シェイクスピアの同時代人
●はシェイクスピアより先に死んでしまった人たち
まだ工事中で〜す(完成度62%)。はいってみたい人は、ど〜ぞ
ウイリアム・シェイクスピア(WS)の家族たち
●ジョン・シェイクスピア WSの父。ストラットフォード(シュトラータ:ローマ軍道・フォード:浅瀬)・アポン・エイポン(エイボン川上の〜)の名士。
毛皮商。町役人として出世するが、後年破産した。町役人をやったので沢山の公式資料が残っている。
町役人はロンドンから来る旅回り一座を接待する役目もやっていた。そのことがきっかけで青年WSは演劇人となったのだろうか。
1573と1576に レスター伯一座(当時の劇団はひいきの貴族の名前を名乗っていた)、
1579 ストレンジ卿一座
1584 エセックス伯一座、
1587 女王一座がこの街を訪れている。
1575にはストラットフォードの近くケニルワース城にエリザベス女王が来ている。
後年、父のためにWSは紋章を申請してやったりして、なかなかの孝行息子ぶり。
◎アン・ハサウエイ WSの妻 1555〜1623 WSの8才年上。
聖トリニティ教会に残るWSとの結婚式の記録が、WSの誕生以来2度目の公式記録だ。
シェイクスピアがロンドンに出た足取りは分からない。
戦争場面がよく描けていることからオランダ独立戦争に従軍しただろうという仮説もあるが記録はない。
1592年以降になると、演劇人としてのシェイクスピアの記録が随所に見られる。
アンたちを田舎に置いたまま単身赴任していたのだろうか。
ストラットフォードはロンドンからオックスフォードを抜けて車で2〜3時間。
歩いて4日、馬なら2日ほどの行程で行き来できるところである。
WSの死ぬ1ヶ月前の遺言状によるとWSはアン・ハサウエイにはベッドしか残さなかった。
これはアンとWSにしかわからない、なにかの暗号なのかもしれない。
アンは61才でWSを看取っているから、特別夫婦仲が悪かったとは思えない。アン・ハサウエイの享年68.
◎スザンナ WSの長女 1583〜1649 WSウイリアムとアンの結婚式の時、すでにアンのおなかにあった。
のち、医師ジョン・ホールと結婚、娘エリザベスをもうける。66才まで生きた。
●ハムネット WSの長男 1585〜1596 11歳で死亡。WSシェイクスピアが世に出たのは1592年。
93年、94年はペストのため劇場封鎖。WSシェイクスピアはイタリア旅行をしていたと考えられているから、
96年のハムネットの死はさぞ残念なことだったろう。
ハムネットの死はWSシェイクスピアの創作意欲の原点だったろうし生死感の礎石になったに違いない。
◎ジュディス(ハムネットと双子) WSの娘。1585〜1662 のち、トマス・クイニーと結婚。享年77.
●ジョーン WSの長姉1558 没年不明だが。ジョン・シェイクスピアは1569年生まれた女の子にジョーンと名付けているから
1568(WSが4才、まだモノ心つく前)までには死んだであろう。
●マーガレットWSの次姉 1562 WSの生まれる前の年、死んでいる。
このころは子供があきれるほどよく死んだ。病気に対する治療法が確立されていなかったからしかたがないが、
死んだ子供の法要は、世界中同じように手厚かった。
シェイクスピアは物心つく前まで姉が一人いて、物心ついたときには長男として育てられた。
●ギルバート WSの2才下の弟 1566〜1612 46才で死去、ストラットフォードに埋葬。
●アン 妹 1571〜1579 享年8。WS7才の時に生まれて、WSの15才の時死んだ。
ジョーンとアン、それにギルバートとリチャードはWSが多感な時代を共に生きた弟妹だ。
●リチャード 弟 1574〜1613 WSの10才年下。39歳で死亡、埋葬。
●エドマンド 弟 1580〜1607 WSの16才年下。 27歳で死亡しているが、
この人は俳優になりWSの一座に所属していたようだ。ギルバードとリチャードも俳優していたかもしれない。
弟たちは3人ともWSより早く死んでいる。
●メアリー・シェイクスピア WSの母 1608埋葬
劇場関係者
◎ジェイムズ・バーベッジ ザ・シアター建設1576〜1598 宮内大臣一座主宰 WSの親分。
1585ヘンリー・レイマンからカーテン座(1576−1660)の経営権取得。
