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純華の章

         

 横浜の閑静な住宅街。その一角にクラッシクな洋館が建っていた。二階建ての煉瓦造りで、
屋根には煙突が見える。白いバルコニーが建物に組み込まれたような外観の、おそらくは
明治の頃からの建物のよう。庭は芝生に埋められ、輝いている。けれども、その芝生に影を
与えている広葉樹の葉は色づいて、それを手放す時を待っているよう。 この洋館、まりの
中学時代の友達の館だったりする。
 まりは門を開けて、敷地に踏み入った。洋館の玄関手前には、以前まりが乗っていた茜色の
バイクが置いてあった。まりはそのバイクのシートを物思いげな顔をして軽くさわると、離れて
玄関へと向かった。
「こんちはぁ〜」
「あ、まり。おっそいよぉ!」
「ごめんごめん。ちょっと手間取ってね」
まりは軽く片目を閉じて、苦笑いした。
 靴を脱いで玄関に上がりながら、まりは言葉を投げかけた。
「純華ちゃんも来てるの?」
「うん。あ、びっくりするんじゃない」
「え? 誰が?」
「まりがよー」
後ろを向いてこの館の友人・千津は笑うと、後ろ向きのままリビングに入った。
 まりも後に続いて暖簾を腕で軽く押すようにリビングに足を踏み入れた。
「失礼しま〜すっ」
 入り口に背を向けてソファーに座っていた黒髪をショートに決めている女の子が紅茶の入ったカップを
置くと、少しまりの方に顔を動かし、声を発した。
「よっ」
「あ、こんにちはぁ」
まりは条件反射のように可愛らしい微笑みを浮かべて挨拶をするが、すこし顔は戸惑ったように引きつっていた。
 回り込むようにまりは反対側のソファーに腰を下ろすと、驚いたように声を上げた。
「あーっ!! 純華ちゃんじゃーんっ」
「やっと気がついてくれたか」
純華は軽く息をついて笑みをもらすと、肩の力が抜けたように腕を下ろし、ソファーに背を預けた。
 そんな様相の純華に対し、まりは興味津々と訊ねた。
「その髪、どーしたのよぉ!? 金髪を止めた時には驚いたけど、ついに真っ黒にしちゃったわけぇ?」
「ま、まあね」
「まあねじゃないわよー。族のリーダーがそれで示しがつくのぉ?」
「族じゃないってば。それに、かなり前に解散したってば」
落ち着き払ったような口調で純華は言うと、すこし苦笑いした。
 それに対し、まりは軽く流すように応えた。
「あー、はいはい、走り屋ね。けど、つるんで走ってるのには変わらないじゃん」
「じゃあ、ツーリングしてるバイク乗りは、みんな族かよっ! こないだ貸したバイクだって、
族とか言われてる奴らのみたいに変な改造もしてなかったでしょに」
「あ、こないだはありがとね。助かったわよ。うまく走り込んであるから、乗り心地も良かったしね。
でも、珍しくエンジンとかサスとかもいじくってないみたいねぇ」
「あんたが乗るからノーマルに戻しといたんだもん、当然でしょ」
「そーんな気にしなくてもいいのに〜」
にこやかにまりは言葉を返した。
 純華は肩肘を付いて、呆れたように言い返した。
「そのあんたのちょー楽観主義が一番こわいのよ。それに、あれにはもうあんまり乗らなくなるだろうしね」
 その言葉を聞き終えると、まりはあきれたように言い放った。
「なんだ……、やっぱり髪を黒くしたのはまた男のせいか」
「いやぁ、そーいうわけじゃないんだけどさ。彼が黒髪の女の子の方が好きだって言うからさぁ……。
んで、最近わかったんだけど、ロングの子が好きみたいだから、伸ばそっかな〜なんて思ったりもして」
 すこし顔を崩して話し出す純華に対し、まりは手で顔を覆って上を向いた。そして、手を取って、身体を起こすと、
ため息をついた。
「男は女をこんなに変える生き物なのね……。今度紹介してよぉ」
「やだ」
純華は即答した。
 その答えのあまりの早さに、まりはかみつくように言った。
「ちょっとちょっとなんでよ〜!?」
「あんたに紹介したら、彼までもがあんたの食いもんにされちゃうもん」
きっぱりと正面を向いて、純華は言い切った。
 まりは一瞬圧し黙るが、すぐさま反論の言葉を並べた。
「食いもんって、なによ〜。男なんかまだ食べたことないってばぁ。これでも一応バーシンだしぃ〜」
「そこがさらにこわいんじゃない。ホントかどうかは知らないけどさ、身体でしか男を繋ぎ止められないバカ女と
違うところがこわいんだよね……。そーいう女ならなんとでもなるけどさ、身体をエサにしてないのに男共を虜に
してるからねぇ、まりは。だから、とにかくダーメ!」
「ちぇえっ」
残念そうな表情をして、まりは背もたれに寄りかかった。
 純華はすこし安心したように紅茶の入ったカップを口元まで掲げ、口をつけた。
その時、なにかを思い付いた表情を浮かべ、カップから口を離して、言葉を投げかけた。
「そーいえば、よく一緒にいるおさげの娘は?」
「おさげ? ああ、こうポニーテールにしてる子でしょお?」
まりは自分の髪を両手で束ねて、頭の上の方まで持ち上げて、問い返した。
 そこにダイニングから敷居を跨いできた千津の声が割ってきた。
「ああ、そだよぉ。今日、香住はどうしたのぉ?」
 まりの座ってる前に紅茶を置くと、隣にそのまま千津は座った。その友達の視線と表情に苦笑いすると、
頭の後ろに手を回して、まりは言った。
「あれ以来、さらに厳しくなっちゃってねぇ〜」
「ああー。香住の親の方が?」
「そそ」
 そんな二人の話に純華が感心したように口を挟んだ。
「あの子ンとこって、そんなに厳しいんだ」
「ま、香住はお嬢様だからね〜」
「そーゆーまりだって、そうじゃないの?」
意外そうな顔をして聞く純華。
 対して、まりは一瞬間を置き、落ち着いた口調で応えた。
「次元が全然違うのよ」


