マニラ港の貨物線
Manila Port
PNRの終点タユマンから貨物線が、クラロ・M・レクト通りを通り、港の方へ延びてる。途中まで確認したが、終点が分らないので、港へ出かけた。この貨物線には、午前と午後に一往復ずつの列車が通る。

トゥトゥバン

タユマンを出た線路は、トゥトゥバン・ショッピング・コンプレックスの建物内に入る。

1999年4月


トゥトゥバン

トゥトゥバン・ショッピング・コンプレックスを抜けてレクト通りに入る。

1999年4月


クラロ・M・レクト通り

道路の中心を線路は走る。
レクト通りは何時も車の渋滞が激しい。そればかりか人間も渋滞で歩きにくい。その為線路は、歩道と化す。この写真は、しばらく待って人並が切れた時やっと写した。
2001年10月


クラロ・M・レクト通り

ケソン政権時代の教育長官だったクラロ・M・レクトのその後の功績を称えアスカラガ通りを改称した。奥に見える陸橋は、ロハス大通りの延長の道路

2002年3月


レクト通り

陸橋を越えて振り返って上の写真の方を見る

2002年3月


レクト通り

同じ場所から港の方向を見る。
2002年3月


レクト通り

線路は道路を横断して専用線になる。車が入らないよう扉が有るが、人間は通れる。
2002年3月

扉の中(北港)

セブからマニラ迄のフェリーから降りて大きな通りを真直ぐ歩いて ここに出て来ました この後側には引き込み線の分岐となっていました。
写真とコメント フィリピン冒険旅行 tamaさん


北港(マニラ国際埠頭)

こちらも線路内に車が入らないよう扉が有る。
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

上の扉の中からコンテナターミナルを見る。
右の線が△線に行く。
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

この奥が引込み線の終点です。
この列車を運行してるのはI.C.T.S.I.と言う会社です。なお同社は那覇でも国際コンテナーターミナルを運営してる。

2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

機関車の方向転換の為に機廻し線にΔ線が作られてる。引き上げ線は機関車1両分だけの長さ。
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

ガードマンが「列車がタユマンを出発した」と言って扉を開けたので、暑さの中待つ事20分、やっと貨物列車が姿を見せる。
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

砂煙を上げて驀進する機関車だけど、時速10キロ以下でノロノロ進む。
この機関車のメーカーは、PT GE LOKINDO
形式 UM20C
軸配置 C-C
製造年 1998

2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

ターミナルの前で列車が止まり、機関車を解放する。
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

解放された機関車はターミナルの中へ進む。
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

ポイントを切り替機廻し線に。


北港(マニラ国際埠頭)

ターミナルを出て100メートル先の△線に向かう
この機関車の後ろ姿は普通見えない。
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

△線の引き上げ線でポイント切り替えと方向転換
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

△線から来回し線に入る
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

軒先をかすめて通過
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

引っ張って来た貨車の脇を通過。
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

最後尾の貨車に連結して推進で貨車を押す。
2002年3月


北港(マニラ国際埠頭)

ターミナルの中へ入り入換完了。
コンテナの積み換えを待つ。
2002年3月

Philippines Railroad

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