「或絶対的報道」とは?

いつまで続く?「軍艦対飛行機」その4


 「鎧袖一触」でウケを取り、新たなネタに突き進む、と云う当初の目論見はどこへやら。中国大陸での戦況をなぞりつつある「軍艦対飛行機」シリーズである。

 4回目ともなると、ネタとしての新鮮味にも乏しくなるのは論争の常であり、投稿者の言質に対する「揚げ足取り」と「ツッコミに対する自己防衛」の性格が全面に押し出されてくる。


 ここで槍玉に上がっているのは、「海上にのろのろ動く軍艦は前世紀の遺物と云うべきである」や「…氏などは悪いと思ってもそのままにして置くらしい、この様な考えじゃイカン」と物議を醸し出す発言を連発している「魔法使いの弟子」氏である。
 論争から50年を経た現代でこそ、氏の意見の妥当性と誤りを指摘することは容易であるが、大日本帝国海軍がこっそりと「究極の軍艦」とも云える大和型戦艦を戦列ら加えんとしていた(一般国民は知る由もなかったが)時に、かような発言をしているわけであるから、相当の反発があるのも当然である。

軍艦対飛行機の私見

 T.N氏や内山氏の云われる如く、未だ軍艦の健在を主張したいと思います。勿論、近時空軍の威力が海上艦船に対し、一大脅威を与えるに至ったことは万人の等しく認める処であるが、さりとて軍艦の終焉を予言するのは当たっていないのではないでしょうか。それには種々な理由があります。


 先ず第一に「制空権の問題」です。一例を取ると、今我が航空部隊がアジヤ大陸に於て縦横の活躍を為さんとする時、我が本土より直接の渡洋爆撃を決行するならとも角、航空母艦を使用する場合にしても、荒鷲活躍の陰には常に制海権あることを銘記すべきです。
 帝国海軍が太平洋の制海権を掌握している限り、我が海鷲の精鋭は、陸正面の作戦に対しても充分な協力をなし得るものと云えましょう。而して「空を制せんとせば先ず海を制せざるべからず」とは我が帝国の本質であります。


 次に[飛行機自体の問題]ですが、これには次の欠点が指摘されます。
(1)海洋戦に於て飛行機は悪天候の場合、十分な効果を挙げ得ないこと。
(2)訓練の容易でないこと。一物の遮物なき渺茫たる大洋のさ中を、風に流され、雲を分け、空を衝いて、所要の爆撃を敢行するには海上作戦の全般に亘って容易ならざる兵術的識量を要求されます。之は乗員の大量養成に当たって非常な長期間を必要とします。
(3)精確な垂直急降下を行うには、相当な落下速度を犠牲とせねばならず、随って爆弾の破壊力を弱める結果を招くこと。等々です。


 第三には「軍艦の抵抗力の問題」です。これは最も重要なものと考えます。英の防空巡洋艦カーリュー等は新式10pA.A10門を有し、小型艦として相当の防空砲火を集中し得るし、戦艦ネルソンの如く15pの副砲さえ高射の出来得る施設を為す等、防空火器もかなり重視すべきでしょう。
 戦艦などは1隻で陸軍なら2〜3個師団にも匹敵する重要性があるのだから、あの狭い所に莫大な防空砲力を集中しているわけで、最新式戦艦の全部やネルソン級、その他アメリカの諸戦艦などは皆好実例であります。
 要するに主力艦は相当強い防空砲力を持って居り、近代の戦艦は、機械室、罐室の天井でさえ160oの装甲版で防御しているのですから、爆撃に対して想像外に強いと思われます。この装甲版は普通、陸上要塞のベトンの2m以上の厚さに匹敵します。戦艦戦隊などは、駆逐艦や防空巡洋艦などの20〜30隻から、有力な防空砲火で掩護されるのですから、依然、海の浮城として、海上兵力の根幹です。

 今茲にネルソン級戦艦が4隻あると仮定し、その火力を考えると、その上空には、戦艦自身の15p砲(兼AA)48門、12pAA砲24門、40oAMG32門、22o以下のMG60門、警戒隊の駆逐艦が20隻として12p砲80門(兼AA)、8pAA砲20門、20o以下のMG約100門、防空艦が4隻として10pAA砲40門、20o以下のAMG約80門で防空されることになります。
 即ち、10〜15p砲200門、8pAAが20門、40oAMG32門、20o以下のMG約240門であって、その発射する弾量は約39ton/miになるから、8p級の野戦高射砲の440門位に相当するでしょう。それが隊列の長さ約2000mの上空の狭い空間に炸裂するのですから、陸上だと、行軍中の歩兵1個連隊の上空に相当する空間を野戦高射砲440門、即ち4門編成の約110個中隊と、大小のMG270門以上と、更に小銃の数個小隊をも加わって防空するのですから、戦艦の対空脆弱性などと云われながら、実際の防空力は以外に強いものと想像されます。亦、海上では味方母艦の戦闘機の参加も比較的容易であるので、攻撃する飛行機も決死でないと目的を達成出来ないと思われます。
 要するに主力艦を始め他の軍艦も依然健在で、未だまだ数年でその存在価値を失う如きことはあるまいと信じます。