        2

 なにかを思いだしたようにカップから口を離すと、純華は言った。
「そーいえば、その香住ちゃん。こないだ、と一緒に歩いてたよ」
 その言葉にまり千津の二人は驚きの声を上げた。そして、質問を次々に投げかけた。
「どっ、どこでぇ?」
「ちょっ、ちょっと!!相手はどんな奴よ!?」
 そんな二人の様相に純華はすこし驚いたような顔をするが、すぐに落ち着いたように
説明の言葉を並べ始めた。
「場所は伊勢崎町の・・、ほら、川の近く。相手は知り合いだったんだけどね」
「知り合い?」
まりは純華の答に少し怪訝な声を漏らした。
 純華はそれに対して、普通に返事をした。
「うん。山原秀くんっていって、彼の友達なんだけどさ。あ、友達の友達だったかな」
「山原……?」
その名前をまりは呟くと、考える素振りをした。
 顔を正すと、まりは純華に訊ねた。
「純華の彼って、たしか湘南の人だよねぇ?」
「そうだけど?」
「そっか」
「どうしたのよぉ!?」
「えっ? なにが!?」
 まるで純華の質問の意味がわかっていないようなまりの態度に、純華はすこし頭を
抱えた。そして、声をすこし荒げた。
「おまえなー」
「あ、ごめんごめん。ちょっとどっかで聞いたことあるような気がしただけだから」
まりは苦笑いすると、純華を宥めるように言葉を並べた。
 そこに千津が割るように言葉を投げかけた。
「そういえば、まりー。亜瀬ちゃんも湘南じゃなかったっけぇ?」
「そうだけどぉ……。まっさかぁ……」
軽くまりは笑い飛ばした。
 その言葉に純華は過敏なほどに反応した。
「もしかして、海沿いの高校じゃないよねぇ?」
「えっ? あ、文化祭は来るなって言われて行ってないからわかんない」
「なに、場所も聞いてないの?」
「来るなって言われてんのに、わざわざ行ってやるのも癪だしねぇ〜」
まりはそう言うと、ソファーに長細く寝そべった。そして、頭を千津の股間に埋めた。
「まりー、なにやってんのよ〜」
まりの身体を起こそうときゃーきゃー言いながらする千津に対して、顔を埋めたまま、
まりはさらに激しく頭を動かした。

  

  急にまりは動きを止めると、ガバっと起き上がって、真剣な表情を純華に向け、言った。
「もしかして、秀くん!!?」
「ど、どうしたの?」
千津はそんなまりに心配そうな顔を向けた。
 が、そんなのにも気も止めず、きょとんとしている純華にまりは詰めよるように訊ねた。
「純華の彼の友達でさぁ、すんごっく格好良いのがいない?」
「いきなりなんなのよ? 紹介しろとか?」
「そーじゃなくてさ……。友達の友達にバイクのエンジン周りもいじくるぐらい好きなのが
いるって聞いててさ、もしかしたら・・・と思っただけよぉ」
まりはテーブルの上のカップを手に取ると、静かに口をつけた。



