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 インターネットの事始め「Zaurus」時代のデータを整理していたら、木暮里メールマガジン1.2.と題した猫話が出てきました。あの小さな画面ちっこいペンで、チマチマと突っつき入力していたのが四年前…遥か太古の昔のように感じられるのは、それだけIT技術と世相が激しく推移して来たということでしょうか。

 進歩…というのは概ね良いことに用いられる言葉なんでしょうから、このシーンにはなんとなく使いづらくて推移と表現しましたが、同感の方も少なからずいらっしゃるとしたら…
お互い歳を取ったということなんでしょうねえ(´。`)フ〜
 おーおー、そうじゃ、今週は敬老の日があるんじゃったのう、お互い身体を労わって少しでも長く湿気た老齢年金をもらいましょうや ヨチヨチ( *´д)/(´д`、)アゥゥ                    (平成16年9月)

Zaurusで描いたタマ

タマ物語〜Tama's Kids〜

 YaYa〜,木暮里メールマガジンその1

 近ごろタマは育児ノイローゼなのか、子猫たちを持て余し気味でいる。しかし、初産でいきなり六匹も産むオマエが悪いのだぞ。

 猫の乳首が六つあるというのを、初めて知った。だから六匹というのは定員ジャストということになるが、殆どが一人しか産まないヒトの乳房が二つあるように、スペア的な意味もあるオッパイ数なのではないか。スペアタイヤをローテーションで使うように、理想的には三匹で三つの乳を飲んでいる間に、もう三つが満たされつつあれば、子猫たちは次ぎの飲乳時には満タンのオッパイにありつけることになる。タマたちのように定員いっぱいオッパイでは、育ち盛りには不足がちで、自転車操業的な授乳しかできないだろう。

アナログ写真で撮ったタマ
 産みたてのころはつかの間も子猫たちから離れたがらなかったタマも、三週間目に入るころには授乳時以外は巣から出て、ベランダのテーブルの上などでウンザリした様子で寝そべっている毎日となった。

 そんなある日、ベランダでタマの乳を飲んでいる子猫の数が二匹足りず、ベランダの隅の巣を覗いても見当たらない。午後になって芝生の向こうのビニールハウスの床下を出入りしているのを見付けた。タマが運んだのか連れて行ったのだろうか。その日はベランダで授乳中のタマの所へ運んでやると、二匹も兄弟姉妹に混じってお乳にむしやぶりついた。

 次の日も同じ子猫かどうか、やはり二匹がビニールハウスの所にいた。タマが時たまビニハウスへ向かったり、戻ってきたりするので、どうやら乳をやったり面倒をみてやっているようだ。

 ビニハウスはコンパネで床を作ってあるが、夕方に見てみると別居の二匹は床の上に転がっているポリバケツの中にいた。次の日は発泡スチロールのコンテナの中にいた。試しにネコ缶のエサを少しやってみたが、二匹とも口もつけない。

 その次の朝、一匹だけがビニハウスの床下を出た所に座っていたので、乳を飲んでいる四匹の中に紛れこませてやった。あとの一匹はどこにいるのだろう。

 昼頃に床下を覗いてみると、一mくらい奥に横向きに倒れているのを見付けた。死んでいるようだ。湿気よけにビニールを敷いてある上だから、放置しておくと滲み出た奬液が土に吸収されずに腐熟してひどい状態になる。掻き出して埋めてやろうと、棒で突つくと、思いがけずフニャアーと大きな鳴き声。まだ生きていた。

 横になったままこちらを見ている目の光と鳴くときの口の動きは見えるが、四肢はピクリともしない。乱暴に棒で引きずり出しては、そのダメージでとどめをさす結果になりかねない。

 タマが鳴き声を聞き付けて床下に入っていったが、すぐに出てきて、六分の一位しょうがない、というような顔でニャアと鳴いた。子猫の声を聞いて二回ばかり床下へ出入りしたが、くわえて外へ運び出してくるようなことはしない。クロネコじゃないからな。

 思い付いて敷きビニールを引っ張ってみると、上に乗っている子猫も一緒に引きずられてくる。届く所まで来たので掴み出してみると、けっこう大きな声で鳴き声はたてるものの、眼は虚ろに見開いたままで四肢は硬直していた。とても助かるような様ではない。

 アップルユーカリの根元に置いてやると、タマがペロペロと子猫の体を嘗めはじめた。懸命なようすだが、前足を瀕死の子猫の首に掛けて押さえ付けるようにして嘗めている。+−どちらかというと−効果になりそうだ。
 いくら介抱しても子猫の様子は変わらない。そのうちにタマはベランダへ戻って五匹の子猫たちに乳をやりだした。瀕死の子猫はそのまま横たわったままだ。横腹が呼吸で上下しているのが目に見えるけれど、時間の問題だろう。つまみあげて乳飲み中の五匹のなかに置いてやった。せめて息を引き取る時は母親たちとともに……瀕死の子猫は、乳を飲みながら波のようにうごめいている兄弟姉妹のなかに沈んで行った。  つづく