 何だか、軍艦にのみ歩があるようなことばかりで恐縮ですが、空軍の軍艦攻撃も未知数で、今後数年如何なる強力なるダートが出現するか我々の予測を許しません。この拙文は、現在の戦艦その他の建造状態を根基として愚見を述べたものであります。賢明なる諸兄の御批判を希望致します。
(新星 昭和16.8)
 「良識派の意見」と云うべきものである。飛行機の価値を一応認めても、軍艦の防御力は侮れない、と云うもの。

 現在の「日本国海軍」の護衛艦を見ると、「本当に対空戦闘をやる気があるのか」と思ってしまうくらいに防御火器の数は少ない(がこれでも充分と云うことなのだろう)が、水平線の彼方から襲来する敵を待ちかまえ、予想される位置に銃砲弾ミサイルを打ち込む今とは異なり、当時は頭数で勝負!であるから、自然と防御火器の数量も多くなる。
 出来の悪い学生が、見もしない参考書を沢山買い込んで、試験対策は万全とうそぶくようなものである。

 この投書のポイントは「味方母艦の戦闘機の参加も比較的容易である」と軍艦を擁護しつつも防御力としての航空機の存在をちゃんと押さえてあることだろう。
 次は完全な泥試合モードの投稿である。

「魔法使いの弟子」氏の反撃を予期し

 前月号に於て、氏へ反対の意を述べたが、其中で「1000瓩爆弾を搭載する機は母艦への発着困難云々」と述べたのは僕の大なる感(考の間違いか?)え違いであり、又認識不足であった事を痛感し赤面するを禁じ得なかった。又氏の反撃を予し、(ニャンと気の早い事でしょう)此所で訂正する。


 所で前に述べ足りなかった事を再記す。何と云っても敵機発見の報に接するや第一に活躍するのは航空機である。所が航空母艦に搭載するのは100機から最大150〜180機であろう。又此の機が全部氏の供せられる急降下爆撃機であろうか、此中には主に戦闘機又は偵察機等が含まれている。まあ全部仮に爆撃機としても500機にするには航空母艦が5隻必要である。

 所が海戦にあたり搭載機を全部出動させるのは種々の困難が伴う、又決戦に際して其全力を挙げる事が出来ない、故に数の問題に於ては先ず不可能である。第二の問題としては母艦が他の軍艦、巡洋艦、駆逐艦の護衛無しでは何時敵潜水艦の襲撃を受けるかも知れない。
 では氏は常に飛行機を飛ばして上空より此を監視すれば良い、(まさか此様な事は云われまいが)といわれるかも知れないが此んな馬鹿な事が出来る物ではない。もし母艦が沈没したら飛行機はどういう結果になるか、殊に天候の悪い日等は潜水艦を発見する事は困難です。故に軍艦の護衛は必要である故に氏の云われる語は適用されない、航空母艦は氏の云われる様な無用長物ではない筈である。

 此等の事は総て大洋に於いてであるが、沿岸の付近で行われても大きな洋上に於いては行われないならば未だ未だ軍艦の価値は絶大である。しかしあの戦艦も飛行機に対しては其威力は半減されるが飛行機と軍艦とも偏すべき物ではない、飛行機の性能優秀な点を利用し又軍艦と協力してこそ効力が挙がるのである。
 故に軍艦は前世紀の遺物と云われる氏の言語はまったくの暴言である。又急降下爆撃も良いが雷撃機の効力も又非常な物である。

 先頃から行われている独ソ戦争に於いてソ連の空軍の劣弱さはどうか。前のノモンハンの時我日本空軍の実力を信じなかった国々も又此の空中戦の勝負の結果を聞いては信ぜじる(ママ)を得まい。

 7月号に出ている我陸空軍の写真は皆同じ様な方から写してあるのは面白い。其れから付図(折込表)は少し雑になって来た様です、もう少し詳しく書いていただきたい。

 「魔法使いの弟子」氏が僕に反撃すべく投書した事は或絶対的な報道により探知したり、イロイロ勝手な事を云いましたがどうか悪からず。
(T.N. S16.8)


 タイトルからすでに泥試合である(タイトルを付けたのが編輯である可能性も否定出来ないが)。

「氏は常に飛行機を飛ばして上空より此を監視すれば良い、(まさか此様な事は云われまいが)」この行為の善し悪しがエライ事を招いてしまった例があったような気がするが…。まあ50年前の投書の揚げ足をわざわざ取る事もあるまい(いや「兵器生活」そのものが全部揚げ足取りそのものだ、と云う事も出来るのだなあ…)。

 この投書のキモはそのような些細な事象ではなく、

  「魔法使いの弟子」氏が僕に反撃すべく投書した事は或絶対的な報道により探知したり

 の一文にあるのであった。独ソ開戦、日米関係の険悪化、と云う時局下にあって、このような投書が許されている。これを自由と云わずにおられようか!

(こう云う「ささやかな自由」な空気は、当然日米開戦とともに消滅する。開戦直前・直後の投書は「日本の「空軍」世界いちィ〜い!」を参照の事。「軍艦対飛行機」の一応のゴールでもある)

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