行間は「負けた」と書いている(続き) 


 記事の前半は楽しい内容なのだが、海軍の人が書いた記事がこれで終わるのは、今の目で見ても差し障りがある。そのせいか後半はグッと内容が変わる。そして面白くなくなる。

台湾沖・比島沖海空戦に於ける攻撃機の威力
 有史以来の大船隊だと言う、大攻略部隊を以て攻め来たった台湾沖、比島沖海空戦に於ける我が攻撃機の活躍状況について、お話しましょう。

 現代の戦争で一番威力を持って居るものは何でしょう。それは申すまでもありません、航空機であります。この航空機をやっつけなければ、なかなか要地を占領する事は出来ません。
 ギルバート、マーシャル、マリアナ、何れの攻略を見ても、敵は先ず優勢な航空母艦を以て、一挙に我が航空機を撃滅し、わが飛行機を無に等しくしてから、軍艦の大砲と爆弾を以て、大量の火薬をたたき込んで上陸して居ます。その事は新聞やラジオでよくおわかりでしょう。これに対して、次から次へと大量の飛行機が送れたら、これは喰い止め得たでしょう。
 敵は目指す比島を取る為に大航空母艦群を以て、十月十日以来沖縄、台湾方面の我が航空基地に対して連続大空襲をやって来ました。ここでわが飛行機を皆やっつけて、悠々と比島に上陸しようと言うのです。これに対しまして我が航空部隊は海陸一体となって、連日連夜猛攻撃をかけ、次から次へと敵母艦を撃沈破し去り、その必殺の魚雷を以て、多数の飛行機を搭載し一〇〇〇人もの乗員を乗せて居る航空母艦、或は幾多の我が忠勇の将士をその砲弾を以て殺傷したであろう戦艦を、太平洋の海底深く葬り去りました。

 「大量の飛行機が送れたら」とは云うが、そうなれば米軍もそれ以上の航空機を投入するのは必定だ。前半で語られた米国の物量に触れることは、もうない。
 戦果が挙がった(ことになっている)理由は何か?

 我が攻撃機は幾百浬の洋上を悪天候を冒し、敵戦闘機の阻止を払いのけ、整備員が魂を込めた飛行機で、国民が血と汗で作り上げた魚雷爆弾を持って、平素練り上げた神技を以て、縦横に母艦を一大火柱と化せしめ、船体を真二つにし、或は狸の泥舟の如くぶくぶくぶくぶくと打ち沈めたのです。
 魚雷爆弾が船の火薬庫に当たれば、艦は真に一瞬にして真二つです。暗夜、敵を求めて僅かに見える星一つを、我が戦果を見てくれと仰ぎつつ、母艦に突入した勇士もありましょう。僅か数トンの飛行機で、何万トンの母艦を葬り去る快味を味わい得るものは、我が皇軍攻撃隊の勇士のみでありましょう。これも皆平素人の眠って居るとき、黙々と訓練を重ねたわが攻撃隊の勇士の血と汗の努力が、この大戦果を生んだのです。ただ一時の元気でやり得るような、生やさしいものではありません。

 「血と汗で」作った兵器を、「魂を込め」て整備し、「練り上げた神技」で敵艦隊を壊滅させた(と主張する)のだ。
 しかし、大戦果の陰には”尊い犠牲”もあったと記す。

 これ等攻撃隊の勇士の中には、傷きつつ敵艦に体当りした人、一撃よく母艦を轟沈して被弾のため基地に帰り得なかった人、或は攻撃前に戦闘機に、或は敵の防禦砲火に、愛機もろとも無念の涙を呑んで、自爆した人もありましょう。
 然し、これ等の人々が、平素一身(ママ)同体となって訓練した全体としての戦果が、ここに生まれたのです。決して一人の魚雷を当てた人のみが挙げた戦果と我々は思って居ません。台湾沖方面で挙げた我が攻撃隊の戦果は、大本営発表の通り、実に轟撃沈は空母○○隻その他○隻、撃破は空母○隻その他○隻と言う大戦果であります。

