戦車かくして壊れぬA

現場の声は中央に伝わるのか?


 ふたたび「支那事変兵器蒐録」から、戦車に関する記述の紹介である。
 戦車の損傷及修理の状況並実用部隊の兵器制式に対する意見(前島大尉北支出張報告 昭12.10)

 一.戦車の損傷及修理の状況

 1.八九式中戦車の性能は頗る良好にして、各部隊共戦闘を経過する毎に信頼の度を高め安心して戦闘しある状態なり。九四式軽装甲車も亦実用価値大なるも、軽機関銃の単一装備なると、地上高低きを遺憾としあるが如し。
 発生故障中には取扱不良、注意不十分に起因するもの多きが如きも、戦況の下に於ける使用状況は、平時の使用状況とは自ら異なる所あり。且実際に取扱う下士官兵中には或はルノー式戦車の教育を受け、或は重装甲車の教育を受け、八九式中戦車、九四式軽装甲車は今回始めてのものも相当多数ある如き状態にして已むを得ざる所あるべし。


 2.八九式中戦車の戦闘間発生したる故障は、発動機(曲軸軸筒の溶解、磁鉄発電機、始動発電機の機能不良)、伝動装置(主連動機摩擦板焼損、操向機の機能不良)、燃料滑油装置(配管の漏洩)等何れも相当の数あるも、最も頻発したるものは懸吊装置の故障なり、即ち次の如し。

 イ.下部転輪の変形及脱落

 戦車第二大隊に於ては大隊戦車の半数は新品にして,なお四分の一は最近交付を受けたものなるに拘らず、僅に十日の戦闘間に於て80個の予備品を使用し尽して尚足らず一輌の戦車を分解し全部部品として使用し、又転輪軸、軸受は各150個を使用し尚不足を告ぐる状態なり。
 連日泥濘地を運行ししばしば河川を徒渉する等過度の使用を為し而も戦況上点検、手入れの時間なく、加うるに防擦脂は品質極めて劣悪なる等に依ることと察するに結構上に於ても改修を要すべき点あるにあらずやと思考す。

 ロ.懸架ばね及ばね束鉄用植込ボルトの折損

 ハ.誘導輪調整螺破損及折損

 原因は調整法不良に起因すと考えらる。

 ニ.起動歯輪の破損

 原因は下部転輪の変形脱落並泥濘中の運行にて異常なる荷重を受くることにありと思考す。


 3.九四式軽装甲車に頻発したる故障は高圧、磁鉄発電機、発電機の継電器、始動電動機等の電気部品の機能不良並懸架装置、特に下部転輪殻帽の摩損、軸受の焼付なり。但後者は既に制式改正済なるを以て将来は此種故障は生起せざるべし。


 4.故障の修理は大隊段列に於て実施しあるも、小修理は部隊(中隊、小隊等)毎に実施し、保定滞在中の如き各車輌共連日連夜苦心惨憺して整備に従事しあり。其努力に対しては全く敬服の外なし。
 一部野戦自動車廠に於て修理しあるも、工具を借用する程度にして作業は大部分戦車隊の人員を以て実施しあり。



 二.実用部隊の兵器制式に対する意見

 1.中戦車

 八九式中戦車は性能良好にして各隊共信頼し安心して戦闘しあるは前述の如し。意見中には既に制式改正の行われたるもの、或は新中戦車に於て採用せられたるもの等相当あるも主要なるものを挙ぐれば次の如し。

 イ.懸架装置

 八九式中戦車の懸架装置の故障多きは前述の如し。既に新中戦車の製作せられたる今日、八九式中戦車の制式改正の行われざるは当然ならんも、八九式中戦車の存在する限り下部転輪のみは是非研究の上改正の要あり。(第二大隊)
 又山地に行動したる車輌は、懸架ばね及びばね束植込ボルトの破損予想外に大なり。抗力を大ならしむるを要す。(駐屯軍)
 保定攻撃の際地雷(薬量等不明)にかかり履帯切断したることありしも、其他には何等の損害なく直に修理を行い引続き前進することを得たり(第二大隊第一中隊)。

 ロ.内部構造

 戦闘室内に在る燃料計量器は抗力十分なるものを以て覆うを要す。然らざれば砲弾の破片に依り破壊せられ火災を起す原因を為す(第一大隊)。
 戦闘室内には騎銃を装備する為の余積を設くるを要す。該銃は戦闘中或は連絡の為、或は偵察の為に車外に出す必要ある際携行するものにして現在各隊共三銃収容しあり(各隊)。

