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7.旧成田街道手繰坂 上座公園の脇を下り、手繰川にかかる手繰り橋を超えると現成田街道は直進するが旧道はすぐ左に入る。今ではかなり住宅地化してしまったが、ここはかつての難所手繰坂で、昼なお暗い山道だったらしい。今でも一部に杉林があり、江戸時代にはここは杉林になっていたと想像されるが、それ以前はあまり整備されない道だったに違いない。今は車でも登れる。 |
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8.旧街道沿いの祠 民家の前にある祠。こういう祠は何箇所か残っていて作り直されながら今日に至っているのだろうが、かつて旧道だったことを感じさせる。江戸時代になると新道が整備されるが、それは今の旧道296号線である。手繰坂の旧道は山を越えていくが、江戸時代の新道は谷あいをはしっていることになり、臼井宿の前で合流する。 |
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9.「右 成田ミち」「左 江戸みち」とある道標 この写真ではわかりにくいが、ちょうど電柱のある真ん中に道標が立っていて、今では民家が後ろに建っている。登ってきた人には「右、成田道」が見え、成田から帰る人には「左、江戸道」が見えるようになっている。ここを左に行くと「さくば道」?となっていて意味がよくわからないが、実蔵院にいたる。、 |
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10.道標を左に行くと実蔵院 明治時代から昭和の初期にかけて明倫中学の教育がここで行われたため、卒業生によって石碑が境内に建てられている。本道は江戸時代に消失したらしく、詳しいことはわかっていない。真言宗豊山派のお寺。 |
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11.妙覚寺境内の名大関雷電為右衛門の碑 妙覚寺は今ではすみれ保育園が境内にあってそちらのほうがメインになっていて、お寺は片隅に追いやられた感がある。墓地との間に舗装道が通じていてお寺と墓地を分断している。かつてこの道路は妙覚寺への参道だったはず。この碑は雷電為右衛門を記念して建てた物で古いものではない。撮影時は夕方で、電柱の影が映ってしまった。日蓮宗のお寺。 |
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12.星神社とも言われる臼井妙見社 地元のおばあさんは星神社と言っていた。社紋は千葉氏一族の月星で、臼井氏も千葉氏一族であった。千葉氏は桓武平氏の流れくむ組む房総半島の大豪族だったが臼井氏はすでに平安時代に千葉氏から分かれた。千葉氏一族は北斗七星を神格化した妙見神を信仰していたが、もともとこの信仰は中国の道教から来たものとされる。妙見社は臼井城築城時に鬼門とされるところに建てられたと言われる。 |
