女中指南術

『モダン手ほどき』掲載記事で80万7千5百おまけ


 「兵器生活」更新は、自分の趣味であり生活の一部でもある。だから月一回の更新を休むわけには行かぬ。
 不出来なモノを世に出すくらいなら、イッソ休載するのが表現者の良心だとする考え方があり、そうだよなあと思う気持ちもあるのだが、それでは趣味として続けられるモノでは無くなってしまうだろう。ともかく毎月更新することだけで世間さまには許していただき、アレはアー云うモノだから、と思っていただきたい。

 と云うわけで、2022年2月の更新に使った『婦人公論』附録「モダン手ほどき」(昭和7年)を読み直し、今回のネタを引っ張ってくることにする。


「モダン手ほどき」

 これがどんな冊子なのかは、前に取り上げた「裏を返せばナンパの手口」の初めの方に記してあるので、ここには書かない。

 今回は「女中指南術」。
 「女中」、現代の文章で使われることは殆ど無い、死語も同然の言葉である。(住み込みの)家政婦・家事使用人、ハイカラな云い方をすればメイドさん。
 台所設備の改良や、電化製品の普及によって、炊事・洗濯・清掃など家事労働が省力化されたため、現代人のわれわれは、使用人の必要を殆ど感じない。しかし例えば電気洗濯機が無い生活をご想像いただきたい。三日分の衣服を手洗いして見れば洗濯機の有難味がイヤと云うほど解る。やってくれる人がいるならカネを払っても良い気持ちになるってもんです。
 現代では、洗濯機・掃除機・調理器と、用途別に機械があるので、家事代行と云うと、それぞれの仕事をする人を想像しがちになるが、昔の「下男」「下女」の時代から、一人の人間にいろいろやらせていた。家(家族)の大きさ・仕事の量によって、使う人数が増え、使用人間の分業となる。「ドラえもん」が、本来のネコ型ロボットとして働いている世界、と考えれば解りやすいと思う。
 その女中を使う人(一家の主婦)が持つべき心掛けなどを説いたものである。

 例の如く、タテのものをヨコに、仮名遣いを現代に改め、送り仮名なんかも調整し、ルビは省き、一部はカッコ書きに改めてある。

女中指南術
 女中の人選は極めて大切であります。先ず健康、品性、余り醜くからざる容姿というような点に選考の重点を置き、家庭の平和を傷つけない温良な性質の人を選ばねばなりません。できるならば、知人からの紹介で、本人の家庭までも知っているに越したことはありません。
 女中を一旦雇い入れましたら、よく自家の家風、子供の躾け方等を申聞かせ、山出しの女中でしたら水道、瓦斯の取扱い方に就いても得心の行くように教え込まねばなりません。最初の中(うち)は兎角、過失粗忽等が起こり易いのですが、落ち度があった時は、ガミガミ叱らずに、情け深い態度を以て訓戒しなくてはなりません。唯いたずらにガミガミ怒鳴り散らすヒステリックな主婦の下では、女中はいじけてしまったり、反抗的になったりして、却って悪い結果になります。

 まず選び方である。健康・品性は当然見るべきところだが、「余り醜くからざる容姿」と表立って口には出せぬ事も書いてある。容姿が整いすぎていると、別な意味で「家庭の平和を傷つける」可能性が出て来る。
 そして、相手も感情ある人間であるから、失敗を責め立ててはいけない。雇う方にも相応の資格(器量・度量)は要るのだ。
 「山出し」も死語に近い。水道・ガス(電気も)が無いところの人には、その使い方を覚えてもらわなければ、主婦の労働は軽減されない。

 家庭の仕事は、出来るだけ無駄を省いて女中にも一定の時間以外に、休養の時間を与えて、教養を進めるという風に出来ればしたいものです。
 日常の仕事は、キチンキチンとプログラムを立てて、女中に相応の責任を持たせることが主婦としても是非必要です。余り指図をすると、女中が依頼心のみを起こして、何時になっても仕事を覚えず捗らない結果になりますから、女中に或る点は委(まか)して自由に立派に仕事をさせるようにすべきです。
 女中がいるならば、すべて現金買(げんきんがい)とし、御用聞き制度を廃するべきですが、都会地などで御用聞きの出入りする家(うち)では黒板を出して、女中と御用聞きとの無駄な交渉をはぶくべきです。

 コキ使うのは良くない。使用人自身が自律的に仕事をこなすように仕向けるのが、雇用者の腕の見せ所となる。ここは会社・商店・工場など人を使う現場共通と云える。
 御用聞き制度を廃する、とあるから、書き手は、女中を買い物に出させ、必要なものを購入させる方が望ましいと考えている。買い物上手になることも期待されているわけだ。御用聞きと世間話なんかして仕事を怠けられても困る。

 女中を指南するのは、主婦たるものの役目でありますから、女中の訓練の良し悪しで その家庭の主婦の心意気も察することが出来るのであります。女中がよく気がきいて、シャンシャンと立ち働いている家庭にあっては、その家全体が奥床しく思われるものです。
 女中を働き好くするには、家中をキチンと常に整頓して置くのが第一です。後から後から用事が出て来て、後始末をするのでは、始終乱雑で徒(いたずら)に目まぐるしく立働かねばなりませんが、直ぐかたづける訓練をしていれば、非常に能率が上がります。故に凡ての物は置く可き場所、納む可き所へきちんと置き、一旦緩急ある場合と雖も 周章狼狽しないようにし規律正しくしたいものです。

 女中を使う家の主婦は何をして日を暮らすのか? 主筆長年の疑問である。そこは各人各様としか云いようが無いのだろう。かつては、遊び歩いている上流階級の不良主婦を「有閑マダム」と呼んでいた、良く名づけたモノだと思う。