◎リチャード・バーベッジ ジェイムズの子。名優。WS一座の立ち役。
ザ・シアターの廃材でグローブ座を建てる。1599〜1613、第2次グローブ座(国王一座)1614から1644
宮内大臣一座、国王一座
◎
◎ウイリアム・ケンプ 1568〜1648のオランダ独立戦争に従軍した記録(1581)の残る、荒事派の道化役者。
◎
◎
◎
◎
◎エドワード・アレン 俳優:ヘンズローの娘ジョーンと結婚。ヘンズローと一緒にフォーチュン座を建てる。
当時名代の興行主
◎フィリップ・ヘンズロー 当代きっての興業主。日記を残している。
海軍大臣一座を主宰1594〜1600。
バラ座(海軍大臣一座)建設1587〜1622 ニューイントン・バッツ座(宮内大臣一座)1580〜1695
ホープ座建設1614〜1656。
◎フランシス・ラングリー 白鳥座1575〜1640 (1596海軍大臣一座の記録が残っている)
◎
16Cを彩る作家たち
●クリストファー・マーロウ 1564-93 WSと同年の作家。チョー売れっ子。WSとは親友であったらしい。1593若くして喧嘩で刺殺される。
◎ベン・ジョンソン ユニヴァーシティ.ウイッツ=学術派 WSの後輩作家。彼の昨品には俳優WSが、よく出演している。
●ロバート・グリーン ユニヴァーシティ・ウイッツの一人。1592、WSの悪口を書き残す。WSが記録に残った最初。
ただしスペルは正確ではなく、シェイクスシーン と記されていた。
●トマス・キッド 1558-94 『スペインの悲劇』を書いて
WSの『タイタスアンドロニカス』『ハムレット』に影響を与えた。
◎デッカー 1570-1632
◎ヘーウッド 1574-1641
シェイクスピア時代の宮廷人
*1564、1593、1603、1623 ロンドンはペストに見舞われた。
●エリザベス女王 母アン・ブリーンは父ヘンリー8世の嫉妬のために殺される。
少女時代から非常な勉学家、フランス語はもちろんイタリア語も流暢に話し、スペイン語、ラテン語
ヘンリー8世死後も、10年間修道院で尼の生活を続けていたが
弟エドワード6世(治世6年)、姉メアリー1世(治世5年)の跡を継ぎ
1558イギリス女王になり45年間君臨。
大航海時代のイギリスの繁栄を築く。1603死去。
● レスター伯ロバート・ダドリー: エリザベス即位の時の主馬頭(しゅめがしら)。エリザベスの最初の寵臣といわれる。
メアリー治世下で謀反を疑われたエリザベスと一緒にロンドン塔に送られた。
● ノーサンバーランド公ジョン・ダドリー: ロバートの父。ジェーン・グレイを末息子ギルドフォードの妻として王位を狙った。
権力を掌握した直後に王族でもないのに公爵位を自らに叙勲した。蜂起したメアリーのカソリック軍に敗退。
●ウイリアム・シドニー: エドワード6世の侍従長。
娘フランセスはサセックス伯に嫁ぎ、
孫娘ジェーンはスペイン大使フェリア伯の妻、
息子ヘンリー(ロバート・ダドリーの姉メアリーと結婚)の子孫は
ウォルシンガム卿、ペンブルグ伯、カンバーランド伯、ドーセット伯などと縁戚になって大いに栄えた
●ヘンリー・シドニー:
●フィリップ・シドニー: エリザベスの寵臣。詩人。軍人。外交官。20才の時、ヨーロッパ旅行。イタリアパドヴァ、ヴェネツィアなど歴訪。
ヴェネツィアでは高級娼婦と熱い恋。1581帰国後、エリザベスの縁戚でエセックス伯の妹であるリッチ卿夫人ペネロペ・デヴローと不倫の恋。
のち1583、フランシス・ウォルシンガム卿の娘と結婚。放蕩をぴたりとやめる。「イギリスの偉大なる希望の星」と呼ばれる。
オランダ独立戦争(対スペイン)でオランダの要塞都市フラッシンの総督となり1586、ズートフェンで戦死。享年31。国葬されたはじめてのイギリス人となった。
◎ペネロペ・デヴァルー: エリザベスのイトコの子、レティス・ノリスが初めの夫エセックス伯との間にもうけた娘。
イタリア語、スペイン語、楽器演奏などに堪能で「イギリス一の美女」と謳われた。
兄は寵臣エセックス伯となって1601大逆事件で処刑された。
レティスは夫が死ぬと4人の子を連れて寵臣レスター伯と秘密裏に結婚。
女王の怒りをかって宮廷から追放された。
ペネロペはハンティントン伯が後見人となって、後見人庁長官バーリー卿ウイリアム・セシルの肝いりもあって
