余計なことを書かなきゃあヨカッタ

「エーテル法眼」余話で81万7千5百おまけ


 「しくじった…」
 「兵器生活」主筆・印度総督(自称)はアタマを抱えていた。先月載せた「エーテル法眼の運命鑑定チラシ」紹介記事の最後に、

 「新聞、ラジオ、雑踏で御承知の」が、本当かドーか知りたい。(略)真偽は大宅壮一文庫で調べれば解る。結果で「ネタひとつ」になる、と思えばやる価値はあるなぁ。

 と、後先考えず書いてしまったため、大宅壮一文庫の記事を調べなければならなくなってしまったのだ。
 インパクトある名前だから、きっと記事はあるだろう。とは云え、初台から京王電車で八幡山まで出かけ(各駅停車しか停まらない駅なので面倒臭い)、万一、木戸銭払って何もなかったら大損だ。幸い、広尾の都立中央図書館で記事検索が出来るの知り、大江戸線麻布十番駅―通勤経路なので交通費はタダなのだ―から20分ばかし歩いて行く。
 端末で「雑誌記事索引データベース」を開き、「エーテル法眼」と入れ人名検索ボタンを押す。

 そんなものは、ない。と来た。
 「法眼」と入れれば「法眼晋作」と云う外務次官、フリーワードで見れば「正法眼蔵」に「鬼一法眼」である。目録の誤記があるやも知れぬと「法源」で引けば「福永法源」が出て来る(笑)。「エーテル」が精神世界の言葉として出て来ることは云うまでもあるまい。調査終了! これで八幡山まで行かなくて済む。

 「これぢゃあネタにならない…」
 「兵器生活」主筆、自称・印度総督はアタマを抱えていた。「検索しました、ありませんでした」の一行では記事にはならぬ。前回そこまでやっておくべきだった。
 「エーテル法眼は何者だったのか? 大宅壮一文庫にも記事は無い」。きれいにオチがついた。安易に「惹き」な締め方に走ったばかりに自分の首が締まる。自縄自縛・自業自得。

 と云うわけで、鑑定会場と記されていた、八王子の「宝樹寺」に行く。写真のひとつも載せれば、記事の体裁は調う。もしかすれば記念碑なりお墓なりが見つかるかも知れない。
 京王八王子駅から、甲州街道を西に進み、国道16号に転じて浅川にかかる橋の手前に、時宗の宝樹寺はある。


 門前は駐車場と云うわけでもあるまいか空き地然としている。



 お堂は質素な作りである。引き戸が閉められているので、ご本尊は拝めず、お賽銭も投じられない。ここに来た目的を思うと、なんとなく申し訳ない。



 となりの稲荷社の方が、屋根が赤い分だけ目立つ。真新しいキツネ様の石像のカタチがビミョーだったりする。



 本堂の右手には閻魔堂があり、「閻魔講」講員の名を記した木札―60人を超える―の入った額が掲げてある。続いているのですね。本堂の前が広々としているのは、講員の駐車スペースを賄うためなのだろうか。

 墓地に入る。一回りして、「エーテル法眼」の顕彰碑も、お墓も無いことを確かめる。顕彰碑が建つくらいなら、大宅文庫で項目が立てられて無いわけがなく、歴史の中に埋もれてしまった人であれば、墓石には、いっとき名乗っただけの名ではなく、本名・戒名を刻むのが道理だから、その痕跡が見えなくて当然だ。

 かくして、「エーテル法眼」先生は、チラシ一つ残した謎の人として、「兵器生活」の一隅にその名を留めるのであった。


 先生、まさか閻魔堂で運命鑑定していたんぢゃあ…。

(おまけのおまけ)
 そんなものは、ない。