ありがとう! ピクシー                           7月23日 

 Jリーガーの海外移籍が随分と騒がれるようになりました。たいへん喜ばしいことです。

 さて、Jリーグ発足当時、海外から数々のトッププレーヤーが移籍してきました。まあ、彼らが日本にやってきた動機はいろいろあると思いますが、我々の目を日本の新しいプロリーグに向けさせてくれたことは確かです。
 彼らの中には腰掛け的な考えの者や、水が合わなくてすぐに帰国してしまった者もいましたが、多くの海外リーグ経験者はJリーグ=日本代表のレベルアップに貢献しました。

 その中でも特にスーパースターであるジーコ、ドゥンガ、ストイコビッチはその選手生命を日本のために捧げてくれたと言って良いと思います。
 ジーコは鹿島をJリーグの最初のチャンピオンチームに導き、ドゥンガは最強にしてもっとも安定した戦い方ができるチームジュビロ磐田の基礎を築いた、ということでそれぞれが引退した今でもアドバイザーとして貢献している、言わばエリート街道を歩いてきたわけですが、ストイコビッチの場合は少し事情が違うようです。
 
 ピクシーことストイコビッチは、妖精のように華麗にボールを扱うことからピクシー(妖精)と呼ばれるようになったらしいのですが、その名に反して彼のサッカー人生は波乱に満ちたものでした。
 1990年ワールドカップイタリア大会で一躍世界に注目され、祖国ユーゴスラビアが次回のアメリカ大会では優勝候補の一角に挙げられるであろう成長を遂げた矢先、一向に収まらない内戦の為、彼の祖国は国際舞台から締め出されてしまいました。

 1994年、ワールドカップ出場停止と半月板損傷という、身も心もボロボロの状態で彼はやって来ました。
 当時のJリーグはスターが目白押しで、名古屋にもリネカーというスーパースターが在籍していましたので、彼は特に目立ったプレーヤーという訳ではなく、故障がちで警告が多いこと位しか印象に残りませんでした。プレーヤー、審判、サポーター全体のレベルが低かった日本サッカーに対し、世界で戦ってきた経験がジレンマとなって彼の行動に表れていたことは、世界を知らない日本人プレーヤーにとって理解できないものでした。

 その後、アトランタオリンピック、フランスワールドカップ、シドニーオリンピックと世界大会を経験して成長してきた今やっと彼の行動が理解できるようになりました。
 彼は多くを語らないが、その雄弁なプレーはどんな試合でも決して手を抜く事を許さず、常に勝つことを意識したプレーで全力で出し切ることを我々に教えてくれました。

ストイコビッチ


 日本サッカーと彼は運命的な出会いでお互いに成長を遂げたのです。いつまでも日本でプレーしてくれるものだと錯覚してしまうほど、7年間という長い間華麗なプレーを見せてくれた彼に感謝の言葉でいっぱいです。

 ありがとう!ピクシー。

 今後も何らかの形で日本サッカーに関わってくれることを望んで止みません。 





ガンバレ!小野、稲本                          7月15日 

小野と稲本の移籍が決まりました。

 同じ21歳、小野はオランダの名門フェイエノールトへ。
 足のけがの回復が遅れ、やっと本来の動きが戻ってきたところにコンフェデ杯のあの活躍、海外の目に留まらないはずはなかった。あこがれの海外移籍にためらうことなくその道を選んだ。
 晴々とした彼の移籍会見は期待と自身がみなぎっていた。フィジカルやテクニックは問題ない、大いに活躍が期待できる。

 一方の稲本はヒデ同様に、ユース、オリンピック、フル代表と全てのカテゴリーで世界と戦ってきた。世界の強さもレベルも知り尽くしている。そんな彼が世界でもトップレベルにあるプレミアリーグのアーセナルに移籍することは、レギュラーはおろかポジションも約束されないという厳しい道をあえて選んだことになる。己の更なるレベルアップの為の選択で期待と不安が渦巻いているだろうが、彼なら充分活躍できる力を持っている。ガンバレ稲本。

 そう言えば西澤がプレミアリーグのボルトンからオファーがあったらしい。そして城にも。やはり、スペインリーグあたりに在籍していると欧州の目に留まりやすいということか。
 移籍が決まったら、今度こそは成功して欲しい。





祝!1stステージ優勝 ジュビロ磐田            7月8日 

 やはり、ジュビロ磐田は強かった。GKからFWまで穴がない。パスカットからの展開も早いし、高いキープ力から正確なパス、そして決定力。特に、このチームの強さは、どこを起点にしても攻撃の組み立てができるし、誰もが高い得点能力を持っていること。しかもDFに回ったときのフォローなど意思統一がしっかり成されていること。

 文句の付けようがないです。トルシエの日本代表によく似たシステムですが、もしかしたら代表チームより、今の磐田単独チームの方が強いかも知れませんよ。
 まんざら冗談でもなく、ワールドカップで1勝できる程の実力はあるかもしれません。