金はあるがまったく教養のないロバート・リッチ卿と不幸な結婚生活に入った。
フィリップ・シドニーの結婚で、恋からさめたペネロペは兄エセックス伯のサロンでWSなど多くの文人たちや音楽家たちに君臨して浮き名を流した。
夫との間に8人の子、愛人マウントジョイ卿チャールズ・ブローントとの間に数人の子を産んだ。
マウントジョイ卿とペネロペの恋物語がWSの『ルクリースの陵辱』『ヴィーナスとアドニス』を生んだともいわれている。
●エセックス伯ロバート・デヴァルー: エリザベス晩年の寵臣。
青年貴族たちのリーダーだったが1600年アイルランド遠征に失敗、エリザベスの不興を買い、
1601多くの貴族と謀り大逆事件の首謀者となる。決行の前日、WSに『リチャード2世』を上演するように要望。
WSは保身のため『ジュリアス・シーザー』に「詩人のくだり」を加筆したと考えられる。
ロバート、あえなく断頭台にて斬首。
◎
◎
●ノーフォーク公爵
●アランデル伯ヘンリー・フィッツアラン: アランデル伯爵家は1290年リチャード・フィッツアランが叙勲した名門。
ジェーンと名付けた娘をエドワードに嫁がせようとしてならず(ジェーンはルムリ卿と恋愛結婚)、エリザベスに嫁がせようとした息子が病没。
妹メアリーは古典学者だった(サリー伯と結婚)。
●サリー伯トマス・ホワード:
◎サウザンプトン伯ヘンリー・ライアズリー: WSシェイクスピアの個人的なタニマチ。10歳年下。
WSシェイクスピアは叙事詩やソネット集をライアズリーに献呈している。
エセックス伯の子分。大逆事件に連座。
●ハンズドン卿: エリザベス朝の宮内大臣。1594WS宮内大臣一座を結成1596死去
◎ハンズドン卿ジョージ・ケアリ: ハンズドン卿の息子、宮内大臣一座をハンズドン卿一座として率いる。
1597宮内大臣となって、座は再び宮内大臣一座を名乗る。
◎ストレンジ卿: 1592頃、この人の後押しする一座にWSシェイクスピアが参加していたかもしれない。
◎ベーコン卿フランシス・ベーコン:
◎ニコラス・ベーコン卿: エリザベス女王の国璽尚書(イギリスの国印を保管する大臣)。
才女と謳われたクック卿の娘アンを2番目の妻とした。哲学者フランシス・ベーコンの父。
●バーリー卿ウイリアム・セシル:〜1598エリザベス朝、辣腕の行政官。
再婚相手にエドワード6世の家庭教師アントニー・クック卿の娘ミルドレッド(非常に教養があった)をめとる。
長女はオックスフォード伯と恋愛結婚。そのときウィリアムはまだバーリー卿に叙勲されては、いなかったからこれは「逆玉の輿」。
◎ロバート・セシル: ウイリアム・セシルの子。父の跡を継いでエリザベス朝の宰相となる。
女王没後、スコットランド王ジェィムズ6世をイングランドに招きジェイムズ1世として2王国を一つにした。
◎オックスフォード伯エドワード・ド・ウェア1550〜:
◎サー・フランシス・ドレイク: 1577世界一周に旅立つ 1580財宝満載して帰国。ナイトの叙勲。1586西インド侵略。
◎サー・ウォルター・ローリー: エリザベスの寵臣。 1583北米沿岸探検。ヴァージニア植民地をつくる(1607から本格的に)。
◎ラトランド伯: 1613リチャード・バーベッジとWSに44シリングを贈る
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エリザベスにいたる王侯たち、そして普通の人々。
●ヘンリー7世、 イングランド・ノルマン王朝の、チューダー朝の始祖。1485〜1509
リッチモンド伯(ランカスター家)。バラ戦争で追放されていたがボズワースの戦いでリチャード3世(ヨーク家)から王位奪還。
ヨーク家のエリザベス(エドワード4世の娘)と結婚し、バラ戦争に終止符を打った。
封建時代(中世)からの決別。私兵を廃止し、国家が武器を独り占めにして、税は軽くした。
娘マーガレットをスコットランド王ジェイムズ2世の息子と結婚させ、息子のアーサーはアラゴンのキャサリンと結婚させた。
アーサーは1502、早世してその弟ヘンリーがヘンリー8世となる。
●ヘンリー8世 1509〜1547。11世紀のイングランドに君臨した征服王ウイリアムの再来と謳われる巨大な男。
@最初、兄の嫁さん、アラゴンのキャサリン(スペイン女王イザベラの娘)と結婚。娘メアリーをもうける。