                  

 樹々の葉が落ち葉となり、枝木だけの姿になる頃、暮れという騒がしい季節を迎える。
そんな季節の関内の馬車道の街路樹の樹々は葉を散らし、枝と幹だけになったその姿を
寒風に晒していた。

「さすがにもう冬だなぁ〜」

 空を見上げながら呟く少女、まりは映画館の入り口の柱に風を避けるように立ってい
た。そして、ポーチからどこかのキャラクターの付いている時計の時間を見た。

 人がばらばらと映画館の中から出てくる。その人の群れの流れに流れるまま歩いて
出 てくる亜瀬がいた。巾着袋に映画のポスターを挿して、肩に紐をのせて、後ろに
まわし ていた。 
 映画館の陽光の差し込みかけた位置で亜瀬は立ち止まると、空をすこし眩しそうに
見上げた。次の瞬間、その亜瀬の表情が歪む。そして、身体が反っていく。首に巻いて
い るマフラーを後方から引っ張られてるように。

  突然にそのマフラーを引っ張っている力が消える。亜瀬はマフラーを直しながら
息を つくと、後方を向いた。すると、その顔を捉えるように、まりが微笑んだ。

「はぁ〜いっ!」

 亜瀬はその姿を見て、身構えかけた身体から力を抜き、ズボンのポケットに片手を
ま た突っ込み、言った。
「おまえなぁ〜」
「封切り初日だから、来ると思ってたよ」
 まりの言葉に亜瀬は意外そうな顔をしながらも、普通に言葉を返した。
「けど、銀座や新宿やなくて、関内だとよくわかったな。確か、言ってなかったと
思っ たけどなぁ……」 
「それは女の勘ってやつね。って言うか、この時期は新年に備えて、近場にする
と思っ たのよ!節約しなくちゃね♪」
そう言うと、まりは嫌らしく笑った。 

 

  ぽかぽかと暖かそうな日差しの中、それを吹き飛ばすように寒風が街を吹き
抜ける。街行く人はその風にコートの襟を立てたり、ジャケットの前を塞ぐように
腕を構えたり、 身を寄せ合ったりと、見た目にも寒さを感じさせる。
 そんな風景を亜瀬は2階の窓越しに見おろしていた。トレーに広げたフライドポテト を
つまんで、口に運ぶと、対面のまりに言葉を投げかけた。
「で、なんなん? その話ずらい話って……?」
「あっ、あのさ……、
秀くんのことなんだけどさ」
「ああ、
やまさんのコト? 来週、ムービルのほうやけど一緒に行く予定やなぁ」
フライドポテトを摘んだ手を一時止めて、亜瀬は言った。 

 その亜瀬の言葉に対するまりの態度はいつもと違っておとなしかった。
「あ、そうなんだ……」 

 そんなまりの姿に亜瀬は違和感を覚えつつも、黙ったまま彼女に視線を向けていた。
その視線を外すようにまりは窓の外に視線を投げると、遠慮深気に切り出した。
「ねえ。秀くんって、どんな奴?」
「へっ?」
まりの質問に亜瀬は素っ頓狂な声を出した。 

 口の中にフライドポテトを突っ込むと、オレンジジュースを啜って、亜瀬は一息
つい た。そして、改まったように問い返した。
「どんな奴って、そんなんまりもよく知ってるやん。なにを今更……」
 けれども、まりは落ち着いた口調で言葉を並べた。
「男友達に見せる顔と女に見せる顔は違うでしょ?」
「そうかなぁ……。使い分けてないオレにはわからんけど……」
「よく言うわよ。君は男女関係なく誰にでも使い分けてるじゃん」
「うっ……」
亜瀬は言葉に詰まり、困った顔をした。
 そんな亜瀬をあしらうように、まりは軽く言った。
「その程度は、
お・み・と・お・し! そんなコトよりさ……」
「なんで、そんなにやまさんのコトが気になるん? 惚れた?」
「んー、あのさ……」
 渋々のように亜瀬には見えたが、まりは小さく口を開き、香住との経緯を話し始めた。 








