アルカディアとの出会い

 

私がこのアルカディアに最初に来たのは1980年の夏だったと思う。

そのころは大阪の大学の三回生で、なやみなどには一切縁のない能天気な若者だった。(ハズ?)

大学のサークルでバンドをやっており、そのボーカル担当の女性が山梨からワザワザ大阪の大学に来たという珍しい人だった。彼女の地元にはただで貸してくれるスタジオがあるし、泊まるところもあるという。 そこで夏休みには山梨で合宿をしようということになった。そのころほとんど金もないのによくみんな関東くんだりまできたものだと今にして思えば不思議だが、青春の勢いというものだろう。

ベースは南河内、ドラムスは堺、キーボードは天王寺とみなコテコテの関西人の集まりだ。いまでもそうだが関西人は基本的に関東に対し根強い反発精神をいだいており(いまだに南北戦争で敗れたことにこだわりのあるアメリカの頑固な南部人みたいなもの)とくにこのメンバーは関東なぞには一度も来たことがなかったようだ。私一人がなぜか北陸の金沢出身で慣れぬ大阪弁を使いながらも、どこか暗さを隠しきれないシャイな役回りを演じていた。

私だけが先発で一人こちらへ先に乗り込み彼女の友人だという西八王子に住んでいる人の家に泊めてもらった。その方がアルカディアに連れて来てくれた。

とにかく私の好きなザ・バンドがお店では前面に奨められていた。 アルカディア通信なる手書きでガリ版で刷られたようなチラシがおいてあり、一見稚拙だが(失礼!)とにかく熱い文面を今でも思い出す。

このアルカディアに来たからにはまず音楽といえばザ・バンドを語って欲しい云々と。もしかしたら今でも私の実家には取っておいてあるかもしれない。このようなお店、当時は関西にもあったはずだが、なぜか私はあまりそのころからお店を探索するといったことに興味はなかった。それでこのような音楽にこだわりのあるお店というものとは初めての出会いだったわけだ。 あとで知ったことだが当時は渋谷のブラックホークや今でも健在のBYGのような店がそこかしこにもあったのだろう。

アルカディアはあれからすでに2度ほど大きな改装をしているので当時のレイアウトは記憶にはない。結局その時は一、二度お店に来たのみでや がて合宿を終え、大阪へ帰った。

それから10年以上経った。私も所帯を持ち、偶然西八王子に引っ越してきた。アルカディアという名前が記憶から消えていたわけではないが、あんな(?)お店がそれほど長く存続しているはすがない、と思い込んでいたのかもしれない。それだけに引越し先でアルカディアを見つけたときは驚いた。マスターの高木さんも健在で相変わらずゴキゲンな音楽がかかっていた。

 

そのあとのアルカディアとのお付き合いはポエトリーリーディングを中心としてセッションなどにも参加させてもらい、いつも楽しくいい気分でやらせてもらっている。いま一緒に活動しているROSSAのメンバーともこのお店でこの頃に知り合った。昨年(2002年)暮れには初めてワンマンライブもやらせていただいた。人の好みなんて変わりそうで意外と変わらないもの。特に感受性の強かったあのころにたくさん聴いた音楽は、今でも自分の心に深く根付いている。いまでは自宅が鶴見、仕事場が新宿と西八王子からは離れている。でもたまにアルカディアに顔を出した時には、いつも私の好きな音楽をかけてくれて、他愛のないおしゃべりに付き合ってくれる。

アルカディアは今年(2003年)11月に開店25周年を迎える。11月には記念パーティを華々しく行う予定だ。とても楽しみだ。次の25年は絶対来ないからぜひとも堪能しなくては・・・。

その後・・・・↓

そしてその25周年パーティが無事開かれました。(2003/11/24)
パーティの様子

その後のその後・・・・↓

さらにその5年後30周年記念イベントが新装開店したアルカディアで開かれました。(2008/11/23)
パーティの様子

その後のその後のその後・・・・↓

さらにその10年後40周年記念イベントが開かれました。(2018/11/23)
パーティの様子



そして楽しいお話はここまで・・・2021/9/3に高木さんは亡くなりました。
ロックな生き方を貫かれた高木純さんらしく69歳でした。
この年は前年から始まったコロナ禍の影響でほとんどお店は休業状態でした。
ですから私もほとんど高木さんとは会えませんでした。
いきなり亡くなったという印象しかありませんでした。
私とアルカディアの物語は終わってしまいました。

その直後にROSSA放送局というYouTubeチャンネルで高木さんを偲んで公開した動画があります。
よろしければご覧下さい。



その後、アルカディアはあとを継いでくれる方がいらしてお店は存続しております。
そして2023/11/18にアルカディアでは45周年開店記念をされていました。
私は行くことはできませんでした。高木さん、ごめんなさい。。

 

戻る