 女中の呼び方なども、昔流に奴隷視することはやめて「さん」づけにするとか、「さん」づけにしないまでも、お子さんのある家庭などでは、「ねいや」というふうに親しみをもたせます。小さな子供は見よう見まねで、女中にドナリ散らしているのを見うけます。他人が聞いていても不快で腹がたつほどですから、本人はどんなにつらいか知れません。こんなことでは、よい女中が、永くいつくものではありません。
 よい女中を置くには、人格的に扱うことです。従って、家族と女中との食べ物の如きも、区別を設けないで、魚も野菜も平等にして遣れたらと思います。女中を家族待遇にすべきではないでしょうか。然し、女中を置く目的は、家族の不足から来ているのですから、甘やかしてばかりいてはなりません。それには、仕事の上には、あくまで厳格であるという主義に依るべきです。
 会社の社員にしても、電車の運転手にしても仕事を怠り、事務上の欠陥があれば、帳簿が乱雑になったり、電車が軌道をはずれるという結果になります。女中だって、器物を不浄にすれば、衛生上に安心してはいられないし、子供に悪い習慣でもつけるなら、置かないよりも悪い結果を招くことになります。情と職分とを区別して使い分けねばなりません。

 ここを読むと、女中が奴隷視され、あるいは人間的な扱いをされていなかった場合もあった事が伺える(『ブラック企業』の家庭版みたヨーなものだ)。「家族待遇」と云っても、一家のあるじはおかずが一品多かったと云われる時代の話だ。奴隷・機械扱いは論外とは云え、使用人を家族同様に遇するかは、家風の問題となるから、ここは書き手の考え方と捉えておく。
 不良女中の害に触れているが、家の金品を盗んで逐電する(ために女中として入り込む)なんて話もある。
 女中を置く理由を「家族の不足」と記しているのが面白い。家事は家族で分担するべきとの思想があるのだろう。昔のお話しなどで、親と死に別れ親類に引き取られたり、片親を亡くし後添えに懐けぬ子供は、家事労働にコキ使われるのが定番だったヨーに思う。

 それ故、女中指南の第一歩は、選択をあやまらず、雇った以上は、その職分に万全を尽くすよう、よい待遇をしてやるべきです。給料は、一時二十円位にもなったようですが、今では十円から十五円位で、小学校を出たばかりの少女ならば、もっと低額でもよいでしょう。給料のほかに、雑誌を買って与えるとか、裁縫の講習録を求めてやるとか、編み物をさせるとか、女中の将来になるようにはからい、季節の変わり目には、着物の一枚ぐらいは、賞与の意味で作ってやるようにしてやるべきです。

 「小学校を出たばかり」、尋常小学校卒なら文字通り、高等小学校卒なら現代の中学3年生相当だ。三木露風作詞の童謡「赤とんぽ」で歌われる、「十五で、姐(ねえ)やは、嫁に行き」の世界ですね。
 そして給料の話が地味に怖い。いっとき20円(戦前2千倍説で4万円、3千円なら6万円)したのが半値7.5掛けに下がり、小学校新卒ならもっと安くて良いと云うのだから、月2−3万で人ひとり住み込みで雇える(食事衣服は別)事になる。
 『値段史年表 明治大正昭和』(朝日新聞社)から、当時の給料を引いてみる。銀行の初任給が昭和4年・8年ともに70円。日雇い労働者の日給が昭和7年1円30銭だから20日働いて26円。高等官初任給は大正15年、昭和12年が75円。巡査初任給は大正9年・昭和10年45円。小学校教員初任給は昭和6年45〜55円。総理大臣は昭和6年800円。ちなみに芸者の玉代は昭和7年で1時間3円の由。
(おまけの余談)
 戦前に建てられた住宅の間取り図に、「女中室」と記された部屋を見ることがある。便所・台所に近いトコロに設けられた三畳間が多い。
 行商人、店員、女給と下積み生活を続け、その生活を綴った「放浪記」が売れに売れ、外遊できるまでになった林芙美子は、落合の地に自宅を建てる。彼女の住居観を汲んで建てられた家―新宿区立林芙美子記念館として現存する―にも女中部屋―「使用人室」―はある。


林芙美子記念館パンフ掲載の間取り図に加筆

 赤く囲んだ部分(下が北である)の右から、勝手口・台所・便所と配置され、その左がそうだ。
 拡大すると、こうなる。


パンフレット掲載図の一部を拡大したもの

 広さ約二畳半。半分は作り付けの二段ベッドで、残りは板敷きである。


窓からベッドを見る

 「ベッド」とは云うが、布団を敷かないと寝られたものではない。上段へのハシゴの先は収納スペースがあり、ベットの下にも引き出しがあって、私物を入れることができる。壁にはハンガーをかけるフックも付けられている。合理的に作られているようだが、冬場は寒そうだ。
 彼女は、女中をどんな存在と捉えていたのだろうか。
(おまけのブックガイド)
 「女中」に興味を持たれた方は、河出書房新社らんぷの本にある『女中がいた昭和』(小泉和子編、品切・重版未定)を一読されることをお薦めする。見て楽しく、読んで考えさせられる好著。部屋のどこかに埋もれて読み返せないのが悔しい。

 林芙美子記念館の受付(入場券売場兼売店)で図録を売っている。屋内から撮影した部屋の写真、便所の写真も載っている。一般見学者が、足を踏み入れることの出来ないところから撮影されたものなので、写真サイズは小さいものの、貴重と云えば貴重。


図録(700円、2023年4月23日現在)