     
 コップを亜瀬がゆっくり振ると、細かい氷のずれる音が響いた。その音は左右に振る
度、規則正しく聞こえるように響いていた。そのリズムとテンポに合わせるように言葉
を投げかけた。
「それなら、松沼さんにでも聞いてもらえばぁ、いいんちゃう?」
 それに対し、まりはしばらく無言だった。そして首を横に振って、言った。
「ダメよ。純華ちゃん、カレにゾッコンだもん。それに、その彼は悪くは言わないみた
いだし」
「悪く言われないんやったら、問題ないんとちゃう? 大体、自分の友達を悪く言う奴
がいるわけないやん……」
その言葉途中、まりの指が自分に向けられていることに亜瀬は気付くと、すこし焦りを
見せ、全面否定しようと言葉を並べた。
「なっ、なんやねんっ!?」
 まりはストローを口にして、ジュースをすこし含むと、いった。
「君らの仲間うちって、ある程度言いたい放題言い合ってるみたいなんだけどなぁ。女
の私からみれば、うらやましいくらい……」
「それは気のせいや。そんなに気になるんやったら、松沼さんは堰ちゃんのコトも知っ
てるみたいなんやろ? 松沼さんに堰ちゃんに聞いてもらえばいいやん」
「それがねぇ、純華の彼氏が加鋸くんでぇ、その友達が堰くんだっていう確証が持てな
いのよねぇ……」
ストローでコップの中の氷をかき混ぜながら、まりは珍しく自信なさげに呟いた。
 そんなまりに対して、すこし苦笑い混じりの息をもらすと、亜瀬は言った。
「君にしては随分弱気やん。それに、松沼さんの彼氏の名前すら知らないなんてさ。そ
れに、それがわからんのやったら、香住ちゃんの相手がやまさんかどうかも……」
 その亜瀬の言葉に、まりは少し怒ったように言葉を遮り、質いた。
「そっちはどうなのよ? なんか聞いてないのぉ?」
「オレはあんましそういうの詮索しないからなぁ……。それに、そーいうのって、言わ
ないやろ?」
「そうなのかぁ……。まぁ、純華もなかなか言わないけどさ」
 まりは少しがっかりしたように、ジュースをすすった。

 と、その時。二人の間にすこし低めの女性の声が割ってきた。
「あたしがどうしたって!?」
 声のした方を驚いたように、すばやく二人がみると、そこには白と黒を中心にデザイ
ンされた繋ぎを着ている純華がこっちを見ていた。
 すかさずまりは明るそうな声を上げ、純華に言った。
「やっほぉー、純華ちゃんっ」
「あ、ちは。」
対して、亜瀬はすこし恐縮したように頭を下げた。
 純華はヘルメットをテーブルの上に置くと、まりの並びの席に腰を下ろした。その
腰が下りて、落ち着こうとする前に、亜瀬が急に思い出したように声をかけた。
「そーいえば、こないだ、やまさんが会ったらしいね」
「あ、誰から聞いたの?」
「え? 本人からやけど」
「そっか。ふ〜ん……」
 なんとなく少し妙な空気が流れた。純華はテーブルに広げられているフライドポテト
を1つ摘むと、無言のまま口にした。そんな空気を破壊するように、まりがおどけたよ
うに明るく質問した。
                                         しげと
「ねえねえ、純華ぁー。純華の彼氏の名前って、茂杜っていうの?」
「ああ、そうだけど、なんで知ってんの?」
純華はポテトを口にしながら、不思議そうにまりを見て、訊いた。
 まりはすこし確信を得たように亜瀬と目を合わせると、すぐに純華の方を向いて、す
こしうれしそうな表情を見せて、言った。
「だって、純華ちゃんの彼氏って、加鋸くんでしょお?」
 その言葉を聞いて、純華は急に噎せた。そして、まりが差しだしたジュースを飲んで
一息つくと、二人の顔を見回して、訊いた。
「なっ、なんで知ってるんだよっ!?」
 まりは頭に手を回して、言い放った。
「やっぱりそっかぁー」
「やっぱりって、まっ、まり……!!」
すこし焦ったように、純華は対面の亜瀬に顔を向けた。
  亜瀬はすこし苦笑いして、その純華が言いたげな言葉に答えるように言った。
「そうですよ。カマかけられたんですよ」


