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【Uボート】 製作年 1981年、独 監督 ウォルフガング・ペーターゼン → パーフェクト・ストーム エアーフォース・ワン 出演 ユルゲン・プロホノフ ヘルベルト・グレーネマイヤー |
【あらすじ】 ナチス占領下の仏ラ・ロシェル港の酒場はドイツ軍の兵士たちで賑わっていた。報道部のベェルナー中尉(ヘルベルト・グレーネマイヤー)は、これから同乗するU96の乗組員と対面した。 出航したU96は順調に航海していたが、ベェルナー中尉が見学に司令塔に昇ろうとしたとたん警報が鳴り響いた。慌ただしく急速潜航して艦が水平に戻されると、演習であることが明かされる。初めての経験だったベェルナー中尉は生きた心地もしなかったが、艦長(ユルゲン・プロホノフ)は続けて潜航テストを行い、水圧による不気味な軋み音のため再び艦内は緊張感に包まれた。 なかなか敵の船団と遭遇できなかったが、僚艦の敵船団発見の連絡を受けて駆けつけてみると駆逐艦が待ちかまえていて危うく沈められそうになる。出航から45日目、ようやく敵船団を発見すると魚雷攻撃を敢行する。魚雷は2隻の船に命中するが、敵の駆逐艦のしつこい爆雷攻撃にあってしまう。なんとか逃れたが、地中海に向かうよう命令がきた。帰港を期待していた乗組員はがっかりするが、スペインのビゴ港で補給を受けると難所のジブラルタル海峡の突破に挑んだ。浮上して航行していたU96に敵機が襲いかかり航海長が負傷した。急速潜航したが艦が持ち直さず、どんどん沈んで行く。ようやく水深280メートルで着底して安心するが、今度は猛烈な勢いで浸水し始めた。修理がはかどらず艦長もあきらめるが、乗組員たちの必死の努力で浮上に成功する。ラ・ロシェルに帰港したU96は大歓迎を受けるが、そこに連合軍の爆撃機が襲いかかってきた。 |
【解説】 本国ドイツでは興行記録を塗り替え、世界でもヒットした本作品は、TVシリーズ完全版やディレクターズ・カット版も発表されており根強い人気を誇っている。 監督のウォルフガング・ペーターゼンは、この次に撮った「ネバーエンディング・ストーリー」(84年)もヒットさせてハリウッドに進出。クリント・イーストウッド主演の「ザ・シークレット・サービス」(93年)、ダスティン・ホフマン主演の「アウトブレイク」(95年)、ハリソン・フォード主演の「エアーフォース・ワン」(97年)などの娯楽大作映画を成功に導いている。 U96はZC型と呼ばれるUボートで排水量は750トン、搭乗員は40数名で、水深150メートルまでは安全に潜れた。Uボートの中は、とにかく狭く出航時にはあらゆるスペースに食料を詰め込むのでよけい狭くなった。航海が長引くと艦内は、カビ臭と体臭とディーゼル油の臭いが混じり食欲もなくなったが、食事は士気を保つ上で重要視され、腕のいいコックは大事にされたそうだ。この型は675隻という途方もない数が就役している。撮影には大小のUボートの模型が使われたが、実物大のものは同時期に撮影されていたスピルバーグ監督の「レイダース/失われたアーク」(81年)にも使われている。 開戦当初、ドイツは水上艦での通商破壊戦をおこなっていたが、ポケット戦艦シュペーや戦艦ビスマルクなどを相次いで失なった。一方、Uボートが英空母カレイジャスや英戦艦ロイヤル・オークを撃沈する大戦果をあげたため、ヒトラーは潜水艦重視に方針転換する。U96にも肖像が掲げられていた潜水艦隊を率いるデーニッツ大佐は、累進を重ね元帥にまで昇進し晴れて海軍総司令官に就任する。フランスが降伏するとビスケー湾に面する港に「ブンカー」とよばれるUボートの基地を建設し、そこから大西洋に出撃できるようにした。 イギリス側はソナーを完成させていたので安心していたが、Uボートは逆手にとって夜間浮上航走で船団を攻撃した。これ以後、独Uボートと連合軍対潜戦隊は知力の限りを尽くして死闘を重ねる。たとえば、連合軍側がレーダーを装備すれば、ドイツ側は逆探知装置を装備する。ドイツ側がホーミング(音響追尾)魚雷を開発すれば、連合軍側は音響ブイを曳航して対抗した。連合軍側が護衛艦による護送船団方式を採ると、ドイツ側は複数のUボートを集中させる狼群戦術で襲いかかった。しかし、連合軍側は船団に護衛空母を随伴させ、長距離哨戒艇や飛行船でUボートを空から威嚇したので、Uボートは浮上航行もままならなくなる。当時のUボートは可潜艦と言ってよく、一日数時間はバッテリーの充電のため浮上しなければならなかった。イギリスがエニグマ暗号の解読に成功すると、Uボートの活動の場はほとんどなくなってしまった。 実際のU96は、途中からは訓練艦となった後除籍され、終戦間際に連合軍の空襲で失われている。ドイツは現在でも潜水艦の建造にかけては高い技術をもっているため、多くの国に輸出している。 |
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