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■ 寝台特急「あさかぜ」

■実車の歴史

 東海道本線の電化が完成した1956(昭和31)年の11月、ひとつの夜行列車が静かにスタートを切りました。彼の名は「あさかぜ」。当時は形式はバラバラで、いわゆる『寄せ集め』で組成された列車にすぎませんでした。しかし、彼の人気は上がる一方で、現状では対応ができないことから、早くも新しい客車の開発が進められていきました。

 昼行特急の代表格である「つばめ」「はと」に劣らない豪華さを演出したい。そのコンセプトのもと、1958(昭和38)年に20系客車が誕生しました。同年10月には早速「あさかぜ」に充当され、寝台列車の地位を確立していきました。ブルートレインの愛称が浸透したのもこの頃です。

 人気上昇中の彼は、1968(昭和43)年に1往復、1970(昭和45)年に1往復を増発し、計3往復体制になりました。しかし絶頂を迎えた彼の人気も、わずか5年で陰りが出始めることになります。

 1975(昭和50)年、山陽新幹線が博多まで全線開通しました。それに伴い1往復が臨時列車へと降格、もう1往復は降格こそしなかったものの、ナロネの減車により少しずつ華やかさが失われていきました。さらに、この時登場から12年経った20系客車も、もはや新型とは言えなくなっていました。そして、ようやく1977(昭和52)年から、維持されていた2往復は24系25形に車種変更され、1往復は開放B寝台の中に個室A寝台車1両、食堂車1両を組成していたのに対し、もう1往復はモノクラス編成となり、もはや華やかさは失われてしまいました。

 時は流れ1985(昭和60)年、牽引車が従来のEF65からEF66に変更され、その象徴の力強さを活かしてスピードアップが図られました。さらに1986(昭和61)年、1往復についてはグレードアップ工事が行われ、デュエット、カルテットなどの様々な個室車両が組成されました。これは後に「北斗星」へと受け継がれていきます。ここでようやく往年の華やかさが戻ってきました。

 1987(昭和62)年、国鉄の民営化によってグレードアップ編成はJR東日本に、モノクラス編成はJR西日本に受け継がれました。その結果、モノクラス編成も1989(平成元)年から個室A寝台車、ラウンジカーを連結するようになり、利用者の呼び込みに力が入っていましたが、その努力も実ることなく、1993(平成5)年には食堂車の営業が廃止になり、衰退の進行はもはや歯止めが効かなくなっていきました。

 力がなくなった彼に1往復の減便の判断が下されました。これによってJR東日本編成は廃止し、JR西日本編成のみでの運行が決定しました。登場時と同じ1往復になりましたが、華やかさはおろか活力すら失われていました。そして、衰退の歯止めが効かなくなった彼に、とうとう廃止の宣告が成されました。

 時は2005(平成17)年2月28日、彼は本当の終着駅へ向けて出発しました。50年の歴史は静かに幕を閉じました。


■製品概要

2006(平成18)年3月1日、Tomixから限定品として「さよならあさかぜ」セットが発売された。最終日の下関発東京行きの編成を見事に再現した内容となっている。
要するに、模型の世界では、いつまでも最終日編成が輝いているのである。

 ●EF66 46
最終編成の先頭を飾るにふさわしい出来。今回の企画販売にあわせてリニューアルされた。KATO製品と同様にフライホイールの搭載や手摺の別パーツ化が行われている。ボディや床下の塗装やディテールなど、従来品とは比べ物にならないほど徹底的に表現されている。ただ、別パーツである信号炎管が外れやすいのと、プラ製のパンタグラフの強度が気になるところである。ヘッドマークの取り付けかたも改良され、簡単に交換できるような構造になった。


2006/03/04 初版

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