 急に純華の目が鋭い目つきになり、足を崩して、肩肘をテーブルに着いて、不満そう
に言葉を並べた。
「だいたい、なんであんた達がその名前を知ってんのさ」
 純華の態度もそうだが、口調も変わって、なにか凄みを感じる。その言葉に亜瀬はす
こし遠慮深そうな仕草を見せていた。それに対し、まりはあっけらかんとした態度と言
葉で答えた。
「純華ちゃんに聞いたじゃない? 彼にすんっごく格好良い友達いない?って」
「そんなコト言ったっけ? 忘れた」
トボけるように純華はあっさりと返した。
 まりはそんなコトをも気にしていないように言葉を続けた。
「その彼の友達の名前って、堰って名字でしょ?」
 その言葉に、一瞬純華の表情が歪み、すこしうわずった声で短く言葉を返した。
「し、しらないよ」
「松沼さんでも動揺することあんだ」
亜瀬が自分が持っているイメージと違う純華に、そう呟くように言った。
 そんな亜瀬を制止するように、まりは亜瀬の方に軽く手を上げると、純華の顔をみて、
微笑みを見せて、話を締めくくった。
「そのひろちゃん……、っていうか、堰くんなんだけどさ、こいつのクラスメート……、
っていうか、友達なのよ」
「えっ……?」
まりが親指で亜瀬の方を指しているのに気がついた純華は思わず驚きの声を漏らした。
 けれども、すぐにまた険しい表情になり、そんな言葉をつっぱねるように言った。
「だから、なんだって言うのさ!」
 鋭く刺さるような視線をまりに純華は向けた。それに対し、まりはその視線を外すよ
うに亜瀬の方に首を向け、両手を軽く上げて、苦笑いした。



        

 冬の足音が近づいてきても、湘南は横浜よりも温かい。ただ、気温の違いはあるが、
秋が過ぎれば冬がくる。落葉樹の染まった葉は落ち、街中を木枯らしが通り抜ける。そ
の木枯らしが暖かな海風と衝突するので、他地域より温暖と言われている。
 そんな湘南の一地域にある高校からの帰り道。駅前の繁華街で遊んだ後、方向別に家
路に着く。その時、亜瀬は堰と同一方向なので、二人は途中まで一緒だ。
 帰途に着くのは、いつも陽が暮れて、辺りは真っ暗になっている時間。遊んでいる時、
ファーストフード店で屯していたりもするが、堰の家は駅から更に7kmもあるのも
あって、家路の途中にあるコンビニで休憩する。この日も習慣のように二人はコンビニ
の駐車場に自転車を滑り込ませた。
 コンビニから二人は出てくると、車止めに腰を下ろした。そして、おもむろにコンビ
ニの袋を広げると、買ってきたものを取り出した。
「おっ。堰ちゃん何買ってきたん?」
「ん? 新発売とかいうコレ」
そう言うと、堰は封を開け、口にした。
 興味津々とその様子を見ていた亜瀬は聞いた。
「どう?」
「ま、こんなもんかな」
 その答を納得したように亜瀬は頷くと、自分も袋から缶紅茶を取り出し、封を開け、
脇に置き、さらに袋からあんまんを出して、口へ持っていった。

 コンビニの面している県道は駅から延びているこの街の幹線通りの一つで、ひっきり
なしに車のヘッドライトの光が右往左往する。そして、近くにある信号が変わるたびに、
光の流れはときどき止まったりて、それと同じくして、エンジン音のサウンドも変わ
っていた。 

 光の流れに目を向けたまま、亜瀬は堰に言葉を投げかけた。
「そーいえばさ、堰ちゃんって、加鋸ちゃんと仲いいやろ」
「あ、ああ。1年んトキ、おんなじクラスだったしね」
缶コーヒーを口から離すと、堰は不思議そうに生返事をした。
 その応えを耳にした亜瀬は、堰の方に顔を向けて、質いた。
「ねぇ、加鋸ちゃんって、彼女いはるんかなぁ?」
「さあ? 知らないなぁ……」
「ほんま?」
「ど、どうしてよ!?」
すこし堰は戸惑いの声で言った。

 亜瀬はすこし困ったような表情を見せると、少し間を置いて、訊ねた。
「ねぇ、加鋸ちゃんが横須賀のコと付き合ってるって、ウワサなんやけど……。ほんま
になんも知らんのぉ?」
 その言葉に微妙に堰は反応した。
「横須賀? さあ、なんでだろ……」
言葉を濁すと、堰は笑った。なにかをごまかそうとしている苦笑いにも見えたが、亜瀬 はそれ以上の追求をやめた。
 

 缶を脇に置いて、グレーのマフラーを堰は巻き直すと、亜瀬の方を向いて明るく苦
笑 いして、いった。
「そーいえば、やまさん、まだ言ってたね」
「え、なにを?」
亜瀬は疑問の声と共に堰に目を向けた。
 その反応に堰は意外そうな顔をして、続けた。
「あれ? 亜瀬ちゃんは言われない? 関内行ったトキの女の子のコト?」
「あ?ああ……。先月、やまさんと石守とうちらと伊勢崎町行った時に、やまさんが どっ
かでナンパしてきてた女の子?」
 その亜瀬の言葉に堰は苦笑した。
「ははっ。ナンパっていうか、偶然助けて上げたらしいけどね。やまさんが言うには」
「ほんまかどうかわからんけどね」
「ま、それはそうなんだけどね」
呆れたように缶紅茶を飲む亜瀬に続いて、そう言って堰も缶コーヒー口にした。
   

