坦克博物館のT−34の類

こんなモノを見た


 坦克博物館そのものの訪問記はさておき、一部世間において需要があるであろう、著名戦車のスチールをかたっぱしから掲載してしまうと云う、ろくでなし企画である。

 第一弾は有名すぎて、今更取り上げるのも馬鹿馬鹿しい、T−34シリーズである。

 中華人民共和国発足時の主力戦車は、旧帝国陸軍の九七式中戦車(新砲塔チハ)である、と断言してしまおう。理由は開国式典の記録映像に一番多く見られる、と云う少々怪しい事象による。

 1950年9月1日、北京に中国人民解放軍摩托装甲兵領導機関が設立され、装甲兵は陸軍の正式な一員となり、ソ連製戦車を導入して近代化がスタートした。恐らくT−34その他の戦車は、この頃配備が始まったようである。(参考:「世界戦車博覧」兵器工業出版社)
 当時の写真では、SU−76と、T−34/85が確認出来る。以後いつ頃までこれらの車輌が使用されたのかは不明であるが、70年代までは使われていたのではなかろうか。

博物館入り口脇に鎮座するT−34。門を護る獅子の役割をしている(笑)

中庭の展示場隅に放置されたT−34。砲塔側面に恐らく潜水装備取り付け具とおぼしき金具が装着されている。装填手ハッチ側にもキューポラが装備されており、こちら側にシュノーケルが取り付けられたようである。

博物館に展示されている渡河中のT−34。吸排気用ホースが車体前方と後方に展開されている。砲塔側面の金具を介しているのだろう。

正面装甲板を見る。ここからは特別な仕掛けがあるようには見えない。

反対側から砲塔を見る。細かい型式については”T−34maniac”でも参照して下さい。

転輪のアップ。このへんも”T−34maniac”あたりを参照されたい。

「謎の金具」の配置状況と、装填手側キューポラ。

後ろから見たところ。排気管の開口部が内側を向いているように見えないこともないが、撮影時にはこれほどネタ度が高いとは思わなかったので、アップの写真は無い…。

「T−34の謎」は謎のままで終わり(笑)。戦車回収型になってしまうのであった。主筆の詰めの甘さに憤るよりも、東京から飛行機でわずか4時間足らずの所に、こう云う場所がある事を素直に喜ぶべきである(←開き直り)。一番悔しがっているのは、撮影した本人である事を忘れてはいけない。

文化財を土足で足蹴にする事は許されないので、上面の写真は無い。文句のある向きは、お金を貯めて現地へ行くべし! 日曜日であったが、客は殆どいない。

こんな感じである。アンテナはキューポラ後方にある。

 このままSU−100まで引っ張るつもりであったが、紙面の関係で以後に回すことにする。読者諸賢よ、御了承願いたい。

 坦克博物館へのアクセスについては、別稿にて取り上げるので、乞う御期待。

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