防空用兜に求められる品質
郷土資料館などの、「戦時下の暮らし」コーナーに、衣料切符や千人針、召集令状(『赤紙』)などの現物を置いてあることがある。空襲に関する展示まであれば、防毒面(ガスマスク)に防空頭巾に、「鉄兜」を見るこもできるかもしれない。私は、「防毒面」「鉄兜」「焼夷弾(の残骸)」を『空襲展示三種の神器』と呼んでいる。
昭和のはじめから、戦争になれば空襲は必至、地域の防空は住民自ら行うもの―「民防空」―として、防毒面―毒ガス攻撃が想定されていた―と鉄兜が必要と叫ばれながら、支那事変、大東亜戦争を迎えるに至る。ところが防毒面・鉄兜は、官(軍隊も含む)でも必要とする装備であるから、民間の取り分は限られ、「代用品」の「鉄兜」が登場するに至るのだ。
『わが家の防空』(昭和11年6月刊)
図と本文は関係ありません(笑)
国防科学雑誌『機械化』昭和19年2月号は、「特輯・防空の機械化」と銘打ち、帝都特別消防隊の写真や、防空兵器の概要などを紹介しているのだが、その中に「高射砲弾片と防空用兜」(防衛総本部防空研究所員・本間時夫)と云う記事がある。
これは、防空活動時の味方対空砲火による破片弾片防護に欠かせぬ、「防空用兜」に求められる品質に言及したもので、早い話が「市販されている『防空用兜』には危険な製品が多い」と、言外に語ったものである。
「代用品」時代となって数年、米軍による本土空襲―従前云われていたより大規模かつ熾烈となるはず―が避けられぬようになってから、そんな事を云われても…と、役に立たぬとされた装備を買った人は憤慨し、時局に便乗して一儲けしようと製造・販売した人は大いに当惑したに違いない。
と云うわけで、記事全文を御紹介する。
例によって原文縦書きを横書きに改変するとともに、仮名遣い・文字遣いも一部改め、読者の便宜をはかるため、適時改行も施し、ついでに漢数字も変えてしまっている。
高射砲弾片と防空用兜
万一敵機の空襲を受けた場合、如何なる事態に立入ろうとも騒がず、沈着に各々防空精神を発揮し隣保団結して、全能力をもって被害を最小限にくい止めなければなりません。この時各種の投下弾や、破裂によって飛散する弾片や、破壊された物の破片の雨下に曝される危険がありますから、これらに対する防護が必要であります。この目的のために防空用兜が考えられ、現在警防団は勿論のこと隣保防火群の人々も、いろいろの材質を使用しています。
防空火器の種類
まず防空火器には機関銃、機関砲、高射砲の種別があります。列国の平均を見ると口径は120粍―7.6粍程度、弾丸の重量は10瓦乃至10数瓦位であります。
これ等は敵飛行機の高度に応じて射撃します。小なる口径の火器は、低空の標的に対して使用され、口径の大なるものは、高度に対して有効であります。敵機の来襲高度に応じ、射撃した味方高射砲の砲弾が空中で炸裂し、弾体の中に填充された炸薬が爆発するその時、数百の弾片となって飛散します。
弾片の大きさ、速度
一発の弾丸から生ずる弾片数は、弾丸の種類や全重量等によって異なりますが、概ね弾片一個の重量は約100瓦の大きなものから、1瓦以下の小さなものがあります。しかし概ね数瓦程度であって、その形状はいろいろ不整な矩形または長方形なものもあり、先端が尖ったものやギザギザになったもの等、いろいろな形をしています。
敵飛行機の機能を破壊せしめる弾丸が発射される時、または弾体が炸裂により弾片が飛び出す際の初速は、毎秒800乃至1000米程度という驚くほどの速さでありますが、これ等の弾片はその後重力の作用によって地表に落下してきます。
落下する時は重力により加速されて行きますが、速度が増すにつれて空気の抵抗も増加してゆくので、空気抵抗が重力に等しくなるような時、速度の増加は零となり弾片は或る一定の速度で落下します。
高度が非常に高くなってきて、地上に落達する時の速度はやや一定になります。この速度を落下の極限速度といいます。以上のことは高空から落下して来た雨滴が地表面近くで殆ど一定した速度で落ちているのと同じ理由によります。
極限速度は、落下物の形状や重量及び空気密度によって定まります。更に一定の落ち方を考えて見ますと、実際は弾丸または弾片は、特定部を常に先端として一直線にまたは曲線を正しく描いて落下するものではなく、重心を中心として動揺しまた回転しつつ落下するものと思われます。