 ふと思いだしたように亜瀬が言った。
「そういえば、ポニーテールにしてたよねぇ?」
「うん。たぶんそんな感じだったかな……」
今度はサンドウィッチを頬張りながら堰は応えた。
 亜瀬は額を指先で抑える素振りをして、言葉をさらに続けようとした。
「んーと……。名前、なんて呼んでたっけ……。かっ……、かほみだったっけ?」
「かすみでしょ」
「あー、そっかそっか。えっ……?」
急に亜瀬の言葉は止まり、冷や汗を流して、固まった。
 そんな亜瀬に対して、堰が声をかけた。
「どうかしたの?」
「あ、いや……。ねっ、ねえ、堰ちゃん」
「ん? なに?」
「堰ちゃんから見て、やまさんって、どんな風に見える?」
 亜瀬の質に少し笑いながら、堰は返した。
「どっ、どうしたんだよ!?いきなり」
「いやさ……」 





       6

  富士山を源流とし、神奈川県中心部を割くように流れている相模川は湘南に河口を持つ。
その相模川の河川敷でバイクのエンジン音が響く。
 すこし盛り上がっている土砂利の山をオフロードバイクが飛び上がるように現れた。
バイクは擦り上がるに空中に浮かび、ストップモーションを見てるかのようにゆっくりと
後輪から着地した。前輪も設置して、一瞬そのまま止まってるかのように見せて、
すぐさま激しく車輪が回り、前進した。そして、純華の手前ですこし横滑りさせるようにして止まった。
「わぁっ!」
短い髪を細かに揺らして純華は立ち上がり、両手を合わせて声を上げた。
 バイクのスタンドを下ろして、加鋸はバイクから下りながらヘルメットを脱いで、
純華の方に笑顔を見せた。
「だいぶ綺麗に飛べるようになったでしょ?」
彼が純華の彼氏の加鋸。彼はヘルメットをバイクのシートの上に置いて、純華の方に
歩み寄ってきた。
 そんな加鋸に対して、純華は大きくなん度も頷いた。うれしそうな笑顔を見せながら。

 土手の程良い形に盛り上がった部分で二人は並んで腰を下ろして、紙コップに入った
コーヒーを飲んでいた。加鋸にすこし寄り添うように純華は微笑みを浮かべている。そ
んな純華に加鋸は話しかけた。
「ねえ、純華」
「ん?」
愛らしい瞳を純華は静かに向けた。
 その動きを加鋸は確認したかのように、すぐに言葉を続けた。
「先月、横浜の方でやまさんに会わなかった?」
「やまさんって……。ああ、しゅうくん!?会ったよ」
にっこり微笑んだまま純華は応えた。
 すると、加鋸は明るいいつもの口調で言葉を続けた。
「そんトキ、やまさんと一緒に誰かいなかったぁ?」
「ああ。ん……」
急に純華は表情に暗い陰を落としてうつ向き、圧し黙った。
 その純華の態度の変化に加鋸はすぐさま言った。
「あっ。別に無理して言わなくてもいいよ。なんかあるんだろうから」
 けれども、その言葉に純華は顔を上げて、加鋸の顔を遠慮気味に見つめた。
「あのね……」
「いいって、いいって」
明るい表情で加鋸は諭すように言葉を繰り返した。
 少し涙目のような瞳を純華は加鋸に向けると、声を絞り出すように言葉を続けようと
した。
「あのね……、口止めされててね……」
「わかってるって。それに、相手はポニーテールにしてるコだったんだろ」
「えっ……」
 優しそうに言葉を並べた加鋸だったが、その何もかも知っているような内容に純華は
戸惑いの声を上げ、きょとんとした表情を浮かべて、加鋸の顔を見た。

