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コンサート当日,練習場にて(午前中) コンサートが終わって
荻窪西友のリンゴ売り場で事前取材。(8/23)また、やなわらばーと団員6名が信州のリンゴ畑に体験取材。(8/24〜25)
この畑のおじいちゃん達と楽しい一時を過ごしました。
長野朝日放送のスタッフと記念に1枚。翌日はアップルパイ作りに挑戦。
有志9名で、今は亡き坂本九の『心の瞳』を歌った。急に決まったため練習時間20分足らずのぶっつけ本番をしてしまいました。
白糸の滝 小浅間山登山
遊歩道(白糸の滝に続く道)
川越水上公園
西武ゆうえんちにて
川越水上公園
西武ゆうえんちにて
平成9年夏合宿(物見山にて)
本番前の練習
放送画面から 元スタッフの鈴木八栄子さんとの再会
団員不足から17回目のコンサートから18回目のコンサートまで6年間の
時間がかかりました。その間も毎週練習をしながら団員数の復活を願いながら
楽しい合唱練習とは何かをを自分に問いかけ再びコンサートが出来る日を
夢見ていました。練習場に行っても団員が一人も来ない日もありました。
平成9年 | −−− | ★やっと団員数が10名位になってきた。もう一息。 |
平成8年 | −−− | ★少しは団員が増えて来たように思う。団員が6名も来るとたくさんの子ども達と歌っているように感じる。もっと子ども一人一人を大切にしなければ。昔10名で少ないと思ったが,今は6人でも多いと思う。私も教育の大切な何かを学んだ気がする。 |
平成7年 | −−− | ★練習場に団員ゼロの時,もう合唱団は最後かなと思った。団費タダにし,楽しい合唱練習の再研究。結論として『教育は楽しくなければ教育でない』。即ち,私たちは合唱の技術を教えるのではなく、楽しさを教えることの重大さを認識したように思う。 もちろん,今までも大事にしていた事なのですが,よりその重大さを再認識させられたように思う。そして,結論として私たちは,技術ではなく,より楽しい歌の種を蒔くことしかできない。私はその時,そう感じたのです。 |
平成6年 | −−− | ★団員数が減ると楽しさも半減。団員数も減るばかり。練習場に団員2、3人の時も。 |
平成5年 | −−− | ★団員数が10名程度になり予定していたコンサートを中止。とても悲しい時でした。 |
団員数の減少で第13回定期コンサートと第14回定期コンサートの間も
2年の時間が必要でした。
合同練習を指導する西六郷少年少女合唱団の故・鎌田典三郎先生。右写真の右も。
秋の合唱際で・上段左より4番目に鈴木蘭々(小4)・指揮は鈴木八栄子さん 蘭々の拡大写真
友情出演・石神井西中学校管弦楽部 指揮・横川雅之 現在,当合唱団ピアノ担当スタッフです。
指揮は新井フミさん フィールドアスレチックハイキングで鈴木蘭々(小3)
司会はなんと『およげたいやきくん』の子門真人さんです。
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当時の小学6年生が作ってくれた料理
山口さんと子供たち
この時,平岡養一氏のピアノ伴奏をしていた田中園子さんは,偶然,,当時出演していた団員のピアノの先生だったのです。
カッコイイ山浦さん(下は日比谷野音ステージ)
2段目右の日高宣子らゃんがライラック少年少女合唱団の名付け親です。
美人スタッフだった渡辺さんと,カッコイイ山浦さんのベストアルバムです。
モナリザ先生こと岡山さん
昭和49年6月2日。初めての練習日,我が家にあつまったのは『12の瞳』だった。
日高宣子ちゃん(小3)・野村文子ちゃん(小3)・鈴木康敏君(小4)
鈴木美絵ちゃん(小2)・斉藤 香さん(小5)・越前ひとみちゃん(小2)
ライラック少年少女合唱団はどうしてついたのでしょうか。それは出来で間もないころ
『合唱団の名前を考えておいてね。』と,子供達に頼みました。
すると次の週の練習日に日高宣子ちゃんが恥ずかしそうに,
『福島さん,うちの庭にライラックの木が有るんだけど『ライラック少年少女合唱団』
なんてどう。これがライラック少年少女合唱団の名前の由来です。
〒177-0051
東京都練馬区関町北3-3-23-102
ライラック少年少女合唱団
03-3928-5615 E - mail fksm7@mx3.ttcn.ne.jp
代表 福島 弘治