概略の推定を試みると、大多数の弾片及び弾子は、極限速度が毎秒50米程度であって、特殊な重量50瓦以上のものでは、毎秒100米超えまいと思われます。
弾片が地上に落ちてくる時間は案外に長いようでありますから、大体重いもの程先に落ちて、次ぎ次ぎに軽いものが遅れて落ちて来ると思われます。それ故高射砲の音がやんだからといって、いきなり無防護で戸外に飛出すのは危険であります。
なぜ「防空用兜」で頭部を保護する必要があるのか? を説明している。
弾片一個の重さは「概ね数瓦(グラム)」とされているから、小さいものならパチンコ玉(5グラム超)よりは軽く、それほど怖ろしい感じはしないが、毎秒50m(時速180km)で動くモノに当たってみようとは、さすがに思わない。
肌を撃たれて「痛いッ」と感じるエアソフトガンは、業界団体主催の射撃大会レギュレーションを見ると、基準値を0.8J(ジュール)としている。その例として、「0.2グラムの弾丸を初速89m/秒で撃ち出す」ものが紹介されていたので、そこから弾片の危険さを考えてみよう。
基準値は、「0.8J=0.2g×89m/s×代数A」の式で表される。単位はずして「0.8=0.2×89×A」にすれば、「0.8=17.8A」、「A=0.8/17.8=0.044944」となる。
弾片が、重量3グラムなら初速は5.93m/秒、初速50m/秒なら重量が0.356gに収まっていれば、エアガン並の「0.8J」が成立する。
エアガンのBB弾なら、当たった所に赤い痕が出来る程度ですむが、「先の尖った」「ギザギザした」弾片は、それ以上の傷をつけることは確実だろう。しかし重量3グラムかつ速度が毎秒50mの弾片は、さきの「A=0.044944」を用いれば、エアソフトガンの約8.4倍、「6.7J」となってしまうのだ。弾片がエアガンの8倍痛い!と云えるかは、試した事がないので何とも云えぬ。
防空用兜の抗力
防空用兜に過大な強度を要求しても、重くなり過ぎて防空活動が出来ません。重量50瓦程度の弾片によって貫通されない材料の防空用兜は、鋼板及び鉄板で厚さ1.2粍以上重量950瓦以上のものであります。それより薄く重量が軽いと、弾片が貫通し又は深い凹が出来て頭部に傷害をきたします。それ故洗面器などは代用にはなりません。
マグネシウム軽合金鋳物製は、厚さ5粍以下であると弾片はたやすく貫通します。この製品は鋳物ですから、製造の上にかなりの技術が要求されます。一般に注意して出来た製品が少ないから、鋳物製品は抗力があるとは断言出来ません。
アルミニウム製アルマイト製は、厚さ2粍以上なければ抗力がありません。薄いと凹が深くなり危険です。
次ぎにファイバー製ですが、厚さ10粍以上あってもたやすく貫通する製品もあり、外見上堅硬そうな品に見えても、弾片に脆いものであります。植物繊維を圧縮した製品がありますが、これは14粍以上の厚みがあれば抗力があります。
竹製品で考案されたものは、緻密に編まれた二重になった竹笊なら抗力を発揮するが、これは工作の注意又編方によって、反って危険な場合が起りますから注意が必要であります。
布団類は指でおさえ、厚さ3糎程度の厚い物であれば充分防ぐことが出来ます。
以上で防空用兜の材質から見た、弾片に対する抗力についておわかりになったと思いますが、兜をかむる場合、兜の裏面に凸が出るので、兜と頭の間に2糎程度の空隙が確実にあるように使用して下さい。又は間に綿類布団を挿入して被ることもよい方法です。
外出中に落下物の危険がある場合は、所持している風呂敷包、外套、書籍、鞄等を利用することによって多少効果がありますから、応急的処置として利用することを考えて置きます。
頭部を護る「防空用兜」は、時速180キロで直撃する重量50グラムの物体に堪えなければならない。そのためには最低1.2ミリ厚以上の鉄製―1キロ近い重さ―が望ましいとしている。薄いと鉄板は凹み、そのまま頭表部にめり込んでしまうのだ。兜の鉢に亀裂が入れば、頭皮に刃を押しつけられるのと同じだ。洗面器がダメなら、のらくろが被った鍋だって、気休めにしかなるまい。