 その純華の様相に気付いた加鋸は微笑みを浮かべ、その疑問に応えるように言った。
「ああ。堰ちゃんから聞いたんだよ」
 少しその言葉に安堵したように純華は小さく呟いた。
しゅうくんが言ったのかなぁ……」
「いや、っていうか、その日の帰り、一緒だったみたいよ」
 純華は顔を上げて加鋸の方を見て、すこし不思議そうに言った。
「そうなんだ……?」
「うん、そうみたいだよ。ほら?やまさんと堰ちゃん、おんなじクラスだしさ。あと、
他にも同じクラスのやつが二人いたみたいだけどね」
加鋸は軽く説明するように、明るい口調で言葉を綴った。
そして、少し改まったように、軽く加鋸は訊ねた。
「そういえばさ、純華から見て、やまさんって、どんな人に見える?」
「えっ? そうねえ、パワフルで頼もしい感じかな。優しかったりするし。でも、なんで?」
「あっ、いや、別に大したコトじゃないんだけどね」
不思議そうな顔をして加鋸の顔をのぞき込む純華に、加鋸は軽く流すように応えると、
微笑んで見せた。

  ふぅっとなにかを思いだしたように純華加鋸の瞳を捉えるように見て、
問うように質いた。

「ねえねえ。しゅうくんひろくん以外になんて人がいたの?」
「あ、ああ……。やまさん堰ちゃんと……、亜瀬って名前のと石守って名前のやつだ
けど?」

加鋸はすこし考えるように上を向いて、名前を並べた。
 その時。
「あっ、亜瀬っ!?」
純華はつい大きな声を上げてしまった。
 その声に加鋸は再び純華の顔を驚いたように見た。
「純華、どうかしたの!?」
「その人ってさぁ、卵を横にしたような色の付いた眼鏡してて、すこしパーマかけた
ような髪してて、それで、いつもマフラーまいてるぅ?」

「良く知ってるねぇ。あれ?会ったコトあったっけ?」
まさかと思いつつ淡々と言葉を並べた純華に対し、軽く笑いながら加鋸は応えた。
 その加鋸の態度に確信を感じたようで、純華はすこし青ざめた表情を悟られまいと、
加鋸から顔を外らした。
「ははっ。ほんとにどうかしたの? なんか、今日の純華ヘンだよ」
「あっ、あのね……!!」
加鋸の言葉に純華は一生懸命反応しようとした。
 けれども、加鋸は深く追求しようとしないように、流すように軽く笑って、言った。
「いいって、いいって」
「うんんー、そうじゃないの。それが……、友達の友達でおんなじ名前の……」
「えっ!? ちょっとちょっとホントぉ〜!?」
明るく加鋸は驚きの声を上げた。

                   

       

 天頂に輝いていた太陽が西に傾き出してはいたが、空はまだ澄んだ水色に染まっている。
近くに見える湘南の海に白く浮かぶ波のように、絶え間無く車の波が流れる国道134号
線沿いにあるファミリーレストランの駐車場にオフロードバイクが2台並んでおいて
ある。加鋸純華のバイクだ。二人はレストランの中で休憩を取りつつ、話をしていた。

「…………で、横須賀から横浜に戻った私の友達の、横浜での友達の男友達の一人が、
その亜瀬って名前の人なのよね」

「ふむふむ。なかなか複雑なつながりだね」

純華の説明に加鋸はそう応えると、小さく笑いをこぼした。
 紅茶を口にして純華は一息つくと、加鋸におそるおそるというような慎重な姿勢で
言葉を発した。

「あ、あのさぁ……」

「ん? なに?」

加鋸は軽く相談にでも乗るような感じで言葉を返してきた。
 その応対に、純華は思い切ったように聞いた。

「白戸まりって名前、聞いたことあるぅ!?」

「あっ、え……。ああ、もしかして、亜瀬ちゃんの友達ってコ?」

「うん。ま、そうなんだけど……」

「話には聞いたことあるよ」

すこしうつ向く感じでコーラの入ったコップのストローを口にした純華に、加鋸は
すこし驚きを隠せないように言葉を足した。
 純華はストローから口を離すと、身体を反って、目を覆うように両手で抑えた。
その様そうに加鋸は苦笑いして、言った。

「おいおい、どうしたのよぉ?」
 しばらく純華は無言だった。そして、思い立ったように再び純華が顔を上げたその時
テーブルの敷居にある鑑賞植物群の向こう側から声が飛んできた。

「あれ、加鋸くーんっ!」

  それはの声だった。間を置かずして、その姿は加鋸の視界に現れた。174cmと
そう取り分け高い身長ではないが、均整の取れた体格。そして、目に被さるぐらいに
髪を伸ばしているが、なかなかの美形な男だ。

 その姿を見つけ、加鋸は手を上げて、驚いたように明るく応えた。

「おおー、堰ちゃん。どーしたのぉ?」

 その言葉に合わせるように純華も堰の方を向き、微笑みを浮かべた。が、次の瞬間、
純華の動きは固まった。堰の後方から卵型の眼鏡をしてマフラーを巻いている亜瀬、
そして更に、その後ろからまりが現れたのだ。