(キャサリンは女ばかり5人生んで、4人は幼くして死んだ)キャサリンはカソリック。
ヘンリーはトマス・ウルジーに強要してキャサリンと離縁する。
スペイン寄りのローマ教会はヘンリーを破門。怒ったヘンリー8世は英国教会をつくり、修道院の歳入を自分のものとした。
ヘンリーの死後イギリスはエドワード(プロテスタント)、メアリー(カソリック)と宗教的におおいにゆれ、
エリザベスが即位して再び英国教会で統一。
Aヘンリー8世はキャサリンの女官だったアン・ブリーンと結婚。
エリザベスが生まれるが、ヘンリーはアンが浮気したといいがかり、1536ロンドン塔でアンを断首。
Bついでジェーン・シーモアと結婚。ようやく男子エドワードが1537生まれる。
ジェーンはサマセット公爵の娘。産後の肥立ちが悪く逝去。
貴族たちは将来エドワードと結婚させようと当時生まれてきた娘にやたらジェーンと名付けた。
C
Dキャサリン・ホワード1542処刑される
Eキャサリン・パー
●エドワード6世 (在位1547〜1553)ヘンリー8世と3番目の王妃ジェーン・シーモアとの子。
ヘンリー8世の死後、若くして王位に就いたが病弱だったので、ノーサンバーランド公が補佐した。
6年間の治世の間プロテスタントが盛んになった。
●ジェーン・グレイ ラテン語に関しては学者といえるほどだった。
ヘンリー7世の末娘メアリーの娘、フランシスはサフォーク公ヘンリー・グレイと結婚して、
ジェーン・グレイ(エドワード6やメアリーやエリザベスの叔母さんの孫にあたる)を生む。
ノーサンバーランド公ジョン・ダドリーは自分の末息子ギルドフォード・ダドリーとジェーン・グレイを結婚させ
エドワード6死後の王権簒奪を謀ったが、武装蜂起したメアリーのカソリック軍に破れた。
ジェーン・グレイは9日間王位にあって、夫とともに断頭台の露と消えた。
●メアリー・チューダー (メアリー1世、在位1553〜1558)ヘンリー8世とキャサリン(第1王妃)の子。がちがちのカソリック。
ノーサンバーランド公爵の陰謀をうち破り王位に就いたが、カンタベリー大司教トーマス・クランマーを処刑。
プロテスタントを弾圧して国民の不評を買った。
5年ほど王位にあったが死没した。毒殺か?
●メアリー・スチュアート ヘンリー7世のひ孫にあたる
(ヘンリー7世【チューダー家】の娘マーガレットが、スコットランド王ジェームズ4世【スチュウアート家】と結婚。
その子ジェイムズ5世の娘がメアリー)
スコットランド女王。ヘンリー8世の姉の末裔だからイングランドの王位継承権はエリザベスより優位だとする説が流れた。
最初フランスフランス皇太子との結婚でフランスに移住。
離婚してスコットランドに帰り、自分の2番目の夫ダーンリー伯(親戚)を毒殺したかどで追放されて
息子ジェイムズ(のちジェイムズ6世)をスコットランドに残したままでイングランドに逃亡、
エリザベスによってロンドン塔に幽閉される。 1587イギリスで処刑される。
この事件は、WSの作品に何らかの影響を及ぼしているのではないだろうか。
◎フェリペ2世 :メアリーと結婚。その死後、エリザベスに求婚。袖にされるスペイン王。
オランダ独立戦争、無敵艦隊アルマーダはイギリス海峡の藻屑となるなど常にイギリスの対抗馬としてのスペインを率いた。
●フランソア2世 フランス皇太子、メアリー・スチュアートの最初の亭主。のちフランス国王。
英仏戦争(1548〜1550)の原因となった。
◎ジェイムズ1世 メアリー・スチュアートの息子。スチュアート朝の始祖(1603〜1714)。
若くしてジェイムズ6世としてスコットランドを統治していた。
エリザベスの死後、ジェイムズ1世と改名してイングランド国王を継ぐ。
●皇太子ヘンリー ジェイムズの子、1612死去。
●サマセット公エドワード・シーモア エドワード6世の摂政卿として権力をつける。ヘンリー8世の弟。
6人の子があり、ジェーン・グレイを跡継ぎのエドワード・シーモアと結婚させようと考えていた。
1552レスター伯ロバート・ダドリーの父ジョン・ダドリーに謀られ断頭台に送られる。
●ジョン・ダドリー 権力を手中にするとみずからノーサンバーランド公爵となる。
エドワード6世が床に伏せるのを見て王位継承権を持つジェーン・グレイを自分の末息子の結婚相手に。
