京都2-1(高雄他)
 神護寺(高雄)
2004年ゴールデンウィーク、京都駅に昼前に到着。旅行パックに付いている市営バスの一日乗車券を明日の為にもらい、JRバスで高雄へ。心配した洛内の渋滞もなく無事到着。前日まで雨だった事もあり、木々は青々と輝き、香りも清々しく、気分よく神護寺へ。バス停の側からちょっと山歩き気分で新緑のもみじのトンネルを下る。やっと着いたのか?と思ったら、まだ途中の高雄橋。
上が高雄橋の写真。右上の写真が高雄橋から高山寺方面とは逆を撮った景色。藤が木に絡まって咲いているのがきれいでした。そこから登りになり、途中右に折れ曲がり、茶店が3軒ほどある前を通り過ぎる。
硯石。
これがある所を左に折れ曲がるようにして少し長い階段を登るとやっと神護寺の楼門である。京都駅に着いた時は曇っていたのに、ここに着いた時にはすっかり晴れていた。
まっ先に神護寺に来た目的、それは伝源頼朝像・伝平重盛像を見る為!
GWにあった虫干しの5日間のみ貴重な絵画等を一般公開していたのです。楼門の手前を右に入り記帳などして展示されている書院へ。3部屋に所狭しとたくさんの絵画や文書が展示されていました。ガラスなどに入っていないのが多のにびっくり(入っていたら虫干しにならないですよね(^_^;))。間違ってつまずいたりして触ってしまわないだろうかとドキドキしながら慎重に見学。和気清麿・文覚上人や後白河法皇の絵画、私が一番気に入ったのは木版でしょうか?墨の線だけの観音様(かな?)達の絵が貼られた屏風(普段からその部屋に飾られているものかも?)。源頼朝と北条政子の文書も展示されていました。そして、伝源頼朝像・伝平重盛像、思っていたよりも大きい事に驚き(感覚としては絵画部分が自分と同じ位に感じた)、何でこの2枚の傷み度合いがこんなに違うのだろうと疑問に思いつつしばらくその近くにいた。文書等の説明をしながらお寺の方がその部屋へ来て、伝源頼朝像は明治時代に修復を受けていたと話してくれたので、その疑問もすぐ解消されたが、どうして伝平重盛像は修復を受けなかったんだろうという疑問も出てきた。言わなかっただけで修復を受けていたのかも知れないし、伝源頼朝像よりも元々傷みが激しかったのかもしれないと思ってみた。
書院を出て楼門をくぐり境内へ。
楼門くぐってすぐ右側。さっき入った書院か茶室への門だと思うが分かりません。和気公霊廟だったか。。。

続いて何やら階段。パンフレットの裏の地図で確認。鐘楼だ。登ってみた。
ここまでは楼門を入って右側に堂などがあったが、ほぼ正面、広々とは言い難い所に堂がありました。
左に廻り、隣接した毘沙門堂側から撮った五大堂。同じ向きに正面がある毘沙門堂。
毘沙門堂に向いて正面がある大師堂。
大師堂向かって右側に、本堂への階段と地蔵院へ下り坂があり、地蔵院へ行く事にした。下りは短くすぐまた短い上りで地蔵院へ着いた。苔むした庭園の右側奥に建物が見えたのでこれが地蔵院だと思う。秋になりこの苔の上に赤いもみじが落ちたなら相当見事だろうなぁ。(写真左下)
さらに進むとひらけた場所に出た。かわらけ投げをする所です。投げてきませんでしたが。錦雲峡と言い流れているのは清滝川だそうです(写真右下)

今度は地蔵院を左に見ながら戻るように来た道の左隣の道へ。途中、あか井(左写真)の前を通り、金堂横に出てきてひっそりとある竜王堂(右写真)、その横にある階段をまた登って、金堂後ろにある多宝塔へ。
塀にかこまれていたが多宝塔(左写真)。隙間から覗いてみる。振り返ると、金堂を上から眺める事ができた。鬼瓦もよく見える。

そして、やっと金堂正面へやってきた(上写真)。本来ならまっ先に来るような所のはずだけど(^_^;)
気付いたら1時を過ぎていた。すっかりお昼ご飯を忘れていた。友達にあやまり、来る途中にあった茶店へ。ここにも背の高いもみじが何本も植わっていた。
食べ終わり、文覚上人墓へはまた来るからね~と心の中で思いつつ、次の目的地太秦映画村へ。
バスを福王子で下り、3分程歩いて京福線の高雄口駅へ。左写真の電車に乗って帷子ノ辻駅で四条大宮行きに乗り換え太秦駅で下車。5分程あるいて到着。

 東映太秦映画村

入り口付近の建物の中には有名な時代劇などに使われたセットや小道具などが展示されていた。建物を出るとチンチン電車があった。
正面のお城、ハリボテ?
友達と気付いた時は笑えました。これは撮っておかねばと、人がいなくなったのを見計らって撮りました。
池にはネッシーの首のようなのもありました。昔からあるものらしい。他にも気付かなかった面白いのがあったのかも。
夜のシーンで出てきそうな場所ですね。
南町奉行所。
会津藩の邸もあり、一瞬考えたら、今年の大河ドラマは新選組だった。それとは関係ないかも知れないけど。でもカップルで変装して、新選組になってる男の人が多かった。変装した人と知らない人が一緒に写真撮ったりもしていた。確かにそのカップルは似合っていた。
閉館になったので、出口で水戸黄門達に見送られながら、ホテルへ向かう為JRの花園駅へ。途中、豆腐ドーナツを買ってしまった(^_^;)後から知ったが、京都で豆腐ドーナツが流行だったらしい。
 
 悲田院の遺址
二条駅で地下鉄に乗り換え京都市役所前駅で下車。地上に出てきたら、目の前にこんな板が。
平安時代には捨子,孤児,貧窮者,老残者等を常時500人程も収容していたそうです。
 
・・・・・京都2-2へ続く

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