硝子越しの不幸


「硝子越しに眺める」と云う状況を、第三者的立場で見ると、眺めている当人がどう感じているかは別として、絶望的な悲しさがある。
 ガラスの向こうの空間から、対象を見つめている当人への明確な拒絶が感じられるからである。素晴らしい世界が目の前にあるのに、それに触れる事が出来ない理由を、手前にいるものに無言かつ露骨に提示してしまっているからである。

 ショウウィンドウの中で光り輝くサキソフォンを、じっと見つめる黒人の少年や、赤い靴をうっとりと眺めている少女の目は、陶酔しつつも醒めているはずである。いくら見つめていたところで、それが彼らの手の中に入ることはありえない事を知っているからである。

 ガラスケースに入っているモノを写真に撮る事が困難なのも、ケースからモノを出してもらえる(あるいはその中に入れる)人間と、所詮ケース越しに見るしか出来ない立場の違いが、技術上の困難さ以上にそうさせているのかもしれない。


 と例によってどうでも良い前置きをした後で、いよいよ坦克博物館所蔵の九四式軽装甲車の紹介である。
 懇意にしている全日本中国旅行から当方に送られてきた、博物館紹介メールには、「旧日本軍の94式軽戦車が完全に保存されているのは、世界では当館だけしかありません.」と豪語しているシロモノであるが、この「完全に保存」と云う言葉のニュアンスは、実はナウマン象やトリケラトプスの「完全な骨格」や「出土したヒッタイトの鉄器」、と云うものである。実際に「出土」したものである以上、当然と云えば当然なのだが、初めて見た人間には、特に戦車好きな人間にとっては、結構ショッキングなものである。

 何故なら、たかが60年前に製造された工業生産物が、いつのまにか考古学的対象になってしまうものである、と冷徹な真理を、見る者に突きつけるからである。
 私が今、駄文を連ねている、このパソコンも、愛用の写真機も、書籍も、プラモデルも、すべては人類(あるいは火星人その他)が、ガラスケース越しに眺めるシロモノになりうるのである。これはまさに我々が今生きている過程が、結局はモノの中に封じ込められ、永遠に失われてしまう事を意味しているのである。「無常」である。


 第一級のダイアモンドは、あらゆる光線を反射するようカットされていると云うが、この九四式を納めたケースも、それに勝るとも劣らない光り方をしているのである。右に回っても、左から覗いても何かが光っていたり。写り込んでいる。おまけに展示室の壁が白いため、なおさら撮影者を悩ませるのである。

 読者諸賢は、偏光フィルタの必要性を声高に叫びつつ現地に向かったにもかかわらず、それを忘れてきた撮影者の迂闊さを笑い飛ばしつつも、撮影の困難さをほんの少しでも良いので、しのんでもらいたい。

画像全体を白くさせているもの、これが中国人民が、その英知を結集して製造した「写真妨害バリア」の恐るべき効果である。
 前照灯のディティールと、冷却排気鎧窓固定用の鎖に注目したい。モノが小さいので、蝶番の類が相対的に大きく見えるのがほほえましい。

壁のパターンが出ていて見づらいが、消音器覆いの金網も残っている。右端に突出しているのは、車体番号札。尾灯の電線がはずれて垂れ下がっている。

車体番号札付近のアップ。流石に番号は(車体本体の塗装も含めて)失われてしまっている。私が「考古学的」と云う所以である。

牽引鈎と牽引ばね。牽引用ワイヤーも残っている。しかしフックを車体に直接取り付けずにばねを介した根拠は何だろうか。

後半部分の転輪。模型製作時に難儀をしそうな構造である。

機銃覆いの金具(留め具か?)がアクセントになる。これを再現しろ、と云われたら私は泣いちゃうぞ。

前面覘視窓には、ちゃんと覘視孔があるのだが、非常に細い。ここから外を見るには、相当目を近づけないと駄目であろう。額を打ち付けそうである。

細部再現派モデラーに対する嫌がらせでは決して無いことだけは御理解願いたい。繰り返して云うが、私はこんなとこまで工作する「ずく」は無い。

見れば見るほど凝った作りをした車輌である。ちなみに前照灯を後ろから撮った写真はありません。
ひたすら自分の姿を消す闘いであった。(それでも完全に消すことは出来ない。偏光フイルタを使用しても正面からの写り込みは消せないのだ)

かすかに残る車体番号の「75」。冷却吸気鎧窓の蓋板固定用の金具に注意。

反対側から見る。こちらには「75」の横に、小さく「6」と書かれている。しかし一週間旅行をしていて、自分(主筆)の写真が、戦車写真に写り込んだモノしか無い、と云うのも悲しい話である。後ろには、九四式軽装甲車(向こうでは「94式超軽型坦克」)の解説がパネルになっているのだが、内容をメモして来るのを忘れた。

警報器。土が詰まっており、どう云う構造をしているかは、別な資料が必要となろう。色は黒のようである。

ストロボを使用して撮影した結果がこれである。この車輌の正面が入り口になっているため、この角度からの撮影結果を満足いくようにするのは絶望的である。帝国陸軍の象徴「星マーク」が中国本土において見られるとは、感激である。

点検窓部分のアップ。星章がどのように固定されているのかは不明。裏からねじ止めされているのだろうか?
隣の戦車(九七式中戦車)の転輪が写り込んでいる。この車輌の模様では無い。

警報器の裏側。電線は泥受け内部に引き込まれている。

ジャッキが装着される部分。「完全」とは云いながら、車載装備品のいくつかは失われている。木の板を釘で固定しているが、元々こう云う構造なのか、泥受けの破損・変形を解消するための措置なのかは判別できない。

軌道調整装置操作用?の穴。泥受け先端は、ばね付き蝶番により取り付けられている。スリットに見えるのは、始動用クランク取り付け具。ふと思ったのだが、クランク差込穴は何処?

ケース内側には照明機器が備え付けられ、華麗にライトアップされるはずなのであるが、エライ人でも来ないとライトは付けないのだろう。コンセントは抜かれていた。あるいは、そもそもエライ人を招待するために、このような展示方式にしたと云う可能性も高い。

考古学的シロモノ性を実証するかのように、この車輌と同時に「発掘された」工具類も展示されているので、おまけとして紹介する。

車載工具の数々。説明プレートの横の紙切れは、員数表である。中央の油差し(最近見なくなったなあ…)の異様な光り方が、乗務員が車輌に注いだ愛情をしのばせる。右奥にあるのは消火器である。

外装は真鍮製で「国柱ニツポン消火器」と云う金属製のラベルが貼られている。

乗務員の日常生活を物語る物品も展示されている。茶碗や箸、歯ブラシ等である。これらの写真を撮るのは忍びなかったので、飯盒だけを撮った。「永山隊 サクマ」と持ち主の名前が刻み込まれている。

蓋の側面や、本体にも「サクマ」とある。飯盒の下部が黒いのは、撮影のためではなく、炊飯時に火にかけていたため。熱効率を高める効果も期待できたはずである。

 室内、白壁、ガラス張りと云う悪条件のもと、写真撮影とメモ書き(車体の番号と「サクマ」だけで、車輌の解説は記録し忘れたのだが…)に悪戦苦闘したため、主筆は現金(日本円6万と2千元・航空券・パスポートの入った手帳を、この装備品展示ケースの上に置いたのを忘れたまま、次の展示物撮影に向かったのである。