これぞ商魂!

代用品時代のビジネスチャンス


 百年に一度の不景気だと云われる今(2009年3月現在)、消費は落ち込み、企業業績は悪化、雇用も危うい。しかし、人間食べなければ生きていけず、丸裸で出歩くわけにもいかぬ。人類が肉体と云う衣を脱ぎ去る時来るまで、日々の消費と、それを維持すべき生産・流通は継続せざるを得ぬ。

 不況同様、生活を不自由にするのは戦争である。戦時中、モノが無くて困った話は、枚挙に暇がない。

 古本屋で、こんな雑誌を買った。


「洋装シルエット」盛夏の服

 「洋装シルエット」と云う、ファッション雑誌である(発行は婦人画報社)。
 衣装の白黒のコントラストと、石畳のラインが計算されたハイカラな表紙。印刷の印象からは1950年代後半(昭和30年代初め)を思わせる。良く見ればタイトルの日本語が右書き、値段は50銭である。よって、戦前のモノであることがわかる。昭和14年7月の発行。

 昭和14年と云えば、支那事変勃発ちょうど二年、前年、国家総動員法が公布、この年の7月に「皮革使用制限規則」公布(国内民生用の牛皮使用禁止)、終わりに価格統制、翌年に入れば「奢侈品等製造販売制限規則」が施行され、贅沢品(『良いモノ』、『本物』でもある)の販売が禁止になるなど、国民生活への締め付けが厳しくなりつつあった頃である。
 よって、本書の中にも「銃後のモード」と云う記事や、「ステープル・ファイバー」と題された「スフ」(『ス・フ』とも表記。木綿の代用品−洗うと縮む・破れる、摩擦に弱いなど、悪い面で−有名)洋品の選び方の記事が掲載されている。

 今回ご紹介するのは、「靴の傾向は」と云う記事である。例によって仮名遣いなど直してある。
靴の傾向は

 材料が、自由、自在につかわれた今年迄の靴に対する概念は、一年から二年も持たせようというところにあった。
 しかし、材料に相当制限を与えられた今日、半永久的な材料が使われないところからこの概念を捨てなければならない。つまり、一夏か一秋はいたらそれでいいという概念におき変えられるべきで、製作者側で安い値段で、気がきいたデザインをどしどし出してくれれば、使用者側も、次から次へとはきかえられた新鮮な足もとに、新しい喜びを感じるに違いない。

 デザインの方では、材料欠乏から、従来の靴のデザインを多分に破って、新しい履物風なデザインが現れてきた。例えば、木底の靴や、下駄を改良したものなぞ。しかし一方では、従来の型をそのまま守りながら進んでいる。
 ところが、最近の欧米の傾向を見ると、やはり従来の型堅実なデザインがなくなったというわけではないが、一方今迄の従来の靴の常識的な窮屈な規則にあきて、気まぐれな遊戯的なものが沢山見られる。つまり、靴は、必ずヒールがあって、先と踵とで地につま様な、構造であれば、せいぜい甲のデザイン、色彩、材料の組合せのみで、それ以上の変化を求めれば、どうしてもこの従来の靴を破らなければならなくなってきた。そこで、靴というより、原始的な履物風になってきた。例えば、踵を無視したウェッジ・ソール、或いはコーリャン(朝鮮靴)の様なもの、或いは布を巻いた様なサンダルなぞ。
 しかし、どの程度これが続くかわからないし、このきまぐれなデザインをうのみにするわけにもいかないが、材料の点から考えても、すべて靴の概念が変わってきつつある今日、何かヒントを得るに違いない。堅実な従来のデザインはそれとして、一方、もう少し積極的に、日本的な解釈で面白い思いつきなぞ、考え出してほしいと思う。

 靴の主要材料の牛革が代用品になる。
 今まで一年、二年は履くものが、耐久力なき素材しか使えぬなら、ワンシーズンの使い捨て前提、その分ファッショナブルで安い靴を作るべき、と云う提言である。足元で季節の変化が楽しめ、一足あたり単価が半分になっても、購買・消費量は二倍以上になる。つまり商売が成り立つ、と云う靴屋の商魂が読める。

 代用品なんてモノを使わなければならぬ以上、モノ不足なのだろう、と思っているところに、使い捨て文化の走りな文章と出くわす。
 だから古本集めはやめられない(笑)。
 記事には、婦人靴の写真も掲載されている。


(1)上、白カーフサンダル。二六、四〇円。
下、白カーフ、グリーンカーフのコンビ、二七、五〇円。


(2)黒キッド、白カーフのコンビ、二五、三〇円。
(3)白スウェード、抜穴飾り。ウェッジ、ソール。二五、三〇円。


(4)青色と白カーフのコンビ。A、二七、五〇円、B、二五、三〇円。
(5)国産防水布地製サンダル 柄は、青地に赤のチェック(其他種々有り)一九、円

 どれも「銀座ヨシノヤ」調べ。
 (5)の「国産防水布地」は、時局を反映しているが、他はカーフ(仔牛の皮)、キッド(仔山羊の皮)と、上等の材料である。「一年から二年も持たせようという」商品と云える。先にのべたように、牛革靴の製造は禁止されているから、それ以前に製造された在庫品−制限規則施行前に製造されたものは、その時設定された価格を越えなければ販売は許されていた−と思われる。

 引用文では、価格の表記がわかりづらいので補足。
 廉価な(5)は19円ジャスト。上等品(1)の下、(4)のAは27円50銭。翌年の「奢侈品等製造販売制限規則」で販売禁止、贅沢な靴が一足30円以上と書けば、商品のレベルが解る。
 ついでに、同誌掲載の、「五〇円で夏服一揃い」、文字通り50円で夏服一式(帽子、スーツ、ハンドバック、手袋、靴、靴下、シュミーズ、スリップ、ブラジャー、ブルマース、コルセットまで)を松屋百貨店で揃えてみました、と云う記事も引く。「スーツ二十円」「夏のサンダル、ブタ皮、底皮は代用品、ファイバー=ゴム。七円五十銭」で調達。カーフのサンダルひとつは、女性用スーツより高く、ブタ皮サンダルの三倍もする(値段の分だけ速く歩ける、ことは無い)。

 「銀座ヨシノヤ」は、創業百年を越えた、銀座の靴屋さんである。先に紹介した文章、目次には「ヨシノヤ靴店」とある。


「五〇円の夏服一揃い」

 「夏から洋装をなさる方、夏だけ洋装をなさる方の御参考」と、本文にある。「着物の方がお似合いですよ」と云ったら、張り倒されるだろうか?
 「長持ち」を考慮せぬワンシーズン有効のおしゃれ、昨今では別段珍しくもない話だが、その萌芽が、モノを大事にするはずの、戦時中の代用品推奨にあった、と考えると痛快である(是非はさておき)。

 実際のところは、「贅沢は敵だ」の声で、季節ごとに服や靴をおおっぴらに使い捨てるわけにいかず、価格は固定、お金があっても点数がなければ、購入できぬ点数切符制までお上から押し付けられ、靴屋さんの目論見は完全にはずれてしまったのである。