 すこし言い難そうに堰が近づいてきて言葉を並べた。

「駐車場にどっかで見たようなバイクがあったんで、まさかとは思ってたけど……」

 その堰の言葉が終わるか終わらないかのうち、まりが露骨に驚いた表情をして、声を
上げた。とても白々しく。

「あれー、純華ちゃん!?」

 その言葉に一瞬ざわめき、視線が純華に集まった。けれども、すぐさま
その周囲の動揺を諌めるように純華の隣にいた加鋸がやわらかく言葉を並べ、笑った。

「あー、友達の友達で、知り合いなんだっけ」

 加鋸のその発言に堰はホッと胸をなで下ろしていた。それとは対象的に、
まりは一瞬怪訝な表情を浮かべた。けれども、まりはすぐさま明るく微笑みを見せて、言った。

「純華ちゃんのウソつきー」
「今さっき、知ったのよっ」
かわいく苦笑いして、純華は言い放った。


 
                  《エピローグ》

 軽快なエンジン音を刻みながら海外メーカーのオフロードバイクが鎌倉街道を北上する。
赤いフレームにエンジ色のシート、白いボディにカモシカのマークが映える。それは純華の
愛車で後ろにまりを乗せていた。
 高速道路の高架の手前で数十メートル先の信号が変わったのに気付いた純華はアクセルを
緩め、余力で走らせて、信号のところで静かに止まった。
 すると、背中からまりが怒鳴るように純華に話しかけてきた。
「ねえねえ、なんでしらばっくれたのよ〜」
「んー? あんトキ、初めて知ったって言ってるじゃんかよー」
 すこし後方に目線を向けて純華は応えるが、道路の騒音が大きい上、フルフェイスの
ヘルメットに音がこもって、まりにはよく聞き取れなかったようで、顔をしかめる。
「えーっ?なになにぃ? よく聞えないよぉー」
「あ、変わる」
正面を向きなおした純華は落ち着いたようにそう呟くと、ギアを落とした。
「なあ・・・・・ あんっ」
 再度まりが大きな声で問い直そうとするのと同時に純華はアクセルをまわし、急発進させた。
それにあわてたまりは言葉を詰まらせ、純華にしがみついた。

 遙か遠くから潮の気配を感じる小道に入り、さらに小高い丘へ向かう階段の入り口で純華は
バイクを停め、ヘルメットを脱いだ。
「純華ぁー、今日はありがとーねぇー! デートの邪魔もしちゃったみたいだしぃ」
「ホントにそー思ってんのかよ・・・・」
まりの言葉に純華は苦笑いして、吐息をついた。
「やだなぁ〜、純華ちゃんったら! あったりまえじゃないのぉ!!」

 純華は明るく振舞うまりに苦笑しつつ、すこし真剣な眼差しを向け、質した。
「しかしさ、なんでそんなにしゅうくんのコトが気になるんだよ? 別に香住がどんなヤローと
付き合おうが、香住の自由じゃんっ」
「そうなんだけどさぁ……」
すこしうつむくまり。
「でも、心配なのかなぁ。あの子、ほっとけなくて・・・・」

  純華はまりの態度にやれやれという表情を見せると、バイクのシートの上に載せていた
ヘルメットに手をかけた。
「んじゃ、ま、そろそろ帰るわ」
「あっ。寄ってかないのぉ?」
「今日はやめとくわ。尋問されそうだしね」
「人聞き悪いコト言うなぁ〜。私ぃ、そんなコトしないってばぁ」
「勝手に言ってな」
 そう言うと、純華はヘルメットの顎紐を締めた。そして、バイクにまたがり、ハンドルに手を
かけ、エンジンレバーに足をかけた。
 が、その足を離して、地面に下ろした。

 まりが不思議そうに近づいてくる。
「どうしたのぉ?」

 純華はまりの方を向くと、あっけらかんと言葉を並べた。
「そうそう。その香住ちゃん。こないだ、新横浜の辺りで仲良さそうに二人で歩いてたぜ」
「えっ!?」
まりが驚いた表情を浮かべた束の間、純華はバイクのエンジンをかけ、その場から
走り去った。まりはあわてて、その純華の後姿に声を上げる。
「どっ、どこのだれと一緒だったの!? ねっ、ねえってばぁ・・・・!!!」

 不安顔のまりをその場に残し、甲高いバイクのエンジン音だけがこだまして、小さく消えていった。

 


                                        純華の章 Fin.



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