参考に供したいと思う

山本夏彦訳「フランス防空読本」で59万おまけ


 クドい文章ばかり書いているが、「日本三彦」の一角、山本夏彦の文章は好きだ。
 皮肉と韜晦趣味に満ちているのに斬れ味宜しい文章は、いつかは立ちたい地平線で、推敲を重ねことばを選び削りに削れば俺だって…と思っても、悲しや書き上げ漸く分量を知るやり口、「三十枚の内容を十枚に、十枚の内容を三枚に」(『笑わぬでもなし』あとがき)するのは、リンゴ園で潮干狩りをやるくらい無茶な相談と云うものだ。

 山本夏彦が、大日本防空協会の仕事―「空のまもり」記事―を戦前にした話が、本人のコラム(何だったかは忘れた)にあったので、前々から読んでみたいと思っていたら、久々に出かけた神保町の古本屋で一冊あったのを買うと、それが載っていたのである。


「空のまもり」昭和15年5月号

 米軍試作攻撃機A−14か18風の航空機が撃墜されんとする表紙である。米国と戦争するまでには一年以上ある。

 本文わずか30ページ。特別記事、家庭・学校読物、写真に漫画で構成され、バケツ注水のやり方のような実用記事はない。山本夏彦翻訳の記事は、特別記事に分類されている。

 今 空襲されたら
 山本 夏彦訳

 フランスに防空読本出版の必要が生じたのは、一九三〇年前後からで、三三年には既に十指を屈するほど刊行され、大戦の危険が接近するに従って、 逐年増加してついに今日に至った。その性質上内容は大同小異だが、いづれ も簡単明瞭に防空方法を指示して、大綱から細目に及んでいる。百ページ内外の小冊子を十数節に分け、各節を数章に区画し、挿絵写真等を挿入して具体的に解説している。まず空中戦の必至から説き起こして、爆弾・ガスの種類、その災害と防御手段、ガスマスクの使用法、各種マスクの特徴、集団的防御法と個別的防御法、防空壕及び避難所の造り方、更にガスに侵された負傷者の応急手当の方法に至るまで言及して殆ど余す所がない。
 我が国に於ても、防空思想普及の為めに小学生にも理解出来る様な平易な「防空読本」が編纂されたらその効果は覿面であろう。以下フランス版防空読本から任意に数章を抜粋して参考に供したいと思う。 

 少ない文字数で、フランス防空読本の現況、中身のパターンまで簡潔にまとめ上げ、わが国でも「小学生にも理解出来る」防空読本を待望して結んでいる。本論にあたる内容の紹介を、『任意に数章を抜粋して』片付けるのは、原文引用主義―クドくなる一因だが読者サービスでもある―の主筆とは対照的だ。


これだけは心得おくべし

 恐るべき空襲の災害から免れる方法は、複雑困難なものではなく、却って極めて単純である。方法は単純でも、実際にこれを活用するには冷静で勇気がなければならぬ。ここに紹介する防御手段をよく肝に銘じて、万一の際に落付いて実行することが肝腎なのである。
 まず室内にいるとき空襲を受けたら、野次馬的好奇心に駆られ無闇に街頭へとび出すことは禁物である。また事は生死にかかわっているのだから、徒に恐怖しても何もならぬ。近所に完全な避難所のない場合は、地下室へかくれるがよい。その地下室さえ無いとき、乃至は地下室へ走る時間のない場合は、忽ち窓を密閉して、部屋の一隅に身を置き、自分の手の届く処へ水を用意しておく必要がある。
 屋外で遭難して、ガス帯がひろがったとみたら、石灰または炭酸塩ソーダを溶かした水に浸した布で口を覆い、風上へ向かって避難するがよい。外出するとき薬品でしめした布は当然準備すべきだが、万一不用意のときは、小便に浸した布でも有効である。
 郊外や田園で空襲された際は、底を抜いたビール瓶のなかに土で詰め、瓶の口を唇に含んで呼吸(いき)するのも一時的には適当な手段とされている。土で濾過するとガスが中和されることは、戦線で豚が土中に鼻づらを突っこんで毒ガスから免れたのを目撃して、第一次大戦ではガスマスクが配給されるまでは、多くこの方法が用いられた。
 戦時中はいついかなる時、どんな所で空襲されるか予想できるものではないから、予めそれに対する精神と知識を涵養しておかねばならぬ。参考のためにここに略図を掲げ、大凡(おおよそ)の場合の手段方法を示した。(フランス防空読本)

