であって、且つ、一時は、軍事最高の教育をすら受けた者なる故、この説は、大に、世間、俗人輩から、特に注目を受け、又、或る一部の者等には、信仰をも受けて居るようである。
併しながら、吾輩は、如何に考え直して見ても、国境の地形に齧り付き、敵が進入せんとしたらば、たちまち、追っ払うという主義ばかりで、一の戦役を行き通し得ようとは、ドウしても思うことが出来ない。而も、この論者の言う如き国防主義を取って、一朝、露国と開戦することとなれば、即ち、この形勢に陥らざるを得ぬのである。
抑も、戦争とは、その原因の如何を問わず、勝つことを以て、目的とすべきは言うまでもない。然るに、国境に在って終始守備するとすれば、或いは、終始、敵の進入を祖師し得ることの、縦(よ)しや、あるとしても、それは、戦争に、勝利を得たというものではない。況んや、斯かる専守防禦(或いは、国境に近く現れたる敵に対して、一時攻勢を取ることあらんも、それは、寧ろ、戦術上の動作であって、国防上からの攻勢的戦争と名づくべきものではない。仍って、論者の言うが如き国防主義は、専守防禦という命名を免れぬ)は、そのことすらも、期し難いものである。何となれば、斯かる防禦の常として、数回兵力を更新、添加して、攻撃せらるれば、長い間には、遂には、破れざるを得ぬものであって、乃ち、必ずしも、これに依って、終始敵の進入を阻止し得るものと、請合うるべきものでないからである。防者だからとて、戦闘毎に、死傷の出ぬというものでもない。
「陸軍の一将校」が何者か気にはなる。が、追求はしない。
戦争の目的を我が方の勝利―こちらの要求を相手に呑ませる―に置くならば、「専守防禦」(専守防衛)は東條中将の説明を読むまでもなく、ひとつの戦役・戦争のあり方としては、否定されねばならぬだろう。しかし、侵攻軍を領外に押し返す事そのものが目的であれば、それは立派な勝利である。
部屋にいたゴキブリは叩きつぶすか、外に追い払えば良い。隣の家まで上がり込んで駆除を代行する奇特な人はいない。蚊は網戸で侵入を防ぐが、自家はさておき、近所の水溜まりをわざわざ埋めて行く人もありはしない。
ただし、東條さんも指摘する通り、防ぐ側も戦闘する限り死傷者は出る。武器弾薬も費やされるから、相手の攻撃が続く限り、いつか総崩れになりかねない。
もちろん、こちらが持ち堪えていれば、調停の手が入る・同盟国が助けに来る・相手があきらめる目が出て来るから、専守防衛論が成り立っている事は云うまでもない。ところが、東條中将は、「協商に信頼して武力を減ずるは誤りなり」(ここは次回ご紹介)と云う認識なので、歩み寄る余地はない。
専守防禦は、右の如く、決して、勝利を期すべきものでない為、例えば、旧韓国の如く到底、兵力を以て、隣国と、互角の対峙を、為し難き国ならば、イザ知らず、苟(いやしく)も、対等なる両国間に於ける、国防主義としては、決して、有り得べきものでない。蓋し戦争の起因の如何を問わず、苟も、国際談判が破裂すれば、相対両国は、皆、直ちに進んで、攻勢を取ることを望むのが世の常態であって、このとき、一歩でも後れを取ることを嫌うものである。而して、防禦は、動員、又は、集中の為、攻進の準備に後れを取ったもの、例えば、相撲に於いて立ち後れた如き者が、已むを得ずして、一時取る所の窮策なるに過ぎぬのである。而も、一旦、已むを得ずして防禦を取りたる者と雖も、準備の整い次第攻勢に転ぜんと焦心(あせ)るが世の常である。然るを、最初から防禦を主義とするが如き国防計画が世にあらんとは、吾輩の思いも寄らぬ所である。且つ、それ、防禦をのみ主義とする国防戦、即ち、絶対的、勝利の目的なき国防戦に於いて、士気を如何にしようと思うか。この点から見ても、斯かる国防主義の取るに足らぬことが、明らかに分かるであろう。
専守防衛の国防計画など「吾輩の思いも寄らぬ所」と記しているが、今の日本はまさにそれをやっている。その原因―大日本帝国の敗戦と崩壊―に多大な貢献をしたのが、東條中将の息子、陸軍大将東條英機なのだから世の中オモシロイ。
論者は、純粋な防禦戦での「士気」に不安を覚えている。この人は、一般兵士/国民の愛国心・愛郷心を信じていない。彼が軍人としてのキャリアを積む中で、帝国陸海軍が拡充していったのだし、日露講和反対の騒擾の記憶もあるから、そう云う認識であるのはやむを得ないところだ。それから20年足らずで、民間でも「一億玉砕」など叫ばれるようになり、小学校の高学年にもなれば、兵隊になって死ぬ以外の将来が想像出来なくなると言うのだから、昭和10年頃の政府はうまくしつけたモノだと思う。今の自民党連中がマネしたがるわけだ。
とは云え、為政者・軍部が国民を信用していたわけではなく、防空法で消火活動せずに避難することを禁じ、「大本営発表」で戦局不利を誤魔化して、何とか体裁を保っていた面はある。それは「騙していた」そのものだが、やった側は「善意のウソ」と信じていたのではないか。
