ネタに詰まったわけでは無い

リメイクされた「空中トーチカ」


 世の中思い通りにありたいものだと誰もが願う。しかし結果だけでなく、それを実現させる手段まで考えるのは、案外面倒なものである。戦争と云うものも世の中の一断面である以上、うまくコトを運びたいと思うのは皆同じで、そこに新兵器・新戦術のニーズがある。とはいうものの、云うは易く行うは難く、実は考えるのも一苦労なのである。

 結果について責任を負わされない空想世界であっても、新兵器を考えるのは難しい。「日本三大茂」(※1)の一角、小松崎茂が健筆を揮ったことで知られている国防科学雑誌「機械化」では、「新案兵器」と云う、空想兵器の挿し絵付き記事(※2)を、毎号掲載していた(と書いたが、総てを見たわけでない)のだが、昭和19年4月号に登場したのは、昭和17年8月号にも登場した「空中トーチカ」なのである。


新案兵器 空中トーチカ

新案兵器 空中トーチカ
案 画  小松崎 茂


 落下傘部隊は近代戦の花形である。しかしその降下にあたって、空中から、地上から、当然敵の猛反坑を覚悟しなければならぬ。そこでこれを撃退するために出現したのがこの空中トーチカである。これは大型の輸送機から落下され、開傘後空中に浮いている間は敵機を撃退、または味方降下部隊を保護し、降着後はトーチカとなって味方を援護する。
 降下部隊の危機は着陸後から攻撃にうつる瞬間にあるので、この間の味方援護を引受け、またその欠点たる部隊分散に対しては、その走行性を利用して兵を乗せて部隊集中に全能力を発揮する。
 この空中トーチカは鋼鉄或は強化木で造られ、表面は充分に装甲されてある。機動力を持ち、動くトーチカの役目も果すものである。
「機械化」昭和19年4月号


拡大図


細部構造

 前回の「空中トーチカ」は、爆撃機の垂下銃塔そのままの形状と云う、コンセプト先行の「新案」であったが、あれから2年近くたつと、だいぶん進化してきている。すなわち

 「スポンヂゴム」と云う、効果不明の衝撃吸収装置が、「油圧緩衝機」に
 着地後は留まるだけだったのが、「五十馬力発動機」によって自走可能になり、しかも兵員輸送も考慮
 「トーチカ」用途を効果的にするため、「短波アンテナ」(つまり無線機を)搭載
 「機関銃」はより強力な「三十粍機関砲」に
 防護力についても、特に言及されていなかったのが、「対弾ガラス」「対弾タイヤ」がついて、本体も「充分に装甲」(『強化木』に言及しているところが昭和19年である)され、「緩衝機」のフレームに付いた板は、地上に展開した兵員の防盾に転用可能(上空の味方への信号としても使える)

 と、驚くべき充実を見せている。


使い道の数々「奥様、これはお得です」


 しかし、これだけの装備を持つ「空中トーチカ」を運搬する手段については、依然言及のしようは無いようで、画では「大型の輸送機」に、内部でのトーチカの様子がもっともらしく描かれるに留まっている。


投下から着地まで

 図の二段目では「落下から開傘まではフープの要領で降りる」とある。「フープ」は、航空機搭乗員の訓練用に開発された、球形運動具のこと。球体を構成する枠の中に人が入り、自在に回転させることで、体力向上・平衡感覚涵養を目指す器具である(戦時中の映像で、よく見られる)。
 ここでは、降下中でも、方向を変えられることを伝える意図があるようだが、これだけの重量物をコントロール出来るのかは、疑わしい。この図だけ人間が大きめに描かれているところに注意。


輸送機とトーチカ

 充実した装備による重量・寸法の増大と、輸送機の問題(大きさだけでなく、数も、飛行場・支援要員も)をツッみ出すと、「空中トーチカ」そのものの存在が否定されてしまうし、それは前回書いたので繰り返したく無いのだが、ここまで凝ったモノを造るのなら、「空挺戦車」の方がよほど使い道はあるし、これだけの輸送機が大量に動員できるのならば、日本は戦争に負けていないだろう。
 しかし、最初に「空中トーチカ」と云う題目ありきと思えば、そんな些細な事に目くじらを立てるよりも、図版を楽しみ、当時の読者の感動を味わうのが、良い読者と云うものだ。

 実際のところ、帝国陸軍の空挺作戦用戦車については、普通のカタチの九八式軽戦車(あるいは二式軽戦車)を、ク7輸送用滑空機と組み合わせた正統派がすでに存在し、さらに特三号と呼ばれる、軽戦車そのものに翼を付けて滑空させよう云う、「機械化」の口絵にあってもおかしくないゲテモノが検討されていたのである(※3)。しかしどちらの「空挺戦車」も、軽量・小型のものであり、かつ武装も37ミリ砲であるから、敵主力戦車とまともにぶつけられる兵器ではない。
 この口絵が描かれた昭和19年前半には、インパールにおける英軍ウィンゲート空挺部隊の抵抗、ノルマンディー上陸作戦での空挺降下があり、日本の航空雑誌では輸送用航空機の記事(滑空機も含まれる。もちろん日本以外である)が掲載されるなど、昭和17年のメナド・パレンバン空挺作戦成功以来の、空挺作戦に興味が高まった時期のようである。つまり、物騒な海上・陸上を飛び越えて、戦局の維持・優位化が実現出来そうな、空中からの戦力投入に期待が集まっていたわけである。そして19年終わりには、薫・高千穂両空挺隊が投入されている。
 「空中トーチカ」と云う新案兵器が、装いもあらたに再登場したのは、このような背景に基づく。ネタに困ったわけでは(おそらく)ない。
 しかし、当時の雑誌記事の中には、落下傘部隊よりも、グライダーによる兵力の投入の方が効果的ではないか、とすでに書かれたものもあり(※4)、われらの新「空中トーチカ」は、所詮発表された時からイロモノなのであった。
 

※1「小松崎 茂」「水木 しげる」「吉田 茂」の三名が印度総督府公認メンバーである。「天知 茂」「松崎 しげる」を含めて「シゲルンジャー」(ヨシダホワイト・アマチブラック・コマツザキブルー・マツザキレッド・ミズキイエロー、乗り込むメカは小松崎メカ)を構成しているわけでは無い。

※2実は「未来兵器」と云うシリーズも連載されている(この号では『一人乗り戦車』)。「新案」「未来」の線引きの根拠はよくわからない。色刷り口絵の裏面にモノクロで印刷されているため、たいへん見づらいものである。

※3「奇想天外兵器」の一つとして、コンビニエンスストアにまで挺身進出し、今日では広く知られるようになった。

※4 「飛行日本」昭和19年4月号「航空輸送の話題」(榊原 茂樹:航空試験所第三課長)では、 落下傘部隊とグライダー部隊の優劣について「素人考えとしては後者の方が都合がよいのではないかと想像する」として、さらには「戦車に翼をつけてグライダーにして、(略)目的地に着陸したらパラリと翼を脱して、本来の戦車に還り突撃するというグライダー部隊もほしいものである。」と滑空戦車待望論まで飛び出している。このような発言が一般向け雑誌に登場すると云うのは、特三号構想が、すでに放棄された結果なのかもしれない。