 「これだけは心得おくべし」は、 誠文堂―誠文堂新光社の前身―が大正年間に出したベストセラー『是丈は心得おくべし』( 加藤美倫)のタイトルを使ったな、と余計な事をつい書く。

 「空襲」すなわち毒ガス攻撃である。今日の常識では奇妙だが、史上空前の「化学戦」後、敵首都を先制ガス攻撃する思想が一世風靡された時代の事、「空襲だ!水だ・マスクだ。スイッチだ」の標語もあるくらい、あり得る事態とされていた(近頃『核戦争』は、当時の『来るべきガス戦争』と同じ道を辿りつつあるんじゃあないか、と思うようにさえなってしまった)。
 「底を抜いたビール瓶の中に土で詰め」は、前に紹介した紙製防毒面以上の非常手段である。ガスマスクが配給されるまでは多く用いられたとあるが、ミリタリ趣味をやって30年以上になるが、ものの本で読んだ記憶が無い。


室内
 1.窓辺に居残る勿れ
 2.完全に密閉せよ


屋外
 3.街路に停滞すべからず
 4.地下室へ避難すべし


馬車
 5.車馬を放棄する勿れ

 6.解いて避難所へつなぐべし

演劇・映画館内
 1.屋外へ殺到する勿れ
 2.列を作って避難所へ入れ

ガス弾命中の場合
 3.イペリット液を掌で拭く勿れ
 4.布巾で拭うか然らずんば上衣を脱ぐべし

ガス帯内
 5.狼狽して動くべからず
 6.まずハンカチを口にあて風上へ向って去るべし

 「参考に供したい」とはあっても、その後起こったことを想うと、とやかく云う気分にならぬ(しかし、何故この部分を抜いたのだろう?)。

 単純な方法を、勇気をもって冷静に実行するのは、空襲に限ったことではない。しかし、沈着に事を運ぼうとしても運不運は避けられない事たけは心得ておくべきだ。

(おまけのおまけ)
 記事にあった、「小学生にも理解出来る様な平易な『防空読本』」に相当するものとして、こんな本がある。

 「少年防空読本」大日本防空協会昭和16年3月発行。親子の会話体で書かれた読み物である。
 「その性質上内容は大同小異」なのは仕方が無く、今となっては効果覿面だったのか判断もつかぬ。


中身(灯火管制の説明部分)


(おまけのおまけのおまけ)
 同じ「空のまもり」昭和15年5月号に掲載さりれていたもの。
 「巴里の防空美術」のタイトルが附けられた、ショウウィンドグラスが爆撃で飛散せぬよう施された措置の紹介。

 花の巴里(パリー)も、ナチの空襲にはすっかり怯えて、モンマルトルにも、モンパルナスにもパリジャンの粋な鼻唄など全く聴けなくなったが、それでも流石に巴里は世界流行のメッカである。

 灰色の溜息の底にも、彼ら特有の芸術的な創造欲は働いている。写真はその一つで、これは空襲に備えた飾窓の四態、投下された爆弾の震動で、飾窓の大硝子がメチャメチャに壊されぬように、そこは巧みに紙のテープを使った防禦枠が張渡されている。そして、それらが如何に美術的で、また幾何学的であるか、彼らはこれらを「小さい傑作」と呼んでいるが、有名なミラデイ服装店の防禦枠は、灯台からMILADYの字を放射させて、その中にマネキン嬢の艶姿を浮かび上がらせている。
 空襲が生んだ微笑ましい巴里(パリー)の街頭美術である。(防空通信)

 空襲防備の「ガラスに紙」は、ビンボ臭さがついて廻るものだが、おフランスは巴里(『パリー』と語尾を伸ばすのがキモざんス)のそれは、芸術的高みにあると持ち上げる記事。もっとも、MILADYもP&Oも、テープが貼られていない面積が広すぎ、あんまり近寄りたくはない(ガラスの後始末をする店員さんも後悔するだろう)。

 この翌月、1940年6月にフランスは降伏するのだが、この芸術的過ぎる「防禦」を見れば、戦争するつもりが無かったんだねぇ…と納得してしまう。また、それを実質面から批判しない大日本防空協会もまた、(空襲されるような)戦争をするつもりは全然無かった事になる。

(おまけのおまけのおまけのまぬけ)
 「日本三彦」のもう一人は小林信彦である。最後の一人は読者諸氏の選におまかせしたい(笑)。