 以上の大戦果にも拘らず、敵は遂に十月二十日以降、続々と比島に攻撃攻略にやって来ました。そして、この大艦隊に対して又攻撃の火蓋が切られました。昼と言わず、夜と言わず、次から次へと増援する敵空母群は、わが攻撃隊の魚雷、或は爆弾の餌食となりました。この間、あの鬼神も泣かしめる壮烈な神風特攻隊も加わり、十月十六日までに空母十五隻を含む船艦二十七隻、その他百隻に近い船を撃沈破したのです。空母の撃滅戦は今なお連日続けられて居ます。
 吾等の攻撃機は爆弾魚雷と共に、連日、殉国の戦を続けて居ります。

 「大本営発表の通り」と記した「大戦果」が”伏せ字”とは!
 12月も終わりになったので、あの数字は無かったことにしようと筆を鈍らせたらしい。
 ここの記述は、映画「雷撃隊出動」(東宝、19年12月公開)を彷彿とさせる。あの映画も”負け戦感”が色濃く漂う内容であった。「殉国の戦」が哀しい。

 どこが”我が攻撃機の威力!”なのか理解に苦しむ記事も終盤に入る。
 少年向け雑誌の時局解説記事が”後に続け”となるのはお約束と云える。

 平素の訓練と殉国の気魄
 諸君、将兵が一切を大君に捧げ尽くした、以上の敢闘に依ってあげられた大戦果は、如何にして生まれたものでしょう。吾々は戦果々々と表面だけを見てはいけません。この神に近い、否神なる将兵の挙げた戦果は、もちろん上御一人様の御稜威と、将兵の一切を超越した殉国の気魄と、真に血の出る訓練に依って為されたと言う事を忘れてはいけません。これ等若々しい将兵には、皇国に報いまつらせる以外何ものもないので、自分などと言う事は、余りにも大きい責務の前に、一切の陰をひそめて居ます。皇国悠久の大義に生きるのみが、勇士の念願なのです。
 吾々はよく胸に手をあて考えなければなりません。吾々の真に生きる道は皇国の中にあり、皇国が生き栄えて始めて吾々が存在するのであります。

 月月火水木金金の訓練なくして、あの神技は得られません。また、神技でなくて一日本は大国米鬼をやっつけ、世界の有象無象を相手に大東亜戦争の真意を解らせる事は出来ません。

 諸君、今日面して居るあらゆる苦しい事、不自由な事、辛い事、これは諸君の月月火水木金金の試練であります。これに耐えて鍛え上げてこそ、諸君の先輩に続く真の日本男子としての資格があり、光栄ある皇国の将来の柱石となる事が出来るのです。
 頑張りましょう。大人に負けず頑張りましょう。大日本永遠の隆昌のため、大人以上に若々しく頑張りましょう。


 「平素の訓練」(≒日々を生きる姿勢)が人間の値打ちを高め、仕事の成果を約束することに異を挟むつもりは無い。しかし「皇国が生き栄えて始めて吾々が存在する」、戦前の国体が完全に覆り75年も経った(明治維新から敗戦までの年月と5年くらいしか違わない)現在から見て、「皇国に報いまつらせる以外何ものもない」から(身勝手な)「自分」が無い、と若い将兵を称揚するのは、人間を将棋のコマ扱いする(それが軍隊なのだが)非人情な態度に思う。

 「大東亜戦争の真意」とは何か?
 宣戦の詔書は「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ」とあり「自存自衛ノ為」に戦争を始めるとしている。直接には南部仏印進駐による経済制裁の強化だが、その前には支那事変長期化による国力の低下/国防完遂の不安があり、日支停戦交渉の決裂がある。北平郊外でついたハネをこすり落とすつもりが袖に裾に拡がって、”明治維新/近代化”の一張羅をダメにしたようなものだ。米英の東亜侵略の野望云々まで遡ってしまうと、開国しなきゃあこんな事にはならなかったと云うようなモノで、これを世界の有象無象に説明して、理解・納得させることが出来るのなら、歴史認識の問題は(内容がどうあれ)決着している。

 読者である少年に「今日面して居る」試練に耐えよ、立派な兵士になるよう頑張ろうと呼びかけているが、思想戦に勝てぬようでは「真の日本男子」の資格はないとクギを刺しているのは、日本と軍の将来を担う人材よりも、”将棋のコマ”が欲しいからなのか。
 「大人に負けず」「大人以上に」、軍は、軍にあらざる大人をもはや信用していないらしい。

 敗戦後、これらの言説は否定されてしまうのだから、”大人は信じられない”と云い出すのも理解したくはなる。


「空の第二陣」は来なかった