 YaYa〜,木暮里メールマガジンその2

 乳を飲んでいる五匹の子猫たちの波に沈んだ瀕死の子猫がどうなったか様子を見に行くと、親タマ子タマたちはベランダに散らばっていた。
 瀕死の子タマは倒れたままだったが、時々横倒れの姿勢でもがくようにしてデッキ上を動いている。四肢全部を動かせないらしく、頭を軸に直径40センチくらいの楕円を描いての移動だ。兄弟姉妹たちに押しくら饅頭されて温まったせいか。これでお乳を飲めれば助かるかもしれない。思い付いて、牛乳を人肌ならぬ猫肌くらいに温めて脱脂綿に浸し、一端を子猫の口にくわえさせて絞ってみた。子猫を仰向けにつかんでいるので、絞られた牛乳はイヤでも喉へ流れ込む。すると、子猫は喉をゴクリと鳴らして飲み込んだ。オーと、ちょっとした感動が静電気のように感じられた。

 僅かばかりの牛乳を飲んだだけだが、子猫はなんとか座っていられる状態にまでなった。けれど、これから更に快方へ向かうのか、つかの間の光明にすぎないのか、まだまだ予断を許さない様子だ。巣の中には二匹が戻って来ているから、とにかく、その中に入れておいて様子をみてみよう。

 しばらくしてから覗いてみると、子猫は全員巣に戻ったらしく、数えてみると六匹いた。どれが死にそこないの奴か見分けがつかない。

 翌朝、いつものようにタマがベランダのガラス戸の前に座ってエサを待っていて、ここ数日来のならいで子猫たちも回りに集まってワサワサしていた。おそらく子猫は五匹だろうと、タマにエサをやりながら数えてみたら、六匹全員集合している。

 死にそこないはすぐに分かった。一匹だけ元気なく座っているのがそうだ。動くときは座ったまま、いざるようにしている。その場所から巣までは五メートルくらい離れているから、親タマ兄弟姉妹たちに連いてイザッテきたのだろう。それにしても昨日の瀕死の状態から比べると、たいした変わりようだ。時の経つにつれて確実に回復してきている。

 昨晩百円ショップで小さなスポイトを買ってあったので、ミルクを猫肌に温めたのを入れて飲ませた。喉に注がれるとゴクリと飲み込むから手ごたえ十分だ。このぶんなら助かるに違いない。

 横になったタマに群がりだした子猫たちの中に入れてやると、蘇った子猫は乳首を求めて潜り込んでいった。 そろそろ子猫たちに名前を付けてやろうと思い、六匹ということですぐに浮かんだのが「おそ松クン」だから、我ながら古いなと感じたが、一松トド松カラ松十四松(十姉妹)ときて、あと一名が思い出せずにいた。だから一匹が瀕死になった時、なにか奇縁を感じたものだ。その子猫が生きながらえたとなると、あと一つの名前を思い出さなければならなくなった。いや、きっと近々思い出すことだろう。

 その後、チョロ玉(案の定、思い出した)は、すっかり元気になった。ダメージを受けたせいか、おそ玉トド玉たち五匹より一回り小さいが、一番の腕白というかメスだからオテンバ娘(まさにキティだね)に育ったのである。

 瀕死状態のとき世話されたことが判っているのだろうか、六たりの中で一番私に懐いているのがチョロ玉である。さすがに可愛いとは感じるが、なにか、こう、厭な予感がして仕方ない。余計なことをしてしまったのかも知れないのだ。自然の摂理に反して一匹を生き延びさせたことで、なにか悪い展開を招くのではないか。

 それからまた一と月ほど経ったこの頃、チョロ玉は私を避けるようになってきた。ほかの子玉たちは手を触れると、仰向けになったりして身を委ねてくるのに、チョロ玉ときたら、父親に触れられるのを嫌う思春期の娘のように、あからさまに厭い身をよじって逃げるのだ。

 そんなものなのだ、チョロ玉にとって私は命の恩人。たとえ恩着せがましくされなくとも、およそこの世で「命の恩人」くらい、うっとうしいものはあるまい。厭な予感がしたのは、命の恩人というキャスティングを嗅ぎ付けたからだろうか。ま、悪い展開というのがこの程度のことならば、メデタシメデタシなのだが……。了ことによると続く

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