 金子達仁氏が常々おっしゃっる「世界クラブ選手権の中止が残念。」が、頭にこびりついています。実現してたら、決勝トーナメント進出できたかも知れません。あの、レアル・マドリードとの対戦が決まっていたのに、レベルを知る良い機会だったのに、本当に残念です。

 p.s 別に「金子達仁」に陶酔している訳でもありません。プロの評論家としての氏に敬意を表しているだけです。






祝!中田英寿パルマ移籍                    7月7日

 いちばん良い選択をした。といってもチーム同士で需要と供給の関係があるし、代理人も絡んでいるので、なかなか本人の希望が通らないらしい。それでも、相思相愛の所に移籍できるのは実力があってこそのこと。 とにかくめでたい話である。

 パルマとは5年契約、そういえばローマとも5年だった、まさか2年で移籍するとは思わなかったろう。
 「ゲームに出られるし、優勝も狙えるチーム」(中田談)。コンスタントにゲームに出てれば、実力が今よりUPすること間違いなしの環境と言える。

 喜びをあまり表に出さない彼も、よほど嬉しかったのだろう、自身のHPで「パルマは食事がおいしい所・・・等々。」と珍しくテンションが高い。
 いざヒデよ、2年間の練習?の成果を見せてくれ。

 稲本、小野はヨーロッパ移籍が決まりそうだ。俊輔や名波も出遅れた格好だが、オファーが来るだろう。
 「奥寺が開いた、カズが広げたヒデの道」(スポニチ)。ヒデの道はさらに広くなって、交通量が増えた。あとに続け日本イレブン!





キリンカップは親善試合ですから              7月4日

 初戦のパラグアイは2戦目で優勝もかかっているということで、結構、前がかりで攻めてきたが、カウンターから簡単に先制を許すと後は日本のスピードに着いていけなくなり、単純にロングボールを上げるだけになってしまった。
 日本としては点を取られる気がしないゲームでした。

 トルシエが優勝にこだわってあえてプレースタイルを知られている広山を使わなかったのは理解できるが、親善試合だし、大勢が決まった後の15分でもいいから見てみたかったと思うのは大多数の一致した気持ちでしょうね。

 次戦のユーゴとはいつもこういった点の入らない退屈な?試合になってしまうが、それでも控えメンバーで臨んだユーゴは、ストイコビッチの花道を飾ろうと猛暑の中必死に戦ってくれました。対してベストメンバーで、こういう気候に慣れているはずの日本代表は暑さで集中を欠き、ミスを連発。散々な試合でした。

 そんな中でも全勝・無失点という結果を残せた事はある程度評価はしても良いと思いますが。

 この大会を通じて思ったことは、来年のワールドカップ本番において、日本独特の高温多湿の環境は日本代表にとってホームで戦える事と共に、もしかしたら大変有利な条件になるのではないかということ。
 そう思うのは私だけでしょうか。 





キリンカップ後は固定メンバーで強化を!         6月22日

 キリンカップに広山が呼ばれたのは興味深い。彼はクラブに於いて監督や同僚の信頼が厚く、完全にパラグアイリーグに馴染んでいる。日本のシステムに合えばまた一つ右サイドのオプションが増えるだろう。しかし、名波や俊輔が戻ってきたら、ヒデと淳もいるし、どうやって使っていくのだろう。
 
 もう試験段階は過ぎた。この大会をメンバーの最終選考にして、これからは固定したメンバーで強化して行かなければならない時期に入る。

 それにしても、今後、国際試合の少なさが気になる。諸外国はWC予選や移籍やらでそれどころじゃないかも知れないが、強豪クラブとでもいいから、少なくとも月一回は試合を組めないのだろうか。日本サッカー協会の皆様、何とぞご尽力を。





輝く道標。中田英寿                      6月20日

 セリエA ASローマが優勝した。日本人MFのヒデが世界中からトップレベルのプレーヤーを集めたリーグで、しかも優勝の瞬間にピッチにいたということは、どれだけ多くの日本人プレーヤーに勇気と自信を与えたことだろう。これは、一生かかってもごく限られた者にしかできない、非常に貴重な経験である。そして、そこに彼は立っていた。

 今シーズンは特に、控えの重圧に耐えながらも常に高いモチベーションを保っていなければならない厳しい条件で、本当に頑張ったと思う。
 残留か移籍か分からないけど、どこへ行っても我々日本人の目標として光り輝いて欲しい。

 やがて、彼の後に続く者が次々と出てくることを願って。   





シュミレーションは終わった                   6月12日

 
コンフェデ杯、日本はよくやった。
 正直、ここまでやれるとは思ってもみなかった。日本人の責任感の強さと勤勉さが生んだ結果だろう。実際、カメルーンは早々と試合をあきらめてしまうし、フランスだってリードしたら適当に流し始める。国民性というか人種の違いみたいなものを感じた。10年後を見てろという気持ちになった。

 今大会で日本は、フィジカルや技術ではまだかなり劣るけど、「日本独特の戦い方」というものを確立したように思う。アウェーでのフランス戦、スペイン戦を経験して得た戦い方。それが世界に通じるかどうかのシュミレーションであった大会で、ある程度の結果が出せた。
 しかし、本番では各国のモチベーションが比べものにならないくらい高い。

 さて、あと一年でやれることは、レベルの高い試合をこなすために、ヨーロッパや南米あたりからどんどん移籍させてJリーグを海外の強豪リーグのようにする。それは不可能なので、出来るだけ多くの海外移籍、ぜひ早急に実現して欲しい。



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