論者も、怖らく、知って居るであろうが、戦術上防禦陣地には、攻勢地帯と防勢地帯とがある。而して、防者は、攻勢地帯に於いて成るへく大なる兵力を以て攻勢に転せん為、防勢地帯に於いて成るべく少数なる兵力で、地形に拠り専守防禦を為すが例である。即ち、防勢地帯に敵を牽制し、以て攻勢地帯の戦闘を有利ならしむる趣旨であるから、両地帯が、同一の敵を引き受ける防禦戦に於いては至当なる戦術である。
然るに、世には間々この戦術を国防の設備に適用し「日本は北に守って、南に攻むるが宜い」だの、「大陸に守って海洋に攻むるが宜い」だのと言って得々たる者がある。併しながら、これは途方もない、門違いの適用であって、仮令素人観としても、あまりに、粗笨(そほん)なる議論である。何となれば、国防上に在って、北に守るときと南に攻むるときは、敵も違い時も違うのであって、この北守南攻には、何等意味の連絡なく、即ち、この戦術の精神は全く消失せられて居るからである。而して、若しも、論者の朝鮮北境専守防禦説が、斯かる考え違いから来て居るものとすれば、論者が立派なる軍事教育ある一将校たるだけに、吾輩は更に又、一層、大いに、驚かざるを得ぬのである。
陸軍のヒトなので、北守南攻(≒対米対決)には否定的である。戦う方角が違えば相手の国も違ってくる指摘はごもっともだ。そう書いていたにもかかわらず、昭和になって支那大陸の戦争が打開出来ないあまり、南方に出て国を亡ぼしてしまうのだから…。
兎に角、論者の言うが如き専守防禦の国防主義などは少しく、兵理を解する者の為には、一笑にだも値せざるほどの俗論なるが、それは、先ず、暫く別論として仮例(たとい)この国境守備が、絶対に、物質的国防の能力あるものとするも、吾輩は、上来論じ来たった趣旨に照らし、斯かる主義の国防は、必ずしも、完全の意義に於ける国家の生存を、防護し得るものでないと、断言して憚らぬものである。
見よ、若し、我が国防に、この主義を取るとせんか。而して、露国が満洲、若しくは、蒙古に於いてか、或いは、支那本部に向かってか、利権の獲得上、復び、明治三十七、八年戦役開始当時の如き横暴なる挙措に出て、因って以て、我が国の利権を侵し、又、我れを凌辱したりとせんか、我は、右の国防主義に従い、朝鮮の北境に、守備兵を配置するも、果たして、それが、何の用を為すであろうか。露国が我が国境上に兵を進めて迫り来たらぬ以上は、この国境守備兵は、一発の弾丸をも放つこと能わず、頗る手持ち無沙汰に、日々欠伸しつつ遥か前方に彼の横暴を眺め居るより外あるまい。而して、この場合に、露国の為こう言えば只利権の獲得を為せば足るのであって、彼は、怖らく、強いて、我が国に侵入することを企て、為に、戦端を開くが如き愚を演じぬであろう。乃ち、我が国境守備に任ずる六、七個の師団は、国家の斯かる屈辱、即ち精神的死滅を救うこと能わぬのである。果たして、これば、国防と称し得るものであろうか。
凡そ、近代の戦争は、両国間に於ける相互主張の争いから起こるのが常であって、無闇に、隣国に侵入して掠奪せんとするより戦闘の起こった例は太古野蛮時代のことである。論者の言うが如き国防手段は、蓋し、彼の時代に於いては、適当でもあったろうと思う。
日本が戦端を開かなければ、日清・日露戦争は無かったろう。朝鮮が日本に併合される代わりに、ロシアが要所を租借して、軍隊を駐屯させることになるのは明白だ。しかし、ロシアがそれ以上、南下する必然性は無い。
そこで、またしても「物質的生存」、「精神的生存」が出て来る。こっちが手を出そうとしていた隣国を、他国が好き勝手しているのを見せつけられるのは面白くない、「侮辱」だ、いつか痛い目に遭わせてやると云う。
人間、アタマに血が上って暴力に及ぶこともあるのは否定しない。その原因には大小高下がある。一律に侮辱を受けたら命を賭してでも濯がねばならぬものではあるまい。云いたいヤツには云わせておけ、と放って置くことも必要だろう。
怒りにまかせて動いてはならぬ、と人生論・修養論の類には書いてある。「物質的生存」の危機でなければ、あわてて打って出る必要はない。事態はいつか変転する。ローマ帝国も、支那の歴代王朝も、大日本帝国ですら変わったではありませんか。
「近代の戦争は、両国間に於ける相互主張の争いから起こるのが常であって、無闇に、隣国に侵入して掠奪せんとするより戦闘の起こった例は太古野蛮時代のことである。」
「相互主張」なら、殺し合いしなくても解決できるんぢゃあないの?
(おまけの余談)
専守防衛は机上の空論、とは、東條サンだけでなく、今でも多くの人がそう思っている。主筆自身、思わぬでもない。
しかし、人類が宇宙空間にまで足を伸ばし、宇宙の始まりを考え、病を克服して寿命を長くしてやろうとしている中、「闘争は人類の本能」、「人間は戦争をやめることなど出来ない」とハナから結論づけているのは、思考停止ではないか? 敵対部族を皆殺しにしたり、奴隷にする時代は(表向きには)終わっている。完全に守られているわけではなさそうだが、国家間の戦争のルールも作られている。
五百年、千年の時間で考えれば、人間は慈悲深くなっている。個人や小集団の闘争は、当事者間の利害が存在する以上、そうそう無くなりはしないだろうが、「国民」であるだけの理由で、よその国の人と殺し合う事は、避けられるんじゃあないかと、自分は思っている。