エドワードが15才で死ぬと挙兵したメアリーに破れ敗死。
●ノーフォーク公爵トーマス・ホワード サマセット公のライバル。13Cエドワード1世を祖とするイギリス筆頭貴族。
アン・ブーリンはトーマスの姉の娘。ヘンリー8世5番目の妃キャサリン・ホワードは兄の娘。
娘のメアリー・ホワードがヘンリー8世の庶子、リッチモンド公ヘンリー・フィッツロイと結婚した(ヘンリーは17才で病没)。
◎ グレシャム 1566、ロンドンに取引所をつくった。
グレシャムの法則(「悪貨は良貨を駆逐する」という原則。
品位量目の違う二種の貨幣に、同一の名目価格をつけて流通させる時、実質価値の高い貨幣は蓄蔵されたり、地金として使用されたりして市場から姿を消し、実質価値の低い貨幣のみ残るというもの)を、唱えた。
事件の渦中の人物像
●ロダリーゴ・ロペス ポルトガル系ユダヤ人。医者。シャイロックのモデル。1594女王毒殺計画のかどで処刑される
◎ガイ・フォークス 1605 ジェイムズ1世のプロテスタントびいきに怒ってカソリック教徒が国会に爆弾を仕掛ける陰謀を企てた。
事件の首謀者
◎アレグザンダー・ホートン : ランカシャーの郷士。
遺言状で俳優WilliamShakeshafteにあてて小金を残している(1581)WSのことだと考えられている
◎トマス・プラッター : スイス人医師。1599年9月地球座で『JC』を観たと日記にある。
JCの中の詩人のくだり(詩人は政治に関係できるものではないという主張)は
1601年大逆事件のあとでWSが付け加えたものかもしれない。
◎トマス・グリーン : 1614シェイクスピアが127エーカーの土地を持っているという文書を残している
◎
◎
◎
シェイクスピアがあったこともない同時代の人々
●モスクワ公イワン雷帝(イヴァン4世)
◎アンリ4世 即位1589〜1610 ブルボン朝成立(1589〜1792,1814〜1830)。
●マクシミリアン1世 1577、没神聖ローマ帝国皇帝
◎ ルドルフ2世 マクシミリアンの息子。プラハに宮廷を持っていた。
●エラスムス
●ルター
●レオナルド・ダ・ヴィンチ
●ミケランジェロ
●ペトラルカ イタリアの詩人。サンタ・クララ聖堂で美女ラウラに恋をするという詩は
ダンテのベアトリーチェにたとえられイギリスの詩人たちの霊感の源泉となった。
●コペルニクス 16世紀半ばのポーランド人。天球回転論(地動説)を唱えた。
●イグナテイウス・ロヨラ 軍人・宗教家。1537イエズス会を創建。1544学校設立。1549中国を経て来日。
●フランシスコ・ザビエル イエズス会宣教師。アジアにキリスト教を広めた。1549来日。
●コルテス、ピサロ イスパニアの冒険家。アメリカ大陸で原住の人々を殺戮した。
●ヴェサリウス 人体解剖図
●毛利元就 1571没
●織田信長 1582没(50才)
●豊臣秀吉 1598没(63才)
●千利休 秀吉のお茶の先生。非常に求道的な茶道を始めた人。
●豊臣秀頼 1615没 享年23
●淀君 同年没 享年4x
☆徳川家康 1616年4月没(75才) 同時期の逝去。天国で二人は会ったかも
◎ 出雲のお国 1603 京都で歌舞伎踊りを始める。
◎ウイリアム・アダムス イギリス人。オランダ船リーフデ号で来日。徳川家康に使えて三浦按針と名乗る。享年57。
◎中村(猿若)勘三郎 江戸に猿若座を起こす(1624)。幕府これを禁ずる。1628 江戸で 女歌舞伎 流行。
◎
シェイクスピアを中心とした、ちょっとした歴史年表
1558 エリザベス1世即位 イギリス財政は破綻状態
1564 WS生まれる
1588 スペイン無敵艦隊を破る
1594 アイルランド、アルスターで対英反乱。イギリス派兵。
1596 イギリス、フランス、オランダによる対イスパニア同盟でイスパニアを包囲。
1598 ナントの勅令 フランス国内でユグノー派の争乱終結。
1600 イギリス東インド会社 創立。
1601 アイルランドの反乱鎮圧。救貧法制定。
1608 イングランドがアイルランド、アルスターに大規模な植民。
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Histories:2HVI (ヘンリー6世王の第2部) Histories:1HVI 1589−1590