 ハ.照明、視察設備

 照明の為是非探照灯を設くる必要あり(駐屯軍)。
 覘視細隙は安全ガラス等を以て覆う等研究の余地あり。又良好なる潜望鏡等を設く、間接に外部を視察し得る如くすること必要なり(第一大隊)。

 ニ.装甲版

 八九式中戦車の装甲版効力は相当大にして迫撃砲の全弾屡々命中したることあるも、乗員は多少の衝撃を受くる程度にして何等の損害なく、小銃弾、機銃弾はピシリと云う音を聞くのみ。乗員の志気益々旺盛にして沈着、克く戦車の威力を発揮することを得たるも(駐屯軍第二大隊)戦車第一大隊に於ては対戦車砲の命中弾を受け貫通せられたり。敵前至近の距離にて殊に戦車停止しありしを以て已むを得ずとするも、装甲は17粍にては不十分なり、装甲を二重にしては如何(第一大隊)。
 排気鎧戸の方向砲塔に向いあるは、夏期炎熱時特に戦車停止間頗る苦痛を感じたり(駐屯軍)。
 砲門、銃眼部は戦闘中常に目標となるを以て頑丈にすると共に、各部に間隙を無くするを要す(第一大隊)。

 ホ.武装

 戦車砲の射撃威力は頗る大なり。
 機関銃射撃のみにては如何ともし難かりし。敵夜襲部隊の前進を拒止し(南口北方)或は堂々対砲兵戦を行い敵野、山砲、迫撃砲を猛射してこれを沈黙せしめたることあり(居庸関)。
 歩兵重火器は戦車砲の命中良好なるを見て射距離を問い、中には戦車には測遠機を有するやと問うものもありたり(泥坑北方台上)(駐屯軍)。

 ヘ.無線器

 車載無線器は有効に使用し得るも、空中線の位置高き為樹木に引掛かり、或は敵弾の為破壊せられ、戦闘中通信不能となりたること多し。将来空中線の配置法につきては十分研究する必要あり(各隊)。

 ト.外形

 出来得る限り全高、全幅を小にし、被弾面を小にするを要す。これが為には射撃姿勢は膝射にしても可なり。又方向は砲塔に対し固定にしても可なりと考う(第一、第二大隊)。
 将来指揮戦車を設計さるる際も外形のみは必ず一般戦車と同様にする必要あり。本戦闘間記号旗を出すのみにても敵弾は直に該戦車のみに集中する状況なり(各隊)。

 チ.属品

 注脂喞筒は効率よきものに改正するものにあらざれば戦闘の要求に適せず(各隊)。



 2.軽装甲車

 現在各隊に支給せられある九四式軽装甲車は旧式のもの多く、従って意見中には既に制式改正を終れるもの多し。

 イ.懸架装置

 履板の抗力不十分にして左右に拡大し離脱し易く、下部転輪は軽合金の殻帽磨損し軸受焼損したるもの多し(各隊)。

 ロ.武装

 軽機のみの装備は不可なる。本戦闘間の経験に依るに、機関銃のみにては縦い相当損害を与うるも尚頑強なる抵抗を継続するも、一度戦車砲を発射せば直に潰走するを常とし、其精神的効果は到底機関銃の比にあらず。
 戦車用武器は少くも炸薬を入るることを得る弾丸を使用する口径のものなるを要す(各隊)。

 ハ.形状其他

 地上高低きため今回の如く泥濘地を通過すること多き地形に於ては戦車に追随し得ざること多し(第二大隊)。
 扛重機の後方に箱を設け工具、其他を収容し車内に収容すべき品目を勉めて減少し、戦闘動作を容易ならしむるを可とする(駐屯軍)。
 照明、視察設備に関しては中戦車に同じ(各隊)。
 現在の会社組織においても、「営業は文句ばかり云う」だの「開発は何もやってくれない」等の問題は存在していることは、善良なる会社員として勤労と納税義務を遂行している読者諸賢の誰でも思い当たることである。
 開発部門の人間が販売部門の人間に、商品の良し悪しを尋ねる際、本当に相手が本音を話してくれているのか、言葉には立場上出来ない問題点があるのではないか、と云う事までふくめて報告出来る人物はまれであると思う(少なくとも私はそこまで気がきかない)。

 「装甲は17粍にては不十分なり」と云う意見は「装甲版効力は相当大にして迫撃砲の全弾屡々命中したることあるも、乗員は多少の衝撃を受くる程度にして何等の損害なく」と云う前提の陰に隠れてしまっている感がある。残念ながら、この報告には「支那軍が対戦車砲(および戦車)で対抗してきたらどうなる」と云う観点が欠けていると云わざるを得ない。

 造兵側がどちらの意見を重視したかは既に歴史が証明しているのでここでは述べない。