続いて、時局に呼応して製造・販売されたはずの、マグネシウム・アルミ・ファイバー(木綿ぼろで漉いた紙を塩化亜鉛処理した後、圧縮・乾燥させたもの。木材・皮革の代用として、鞄や箱などに用いられる)製は、大部分が役に立たぬと、今頃になって告げている。
なお、記事図版には、本文に記載されてない「代用品」にもふれている。
「高射砲弾片と防空用兜」より
推奨されるのは、布団類だ。これを被り物に仕立てれば「防空頭巾」になる。指で押さえて3センチの厚みが必要とあるので、総督府の万年床なら2、3枚重ねないと失格であるが、当時の写真に残る「防空頭巾」が、本当に指で押さえた時、3センチもの厚みになっていたか、写真のもこもこ具合からでは判別出来かねる。
以前「兵器生活」でネタにした、空襲以前の空襲被害予測では、
(略)一応大都市の夜間では1回10数機、昼間では1回2、30機ぐらいで全戦争間(或は戦争の一段階間で、一年半か二年)に数回か、多くても10回くらい空襲はあるものと考え、中小都市は1回数機で数回くらい空襲をうけると思えばよい。(昭和16年、対米英戦前に書かれた雑誌記事)
との予測がなされていたのだが、今回の『機械化』には、「空襲は激化する 最近に於ける欧州の空襲戦から」(防衛総司令部 陸軍中尉 長見 正三)と云う記事がある。まず近年爆撃機が高性能化していることを述べ、
(略)既に米国では昨年9月米豪間の無着陸飛行に成功し、今又航続距離10,000粁、搭載量4頓と称せられるボーイングB29、コンソリテーデッドB32の大量生産に着手せることを公表している。
いずれにせよ今日の航空機の発達は、陸上海上の戦線をはるかに飛び越えて直接敵本土に挑戦し、統帥中枢部を壊滅して指揮組織を攪乱すると共に、工場港湾交通を破壊して戦争資材の源泉を枯渇麻痺せしめ、更には国民の頭上に爆弾焼夷弾等を雨霰と降らして国民の戦意を破摧し、速かに戦争を終結せしめる可能性をいちじるしく増大したのである。
向こう1年半先を見通したような見解を示しつつ、
空襲はますます激化すると共にその参加兵力も極めて大規模のものとなりつつある。
(略)
「ハンブルグ」に対する空襲は、英独開戦以来百数十回あったが(主筆註:難波中佐の試算と見比べて見よ)、所謂大空襲は、昨年7月25日から8月2日に至るまでの、昼間2回夜間4回であって、参加機数3千乃至4千、一回の最大機数約700機と推定され、投下爆弾は1万乃至1万5千頓に及び、死傷約10万全壊乃至全焼せる家屋は全建物の7割5分、家を失える者130万という空襲史上最大の被害を惹起せしめた。
と記して、「想定外」としか云いようのない、空襲被害の実相を述べている。「早くから防空に着目して準備を進めただけあって、防空対策の完備せるところは、自他共に認むるところ」(同記事)であるはずの「盟邦ドイツ」が、このような被害を受けているのだ。長見中尉はこうも云う
我国の防空は生れて日浅く、まだ完成への途上にある時、常に空襲の実相の認識に努めると共に、あらゆる手段を尽して防空の完璧を期さなければならない。
防空先進国、ドイツの都市が甚大な被害を受けるのであれば、防空の生れて日浅い日本がどうなるか、長見中尉には予測がついたであろう。しかし彼は、こう結ぶ
今直ちに、欧州における空襲の様相を以て、地理的環境を異にする我国に適用することは危険であろうが、欧州に於ける空襲戦は、来るべき空襲に対する幾多の示唆を与えるであろう。
日本への大規模な空襲が、ただちに行われるとは考えられない、と云ってるようなものだ。その後の歴史を起点にして、ウソをついたと責めるべきではない。B29が集結するマリアナ諸島が米軍の手にわたるのは、7月以降、東京が爆撃を受けるのは、11月のことなのだ。
上官「欧州の空襲激化を書くのはかまわんが、国民に不安を与えてはマズい」
長見「はぁ(不安にでもなって貰わなきゃあ、民防空はいつまでたっても『画に描いた餅』でしょうが!)…」
上官「アメリカはサイパンから先には進めん! 日本と欧州は違う!」
そんなやりとりがあったかは解らぬ。しかし、防空総司令部員の立場で書かれた文章が、国民を動揺させるものでは、雑誌への掲載など許されないだろう。
敗戦を迎え、「あの時そういったではないか!」と思った人は、軍の中にも相当あったに違いない。