Histories:3HVI (ヘンリー6世王の第3部) Histories:2HVI
Histories:1HVI (ヘンリー6世王の第1部) Histories:3HVI
Histories:RIII (リチャード3世の悲劇) Histories:RIII
Histories:RII (リチャード2世王の生と死) Tragedies:Titus
Histories:K John (ジョン王の生と死) Comedies:CofE
Histories:1HIV(ヘンリー4世の第1部) Comedies:Shrew
Histories:2HIV(ヘンリー4世の第2部) Comedies:TwoG
Histories:HV(ヘンリー5世王の生き方) Comedies:LLL
Histories: HVIII(ヘンリー8世についての、よく知られた物語=ヘンリー8世) Tragedies:R&J
Histories:RII
Comedies:MND
Comedies:CofE(コメディ・オブ・エラーズ=とりちがい喜劇) Histories:K John
Comedies:Shrew(ザ・テイミング・オブ・ザ・シュリュー=気の荒い女のてなづけ方=じゃじゃ馬ならし) Comedies:MofV 1596−1597
Comedies:TwoG (ヴェローナの二紳士) Histories:1HIV
Comedies:LLL(ラブズ・レイバーズ・ロスト=恋の奴隷の損得勘定=恋の骨折り損) Histories:2HIV
Comedies:MND(夏至の夜の夢 =midsummer は夏至 ) Comedies:Much Ado
Comedies:MofV(ヴェニスの商人) Histories:HV
Comedies:Much Ado (なんでもないのに大騒ぎ=からさわぎ) Comedies:MWW
Tragedies: JC
Tragedies:Titus (タイタス・アンドロニカスのいたましい悲劇) Comedies:AYLI
Tragedies:R&J(ロミオとジュリエットの悲劇 ) Comedies:TN
Tragedies: JC(ジュリアス・シーザーの悲劇) Tragedies:Hamlet 1600−1601
Tragedies: Hamlet(デンマーク王子ハムレットの悲劇) Tragedies:T&C 1601−1602
Tragedies:T&C(トロイラスとクレシダの悲劇) Comedies:All’sWell 1602−1603
Tragedies:Oth(ヴェニスのムーア人オセローの悲劇) Tragedies:Oth 1602−1603
Tragedies: Lear(リア王の悲劇) Comedies:MM 1603
Tragedies:Mac(マクベスの悲劇) Tragedies:Lear 1604−1605
Tragedies:A&C(アントニーとクレオパトラの悲劇) Tragedies:Mac 1605−1606
Tragedies: Cor(コリオレイナスの悲劇) Tragedies:A&C
Tragedies:Timon(アテネのタイモンの人生) Tragedies:Timon
Tragedies:Cor
Comedies:AYLI( お好きにどうぞ =お気に召すまま) Per
Comedies:TN(十二夜、またはなんとでも) Tragedies:Cym
Comedies:MWW(ウインザーの陽気な女房たち) Comedies:WT
Comedies: All’sWell(うまくやってりゃ最後もいいって=終わりよければすべてよし) Comedies:Tem
Comedies: MM(尺をはかるための尺=尺には尺を) Histories: HVIII 1612−1613
二人の親戚の貴族 1613−1614
Per(タイアの王子ペリクリーズという表題のたいしたお芝居=ペリクリーズ)海を謳いあげた詩劇です
Tragedies:Cym (シンベリーンの悲劇)
1593 ヴィーナスとアドニス
Comedies:WT (冬物語) 1594 ルークリースの凌辱
Comedies:Tem (ザ・テンペストーあらし) 1609 ソネット集